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第五話:矜持と覚悟

【大陸暦八六年四月十九日】


※・※・※


 フローラ達三人は、初日の授業で教科書を熟読して納得した。

 初心者やそれが事実として教えられている者には分からないだろう。基礎の基礎しか載っていない教科書を、三人は早々に放りだした。無意味なものに時間を割くなど馬鹿らしい。

 基本、三年生以外は午前中が魔法に関する講義や教養、午後が実技(剣術)の訓練となっている。

 週に一度、丸一日使って魔法実技が行われる。

 ちなみに休日は週一。

 結構厳しい日程だが、三年は卒業後の進路が関わるためこの数倍厳しい。一年の間は、社交場的な要素が強いので、内容はなぁなぁだったりする。

 それにいらだったフローラをなだめるため、放課後、エルヴィアは自主練につきあっている。

 内容のない授業の日々が続き、週最後の授業、魔法実技で行われたのは詠唱の練習。

 魔導騎士科の一年生だけが一階の演習場にそろい、緊張の面持ちで整列している。


 属性が合う精霊との契約によって、魔法は形を成す。

 有する魔力の大きさによって、精霊の力の強さが変わり、それによって使える魔法の強度や水準(レベル)が変わる。

 少しずつ水準を上げることで、自身の等級(ランク)を知る事が出来る。

 ―――という教師の説明を聞き流して、エルヴィアは眉を寄せている三人を見て苦笑する。


(間違いではないけど、正しくはないなぁ)


 精霊というのは便宜上の物で、意思があるわけではない。

 正確には、自然の力を借り受けて行使するのが魔法であり、魔力の強さによって借り受けることのできる力の大きさが変わるだけ。だからこそ、属性が自然界に存在するものだけに限られているのだ。契約、という物は存在しない。

 魔法の定義ですら歪められていることにため息をつく。分かりやすく、イメージしやすいようにしているのかもしれないが、そう教えられてこなかったエルヴィアは呆れるしかなかった。

 興味がわかずひたすら聞き流していると、生徒達は詠唱に入る。

 それぞれの属性が分かっているから、その初級魔法を使うだけでいい。


「この場合、エルヴィアはどうするの?」

「周りに合わせるよ。一人だけ目立って警戒されるのは嫌だもの」

「ま、確かにね」


 フローラとの会話に、隣に並んでいるアレンとラウルも頷く。

 それぞれが両手もしくは片手を出して詠唱を始めたのを見て、エルヴィアも詠唱に集中するために瞳を閉じる。

 周囲は、失敗する者はいなかったが、汗をかいてギリギリの者が多い。

 フローラは制御が苦手なのか、強めの風が演習場内に吹き荒れる。

 それに迷惑そうな表情の教師が対処に当たるが、対処しなくても自然と霧散していっただろう。視界を閉ざしていても、エルヴィアはそれを知覚していた。

 教師が気付かなかった、風の中に小さな雷が紛れていることも正確に。

 アレンは差し出すようにした手のひらの上に、雷をまとった炎を浮かべ、少し安堵したように息をつく。

 ラウルは両手の間、渦を巻く水を浮かべたが、制御が上手くいかなかったのか霧散させることが出来ずに自身の足元に水たまりを作った。

 成功、とはっきり言えるのはアレンくらいだろう。だが、三人とも、他の生徒と比べて発動した魔法の威力が大きいのは明白だった。

 基礎の基礎であるにもかかわらず、他の同属性の生徒達よりも数段上の力を発揮した。


(魔力の密度、顕現された魔法の規模、一年生の中では三人が最上級、いや…)


 ふっと、口元に笑みが浮かぶ。

 演習場内、静かに、誰にも気づかれないほど静かに魔法が行使された一角がある。


(だてに、皇女と側仕えではない、といったところかな)


 おそらく、集中しながら周囲の魔法を知覚し精査していたエルヴィアしか気づかなかっただろう。それほどに、完璧で静かで澄み渡った魔力と行使された魔法。

 唯一、まだ魔法を行使していないエルヴィアに向けられる視線が、初対面の時は違う真摯な物であることに疑問を抱いた。だが、皇女ジャネットと側仕えの少女の才能が、一流のものであることに気付く。


「エルヴィア、どうした。早く…」


 面倒くさそうな中に侮蔑を込めた教師の呼びかけを無視して、エルヴィアは詠唱を始める。


『 汝は誓約者。我が求めるは契約に従いし其の力。渇きを満たす恵みを願う。気高き命に喜びを  水花スイカ  』


 詠唱の終わりと同時に、滝のような雨が演習場全体に降る。

 至る所から悲鳴が上がる中、あれ? と首を傾げたエルヴィアが瞳をあける。


(あぁ、ヤバイ)


 力加減を間違えたらしい。

 農民出身が法具を持っているのはおかしいので、自前の物を悟られないように最低限の使用で抑えようとしたのが仇となった。

 悲鳴と怒りが届く中、フローラは素直に感心したようにずぶぬれになった自分の格好を見下ろしている。アレンは笑っているのか、お腹を抱えてしゃがみこみ、肩を震わせている。ラウルは苦笑して、何とも言えない視線をエルヴィアに向けていた。

 それらに耐えられなくてすっと視線を外した先で、まっすぐな視線とぶつかった。

 ジャネットだ。その傍らの少女は、驚いたように瞳を見開いている。

 まっすぐに、何かを知ろうとするような視線は、集中している時にも感じた。

 最初の印象と違いすぎる視線に戸惑う。

 首を傾げると、ジャネットの方から視線を外し、何事もなかったように前を向いた。

 直後、エルヴィアは教師から叱責を食らった。



※※※



 濡れた制服を修練着(学院指定)に着替え、説教を受けた後に反省文と補習をやらされたエルヴィアは、釈然としない面持ちで寮への道を歩いていた。

 三年生がエルヴィアのような失敗をしたというのなら叱責や反省文は納得いく。だが、一年生、しかも入学して一週間足らずのエルヴィアが失敗したからと言って、夜になるまでかかる補習をやらせる必要はない。


「欝憤晴らしかな」


 気を使わなくてはならない生徒が多いため、最も身分の低いエルヴィアに標的を絞ってあたっているのだろう。

 迷惑かつ理不尽すぎる話だが。


「? フローラ、かな?」


 ふいに、視界に入った武道場から明かりがもれていることに気付く。

 武道場は魔導騎士科だけが使用するわけではない。だが、その特性もあって魔導師科も魔工師科も滅多に使用しない。

 魔導騎士科でも、エルヴィアとフローラはほぼ毎日のように武道場にいたが、他の誰かとはち合わせたことはなかった。ここ数日は、アレンとラウルが合流していたが。

 武道場に近づけば、予想が外れていることが分かった。

 気配で分かる。そして、ふるわれている木剣の風切り音と足運びの音で判別がつく。

 背が高めのフローラよりも小柄で身軽な足音だ、と判断してそろりと覗き込めば、予想外の人物がいた。


(これは、また、意外な…)


 癖の強い髪を無造作に結いあげ、修練服に身を包んで汗だくになりながらもぶれることなく木剣をふるう。その表情は、真剣で危機迫るものがあった。


「典型的な皇女様ではない、ということね」


 瞳を細めて見つめる先で、ジャネットはエルヴィアに気付く様子もなく木剣をふるい続けている。

 一人、鍛錬に励んでいるのは確かに意外だったが、それ以上に意外だったのは剣術だ。

 細身の、レイピアを模した木剣。男子よりも腕力の劣る女子が軽い武器を扱うのは必然だが、ジャネットはそんな理由では片付かない。

 両手に握られた木剣が、ジャネットの本気を表していた。

 二刀流は、騎士の中で珍しく、魔法を扱う魔導騎士になれば皆無だ。

 利き手以上の繊細さをそうではない手には求められ、体力と腕力は元より、何よりも難しい技術を必要とする。一朝一夕で出来るものではない。

 何年と積み重ねてきた努力と先を見据えている真剣なまなざしが、第一印象を払拭した。


(何故、魔導師ではなく魔導騎士なのか。きっと、あの眼差しが答えなんだろうな…)


 魔導師は前線に出ることが少ないため、どちらかと言えば政治に近い。その為、政治の腐敗に利用されたり、その中心になったりすることがある。政治的な影響力と実権を求め、魔法への関心が廃れていく傾向にある。

 それに対して、魔導騎士は前線に出ることが比較的多く、剣術の鍛錬を怠ることは許されないため、厳しく律される。政治への介入や不敗に利用されたりすることもない。中心になって政治を荒らすこともない。影響力を持つ者も中に入るが、ほとんどが政治に関与することができない。

 魔法に真剣であればあるほど、魔導騎士を目指す傾向がある。

 まぁ、魔導師志望でも純粋な思いの者もいるだろう。最初の頃は。

 ガッ。

 思考にふけっていると、エルヴィアのすぐそばの壁に鋭いものが当たった。

 視線を落とせば、木剣が転がっており、あと数センチで直撃していた。

 ちょっとひやりとしつつ視線を上げると、驚いた顔をしたジャネットが荒い息のままエルヴィアを見ていた。

 その右手には木剣がない。おそらく、汗で手が滑って木剣が飛んだのだろう。


「がんばってますね、ジャネット殿下」


 邪な思いで見ていたわけではないが、のぞき見のようになっていたのは事実なので、ちょっと気まずい思いをしながら声をかける。

 どこか、ジャネットの表情に安堵と落胆が浮かんだことを不思議に思いながら。



※※※



 ジャネット=レウディ=サーディエランは、第四代皇帝ケネス=フォルディア=サーディエランの第十一皇女として生まれた。

 生母は大戦時に関わらなかった侯爵家出身の第三妃。

 ジャネットが一歳の時に亡くなった。美貌を妬んだ皇后によって毒を盛られたとされているが、真実は定かではない。

 没落する一方だった侯爵家が抑止力や助力になることはなく、側仕えである少女クラウジアの母が乳母となることで、かろうじて皇女としての体裁が守られた。

 騎士団長を父とするクラウジアだが、三人の姉と違って妾腹の出。そのため、末端といえども皇女の乳母となるのはクラウジア親子にとっても、都合が良かった。

 体裁と都合で成り立った乳母親子だが、非常に仲が良かった。

 貧しい家で育って女中として勤め妾になったクラウジアの母は、様々な生活の知恵と技術をジャネット達に教え込んだ。

 ジャネットとクラウジアが五歳になった時、一応と言わんばかりに魔法の才を確かめる検査が行われた。

 それまで忘れ去られたように隅っこの離宮で、慎ましい生活を強いられていた。

 特に期待されていなかったジャネットだが、魔法の才があることが分かってからは生活が一変した。

 離宮は大きな所に移り、魔導師が家庭教師につき、今まで乳母親子だけだったのが複数の女官がつけられるようになった。

 たった三人きりの生活だったため、急に増えた人にジャネットは人見知りになり、クラウジアは自分よりよほど小柄なジャネットを守ろうとした。

 すりよろうとする大人達は、妾腹といえども騎士団長の娘がいることで、少し控え目だった。

 魔法の才があることが分かっても、皇族の対応はあまり変わらなかった。

 後見のない末端の皇女であることは変わりなく、さらに弟妹が続々と生まれていたことも関係していた。

 ジャネットと同年の皇族は、皇子が二人、皇女が一人いて、それぞれが皇后と第一妃、第二妃を生母としていた。

 地位の高い母親を持つ皇族の誕生と、寵愛深い側室から生まれた皇族。

 皇帝の関心はそれらへと流れ、ジャネットの名前すら知らなかった。

 十歳になる頃、ジャネットはそれらを正確に把握していた。だが、へりくだるのは嫌だった。

 立場は弱くても、ジャネットにはプライドがあった。

 現在の皇族の中で、魔法の才を示したのは皇太子を除けばジャネットだけ。

 それが自己を保つ唯一のプライドだった。

 聖女帝イヴの子孫として、その魔法の才を持っていることが、ジャネットの自尊心を支えていた。

 いつか、魔法の才で歴史に名を残す存在になることが目標になっていった。

 騎士の娘であるため、魔法の才があると分かってもクラウジアは剣術も学んでいた。

 将来、父や二番目の姉のように魔導騎士になる事がこの時に決まった。

 十二歳になったジャネットは、二次性徴を迎えた。

 その頃、女官の一人の手引きで、そこそこの貴族の息子が寝所に忍んで来た。クラウジアが起きて来て叩きださなかったら、今頃、ジャネットは帝立学院には入学できなかった。

 魔法の才は遺伝すると決まっていないが、魔導師の子供が魔法の才を持っている割合が高いのは事実だった。

 それが欲しい中堅どころの貴族にとって、ジャネットはちょうど良い存在だった。

 後見がなく、忘れられ、魔法の才があるだけが取り柄の皇女。

 皇族でも貴族でも騎士や商人ですらそう思って軽んじていた。

 手引きした女官は追い出して、自衛のためにクラウジアとともに剣術を習うようになった。

 政治や貴族を疎むようになり、それらから敬遠されるように、わがままで傍若無人にふるまうようになった。その振る舞いは、女官達を近寄らせないのにも役に立った。

 政治的な関わりの強い魔導師よりも、それが薄い魔導騎士になることを決めたのは十三歳の時。

 乳母であるクラウジアの母が、病死したことが原因だった。

 正確には、騎士団長がジルファーレンの墓にいれなかったことだ。

 不条理と無情が成り立つことが許せなかった。

 一層の努力をこなし、体格の小ささと腕力の弱さをカバーするために、二刀流を選択した。普通の寸法ではなく、標準の三分の二弱の刀身でさらに細身に改良した剣だが。体力は体格に見合わずあったからというのもある。

 毎日の鍛錬を欠かさず、成長が止まったような体に苛立ちながら、それでも魔導騎士の道をあきらめなかった。

 魔力だけではなく、騎士としての武力も、自分や大切な人(クラウジア達乳母親子)を守り生き抜くために必要と考えたから。

 不条理と無情を叩き伏せるために選んだものだった。

 見捨てられていても、皇女であることに変わりはなく、それゆえにまとわりつく者を払うため、振る舞いは改めなかった。学院に行っても貫き通した。

 早々に、自分に皇族としての在り方を説いた少女の存在に、ジャネットはわずかに救われた。

 だから、呼びかけに安堵と落胆が混じった。

 『殿下』と呼ばれることは当然なのに落胆した。

 彼女に見られていた事に何故か安堵した。



※※※



「何故、ここにいるの?」

「今さっきまで、罰として補習を受けていたので」


 エルヴィアが苦笑を浮かべると、ジャネットは授業を思い出してふっと小さく笑う。嘲るようなものではなく、思わず出てしまったように見えた。


「あれは、豪快だったわね。わたくしやクラウジアも、最初はうまくいかなかったけれど、あんなに豪快な失敗は見たことないわ」


 はっきりと言われて、エルヴィアは笑うしかない。

 自分でもありえないくらいの失敗だったと思っているのだから。

 側に落ちている木剣を拾い、ジャネットと試合の間合い分をあけて向かい合う。


「お付きの方は、ご一緒ではないのですか?」

「クラウジアは、外で鍛錬をしているわ。わたくしとは獲物が違うから。それと、お付きじゃないわ。わたくしの、唯一の姉妹よ」

「ジルファーレンは、現在の魔導騎士団長の姓ですね」

「あの子の母が、わたくしの乳母だったから」

「皇家の姉妹は、違うのですか?」

「努力もせずに見下して笑う者と姉妹になった覚えはないわ」


 吐き捨てるように言われた言葉に、エルヴィアは笑みを消す。

 不快になったわけではなく、ジャネットの怖いほど真剣なまなざしに気付いたからだ。


「皇女でありながら、鍛錬を怠らないのですね。失礼ですが、最初の印象はそう思えませんでした」

「あの時は、ごめんなさい。わたくし、人見知りだから」


 変わらない眼差しのまま、ジャネットは申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 素直に謝られたエルヴィアは、瞳を丸くして深く息をついているジャネットをまじまじと見る。


「誰も味方がいなかったから…」

(ああ、なるほど…)


 虚勢、という言葉が浮かぶ。

 侮られ、見下され、負けないように必死に築いた人をはじく壁。自身を守るために自ら作り上げた溝。

 ジャネットなりのそれを理解した。


「殿下は、どうしてそこまで頑張るのですか?」


 汗だくになって、汗で滑り握力が弱まって剣を飛ばしてしまうほど。

 体力的には普通なら限界だろうに、ふらつくことなく、荒くなった呼吸もすでに整っている。

 ひたすらに鍛錬し、すでに熟練の域に達していることが知れる。


「わたくしは、聖女帝イヴ様の子孫だから」


 一瞬、エルヴィアの表情が形容しがたいものになる。

 当人だからこそだが、ジャネットは気付かない。


「とはいえ、実際は伝説のほとんどは作り物だと思っているの」


 続いた言葉に、エルヴィアは驚いた。

 誰もが、エルヴィアの知らない話を事実だと信じて疑っていない。フローラ達はどうでもよさそうにしているが。

 皇族のジャネットがそれを否定するとは思わなかった。


「当時を知る人なんてほとんどいないわ。前線で共に戦った人ならなおのことよ。真実を知っている人なんていないんだもの。知っていても、適当に美化された英雄の存在は都合が良いから、訂正する人はいなかったのでしょう」


 全く同意見だった。

 エルヴィアは心で何度も頷く。


「それでも、英雄である聖女帝イヴは、人々の希望と心の支えになっていたのよ。わたくしは、その子孫だから。それだけで、頑張る理由になるわ」


 睨みつけるように強さを増したまなざしに息をのむ。


「皇太子の兄様とわたくしだけが魔法の才を持って生まれた。イヴ様の御子である祖父様や父様だって魔法の才はなかったわ。それが、わたくしを支える矜持だから。それに驕るわけにはいかなかったの。力があるからこそ、振りかざしてはならないから」


 曾祖母であるイヴへの懐疑心を抱きながら、それでもその名に恥じぬようにと自らを戒める。

 エルヴィアの想いを体現する者が、その威光にすがる皇族の中にいる。その事実を嬉しいと感じた。


「聖女帝イヴ様の子孫であることを公言するのなら、それなりの努力が必要だとわたくしは思うの。高名だからこそ、その名に恥じないよう、泥を塗らないように行動しなくてはならない」


 木剣が抜けた手の平を見つめて、握ったり開いたりしつつ深く息をつく。


「大陸に名だたる英雄の名を掲げるのならば、それなりの覚悟が必要になる。ねじ曲がった矜持では、自らの価値を下げるだけ。かの存在の名を戴くのに相応する覚悟と矜持がなくては、戴く資格はない。わたくしは、そう思うわ」


 言い切ったジャネットの視線が上がり、エルヴィアの瞳を見すえる。

 エルヴィアから視線を外してはならないと、ジャネットはどうしてかそう思った。

 エルヴィアの視線に、逸らされてはいけないと感じた。


「わたくしは、『聖女の子孫』としての矜持と覚悟を、忘れない。その為に、鍛錬を忘れない。それが、わたくしが頑張り続ける理由よ」


 それが真実であると分かるまっすぐな視線に、エルヴィアは無意識に笑みを浮かべた。

 ゆっくりと、壁にかかった木剣を手に取り、拾った木剣を投げ渡す。


「一手、お相手願いたい。ジャネット=レウディ=サーディエラン」


 皇女ではなく、ただ一人のジャネットとして。

 声に含まれた本気を受取って、ジャネットは手の汗をぬぐい、勝気な笑みを浮かべる。


「負けないからね。ヴォダラのエルヴィア」


 対等であることを示すように、返された言葉に笑みを深める。

 心にわく感情を認め、エルヴィアは楽しくて仕方がなかった。

 失望して、期待することをあきらめかけた。

 だが、ちゃんと話して、自分の子孫とされている少女の本質を知った。

 湧き上がる感情は歓喜。

 失望から救いあげられ、安堵とともに思う。


 ああ、まだ、捨てたものじゃない。



※※※



 外で鍛錬していたクラウジアは、流れる汗を拭きながら武道場をのぞく。

 一人で鍛錬している主を迎えに来たのだが、そこでクラウジアにとって驚愕の光景を目の当たりにする。

 ガッ。ゴッ。ギィッン。

 鈍い打撃音は木剣が打ちあわされる音。

 同時に響くのは、鋭い風切り音。


「ジャネット様?」


 魔法灯の光を反射して汗が散る。

 二刀をふるい、攻守を切り替えて変幻自在に技を繰り出すジャネット。

 下手すれば、上級生よりも強いかもしれない。

 二年生筆頭である姉を思い浮かべて、クラウジアは何度も思った。

 幼少から父である魔導騎士団長に鍛えられていた姉は、型にはまった剣術を使わせれば確かに強い。だが、騎士から見て『邪道』とすら言える、型にはまらないジャネットの剣術は、姉を超えている。

 試合や決闘で、姉は負け知らず。ジャネットはそれらの経験すらない。

 だが、実戦で有利なのは、ジャネットの方だ。

 クラウジアの姉とジャネットとでは、剣術に向ける感情と覚悟が違った。

 競う為の前者と生き抜く為の後者。行きつく先に死を置いているか否かの差。

 ただそれだけ。

 だから、ジャネットは誰と試合しても無表情のままだった。

 ジャネットを皇女として扱い、あからさまに手を抜く相手に、本気にはなれなかった。

 それを間近で見ていたクラウジアは、今、激しい攻防を繰り返すジャネットを見て立ち尽くした。


(笑ってる…)


 楽しそうに笑いながら木剣をふるうジャネットは、その小柄な体では本来不可能なほどの運動量をこなしている。

 エルヴィアが来た時にはすでに相当の運動量をこなしていたのだから。


(彼女も、強い)


 蔑ろにされながらも、クラウジアも騎士の娘であり鍛錬をこなしてきた者。

 相手の剣の腕を正確に見れた。


(確か、エルヴィア…)


 視線が、ジャネットと同じように笑みを浮かべたエルヴィアに向く。

 一本の剣で二刀をいなし、かわし、さばいて攻撃を加える。

 攻撃を防がれて、反撃が来れば受け、流し、間合いを取って、隙を狙う。

 流れはその繰り返し。なのに、その一つ一つは毎回違った方法で繰り出される。

 いなし方、かわし方、さばき方、攻撃の仕方、防ぎ方、受け方、流し方、間合いの取り方。

 多くのバリエーションで組み立てられる動きは、無限の戦略を生む。

 その多彩な技術と垣間見える果てしない経験値にクラウジアは息をのんで見入る。

 エルヴィアは視界の端に立ち尽くすクラウジアを認めて、木剣を握る手に力を込める。

 すでに一時間。

 エルヴィアとジャネットは打ち合っている。

 とうに倒れていてもおかしくないジャネットは、一切ぶれずに打ち込んできている。それに驚きながらもエルヴィアは一切手を緩めない。

 かつて、激戦の中で腕を磨き、極端な実戦剣術を身につけた『イヴ』。その記憶と技術を受け継ぎ、『エルヴィア』の体になじむように毎日鍛錬を続けた。

 『眼』も『腕』も『技』も、寸分たがわず、いや、それ以上のものにしてエルヴィアはふるっている。

 十五年かけてなじませた技術は、ジャネットよりはるか上だ。今、ジャネットと対等に打ち合っているように見えるのは、そのレベルに落としているから。

 全力を出さない今の状況で、エルヴィアは心から喜びを感じていた。


(まだ未熟、まだ途上、上の見えない才能っ!)


 将来有望どころではない、まだ開花すらしていない天つ才。

 発展途上の剣術を相手にして、エルヴィアは純粋に楽しんでいた。


「強いねっ」

「貴方に言われても喜べないわねっ」

「酷いな!」


 親しい友人同士のような軽口をかわしながら、撃ち合いが激しさを増す。まるで、真剣で命をかけた決闘をしているように感じるほど。

 真剣だったなら、火花が散っていただろう。

 今、エルヴィアにはクラウジアの姿は見えていない。

 さっきまで視認出来ていたクラウジアの姿と存在を見失うほど、エルヴィアはジャネットとの試合に夢中になっていた。

 魔導師として、騎士として、かつては多くの少年少女を鍛えた。

 その時の感情が、わき起こる。

 才能を見つけた時の喜び。

 鍛えて成長を目の当たりにした時の高揚。

 一人前になり戦場を生き抜く姿を見た時の達成感。


(面白い!)


 育てた中に二刀流の使い手、しかも、これほどの長時間の戦闘(試合)に耐えられる者はいなかった。

 楽しくて面白くてエルヴィアはさらに乗ってきたが、ジャネットはとうに超えていた限界がついに表れた。

 グラッと崩れた姿勢にエルヴィアは瞳を見開いて、次の瞬間には苦笑を浮かべた。

 ガッ!

 何かがぶつかって削れるような鈍い音とともに、二本の木剣が宙を舞い、二人の背後に落ちた。

 呆然と、クラウジアは目の前の光景を見た。

 そして、ジャネットも呆然として自分の手とエルヴィアを交互に見た。

 この試合、全てにおいて有利なのはエルヴィアだと、ジャネットもクラウジアも分かっていた。

 打ち合って間もなく分かったジャネットは、気力でここまでもたせていた。そろそろ気力がつきそうなのも理解していたし、握力が弱まって木剣が飛んだのも納得できた。

 見ていたクラウジアは、体力的にはともかく、技量的にエルヴィアが圧倒的に勝っていると理解していた。ジャネットが負けるだろうと、自然にそう思えた。それほどに、実力に差があり過ぎた。

 だから、二人はこの状況が一瞬理解できず、理解して怒りがわいた。

 エルヴィアは最後の打ち合いでわざと木剣を飛ばして、引き分けを図った。いや、二刀を扱うジャネットのもう一本は残っているから、わざと負けたと言ってもいい。

 未熟で見習い以下とはいえ、剣を扱う者として、勝ちを譲られるのはけして受け入れられない。


「決着は、またの機会にしよう」

「なっ」

「私は、万全の状態で、本気で打ち合えるジャネットと対戦したい」


 反論しようとしたジャネットを遮って、エルヴィアは付け足した。

 付け足しに、ジャネットは一瞬呆けて、数秒の空白の後、好戦的な笑みを浮かべた。


「分かったわ。次は、絶対に勝ってみせるからね」

「楽しみにしてる」


 数時間の鍛錬をこなした後のジャネットと、体力的に万全だったエルヴィア。

 ただでさえ実力差があるのに、ジャネットに不利すぎる状況だった。

 それを知っていたから、エルヴィアはわざと木剣を手放して試合を中断して、次の機会に勝敗を持ち越した。

 どれだけの差があるのか分からないが、次の機会を与えられたことがジャネットは嬉しかった。

 何年、経験と鍛錬を積めば追いつけるのか、ジャネットには分からない。それでも、また相手をすると言ったということを理解して、絶対に追いついてみせる、と決意する。

 相手をする、ということは、それだけの価値があると認められたということ。

 それは、まだまだ上を目指せるということ。

 生き抜き、自分を貫くために求めた力。その形である二刀流。

 勝ち負けよりも、自分を鍛えることが目的だった。

 だが、それ以上に、エルヴィアに勝ちたいという思いがジャネットの心に湧きあがった。


(何がなんでも、実力を認めさせる。真っ向から!)


 どうしても、そう思った。

 エルヴィアにだけは、見下されたくない。失望されたくない。

 視線に、声に、姿勢にそれが表れているジャネットを見て、クラウジアは安堵したように微笑んだ。

 その思いが、エルヴィアに『聖女』の片鱗を見たからなのかは分からない。

 ただひたすらに、目指すべき頂きを見つけた。

 強固な意志を秘めた瞳を受けて、エルヴィアは不敵に微笑んだ。

 はるか上から、未熟な子供を導こうとするような、そんな微笑みだった。



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