第一話「月夜の鬼人」
これは、あるおとぎ話。
この世界に住む者なら誰もが知っているような、そんな話だ。
『昔々、神様は世界を創り、そこへ人間を放ちました。
人間はあっという間に増えていき、自分たちのために神様の創った世界を壊し、 食らい始めました。
怒った神様は、人間の天敵となる鬼を創り世界に放ちました。
すると人間はみるみるうちに減っていき、鬼はみるみるうちに増えていきました。
調子に乗った鬼は力を合わせて神様を殺し、世界を自分たちだけのものにしました。
そこに、ある人間の勇者達が戦いを挑みました。
その勇者達は鬼と勇敢に戦い、ついには世界の半分を鬼から取り戻しました。
後に人間側の大地は「アスゼルア」と、鬼側の大地は「リヴェルノア」と呼ばれるようになり、
その境界は深い霧で覆われるようになりました。』
これがこの世界に伝わる有名なおとぎ話。
この物語が真実がどうか、知っている者はもういない。
正しく、神のみぞ知る真実。
そしてその神さえ失った世界で、人と鬼は争いを続けていた。
おとぎ話の嘘に気付かないまま。
リヴェルノア王国境界。森の中を駆ける一輪の馬車。
銀灰色の鎧に身を包んだ騎士が手網を握り、夜道を進んでいた。
後ろに乗っているのは、頭から二本の角を生やした一人の少女。
貧相な服装で、腰からレイピアを下げている。
乗っているというよりは、閉じ込められているという方が正しいのだろう。
彼女は罪人だ。
今まさに、生きたまま境界に放り出されようとしている。
境界というのは、この世界を分ける二つの国の境界線のことだ。
境界の周辺は人の手がほとんど加えられておらず、深い森と霧が広がっている。
その中には魔物や魔獣の類が住むとされ、大変危険な場所として昔から恐れられていた。
そんな場所に、まだ幼い少女が捨てられようとしていた。
だがそれも当然と言えるだろう。
彼女は自国の王を殺害しようとしたのだ。
いくら少女とはいえ、その罪が許されるはずもなく。
その身に余る刑罰を受けることになった少女は、それでも凛とした顔で馬車に揺られていた。
「着いたぞ、降りろ。」
馬車から降りた騎士が、牢屋のように鉄柵で囲まれた荷台の鍵を開けて強引に少女の手を引く。
強く拳を握りしめた少女は、その瞳にまっすぐ騎士を捉え、
「鬼なんて、みんな死ねばいいのに。」
そう言って、一人で森の奥へと入って行った。
アスゼルア王国、境界の森。
奇しくも同じ時間、一人の少年がこの場所にいた。
「んー、今日は状態の良いものがなかなか見つからない」
少年が独り言を呟くと、その耳元に掛けられた通信機から男性の声が発せられる。
「ならいい加減今日は帰ってこい。今に始まったことじゃないがこれは王国に無許可で行ってる調査だ、何が起きても部隊の応援は呼べんぞ。」
まあ、どうせまだ続けるんだろうが、と続けて溜息を吐く男の声。
「あとちょっと実験材料が欲しいんだ、ほんのちょっとだけ」
宥めるように笑いながら少年は言った。
その後に一際大きな溜息が通信機から鳴って、わかったと一言だけ言葉が返ってくる。
「ありがと師匠、といってもほんのちょっとだし、すぐ━━━っ!………鬼の気配がする……」
少年の表情が険しいものになると、その身を素早く木の影に潜めて腰から銃を取り出した。
顔だけを木から覗かせ、その目に敵の姿を捉える。
「だから早く帰ってこいって言っただろうが!!」
通信機越しの怒鳴り声が少年の耳にキーンと響いた。
「しっ!静かに!…腰から下げてるのは…レイピア?護身用かな。見たところ一人みたいだし、なにより子供だ。助けに来なくても僕一人でなんとかできそうだよ」
いくら鬼の戦闘能力が高いとはいえ、少女なら十分に勝機がある。
少年はひそひそと話しながら、両手に持った二丁拳銃のセーフティーを解除した。
「魂片注入」
ポツリと呟かれた少年の言葉を引き金に、二丁の拳銃が淡い光を放ち始める。
そしてスゥ、と息を吸い込み木の影から獣の如く飛び出すと、一瞬の内に人外じみた速度で少女の真後ろへ詰め寄り、
「仕留めたっ!」
引き金が引かれた。
回避を不可能とする零距離の射撃。
発砲音が森の中に響き渡り、辺りにいた鳥が飛び立っていく。
少女は成す術なく、この瞬間に命を落としていた。
この場にいたのが、"普通の"少女なら。
「━━━なっ!?」
驚きは少年のものだった。
目の前にいる少女は、片手に持った剣で弾丸と銃をいっぺんに弾き飛ばしていた
のだ。
咄嗟にもう片方の銃で二撃目を撃とうとする少年。
だがその動きを読んでいたかのように少女の剣が流麗に舞い、少年の銃を弾き飛ばす。
「え、えー······嘘ぉ······」
驚きの余り言葉が漏れる少年。
首に剣を向けられ、ゆっくりと両手を上げる。
少女の冷たく突き刺さるような視線が少年に向けられた。
「貴方、人間?」
感情が一切こもっていない、機械のような少女の声。
「······ああ、君たち鬼の大嫌いな敵、人間だとも。」
口元に笑みを浮かべながら、挑発するような態度で少年が応える。
「大嫌いな敵、ね······私の敵は貴方じゃない。」
そう言うと少女は剣を鞘に収めて、少年に背中を向けた。
「僕を見逃すの?」
「ええ、見逃します。私は鬼を殺すために生きているの。貴方は人なんでしょ?」
少年に向けられた少女の瞳には、もう先程までの冷酷な鋭さはなかった。
「なんなんだ······君は一体······」
少年の疑問は当然のものだろう。
鬼の絶対的な敵は人。
人の絶対的な敵は鬼。
戦時下のこの状況では尚更、誰もがそう考えているはず。
しかし目の前の少女は違った。
その口からはっきりと、鬼を殺すために生きていると言ったのだ。
少女の頭には角が生えている。その為に間違いなく鬼のはずと少年は思い込んでいた。
だがそれは間違いだった。
少女は視線を少し下に落とし、目を細めて口を開く。
「私は、境界送りにされたただの罪人よ。あと勘違いしてるようだから言っておくけど、私は鬼じゃないわよ?」
「え、鬼じゃない···?」
少年の頭に更に疑問が積み重なる。
額から生える角、圧倒的な戦闘能力、どれをとっても鬼そのものとしか考えられない。
少女はくるりと少年に振り返り、応える。
「鬼と人の混ざり子、鬼人よ」
鬼人。
少年にとっては初めて耳にする名前だった。
鬼と人の混ざり子、そんなことがあり得るのだろうか。
「まあ、無理に信じろとは言わないわ。とにかく、私は貴方と敵対する理由はない。それだけよ。」
もう一度少年に背を向けた少女は、そう言って森の奥へと歩き始めた。
その時、この緊張した空気には不釣り合いな、何とも間の抜けた音が鳴った。
"グゥ~~~~"
夜の静寂を壊す音の出所の少女は、顔を真っ赤にして立ち止まる。
少年は笑いながら、
「お腹空いてるの?良かったら、僕の家に来なよ。」
そう言って一歩、少女に歩み寄った。
「······あなた本気?本気なら馬鹿としか思えないわ。私は貴方の敵じゃないけど、仲間ではないわよ。」
依然として顔を赤くしながら、振り返らずに少女は応えた。
少年は更にもう一歩、歩み寄る。
「本気だよ。鬼人、だっけ?とても興味深いね。是非話を聞かせてほしい。」
暫しの沈黙の後、少女が振り返る。
「まあ······話くらいなら······」
そう言って、少女は少年と目を合わせた。
「僕はショコル・サイベル。君は?」
「···キセア。キセア・リーゼラ。」
満月の夜。世界を分ける境界線の上で、ある少年と少女は出逢いを遂げる。
この二人の出逢いは偶然ではなく、必然と呼べるものだったのかもしれない。