プロローグ
これは元々、舞台演劇とドラマCD用に書いた台本を小説にしたものです。またちょこちょこ更新する予定です。
プロローグ
この世で一番恐ろしいもの。忘却。存在していたという事実事態が世界の中から消えていく。それは蝕まれていく月のようにゆっくりと欠けていき、記憶は闇に紛れ、もう二度と光を浴びる事はない。
存在はやがて記憶になり、記憶は記録となり、記録はいつか失われる。どう足掻こうとも月は夜毎欠けてゆくように。
それはとても哀しいこと。月が欠ければ欠けるほど光が弱まるように、存在に向けられる感情も弱くなる。
そして新月は新月だと気付かれる事がないように、存在は思い出されることもなく平坦な日々の雑踏に消える。
人とは、忘れゆく生き物。人が認識し、概念を共有し、見える全てを定義したのが世界だと言うのならば、忘却は運命だ。
深淵。光の届かない忘却の淵に追いやられた数多の記憶、記録、存在。
忘却の闇に囚われた、色褪せた思い出。
その人は、いつも黄昏の中にいた…。
「明日、また明日、また明日と、時は小刻みな足取りで一日一日を歩み、遂には歴史の最後の一瞬に辿り着く。昨日という日は全て、愚かな人間が塵と化す死への道を照らしてきた。消えろ。消えろ束の間の灯火。人生は歩き回る影法師。哀れな役者だ。舞台の上で大袈裟に見栄を切っても出場が終われば消えてしまう白痴の喋る物語だ。わめきたてる響きと怒りは凄まじいが、意味は何一つ、有りはしない。」
夜野陽射は、誰もいない舞台でマクベスの台詞を言い放った。陽射の口から解き放たれた聲が、すっからかんの客席を飛び越えてホール全体に響く。
一呼吸。
陽射は急に空虚な気分になった。
この夏で演劇部の3年生が退部し、残ったのは自分と、幽霊部員だけ。新たに部員を獲得しなければ演劇部は廃部。陽射はもう一呼吸つくと、舞台のセンターツラにドカリと腰を降ろした。
「いよいよ、歴史の最後の一瞬に辿り着きそうだなぁ…。」
ポロッとこぼす。
これはつまり、演劇部の廃部の事を言っているのだ。このところ陽射は放課後、今日のように舞台に上がっては一通りのトレーニングをして、宙に心を漂わせていた。
少し寒い。
日暮が早くなった。
舞台小屋の開け放たれた扉から伺える外はもう黄昏時である。
空に漂う雲は輝き、その輝きの断層の中に少しばかりの闇を湛えている。静かだが風と木の葉が遊び、無音ではない。
陽射は、この場所が好きだった。
「あ…。前髪、伸びてきたな。姉さん前髪禿げ前髪。お前の前髪禿げ前髪。」
目の少し上くらいまで伸びた髪を指でちょいとつまんで口を動かす。ちなみにコレは滑舌と鼻濁音の訓練だ。
はぁ。と、今度はやや深めに一息。
すぅ。と、息を吸い込むと通学カバンを片手に引っ提げて舞台を降りようとする。その時、誰もいないはずの観客席に女生徒が一人、座っているのに気が付いた。
それも、舞台から割りと近い席…。
「あの…。」
陽射、恐る恐る声をかける。
「入部希望ですか…?」
「いやその…。声が聞こえたから。なんとなく、ふらーって来ただけ。」
彼女は何故か少し驚いた様子で切れ長の目をぱちくりさせていた。
そうですか。
と、少々落ち込んだ陽射の声を最後にお互い沈黙した。次に持ち掛ける会話の内容と出だしを必死に考える。そうですか、の一言で終止符を打つのはまずかった。
二人きりの閑寂な空間に、何とも気持ちの悪い間が生まれてしまっている。演劇中に台詞が飛んでしまった時のようだ。
「ねぇ。」
綺麗な声だった。
「演劇部の人だよね。」
彼女の問いかけをきっかけに、陽射はようやく息ができたような気がした。
「そうです。もう廃部になるから演劇部を名乗れるのもそう長くはないですけど。僕は夜野陽射。2年です。」
「組は?」
「1組です。」
「ふーん…。」
「あなたは?」
「新木楓。あなたとおんなじ2年1組よ。よろしくね。」
はて。
陽射は首を傾げ、腕を組む。左腕が上なので陽射は理論派ではなく感性派だ。
本題。2年1組にこんな子が果たしていただろうか。いやいない。断じていない。新木だから点呼は必ず上位。覚えていないわけがないし、半年近くも同じクラスなのだから分からないわけがない。
つまりだ。
つまり。
「えーと…。ホントに2年1組ですか。全然見たことないんですけど…。」
と、こうなるわけだ。必然的な流れであるから頼む。あっやだ私ったら2組でしたごめんなさい。去年1年1組だったから時々間違えちゃって。みたいな流れに持っていって少々の恥ずかしい小話程度で終わらせてくださいお願いします。
ちなみに[下さい]って書くと[物を下さい]って意味になって、[ください]って書くと[何々をしてください]って意味になる。
[ここで服を脱いで下さい。]とか書いてしまうと[ここで服を脱いだ上に私にその脱いだ服を下さい。]という意味になるので注意をして[ください]ね
さて、そんな陽射の悲痛な心の叫びも虚しく彼女の出した回答は…。
「だって私、幽霊生徒だもん。」
幽霊生徒。いわゆる幽霊部員みたいなものだろうか。学校に所属しているけど実質学校に来てないという。要するに不登校ということか。いやしかし、新木楓という名前を聞いたことがない。ということはその線の推測は間違いだ。
ということは、新木楓は嘘を吐いているというたった1つの真実に辿り着く。
「あの…。僕は新木楓っていう名前を聞いたことないんですけど…。」
これに対し新木楓、切れ長の目を若干細めてクスリと笑う。
「あらそう。だって私は幽霊生徒だもん。当然だと思うんだけど。」
「その…。幽霊生徒って何ですか。」
「そのまんま。幽霊の生徒。」
「はい?」
「だから幽霊の生徒。信じられないよね。人間の心って嘘つきだから…。時折、自分自身にさえ無意識のうちに嘘を吐いたりもするからさ…。」
「……………。」
「ふふ。そんな顔しないの。ほら。初めましての握手しましょ?」
そう言って、彼女は細く白いしなやかな手を差し出してきた。僕は何かに震えながらも、その手を握った…。
「あっ…。」
「ね?」
「……………。」
「初めまして。夜野陽射くん。」
「うわあああああああ!!!」




