2: 狂った「天秤」の傾いた先
ストックから投稿。
誤字脱字チェックはしてますが、万が一、ありましたらすみません。
Side:「賢帝」皇竜グリムレア
唖然と――
眼前に広がる惨状に、私の頭には“そんな”言葉しか浮かばなかった。
床に転がった小さな甲殻の残骸、散らばる濡れそぼった粗末な鬣。
(嗚呼、この仔は「息子」だったのだな……)
まだ柔らかかったであろう顔は、無惨に踏みにじられ、原型さえ留めない。
下浅な鳥竜共に食い荒らされたのか、小さな下半身はもはや骨となっている。
流れ出た卵液の匂いに、胸が痛んだ。
暖かな液体で満たされた母なるゆりかごを、逃げ場無き絶望の檻へと変えてしまった。
あの人間達を、己1人で討ち払える力があったなら。
後悔してももう遅い。
私の守るべき小さな命の雫は、この世の器から永遠に零れ落ちてしまった。
最愛の妻は先ほどから、息子の亡骸を両の腕に抱き、絶望の声を上げ続けている。
目に宿っているのはまぎれもない「狂気」。
(無理もないか。)
私達夫婦にとって初めての仔だった。
あまり繁殖力が強いとは言えない我々に、やっと授かった「2匹」の仔。
まもなく孵る筈だった、次代の皇竜達。
「きっと、この仔はきっと、貴男に似た美しい皇竜になるのよ。」
「ならば、こちらの仔は、貴女に似て勇ましい女王となるのだろうな。」
授かった2つの卵を代わる代わる抱きながら、孵る日を待っていた。
欲していたのは平穏。
人間を刺激せぬよう、砂漠の更に奥地へと巣を移し、日々は順調のように思えた。
しかし、あと少しになってこの仕打ちだ。
噛み締めた牙が、ミシリ、と嫌な音を立てた。
口元から流れ出た高温の竜血が、床に落ちて地面を灼く。
私は、自分の『弱さ』を呪った。
妻の言うとおり、近隣一帯の人族は根絶やしにしておくべきだったのだろう。
奴らの“命の尊厳”を考慮した結果がこの仕打ちとは……正直、やりきれない。
ひっそりと平和に暮らしていた我々が、人間達に何をしたというのだろう?
何故、そっとしておいてくれないのだろう。
目の前では、妻が「早く目を覚ませ」とばかりに、潰れ果てた息子の頬を舐めていた。
滂沱の涙が美しい甲殻を伝い、狂を乗せた瞳は瞬きすらもしていない。
もう、とうに私の声など届いていまい。
息子は無惨に殺され、おそらく娘であっただろう卵は盗まれた。
(狂気に喰われて、“黒竜化”するのも時間の問題かもしれん。)
これからどうしたものか……。
そんな迷いはある物の、もういっそ、竜の誇りなどかなぐり捨て、妻と共に狂い果てて、
この世界を焼き払うのも『最良』の事のように思えてきてしまう。
絶望で麻痺した思考をまとめようと試みていると、視界の端で、ピクリと妻が動いた。
「あ……ああ!」
掠れた声を上げ、妻は散らばった卵の殻を脇にはね除けた。
「あああっ、私の愛しい娘。ここに隠れていたのね!」
妻は歓喜の咆吼を上げ、その「物体」を大切に抱き寄せ、何度も頬を舐めた。
両の前脚に抱えられていたのは、どうみても「人間の子供」だった。
何らかの理由で衰弱しているらしく、声一つあげない、小さな人間の嬰児。
(迷い込んだ?いや、これは……)
どう見ても乳離れが済んでいない、生まれてまもない幼体だ。
万が一の「生き餌」の為に、親元から奪われてきたのだろうか。
それとも、何かの不都合――忌み子を、我らに処分させようとでもいうのだろうか。
外道だ。
罪もない命を奪うだけでも許し難いのに、同族の仔まで己の都合で弄ぶか。
私の目に浮かぶのは何だろうか?
反吐を吐くほどの外道共への怒りか? それともこの嬰児への憐憫か?
妻は嬰児をひとしきりあやすと、穏やかな瞳で、私を見上げた。
「ほら、貴男も見てちょうだい。この子ったら卵の殻の下で隠れていたのよ。
本当に賢い仔。早く生まれてしまったから甲殻も無いのね……可哀想に。」
「……お前。」
「貴男も早く抱いてあげて。この子が凍えてしまうわ。」
穏やかに、穏やかに狂った瞳で私を見上げる妻。
此処で、私が真実を告げれば、愛しい妻は壊れ「黒竜」に堕ちてしまうだろう。
妻の気高い竜の魂と、残酷な現実。
そんなもの、天秤に掛けるまでもない。
彼女の心を守るため、私は真実をねじ曲げ、「娘」に歩み寄った。
「混沌の基より、よくぞ我らの元へ来た。汝、我らの娘に選ばれし仔よ。」
私は、四肢を折り――嬰児の顔を覗き込んだ。
永久凍土を思わせる、アイスブルーの瞳は見えているのか、見えていないのか。
泣き声も上げず、幼子はじっと私を見つめている。
「そなたは、全ての竜の祖「原初の混沌」原竜、その末、幻竜の「皇竜」が娘。
我らが娘に真名を送る――リンシェリアリス。その名の加護が在らんことを。」
神竜の寵児
命とは、竜であれ人であれ、かつて全てが同じ混沌に沈んでいた、等価なるもの。
可能性という名の呪いにより、その存在を無限に作り替えるものなのだと。
(この仔の可能性を『人が捨てた』のならば、『竜が拾って』やろう。)
我が祖たる竜、我が母、神竜アリスよ――この哀れな娘に、守護を授けたまえ。
私は、我が子となった人間の娘の頬をやさしく舐めた。
もはや叶わぬ、己の娘にしてやりたかったように。
「貴男、毛繕いしてあげるのも良いけど、リンシェがお腹をすかせて泣いてしまうわ。
早速狩りに行ってらっしゃい。大きな獲物を期待してるんだから。」
「ああ。行ってこよう。」
「……さあ、愛しいリンシェ。心ゆくまでたんとお飲みなさい。」
牙で前脚の甲を咬み裂いた妻が、傷口をリンシェの口元に押し当てる。
離れていても解るほどに、膨大な『生命力』が込められた竜血。
本能的に察したのか、リンシェは傷口にむしゃぶりつき、竜血を摂取しはじめた。
「リンシェは良い仔ね。沢山飲んで、ママのように強い幻竜になるのですよ。」
己の生命力を分け与えながら、リンシェの“銀糸”の鬣を、毛繕いする妻。
今の彼女にとっては、眼前の生きている仔――リンシェがこの世の全て。
子育てを始めた母竜は、触らぬ竜に祟りなし、であろう。
(……案ずるな、息子よ。父がきちんと送ってやるからな。)
私は腰を上げ、散らばった甲殻と骨、肉片をかき集め、巣穴の奥で焼き払った。
空気中に舞い散った灰は、吹き抜けの風に乗り、天井の穴から空へと還っていく。
光を反射して輝く竜の遺灰は、さながら、天空へ立ち上る光の柱だった。
「母上、どうか、貴女の“孫”の魂が迷うことなく、貴女の御許に召されますよう。」
葬礼の咆吼を上げ、私は踵を返した。
悲しみとの決別。
今からの私は、妻と娘のために、馬車馬のように働かねばならない。
妻の“あの調子”ならば、急がねば、全生命力をすぐに枯渇させかねまい。
「貴男。辛いことをさせてごめんなさい。」
「良いんだ……フェルゼノーラ。これからお前の方が、忙しくなるのだからな。」
「そうね。貴男もリンシェの為に頑張ってね。でも、気をつけて。」
すれ違い様に、「この仔の父親なんだから」と妻が囁く。
くすぐったいような、何とも言えない照れを感じ、私は足早に巣穴を掛けた。
獲物の気配を探り、私は、翼に風を受けてそのまま空へと駆け上がる。
無数に散らばっていた獲物の気配が、急送に遠ざかっていく。
その中に、ひときわ大きな“走竜”の姿を捕らえ、私の翼は風を切った。
(悪いが、妻と娘の糧となって貰うぞ。)
爪を突き立てたのは、バジリクスと呼ばれる、肉食走竜の一種。
猛毒を持ち、自らも毒耐性が強い――娘の糧にするに相応しい、餌だ。
猛毒の血肉は、妻の竜血で再構成され、毒耐性として娘に受け継がれることだろう。
※
この日を境に、この辺一帯の“走竜”バジリクスは、消えることになった。
そして、なぜかこの『夢幻砂漠』で、人間を見かけることが増えた。
彼等は砂漠入り口の“骨捨て場”を漁っているだけなので、放置しておくことにする。
(次は、サンダーバード辺りで、雷耐性も与えてみるか……)
日々成長する愛娘を見守りながら、私は今日も狩りに精を出すのだった。
パパ頑張り過ぎちゃった!
幻竜の暴走により、砂漠から1つの群れが消滅しました。
ちなみに、バジリクスはG☆級程度の竜です。
サンダーバードがG☆2程度。
両親の愛を受けて、主人公はどんどんハイスペックになります。