第三話:異端と出会い
四月半ばに行われる入学式に向けて、新入生が集まってくる。五日前になればほぼ全員がそろうだろう。その男女比率は九対一に近い。
魔導師科ならばともかく、魔導騎士科は女子の希望者が少ない。
実際、三年生に女子はおらず、二年生には二人だけ。一年生は、エルヴィアとフローラの他は二人だけで、全学年でわずか六人。二年女子二人の内の一人は騎士団長の娘だ。
「基本、他の生徒の情報って知らないのよね」
「私も知らないわ。簡単に情報が手に入るような土地でもないから」
これから三年間級友となる人達が集まっているにも関わらず、エルヴィアとフローラは武道場にいた。
もちろんただいるだけではない。二人の手には木剣が握られ、真剣さながらの迫力で打ち合っている。
世間話をしながら。
通常ならばありえない光景を見ている者はいない。
貴族や騎士、裕福な商家出身の生徒達が多いため、あいさつ回りに忙しいらしい。
二人はそんなことに興味なかったし、そもそも関係がなかった。フローラは商家の出身だが、諸事情あってあいさつ回りをする必要がない。ただ単に面倒だったのもあるが。
ガッ。
鈍い音を立てて、フローラの木剣が宙に舞う。
後方に飛ばされて転がった木剣を拗ねたように見やったフローラは、拾い上げてエルヴィアを振り返る。
自身の木剣を下ろしたエルヴィアは、にっこりと勝者の笑みを浮かべた。
エルヴィアの戦績は二八戦十九勝八敗一引き分け。引き分けは初戦、互いの実力を見あう為に剣を交えていれば、知らぬ間に夕方になっていたためだ。
一応勝ち越してはいるが、体力の面ではフローラの方が圧倒的なため、逃げ続けられたらエルヴィアの方が不利だ。フローラの性格上、逃げるのは性に合わないのか、たいていは突っ込んでくるが。
互いに滝のような汗をかいている。
いつも通りに薄着のフローラは、汗で上着が張り付いて、その細身の体の線があらわになっている。
エルヴィアはフローラが普段着にしているような袖のない詰襟タイプの上着に短パン。十分、はしたない、と思われるほどに薄着だ。
他の生徒がいないのは良かっただろう。
入学前からひと騒動起こるのは確実だ。それほど、二人の服装は上流階級にとって受け入れがたいものだった。
そのことを理解しながらも、一切気にかけていない二人はわずかに乱れた息を整えて水道に向かう。
これまた、過剰としか言いようのない装飾が施されていて、最初は二人ともげっそりとした。今はもう慣れた。
顔を洗ったり喉を潤したりする水道なので、外に設置されている。その為、通りがかった者と出くわすこともある。
連日使用している二人が互い以外と出くわしたのは、今回が初めてだったが。
これから過ごす場所を見て回っていたらしい三人の少年。制服姿ではなく、私服だ。仕立て具合から貴族ではなく騎士か地方領主の子弟だろう。エルヴィアは適当に予測をつける。
薄着すぎる二人を見て、三人の男子生徒はギョッと瞳を見開いた。
「何をしているんだ! ここは帝立学院の敷地だぞ!」
叱責するような声に、他の二人も険しい表情で頷いているが、エルヴィアとフローラはあきれ顔だ。
何をしているも何も、ここにいる以上は生徒で、武道場の脇なのだから訓練していたに決まっている。二人の足元には木剣もあるのだし、簡単にわかるだろう。
「使用人風情が、学院生のための設備を使うなど」
耳障りで的外れな説教は続いているが、最初だけで男子生徒が叱責してきた理由を察する。
露出の多い服装をしているのを、布地をまともに買えない貧しい家の者をと思ったのだろう。そして、汗だくで若干薄汚れている姿で使用人と思い込んだ。
「あたし達はここの生徒。あんた達と違って、休日も惜しまず訓練していただけよ。耳障りだからそろそろ黙ってくれない?」
「なっ!」
三人のリーダー格なのだろう、延々と的外れな説教をしていた先頭の少年が、顔を真っ赤にして絶句する。
「無礼者!」
後ろの二人の内、ひょろ長い少年が前に出てフローラを叱責する。
フローラよりも頭二つ分は背が高いが、鍛えられたしなやかな筋肉を持つフローラよりも軟弱なイメージがある。筋肉がついているように見えず、ただ縦に長いだけだからだろう。
「どこのお偉いさんか知らないけど、勝手に人を使用人だとか言って。先入観で人のことを判断した無礼者はそっちでしょ」
もっともなので、エルヴィアは素直に頷く。
目元を赤くしたひょろ長い少年が睨んでくるが、エルヴィアはにっこりと笑い返す。瞳は全く笑っておらず、煌くような剣呑な光が少年を射抜いた。
いささか怯んだ少年に変わり、もう一人、体格の良い少年が前に出る。
背はフローラより少し高い程度だが、横幅があるため大きく見える。
「この方は、皇太子殿下の八番目の愛妾フランシスカ様の実弟であり、ゴルバノス伯爵家の御嫡男タマーシュ様だ。お前達のような卑しい小娘が気安くして良いお方ではない」
どうだ、と自慢げな口上に、何とも言い難い表情になった二人は背を向けて顔を寄せ合った。
「皇太子の愛妾、てことは妃じゃないってことよね? しかも八番目? かなり微妙ね」
正室は后、正室に次ぐ側室が妃、それ以下はまとめて愛妾か側室と呼ばれる。妃は第一妃、第二妃、と格がはっきり設けられるが、愛妾などは入った順番でしか呼ばれない。
ちなみに、皇太子には后はいるが妃はおらず、愛妾が十五人いると言う。蛙の子は蛙だ。
八番目ならちょうど真ん中。エルヴィアはそのことを知らなかったが、たしかに微妙である。
「てか、ゴルバノス伯爵って貧乏貴族じゃない。建国以前からの古い家らしいけど、大戦にはあんまり関わってないから皇家からは助成も受けられないし、宮廷の宴にも呼ばれないらしいわよ」
「悲惨ね。そういうものなの?」
「大戦に関わった家は厚遇されるけど、関わってない家は惰弱者とか不忠者とか言われて見下されるらしいわ。今の有力貴族って、大戦で活躍した武将とか魔導師とかが爵位を得て作った家で、領地も広大だし豊かな場所が多いわ」
「分かりやすい格差ね。どうりで、貴族の後継者に見えない身なりだと思ったわ。良くて地方領主だと思ったもの」
「裕福な商家の人間の方がもっといい物着てるわよ」
「確かに」
「というか、八番目ってことはかなり早くに愛妾に差し出したのね」
「? どういうこと?」
「ゴルバノス伯爵家には二人の娘がいるんだけど、一人はまだ十歳だから、もう一人が愛妾何でしょうけど、今年十八歳のはずよ」
「今年成人で、八番目? じゃぁ、愛妾になったのはいくつの時よ」
「十五番目が迎えられたのが確か一昨年じゃなかったかな? 皇帝の末弟の娘だってことでかなり騒がれたから」
「じゃぁ、十五にもなってなかったんじゃないの? 当時。それに、皇族の娘を末席の側室? どっちもありえないわね。というか、詳しいわね」
「うちは商家だからね。あたし自身は関わってないし興味もなかったけど、自然と耳に入るものよ」
少年達を丸無視して交わされた二人の会話だが、はっきりと聞こえている。元より気を使っていないので、声をひそめてもいない。
三人とも顔を真っ赤にして震えている。
エルヴィアとフローラは大真面目に思ったことを口にしただけだ。若干、嫌味も込められてはいるが。
実際、その通りなので、それに怒ると言うことは事実だと認めていることになる。
タマーシュはそれが分からなかったらしい。腰の剣を抜こうとする。
基本、学生の帯剣は許されていないが、貴族階級は護身も兼ねて帯剣が許されている。
「貴様らッ!!」
「はい、そこまで」
タマーシュの背後、いつの間にかもう一人少年がいた。
体格は細身で背丈はエルヴィアよりも若干高いくらいでフローラよりも少し小さい。ともすれば、少女にも見えそうなほどに整った容貌をしている。
笑みさえ含んだ軽い声の制止とともに、タマーシュの肘を後ろからつかんでいる。剣を抜こうとした腕だ。自然と動きが止まる。
首を動かして振り返ったタマーシュは、見覚えのない少年に眉を吊り上げる。
「離せっ、無礼者っ!」
「同じ言葉ばっかり繰り返すな。バカか」
にこやかに辛辣な言葉を吐いた少年は、タマーシュの要望通りに手を離す。
身をひるがえして柄を握りしめるタマーシュに、左手の甲をかざすようにしてみせる。
ほっそりとした中指に、古めかしい質素な金の指輪がはめられている。
それをいぶかしげに見ていたタマーシュは、数秒後、何かに気付いたのか真っ青になる。素早く剣から手を離し、膝をついた。
「ソ、ソギラ公爵家の方とは存じませず、ご無礼をいたしました!」
タマーシュの言葉に、二人の少年も慌てて膝をつく。
ソギラ公爵、という言葉にフローラの眉が寄り、エルヴィアは微妙な表情を浮かべる。
エルヴィア達の様子に気付きつつも少年は気にした風もなく笑い、タマーシュ達に声をかける。
「あまり、身分や地位を笠に着て威張り散らすものじゃない。それこそ程度が低くみられる。平民の無礼なふるまいにも寛容な態度を見せられるようになれ。それこそ真の貴族だ」
「も、申し訳ございません!」
「謝るのはオレじゃなく、あっちの二人では?」
「っ…失礼、した」
振り返り、エルヴィア達に苦々しい表情と声で告げた言葉は、謝罪のつもりらしい。まったくもって気持ちが伝わらなかったが、タマーシュ達の背後で少年が肩をすくめていたので、頷いておく。これ以上の面倒事は嫌だったし。
「私達も結構なこと言ったもの。おあいこでしょ」
「そうね」
許してやる、と言わんばかりの二人を睨みつけ、タマーシュ達は少年に丁寧に謝罪してから去っていった。
残った少年は、左手の指輪を抜いてポケットに無造作に突っ込む。
「二人とも肝が据わってるな。貧乏貴族とは言え伯爵家の嫡男に意見するとは」
「別に、間違っていたのは向こうだから指摘したまでよ」
「事実しか言ってないしね。それで怒ったのは、事実だと自覚しているからでしょ」
遠慮のない二人の言葉に、少年は楽しそうに笑う。
「良かった。気の合いそうな人がいて」
「皇太子后の甥でいらっしゃる方と、気が合うとは思えないけど」
刺々しいフローラにも、少年は笑みを崩さない。
皇太子は今年で三九歳。その正室である皇太子后は貴族の筆頭、ソギラ公爵の妹コンスタンシア。
ソギラ公爵家の紋章入り、しかも金の指輪を持っているということは直系だ。ソギラ公爵家の若君、ということ。
エルヴィアにとっては初めて知ることだ。
さっき、思い出したのは『イヴの夫』であるカインの腰巾着だった男のことだ。頭は良かったが、賢いわけではなく、小賢しい部類だった。その男の姓が、『ソギラ』だったのだ。
それなりに功績があったから、子爵を与えたような気はするが公爵にした覚えはない。死後、カインが皇帝になってから上げたのかもしれない。
「どっちかというと、貴族よりも庶民生活の方が長いんだよ。オレ」
「は?」
「庶子、いわゆる妾の子。母親は娼婦で、十歳までは母親のとこで育った。公爵家に男が生まれない上、父親が病気で不能になったから、引き取られたんだよ。しかも、母親は金を要求して、父親は言われるままに払った。金で売られて、求められたのは父親の要求通りに生きるだけの人形。それには吐き気がするほど腹が立ったし、それ以外でも貴族には馴染めない。むかつきしか感じないし」
本来なら家の恥になるようなことをあっさりと暴露する少年に、エルヴィアとフローラは顔を見合わせて困惑する。
二人の中で、少年のような貴族は存在しない。エルヴィアの『過去』には何人かいたが、それが異端と言われるほどに珍しい存在だと知っている。
「人に傅かれたり、世話されたりすんのいまだに嫌なんだよ。寮なら自分で好きにできると思ってたのに、最悪だ」
そこは二人も思ったことなので、一気に親近感がわいた。
だが、フローラは貴族嫌いなのかいまだに難しい表情をしている。
「二人は、貴族が嫌いっぽいな。オレはああいうのとは違うつもりだから、少しずつ慣れてってくれ。オレはアレン=オルセン=ソーレ、これからよろしくな」
明るい笑顔と声。
だが、明るいだけではないことはエルヴィアもフローラも分かっていた。
その瞳に宿る、暗い影を見逃さなかった。
貴族社会においては異端でしかない公爵家の跡取り息子。
一筋縄ではいかない人物だろう、とわずかな警戒を抱きつつも、普通の貴族ではないことに対する安心感を持った。
知らず、強張っていた肩から力を抜いて、二人は同時にため息をついた。