無花果のパイ
私の妻は、妹を溺愛している。
「お義兄さま、お茶をどうぞ」
にこりと笑って紅茶を差し出してくれたのはその義妹、テリジアである。
仕事がひと段落ついた頃を見計らって出される茶はタイミングを間違ったことが無い。
彼女は姉と妹に大層愛されているが、本人がその愛情をどこまで本気で受け取っているかは定かではない。
「ジアはいつも私たちの言うことを信じてくれないの。いくら可愛いと言ったって、身贔屓としか思ってないんだわ。本当に可愛いのに」
とはよく聞く妻と義妹の口癖。
確かにこの義妹は最初から控え目な存在だった。
初めて会ったのは護衛団の訓練をしている時。体力向上を兼ねた森林訓練で怪我をした新人の応急処置をしたのが幼い彼女だった。
「何をしている」
「ふ、副団長」
なかなか帰ってこない新人を探しに来てみれば、枯れ葉と泥に汚れた姿で転がっていた。
「申し訳ありません、木から落ちて足を痛めたようです」
「お前は・・・子供か」
仮にも団入試験に受かった奴が木から足を滑らすなど。
「はい、子供がいまして。副団長も見かけられましたか」
「子供?こんな山奥にか」
突拍子もない返答に確認を取る。この辺りは一般人が滅多に踏み込まない地区だったはずだが。だからこそ、訓練に適したこの土地を買い取ることにしたのだ。
「はい。私も不思議に思いまして、上から様子を見ようと思ったのですが相手に気付かれて、その、驚いたといいますか」
指差した木の枝はかなり上方だ。あそこから落ちたのか。
「気を抜いていたのか」
この新人は気配に敏いし、気配を消すのも上手い方だと記憶しているが。
「いえっ、訓練中でしたから一切気を抜いていません」
そんなことをしたら先輩に叩き潰されます、との呟きは聞き逃してやる。うちの団員の新人歓迎は荒いのだ。
となると、自分では殺し切っていると思っていた気配を子供に悟られて動揺したのか。
「何にせよ、甘いな」
「はい・・・。お恥ずかしい」
「よかった。目を覚まされたんですね」
突如入り込んできた幼い声に視線をやる。今近付く気配が、あったか?
探る目線に気付いたのか、十前後の幼い娘が困ったように笑う。
「昔から気配が薄いと言われます。痛み止めの薬草です。近付いてもいいですか」
離れた位置で立ち止まり、手に持った草を見せながら聞いてくる。頷くと、にこりと笑って足を進めた。
「これをよく揉んで患部にあてると、しばらくして痺れがやってきます。痛みも同時に収まりますよ」
慣れた手つきで薬草を揉むと新人の足に貼り付け、自分の髪を結わえていたリボンを使ってその足に巻きつけた。
「なぜこんな山奥にいる。親とはぐれたのか」
「いいえ、始めから一人です」
「世話役とまではいかなくとも、誰か一緒にはいないのか。一人だと危ないだろう」
子供の服装からすると、ある程度裕福な家庭で育っているように見える。
聞くと少し困った顔をして、子供は答えた。
「父も最初は付けてくれていたのですが、どうしても…その気が無くても、撒いてしまうといいますか。こういう広い場所にいると供の方がわたしの気配を掴み切れずに、すぐはぐれてしまうんです。その内父も諦めてくれました」
「だが野生動物だっている。危険なことに変わりはないだろう」
「それならほとんど気付かれませんから。静かにしていれば大抵は過ぎ去ってくれます」
にっこりと自信を持って言いきる。確かに目の前にいても気配が薄い。野生動物すら気付かぬ気配、訓練を受けていない人間ならすぐ見失ってもしかたないだろう。
「この森は先日から地元護衛団の所有になった。ここに来るのはもう止めた方がいい」
人がいるとは思っていない団員に、食料と間違われて弓を射られることがあるかもしれない。
「そうですか」
子供は見た目に明らかに落ち込んだ。
「街で友達と遊ぶ方が安全だよ。ここは団員以外は入れなくなっちゃったんだ」
新人が言う。
「そうですね。わたし、かくれんぼは得意なんです」
えへんと胸を張る子供を見て、私は悟った。
「それなら、次この森に入るときにはだれにも見つからないように私の所へ知らせにおいで。森にいるときは必ずこのネクタイを髪に巻いておくこと。できるね?」
私は自分が締めていたネクタイを子供に渡す。
「はいっ。ありがとうございます」
満面の笑みを浮かべた子供は、文句なしに愛らしかった。
「いいんですか、副団長」
新人に肩を貸してやりながら歩いていると、戸惑いながら問われた。
「かくれんぼが得意だと言ったな」
「はい、そうでしょうね。あの存在感なら、なかなか見つかりっこないですよ」
「そうだ。絶対見つからない。自分が出ていかない限り誰にも見つけてもらえない」
「あ・・・」
あの子は嘘はついていない。同時に真実を語ってもいなかった。
事前に子供が森にいると知っていれば、弓で射る危険はどうにでも避けられる。
「でも副団長、団員じゃない人物がいたら、見つかり次第罰せられますよ」
「団長、副団長には入団時期以外の団員採用権限がある」
「・・・あの子、団員になったんですか」
新人が、新しく出来た後輩の存在に目を見開く。
「気配の隠し方の素質は飛びぬけている」
「じゃぁ、もしかしてあのネクタイって」
「あの年齢に会う制服はないからな、私のタイで十分だろう」
子供に渡したネクタイは他の団員とは異なり、一目でそれと分かる刺繍が施された特別仕様だ。団長と副団長のみが身に付けることを許される。それが彼らの首元から外され、誰かの首元に移るということは直々にその実力が認められた証。
今回子供にネクタイを渡したのは実力云々ではなく、もしも森にいるところを誰かに見つかっても、背後に副団長の保護があるという単なるお守り代わりにすぎないのだが、それをわざわざ新人に説明する必要はない。
もっとも、説明せずとも理解できる部下が望ましいが。
「副団長がネクタイ外したの、初めてじゃないですか」
「木から足を滑らす部下ばかりを持つと、外す気にもならないからな」
ぐっと息を詰まらせ、それ以後口を封じた新人。
その後、無くなったネクタイの行方を騒ぎ立てる団員達にもニヤリと笑うだけで黙らすのは容易いことだった。
後日副団長のネクタイを髪に結わえて小さな子供が事務所にやってくるようになる。
そのうち、子供を逆鬼にした「テリジアを探せ集団かくれんぼ」ならぬ「気配認知訓練」が行なわれるようになり、その分野における団員の実力は一段と上がったものの、同時にテリジアが自分の気配を消す能力も意図せず上がってしまったため、彼女を見つけられる団員はほとんど皆無だったのは懐かしい記憶だ。
「ジア、かくれんぼは今でも得意かい」
「そうですね。体も大きくなってしまいましたから、あの時の団員の皆さんがメンバーなら勝てる見込みは少ないですが、大きな舞踏会で存在を消す自信なら大いにあります」
にこりと笑う娘は、あの頃と比べて大人になった。
「ジアには必要ない能力を上げてしまったね」
「有名な義兄と姉妹を持つと、普通は大変なやっかみを受けるんです。私はその点の心配はいりませんから」
「今は専属護衛もいるしね」
寡黙な黒鷲を思い浮かべてそう述べると、義妹は恥ずかしそうに笑った。
身重の妻が菓子皿を持って隣に掛ける。
「おや、無花果のパイか。懐かしいね」
すると、途端に輝きだす瞳がこちらを向く。
「ジアが私たちを惹き合わせてくれた日のことね」
妻の思い出は、義妹を中心に形成されている。




