序章・黄昏の幽霊
序章・黄昏の幽霊
演劇部は廃部となった。
しかし芝居小屋は当分、利用方法の検討のため事実上放置。結果として陽射の生活自体に大した影響はない。むしろ影響があるのは自称・幽霊生徒の新木楓だ。
陽射はどうも先日の邂逅以来、芝居小屋に近づきたがらなかった。芝居小屋の近くには大きな紅葉の樹が植わっていて、今頃はその枝葉を真っ赤に燃え上がらせているのだろうが全く行く気が起きない。
今日も陽射は教室の席で渋っていた。
「何かあったのか?」
陽射の正面、机と机をくっつけて対面している彼は眼鏡の奥で無意味に不機嫌そうな双眸をギラつかせながら、ブラックの缶コーヒーをすすっている。彼の名は青井沙武郎。クラスのハミ出しーズの一人だ。
彼は少し変わっている。
学ランは肩に引っ掛けるだけ、どこで手に入れてきたのか昭和っぽい学帽を斜めに被っている。一見、不良のようだが成績は普通だしケンカもしないし、投げ掛けてくる言葉はツンツンしているが優しいものばかりという柔和ぶりだ。
陽射には彼がよく分からなかったが、彼に何か親いものを感じていた。それが何なのかは分からない。だからこそ二人はお互いを気にかけ、今では親友になっている。
「なぁ…。沙武…。」
陽射は重い口を開いた。それに対し沙武郎は缶コーヒーをすすり、何だ。と、一言答える。冷たいようだが彼らにとってはこれが普通。偽りの上辺がいかに人を遠ざけるか、二人にはよく分かっていたのだ。
「幽霊っていると思うか。」
陽射は単刀直入に言った。普段、陽射も沙武郎もこんな他愛ない話は全くと言っていいほどしない。彼等の会話には全て意味があって、ただなんとなく。だとか、ちょっと気になって。のような動機でモノを訊いたりはしなかった。
そのためか、沙武郎は目を細めてしばらく思案した後にその問いに答えた。
「否定はしないがな。いないという証明もいるという証拠もできない。つまるところ自分の目で見たモノしか信じない。」
「そうか…。」
再びの沈黙。しかし今回の沈黙は長く続かなかった。
「何かあったのか。」
沙武郎の再びの問いかけ。
陽射は悩んだ末、新木楓のことを打ち明けた。沙武郎はじーっと身動き一つしないで陽射の言葉を聞き入っている。
教室の窓から見える外の景色は新木楓と出逢ったときと同じ、黄昏の色。風に乗って秋の良い匂いがやってくる。
よし。
話を聞き終えた沙武郎は缶コーヒーを一気に飲み干すと学帽のツバをちょいとつまんで直すと立ち上がった。
元演劇部の芝居小屋は体育館から少し離れた場所にある。芝居小屋と言うが別に木でできた小さな建物ではない。学校の施設らしくコンクリートでできている。
40人ほどが客席に座れる、本当に小さな芝居小屋である。近くに植わっている紅葉の樹はやはり燃えるように赤く、その枝葉を空へと伸ばしていた。
その紅葉の横を通り、芝居小屋の小さな扉を開くと舞台の独特な空気が溢れる。
「あそこに座っていたんだ。」
あの時、新木楓が座っていた座席を指差してその時の状況を話す。マクベスの台詞を言い放った後に、前髪が伸びてきた事に気付いて前髪繋がりで滑舌と鼻濁音の練習をボソッとしたこと。そして物思いに暫く耽り、そろそろ帰ろうかと舞台を降りた時にいつの間にか席に座っていたのだ。
「で、どんな奴なんだ。」
「どんなやつ…。そうだな…。」
まず、背丈は160センチほど。髪は黒くて短い。目は切れ長。肌は白く、声は不思議な、綺麗な声だった。
「そうか…。ヤグサセンセに来てもらえばよかったかもな。絵に描いてもらえば俺も探しやすかったんだが…。」
「そうだな…。」
「いないな。」
「うん。」
「何かやってみろよ。」
そう言うと沙武郎は舞台から一番遠い客席に座った。幽霊は声が聞こえたから立ち寄ったという証言から、一番可能性のある選択をしたのである。
陽射は一人、舞台に立つ。自分以外に誰もいない舞台。そこは特別な場所だ。その空間は一つだが、上演される作品によってその場所は街角になったり、宮殿になったり家の中になったりする。
今は、夜野陽射の一人舞台だ。
静寂が支配する、ピッと張りつめた開演前の独特な空気を吸い込むと、陽射はあの日と同じマクベスの台詞を言い放つ。
陽射の発する声がその場所の空気をビリビリと振動させるが直ぐに声は消える。場はまた静寂を取り戻すが、その静寂は声に塗り替えられて全くの別物となっていた。
ひーちゃん…。
その静寂の中、声がした。
うしろから。
ゆっくり、少しの恐怖を持って、そこにいるであろう人物の姿を思い浮かべながらゆっくり、ゆっくり振り向く。
そこには…。
切れ長の目を細めた幽霊が立っていた。
「新木さん…。」
「なんでよぉ…。」
「え。」
「なんで毎日来てたのに、私に逢った翌日から来なくなったのよぉ…。寂しいじゃないのよぉ…。怖いの…?」
「いえ…。すいません…。」
「まぁいいわ。ところでひーちゃん。」
「何ですかそのひーちゃんって。」
「陽射くんでしょ?だからニックネームはひーちゃん。いいでしょ。だから私のことも好きに呼んでいいよ。」
「はぁ…。」
「で、さ。あれは誰?」
「あ、友達です。」
「ふーん…。でも、彼には私のことは見えないし、声も聞こえないと思うな。」
「何故ですか?」
「心の表面で幽霊はいるんだって信じてみても、人の心は嘘つきなのよ。深層心理では無意識のうちに恐れ、否定するの。なのに、少しでも心に隙ができたり、強い願望や恐怖が襲ったりすると、否定したはずのモノを見たりもする。見えていても聞こえていても深層心理で否定されてしまったら、精神体である私はその人の精神世界から消えてしまう。物質世界のように存在すれば存在できるモノではないのよ…。」
自分は無意識のうちに否定されている。そう言う彼女は、少し寂しそうな表情をしていた。その後、陽射を見て微笑むと金色に輝く黄昏の中に消えていった。
何て顔をするんだ…。
これをきっかけに、僕は様々な怪奇現象に遭遇することになる。
新木楓。
その人はいつも黄昏の中にいた。少しの寂しさを湛えて…。




