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『彼』 Ⅱ

…どちらかと言えば、『彼』が主体…。

 コーラルとの共闘は、非常にやりやすかった。

 基本的に、クロードの指揮にイヴが従った形だ。

 これにカイン達は不満そうではあったが、知ったことではない。

 生き残るために最善であることをしているだけなのだから、戦ってすらいない者にとやかく言われる筋合いはないのだ。

 そういった状況が続いたからか、クロードには相変わらず冷たくされているものの、補佐であるレオナールとはそこそこ親しくなった。特にゼイルが。

 さらに、クロードの婚約者でありレオナールの従妹、そして、コーラル軍に在籍する治癒魔導師ヴィオレット=レェナ=グレイロッドに、イヴは懐かれた。年の近い女性が身近にいなかったことも含めてだろうが、性格自体が温和で人懐っこかった。

 ヴィオレットとの会話はゆったりとしていて、心地良いものだったのでイヴは彼女が嫌いではなかった。…最終的にクロードとの惚気話を聞かされることを除いて。

 ほのぼのとした交友をかわしつつ、徐々に西へと進んでいたイヴは、一人で斥候に出かけた際、思いがけない再会をした。








 現状、イヴは混乱の極みにあるせいか動悸がすごかった。

 斥候というわけではなく、ただ一人になりたいと思って何とはなしに歩いてきた森の中で、予想外な存在と出くわした。


(帰ったら、デュラ達にしばかれるかも…)


 半ば現実逃避をしながら、一点から視線をそらせなかった。

 何故、そこにいるのか分からない。

 瞼を下ろし、木の幹に背を預けている姿を注視していると、あることに気付く。

 イヴの瞳が見開かれ、硬直していた足が無意識に動き出した。

 その音に気付いたのか、うっすらと瞼があげられる。見えた金の虹彩にひるむことなく、イヴは傍らに膝をつくと腰につけた鞄から色々と取り出し始める。

 イヴの動きに目が覚めたのか、瞳を見開いて距離を取ろうとしたのを察し、イヴは眉をよせて一喝する。


「動くなっ、怪我人っ!」


 鋭く厳しい一喝に、ビクリと小さく震えて固まる。

 それには頓着せず、いまだに血の滴っている腕を手に取り、服を裂いて傷口をさらす。テキパキと施されていく応急処置に、金の瞳が丸くなる。

 一生懸命な手つきに、徐々に瞳が優しい光を帯びて、細められる。


(あとは結んで…)


 包帯を結んで終了、という段階でイヴは自身にかぶさる陰に顔を上げた。

 森の中だから、影自体は元からかかっていたのだが、さらに影が濃くなった。

 上げた先に、金の虹彩を見つけて思わず硬直する。固まったイヴの頬に長く節くれだった指が触れる。

 ゆっくりと近づく金色が視界から消えると、イヴの細い首筋に何かが触れる。それが鼻だと気付いたのは、しばらくの後で、この時のイヴは何が何か分からず、かなり混乱していた。

 スリ、と皮膚と皮膚がこすれ合う感覚に肩がはねるが、次の瞬間、イヴは顔を真っ赤にして飛びすさった。

 視線のあった金色がきょとんとしているのに、文句を言いたくなるが何を言えばいいのか分からず、口は開閉を繰り返すだけだ。

 首筋を抑えて小さく羞恥に震えているイヴをどう思ったのか、金色を眇めて素早くイヴの手首をつかんで抱きすくめた。

 反射的に悲鳴をあげそうになったイヴを胸に押し付けて、その耳元で小さく呟く。ぼんやりと見上げてくるイヴに微笑み、そっと放して背を向ける。

 そのまま、あっさりと去っていく姿を呆然と見送り、気配が遠ざかってから、イヴはその場にうずくまり、しばらく動けなかった。

 耳や首筋まで真っ赤になっていたので、周知ゆえであることは確実だった。












「若」

「…ジュネヴィーヴか」

「何をなさっておられたのです」

「何のことだ」

「…今は戦争中であることをお忘れですか」

「まさか」

「では、何故、人間の小娘などに…」

「ジュネヴィーヴ」


 低い声で罵倒しようとしていた長身の女性―――ジュネヴィーヴの名を呼び、発言を制する。

 言葉を飲み込んで悔しげに唇をかむジュネヴィーヴに、真っ直ぐな視線を向ける。


「手を出すな」

「若…っ」

「彼女は、俺の物だ。…分かっているだろう?」


 縦に裂けた瞳孔が特徴的な緑色の瞳を伏せて、ジュネヴィーヴはうつむく。

 金の瞳の少年―――獣人の王族である彼に、ジュネヴィーヴは逆らえない。そして、その言葉の意味を知っているからこそ、何も言えない。

 獣人は、基本的に一目惚れだ。相手の本質を見抜き、それに惹かれる。互いに惹かれあうことが多いが、けして絶対ではない。

 ジュネヴィーヴは少年に惹かれた。年はジュネヴィーヴの方が年上だが、生まれとしては少年とつりあい、幼馴染でもあった。周囲は、このままなら少年とジュネヴィーヴをつがいにしようと考えていた。少年はそれに興味を示さなかったが、ジュネヴィーヴは喜んだ。

 だというのに、惹かれ、焦がれた存在を、自分の三分の一も生きていないイヴに奪われる。さらに、敵である人間だ。

 ジュネヴィーヴが悔しがり、納得できないのも当然だった。


「若は…そういうことに頓着なさらないと思っておりました」

「そうだな。お前達の感覚が俺には長らく分からなかったからな」


 一目ぼれというのが少年には分からなかった。だが、イヴと出会って理解した。だからこそ、行動に移し、手を出されないようにしたのだ。それは獣人にしか分からない物ではあるが、高位の獣人でも手を出すことを躊躇うだろう。

 そうして獣人達の爪や牙からイヴを守り、隙を見てさらえばいい。

 イヴの意思を考慮しない勝手な考えではあったが、王族らしいと言えばそれで納得できるものだった。


「ジュネヴィーヴ」

「…はい」

「俺には彼女以外にいらない。お前はお前を想ってくれる者を探せ」


 少年の柔らかくなった声音に、ジュネヴィーヴは何も返さない。返せなかった。さっきの、少年がイヴにした行動を見ていたから。

 首筋に鼻をすりつけ、口づける。それは獣人が行う求愛行動。種によっては変わってくるが、陸上にすむ獣人ならばたいていがそうだ。さらに、少年は自らの名をイヴに告げている。そっと、囁くように耳元に落とした。

 獣人、特に王族にとって名は重要だ。王族の名を呼べるのは、親か兄弟姉妹、そして、伴侶のみ。幼い頃なら呼ぶこともあるが、成人と同時にそれは禁じられる。

 現在、少年の名を呼ぶ者は家族である妹以外にいない。そして、これ以降、ただ一人を除いて増えることはない。

 中途半端にまかれた包帯を結び、愛しそうに撫でた後、少年は歩き始める。それを見ることもできず、立ち止まったままのジュネヴィーヴは小さく唇を動かした。


「私では、ダメなのですか…。イエレミーヤ様」


 許可されていないのに、臣下の身で王の名を紡ぐことは死を意味する。本来なら、『若』と呼ぶのもおかしいのだが、それは少年―――イエレミーヤとジュネヴィーヴが幼馴染なので、許容されている。

 獣人は耳が良い。たとえ離れていても、互いの姿が認識できる距離で、届いていないはずがない。風に紛れてしまうほどに小さな呟きだったとしても。

 だが、イエレミーヤは反応しない。立ち止まることも、振り返ることも、咎めることもない。

 それは、明確な拒絶であり、許容だった。

 『女』として求めることはない、という拒絶。

 『幼馴染』であるという近しさの、許容。

 それがわかるからこそ、ジュネヴィーヴの心の中でどす黒い感情が大きく育つ。





 それは、嫉妬、憎悪、憤怒、狂気、様々な呼び名がある、黒く重いものだった…。




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