社訓3 秘書としてお願いします【3】
帰りのホームルームが終わり、俺は早々に帰宅しようとした。
今日は訳の分からない事が起こって疲れたから、さっさと家に帰りたい。
「工藤君!今から時間はあるかな」
ものすごい圧で桐谷が振り返った。
相手にすると疲れそうだし、何を考えているのか分からないタイプなので正直関わりたくない分類だった。
これも無視してみるか。
俺は相手にせず、荷物をまとめて教室を出ようとした。
「けしからん!社会人どころか人としてのマナーが欠けているではないか!」
桐谷が俺を止めるために、俺の腕をつかもうとしたが、桐谷は「ハッ」と何かに気づいたようだ。
「なん……て事だ。非常識なのは僕ではないか」
ようやく自分がおかしいと気づいたか。それに巻き込まれる俺の身にもなってくれよ。
桐谷は俺の目の前に立ち、急に畏まった。
「失礼した。僕はホーム・トイソル・コーポレーション、次期社長の桐谷だ」
そういって、桐谷は俺に名刺を差し出した。
違う、そうじゃない。
ていうかコイツ、何で名刺持ってんだ。自作か?
しかも肩書が次期社長になってる。そんなのってあるのか。
「君は将来性がある。まずは会社説明会に来ないか?」
俺は名刺を受け取らず、無言で去ろうとした。
「……おっと、僕は見る目がなかったかな。それとも工藤君が自分自身を見る目がないのかな」
その一言が嫌に引っ掛かり、俺は桐谷の方を振り返った。
「工藤君はずっと勉強しているだろう?しかしイジメの事が気になって実際は内容が頭に入っていない。これが勉強に集中出来るようになれば、知識を身に着けて将来のためになる。僕はその集中出来る環境を提供するから、我が社に貢献してほしい」
「……それは結局、お前のためにしかならないじゃないか」
「浅い、浅いよ君は。ここは『給与の詳細は?』と返すのが正しい。僕がこのように話す以上、給与が高い事は容易に想像出来るだろう」
「仮にお前の会社で働くとして、今の時点で給与を聞いても数年後では今と利益が違うだろうし、参考にならない。だから働くなんて言えない」
ふうん、と桐谷は俺を見つめた。
「君は損するタイプだ。適当に僕を言いくるめれば、勉強が出来る環境が手に入るのに。将来の事なんて誰も分からないだろう」
「先の事が分からず、言いくるめられるのは俺もお前も一緒だ。今の時点でお前の会社に将来勤めると約束して、今後大学で就活する時にお前の会社が経営不振になっているかもしれない。その時には俺は他の企業に就職したくなると思うから、お前との約束を破ることになるだろ?それはトラブルになってお互い面倒だ。だったら最初からお前と関わらなければいい話になる」
「つまり僕を騙す事なく、将来の可能性を狭めるかもしれない人生のたった一部である今の環境を選ぶという事か?」
確かに、また高坂が俺にちょっかいをかけてくる可能性はある。桐谷はそれから俺を守る代わりに、桐谷の会社で将来働くようにと取引を迫っている。
桐谷が言うように、適当に「お前の会社で働く」と言って、実際は働かずに逃げる方法もあるが、コイツはヤバい奴だから、追い掛け回されるリスクがある。
桐谷の会社は今のところ安泰のようだが、俺が就活する時に経営不振であった場合、何としてでも俺を雇用しようとするだろう。
「あの時、約束したじゃないか」と言って、それこそ訴えられたらややこしい。
絶対、今の時点で誓約書書かされるだろうし。
どっちかを選ぶしかない事は分かっている。
俺は自分で高坂をどうにもできなかったから。
中学時代のようにイジメに耐える日々は送りたくない。
でも目先の事を考えて、将来を縛られるのも嫌だ。
「あれ、まだ残ってたの?工藤君と桐谷君。教室の鍵を閉めようと思ってたんだけど」
俺たちが話しているところに、上条が声をかけてきた。
「今日はいろいろと大変だったね。今から一緒に帰るのか?早速友達になれたようで良かった。これからも友達として助け合いながら学校生活を送っていこう」
気を付けて帰ってね、と上条は俺たちを教室から出るように促した。
そうだ!友達!
あまりにも常識外れの人達ばっかりだったから、そんな概念すら思い出さなかった。
それに自分自身、友達がいなかったから、そんなことを切り出すのも思いつかなかった。
ただ、こんなに普通に会話が出来た相手は久しぶりだ。
うまくいけば、友達になれるのかもしれない。
「桐谷。まずは、その、友達になろう。就職云々は置いといてさ」
言葉とは裏腹に、友達なんて単語を出すのがどこか怖かった。
今まで、そんな仲の人がロクにいなかったから。
相手に嫌に思われないだろうか。こんな変人でも、そのあたりの感覚は分かるだろうし。
「友達……それは役職でいうとどの辺りだ?」
「え?」
「僕は友達が出来たことがないんだ。だからいまいちどんなものか分からない。専務くらいか?」
コイツ、物の考え方は組織で出来ているんだな……。
「いや、そこだと上下関係が強い。友達は対等であるから、うーん……近しいものだと社長代理とか?」
「それだと、僕と友基さんが友達同士になるぞ。そうではなくて我々は家族として……」
何かブツブツ言っているけど、多分違う。もうこの辺は適当でいいか。
「じゃあ、秘書あたりじゃない?秘書だと社長とは対等ではないけど、しっかりサポートするっていうところで、困っている友達を傍で助けるという意味合いで考えるとそうかも」
「なるほど!では工藤君は僕の秘書だ!」
「なんでそうなる。たとえ話であって、俺とお前は友達……」
「いや!工藤君が嫌がろうとも、秘書を提案してきた工藤君を僕は将来我が社に引き入れる。今の時点で就職の約束をしなくとも、僕は今後絶対に諦めない!これはもう、そういうことだよ」
「どういうことだよ。お前の頭はどうなっている」
「工藤君が将来我が社に働かないと言っても、僕は君を友達として守るって事だ。だって友達とは秘書なんだろ?秘書は必要不可欠な存在だからな。まあ、いずれ本当に我が社の秘書になって貰えるように仕向けるが。だから君も今は僕を友達として、秘書としてサポートしてほしい」
……要するに、今はただ単に友達になろうって事か。
「分かった。これからよろしくな、桐谷」
「次期社長に向かって、なんて口の利き方だ!僕の事は次期社長と呼べ!」
ダメだ。初っ端、面倒くさい事になった。