第二環・未完成の絆
第二環・未完成の絆
「お前は幽霊に追われることになる。かも知れないってことだ。」
あの夜、親友の沙武郎と龍丞が告げた自分の置かれている状況。陽射は3日経った今もずっと考え続けていた。
あの童歌が本物で、新木楓が怪談であるならば自分は彼女に追いかけ回されることになる。この場合、ありがちな結末なら卒業目前に殺害される。もしくは、いつか神隠しに遭ったように消される。
でも…。
そんな妄想は、あの寂しげな顔をふと見る度に消えていくのだった。
今日は二人でずっと紅葉を見上げてあれやこれやと言葉を交わしていた。陽射は楓に対して無粋な詮索はしない。ただただ今はお互いを知り合いたかった。
「詩歌に心なければ月花も苦にならず。これは知っていますか。」
「ふふ。楓さんの知識をなめないことね。戦国武将・前田慶次郎利益の作。中ほどの文。続きは、寝たきときは昼も寝、起きたきときは夜も起きる。九品蓮台に至らんと思ふ欲心なければ、八萬地獄に堕つべき罪もなし。生きるまで生きたらば死ぬるでもあろうかと思ふ。でしょ。」
「本当に博識ですね。」
「ねぇ。いいわね。こうやって気の遠くなるような年月を生きてきた樹を見上げながら、かつてその生を駆け抜けた人を、その人が生きた時間を思うのは…。死人が死人のことを思うのも変な話だけど、私には思い出される過去も、思い出してくれる人もいないから。私も随分と長いことこの世に留まっているけれど何が未練だったのか忘れてしまったし。」
「寂しいですか。」
「ふふ。それはね。寂しいわ。」
そう言って楓は寂しそうに笑った。
「陽射ーー!」
叫び声。
突然の声に驚いて声のする方を見ると見知った男子生徒が慌てた様子でこちらに走ってきているのが目に入った。ハミ出しーズの一人、陽射の親友、八草龍丞だ。
「大変だぞ陽射。あ。今ここに楓ちゃんはいたりするのか。」
「あ、ああ。いるよ。」
「丁度いい。一緒に来て欲しい。俺も信じられないんだが、どうも美術室に幽霊が出たみたいなんだ。」
パッと楓を見る。すると楓はこくりとゆっくりうなずいた。龍丞に楓も来てくれる旨を伝えると、彼は楓に一言礼を言うと二人を美術室に誘った。
◆◆◆
美術室に入ると美術部の顧問教師が腕を組んで待っていた。まだ若い女の教師で実に渋った表情をしている。
彼女の話によると、昨日しっかりと部室を片付けて鍵をかけたのだが、今日来て鍵を開けたところ、昨日は出してなかったイーゼルにカンヴァスが乗っていて、油絵で何かが途中まで描かれた状態で放置されていたのだという。
それはどうも肖像画を描こうとしているようだが、未完成もいいところなので誰を描いているのかが特定できない。
しかし、いくらでも理由を付けて悪戯だと片付けられる今回の事件が何故ここまで大事のように扱われるのか。
それは、とある怪談が関係していた。
描きかけの遺影。
この怪談はそう呼ばれている。
その昔、死んでしまった美術部員が気に入った異性の絵を夜な夜な美術室に描きにきて、その絵が完全に完成した時、絵のモデルは幽霊に連れていかれる。というもので、顧問の小鷹先生はかなり警戒しているのだ。
その小鷹先生は陽射をじろりと見ると、ツカツカと歩いて彼の前に立った。
髪が長く、化粧も綺麗でとても美人な先生だった。先生は薄く紅のさされた口を静かに開ける。そして話し始めた。
「あなたが、2年1組の夜野陽射君ね。八草君から、君は幽霊が見えて尚且つ話せるって聞いたわ。お願いがあるの。」
「なんでしょう…。」
「あなたでも、あなたのお友達の幽霊さんでもいいわ。事の真相を確かめてもらいたいのよ。怪談が本当で、今回の事件がもしもその怪談だったら人が死ぬの。お願いできないかしら。」
「陽射。俺からも頼む。お前にも楓ちゃんに対しても迷惑だとは思う。でも万が一があったら嫌なんだ。それに、万が一が有り得るのはお前が一番分かるはずだろ。」
ここで陽射はまたチラッと楓を見る。
楓はあまり乗り気ではなさそうだが、まぁいいわ。と答えた。
「今夜、私が張り込みしてあげるから今度は何か私の言うことを聞いてね。」
楓はクスリと楽しそうに笑った。
◆◆◆
翌日、美術室は騒然としていた。
絵がまた描き進められ、そのモデルが明らかになっていた。モデルは…。
美術教師・小鷹暁子。
陽射と楓は放課後になるとすぐに美術室に呼ばれ、その折、陽射は楓に昨晩のことを訊ねた。楓は少しだけ思案したように視線を泳がせるとすぐに視線を陽射に戻す。
「来ていたわ。」
「何か、分かりましたか。」
「ふふ。さぁてね。」
「失礼します。」
美術室に入ると事件の渦中にいる人物が顔を青くして座っていた。隣には根源である描きかけの肖像画がカンヴァスに乗せて静かに鎮座している。小鷹先生は頼みの綱である二人を認めるとすぐさま立ち上がり、息荒く言い寄ってきた。
「どどどど、どうだったのよ!?幽霊きたわけ!?私どうなるの!?」
「せ、先生。ちょっと落ち着いてくださいよ。ちゃんとお話ししますから。」
またチラッと楓を見る。昨晩、張り込みをしたのは楓なので彼女しか事の真相を知らないのだから仕方がない。楓はめんどくさそうに報告を始めた。
報告といっても小鷹先生を始めとする、ここに集ったハミ出しーズの八草龍丞、青井沙武郎、そして東燈子の4人は彼女の声が聞こえないのだから、陽射が通訳のような形で入る。
報告は至って簡潔。
丑三つ時、霊的な存在が最も活発に動き回るこの時間帯にその霊は現れた。
この学校の学ランを着た男子生徒の霊が美術室の扉をすり抜け、カンヴァスに向かって筆を動かしていたのだという。
楓は報告にこう付け加えた。
心配はいらない。
絵が描き上がって、その男子生徒の霊が小鷹先生の前に現れたときに怪談の真相が分かる。先生は死なない。
と。
「でもさ、ちょっと待ってよ。」
異議を唱えたのは東燈子。彼女は隈のできた細い目を擦りながら言う。
「こういう可能性もあると思う。その新木楓と男子生徒の霊がグル。邪魔をさせないためにスパイみたいな感じでこちらに近づいていた。あ~。ごめんね。あくまで可能性の話だから気を悪くしないで。」
どのみち、事の真相は絵が描き上がらないと分からない。霊媒師に祓ってもらうというのも一択だが、そんな知り合いを持つ人はこの中にいないし、探すのは時間がかかりすぎる。絵は間もなく完成なのだ。
「いずれにしても、楓の言うことを信じるしかねぇってこったろう。俺はもう楓を信じることにするぜ。」
と、沙武郎。
「俺も。この絵を見てると何か…。分かるんだ。あったかくて、少し寂しい。コレを描いてるのは悪いヤツじゃない。」
龍丞。
「ま。私は何だかんだで楓と陽射を信じることにするよ。でも、一応だ。霊媒師を探しておくとする。」
燈子。
「ん~。先生も決めたわ。独身だし連れてかれたら地獄で責任とってもらう。」
先生。
「決まりましたね。」
◆◆◆
「………ん……。……ま…と………ん…………。…た……く……。……う………。……………。……お…………あ………………………よ。……………。ご…ん………………め…な……。……………。ち…………で………………。……………………………い………だ…。…………し………………。…………………………。……………。………ぎ…………………こ……………。た……………。………ろ…………………よ。」
誰かの声がする。
女の子の声。
何を言っているの。
小鷹暁子は夢現でその声を聞いていた。
ぼんやりと景色が見えてきた。
これは、目で見ているのかイメージなのかよく分からない。女の子、正確には女生徒が一人、美術室で泣いている。何がそんなに悲しいのかひたすら泣いている。
嗚咽混じりで、何かをずっと言っているが全く分からない。そのうち、視界が滲んでぼやけてきた。それは繊細な水彩画のようであり、古い記憶のよう。
「わたし…。泣いてるの…?」
何故。
何故自分は泣いているのか。
目の前の女の子は何故泣いているのか。
「ねぇ。忘れてしまったの?」
涙でぼやけた金色の視界に、黒い服を着た男の子が立っている。どこかで聞いたことのある、懐かしい声。自分が忘れかけていた、あの声が聞こえた。
「あの時は、約束守れなくてごめん。かなり遅れたけど、お誕生日おめでとう。」
「高木…くん…?」
「覚えててくれたんだ。でも、もう僕のことは忘れたっていいんだよ。ずっと独身なんでしょ。ね。もういいんだよ。もう過去の事なんか忘れて、幸せになって。」
金色の逆光。
あの人は、いつも優しい顔で絵を描いていた。私の大好きだった人…。
「あ。でも、いっこだけワガママ言っていいかな。プレゼントはちゃんと受け取って大事にして欲しいな。やっぱり完全に忘れられると寂しいからさ。せめて、僕の心は遺しておきたい。」
「うん…。」
「ありがとう。さよなら…。」
「待って…。待ってよ…。待って!あなたはまたそうやって私を置いて逝くの!?ばかばかばか!!!連れて逝ってよ!!そういう怪談なんでしょ!?ねぇ!勝手に出てきて言いたいこと言って勝手に消えないでよ!!私がどれだけあなたが帰ってくるのを待ってたと思うのよ!!ばか!ばかぁ…。ああぁぁ…。」
「アキ…。」
「大っ嫌い!!!あなたなんか大嫌いよ絶交よ!!嫌い嫌い!プレゼントだって要らないわ!!消えちゃうくらいならプレゼント要らないから一緒にいてよ!!久しぶりに逢えたのに、それが本当のお別れなんて悲しすぎるよ…。」
「相変わらずだね。アキ…。」
髪を撫でる懐かしい感触…。
あったかい温度…。
大好きだった人の手…。
「高木…くん…。」
「幸せになるんだよ…。それじゃあ僕はもう逝くね。」
「うん…。行ってらっしゃい…。」
「ありがとう。アキ。」
そう言って、彼は輝きを増す金色の黄昏の中に消えていった。
あの懐かしい思い出の日々と同じ、優しい優しい笑顔だった。
◆◆◆
「高木くんだったんだ…。」
翌日、絵は完成していた。15年前に実在した、高木雅人という少年の幽霊によって怪談は成された。
話を聞くと15年前、小鷹暁子がまだこの学校の1年生だった頃、美術部にその男子生徒はいた。暁子は彼に憧れ、恋し、絵の勉強を始めたらしい。
夏休み、暁子は彼に誕生日プレゼントに自分の肖像画をねだったが、彼は旅行から帰ってからね。と言い残し、結局そのまま帰ってくることはなかった…。
「高木くん。15年遅れの誕生日プレゼント、確かに受け取ったわ…。大好き。ありがとう。高木くん…。」
◆◆◆
「大事にならなくてよかったな。ヤグサセンセはあの絵にずっと見とれててしばらく美術室に籠るんだろうが…。まぁとりあえずこれで一見落着かね?」
「そうだね。」
「それにしてもロマンチックよね。15年越しの誕生日プレゼント!」
「その隈の出てる顔でキュピキュピされても説得力皆無だぞ。アズマ。」
「なにおー!?」
「ヤレヤレ…。楓さん。」
「なによ。」
「ありがとうございました。」
「ふふ。楓さんをなめないことね。さてと約束は守ってもらうわよ。私のワガママも1つ何でも聞くという…。」
「え゛…。あー…。」
「ふふ。簡単なことよ。そのヤケに丁寧な言葉遣い止めて?なんだか距離を置かれてるみたいで寂しいの。」
「そうなんですか?」
「……………。」
「あーっと。そうなの?」
「そうなの。ふふ。よし。さーてと。これでやっと親近感湧いてきたわ。」
そうやって笑う楓さんは、いつもより少し楽しそうに黄昏の中にいた。




