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第二話:過去と現在の差

 ヴォダラから半日ほど馬車で南に進めば中規模の都市がある。

 中継地点となる都市で特別な物産はない。中継地点である為、北方の物産が多く集まり人も多い。

 金銭的理由により、比較的運賃の安い乗合馬車で帝都を目指すエルヴィアは、ここで馬車を降りた。

 ヴォダラには馬車の停留所がないので、依頼してきてもらうしかない。その際、運賃以外に別途料金がかかる。それは痛手だったものの、準備などを考えると早く行けるのに越したことはない。

 徒歩で来れないこともないが、ゆうに二日はかかるので遠慮したいのが実際だ。


「帝都行きは、三時間後ね」


 乗合馬車の乗車券売り場で、時刻表を確認したエルヴィアは、ため息をついた。

 ヴォダラで生活していたエルヴィアにとって、三時間の暇つぶしはなかなかに難しい。

 貧しい農村では娯楽なんてないにも等しく、露店で時間を潰すような資金的余裕はない。

 商店が並ぶ通りを適当にぶらつき、目についた古本屋に何となく入ってみる。

 品数は多くない。地方都市の古本屋だから、高価な物もない。

 いくつかを流し見て、ふいに一番下に置かれている本の中で、異様に綺麗な背表紙がある。

 手にとって、エルヴィアは固まった。

 本を見つめて固まっているエルヴィアに、店主の老人が気付いて笑顔で近づいてくる。


「聖女帝イヴ様の童話だよ。それは人気があるからね。新品を入れてるんだ」


 昨日入ったばかりなんだよ、とおっとりとした店主が話しかけてくるのを、エルヴィアは聞き流した。

 頬がひきつり、本を叩きつけそうになるのを必死でこらえる。

 本の表紙は、金髪に青い瞳で真っ白なドレスを着た女の子と銀髪の騎士が描かれている。題名は、『せいじょときしのものがたり』で、何とも分かりやすい。

 誰だこれは、というのがエルヴィアの感想だ。

 ヴォダラは、はっきり言って聖女帝の伝説に対しては異端の考えを持つ土地だ。

 伝説では違っているが、エルヴィアの記憶ではイヴの故郷は現在のヴォダラだ。イヴが生まれ育った土地であるから、記録が残っている。風化するほどに昔のことではないのだから、当然だ。

 広く知られる伝説を作って流布した人物は、ヴォダラにおける情報操作はしなかったらしい。結果、ちぐはぐな伝説と事実が残ってしまい、ヴォダラは国家に対する不信が強い土地になった。その為、諦めも早かったのかもしれない。

 反逆を疑われてはたまらないので表に出しはしないが。

 女の子は聖女帝イヴで、騎士はその伴侶となったカインだろう。

 エルヴィアにはその騎士に覚えはないが。

 にこにことしている店主に、何とか笑顔を浮かべる。


「ご親切にありがとうございます」


 旅の途中で荷物を増やすわけにはいけないことを伝えると、残念そうにしながらも「気をつけて」と言ってくれた店主に頭を下げる。

 いくつかの露店を回り、人懐っこい店員と雑談に興じたりと時間を潰す。

 ある程度見て回り若干飽きてきた頃、少し懐が厳しくなるがどこか露店に入ろうか、と考えているとある一角だけ人が遠巻きにしていることに気付く。

 数人の男が女性を取り囲んでいる。

 どこにでもある風景と人の反応に、苦々しげなため息をつき、距離をとりながら様子をうかがう。


「で、ですから、何度も謝って…」

「あ?謝って済む問題じゃねぇから言ってんだろ?」

「そうそう。ちょっと付き合ってくれれば良いんだって」

「お茶するだけなんだから、恐がらなくてもいいって」


 下手な因縁をつけ、下心見え見えの言葉で人気のないところに連れ込もうとしている。

 これなら、警備兵が取り締まるだろう。そう思うが、誰も警備兵の詰め所に足を向ける様子がない。

 都市の公的機関の配置は基本的に同じで、エルヴィアの記憶通りなら、ここからそれほど離れてはいないはずだ。

 誰もが見て見ぬふりをして通り過ぎて行くのは、ある意味で普通だ。誰だって面倒事に巻き込まれたくはないと思うだろう。

 しかし、間接的に助けようと思う者すらいないのはどういうことか。

 大国が長い歴史を積み重ねれば腐敗が蔓延するのは、必然だ。だが、まだ八十数年。エルヴィアにとって、『イヴ』の記憶は建国五年で途切れている。その頃と比べるのはおかしいが、まだ世代が三つほど進んだだけで、どうしてここまで犯罪に対して鈍いのか。

 時期的に、そろそろ腐敗してきてもおかしくないのだが。

 腹立たしい思いを抱えながら見ていると、女性が腕をつかまれて無理やり連れて行かれそうになっている。

 さすがに、これを見て見ぬふりするのは罪悪感がある。

 この後、女性がどういう目に会うのか分かるだけに、なおさらだ。

 一歩、前に踏み出したエルヴィアだが、背後から肩をつかまれて動きを止めた。


「おい、まさか、関わろうとしてるんじゃないだろうな」


 声をひそめ、行商人らしい中年男性が焦った顔でエルヴィアに詰め寄る。


「それが何か?」

「やめておけ。関わったって良いことはない」

「確かに、面倒事ですね」

「なら…」

「ですが、この後女性がどういう目に会うのか分かっているのに見過ごすことはできません」

「…っ」

「まさか、貴方はあの男達が言うように、ただ単にお茶して終わり、だと思って言わるわけではないでしょうね?」

「い、いや、しかし…っ」

「分かっているのなら、どうして貴方は行動しないんですか? 警備兵の詰め所に走るぐらいできるでしょう」


 責めるようなエルヴィアに、男性は疲れたような、聞き分けのない子供に呆れたような溜息をついた。

 それに、男性への腹立たしさがわき上がる。


「良く見なさい。警備兵はあの男達だ」

「…は?」


 言われ、注視して見れば男達が着ているのが、軍服であることに気付く。

 あまりに不快な現状に、そこまで意識がいかなかった。

 しばし、エルヴィアは呆然とする。


(どういうこと? なに? これは…? はぁ?)


 混乱した思考が、疑問符を連発する。

 数瞬後、現在を理解したエルヴィアの中で怒りが頂点に達する。


(民を守るべき兵が不条理と理不尽を振りかざし暴力で民を従わせる? 犯罪者を捕らえるのが仕事の警備兵が罪を犯す? それを当然とばかりに民が素通りする?)


 多くの疑問が浮かんで消えた後、エルヴィアは力いっぱい男性の手を振り払った。


「ふざけないでっ!!」


 それは男性に向けたものか、警備兵達に向けたものか、素通りする人々に向けたものか。

 おそらくは、その全て。

 街中に響き渡るような大音声に、誰もが動きを止めた。

 男達も不快気な表情で動きを止め、女性はあと一歩で涙がこぼれそうな表情でエルヴィアを見る。


「今、目の前で起こっている犯罪を見逃して、心が痛まないのっ?! 自分の妻が、娘が、姉妹が、同じ目にあったらと考えられないのっ?!」


 言われて、男性が視線をそらす。周囲の人々も顔をそらす。

 恥ずかしい気持ちはあるらしく、背負う空気は罪悪感を覚えているのか暗い。

 それらのことなど一切無視して、エルヴィアは男達を振り返る。


「良い年した男が三人がかりで一人の女性を手篭めにしようなんて言語道断ッ! 恥を知りなさい!」

「なっ…!」


 率直に自分達の行動を指摘され、堂々と糾弾された男達は頬を引きつらせてこめかみに青筋を浮かせる。


「まして、民を守るべき警備兵の立場で、守るために鍛えた力で、相手を脅しつけて言うことをきかせようなんて下劣! 同じ人だなんて恥ずかしいわっ!!」


 ビシッと指を突きつけて糾弾されて、最も体格の良い男が威圧するようにのしのしと近づいてくる。


「おい、ガキ。生意気なこと言ってんじゃねぇぞ」

「生意気なことなんて言ってないわ。全て事実よ」

「てめぇ…」


 ぴくぴくとこめかみを引きつらせる男を見上げて、エルヴィアはひるまない。

 大戦期など、自分の数倍はあろうかという獣人を相手に戦ったのだから当然だ。

 たかが人間の男(近づいて分かったがおそらくは二十代半ばだろう)は、エルヴィアにとっては若造もいいところだ。


「力のねぇ奴には何も言う権利はねぇんだよ。黙ってろ、ガキ」

「…じゃぁ、貴方にも権利はないわね」

「あぁ?」


『 顕現せよ。我が求めるは愚かを戒める裁きの雷轟。天地を貫く光輝の剣に願う。悲しき命の痛みを吹き払いたまえ  御雷ミカヅチ  』


 詠唱の終了とともに男の頭上から雷が降った。

 直撃したそれに悲鳴も上げられず、後ろに倒れる。男は、意識こそないが死んではいないらしく、指先がピクピクと痙攣している。

 周囲がざわめき、エルヴィアを中心にクレーターのように遠ざかる。

 こんな地方都市で魔導師を見ることはまずない。あったとしても、魔法をじかに見ることなんてない。

 十代半ばの少女が魔法を扱い、男を倒したことに恐れが広がる。

 残り二人が剣を抜く。

 魔導師は、人にもよるが単体で数十人分の戦力に匹敵する。だが、魔法使用に必須である詠唱の間、無防備になるという弱点がある。

 魔導師ではない者が魔導師に相対する時、その弱点をつくのが普通だ。

 だから、男達は速攻で一撃を叩きこもうと走り始める。

 かつては聖女として最前線で戦ったエルヴィアに、そんな一般論は当てはまらなかった。


『 顕現せよ  烈火  』


 たった二つの言霊で、世界は変化した。

 男達の足元から真紅の炎が立ち上る。

 耳障りな叫び声が、周囲からも悲鳴が複数上がる。

 ふっと軽く振った腕の動きに合わさって、炎が霧散する。

 所々が焦げているが、倒れた二人も息はあるようで、うめき声が聞こえる。

 雷撃をくらった男の意識が戻ったのか、起き上がろうとするが全身がしびれてもがくだけにとどまる。

 その頭の横に立って、開かれた瞳と視線を合わせる。

 ひっと引きつった悲鳴を上げる男に、呆れたように溜息をつく。


「で、叩きのめされるのはどういう気分?」

「ぐっ…」


 身動きできないうえに瞬殺されたので反論できず、うめく。


「私は魔導師じゃないわ。魔導師候補の候補よ」

「なっ」


 ポケットから取り出したのは、金属の板。だが、そこに刻まれた紋章は帝立学院の物。

 それを見て、男が青ざめる。


(ずいぶんと威力があるのね、これ)


 紋章を見せただけで一気に変わった様子に、少し感心する。

 かつての『自分』の夫となっている人が、作ったらしい学院は絶大な影響力を持っているようだ。


「私はあんた達の犯罪を見過ごせなかった。力があったから対抗して、あんた達を潰したの。なんか文句ある?」


 力のない者には何も言う権利はない。

 男自身が言った言葉だ。これだけの人数が聞いているのだから、言い逃れはできない。

 自分の言った言葉は覚えているのか、諦めたように脱力する。


「これに懲りたら、もう乱暴狼藉はしないことね。ちゃんと仕事しなさい」


 まるで母親が放蕩息子に言い聞かせるような言葉に、頬を引きつらせながらも無言を貫く。

 下手に反論して魔法を叩き込まれてはたまったものじゃない。

 その様子に鼻を鳴らすと、同時に広場の時計が鳴る。

 ハッとしてここからは少々遠い広場の時計を目を凝らして見ると、いつの間にか場所の発車時刻が迫っていた。

 放置していた荷物をひっつかみ、乗合馬車の停留所に向かって駆ける。


「あとはよろしくお願いします!」


 男達のことをまかせて、走る。

 これに乗り遅れたら、次は明日の昼になる。逃すわけにはいかない。

 走り去るエルヴィアを、誰もが呆然として見送った。

 未だ全身がしびれて動けない男は、くそっと悪態づきながら、あの一瞬で植え付けられた恐怖に震えそうになる。それをこらえるように拳に力を込める。



 ぎりぎりで駆けこんだ馬車に乗って一息ついたエルヴィアは、若干後悔していた。


(我慢ならなかったとはいえ、厄介事に関わるべきじゃなかったわねぇ)


 これからを考えれば、あまり面倒事に関わるべきではないことは分かっていた。

 だが、どうしても我慢できなかったのだ。


(思えば、『昔』もそうだったもんなぁ…)


 今では凄まじい美談になっているが、『イヴ』が大戦に参加することになった最初は、今回のように理不尽な軍人から市民を守るためだった。

 獣人と敵対するとかではなく。

 熱狂的な支持者なんかが聞いたら卒倒しそうだな、と思いつつ、ガタガタと揺れる場所の背もたれに体を預ける。

 はぁ、と息をついて服の胸元をつかむ。その下にあるペンダントの形を確かめるように指でなぞる。

 首をのけぞらせて、ガラスのはまっていない窓から見えるのは、薄灰色の雲が浮かぶ青空。


 踏み出してみた現実の酷さに、わき上がった怒りはなかなか収まらない。

 今の皇室だけではない。怒りが向くのは、『自分』の夫だと言う存在。

 そして、何よりも自分に憤る。

 死んでから現在に至るまでの数十年。

 自分が作った国の行く末を知らずにいる、現在の自分にこそ腹が立った。



※※※



 帝都イーヴリンは、聖女帝イヴより名前をいただいたとされている。

 ヴォダラから乗合馬車を乗りついで七日かかって辿り継いだ帝都で、エルヴィアは愕然とした。

 実に七〇年ほど、離れている間に変貌を遂げて発展している。

 統一された意匠で整えられた街並み。整備が行き届いた敷石の道。

 活気のある大通り。

 けして荒れているとか朽ちているとかではない。

 大国の首都として十分に繁栄している。誰もがそう思うだろうし、エルヴィアもそう思う。

 ただ、『イヴ』の記憶ではここまで大きく発展する予定ではなかった。

 街が大きくなり過ぎれば、目の行き届かないところが生まれて治安が悪くなる。治安悪化を防ぐため、街の拡充をしないことに決めていた。

 平和が続けば住民が増えて商業が活発化することは予想できたので、周囲に副都市を展開してそれぞれに治安維持組織や司法組織を独立して作るように基盤を整えていた。―――正確には、基盤を作ろうとしていた。ちなみに即位以前のことだ。

 周囲には考えや基盤の内容を伝えていたのだが、それらが無視されていることにエルヴィアは悲しくなった。


(これが、私が命がけで築いたモノ…?)


 繁栄、そして大陸の中心としての自負と威信。

 それらがうかがえる活気に満ちた大通りとは反対に、よどんだ空気が渦巻く一角がある。

 暗い空気のせいで、大通りが見栄を張っているように見える。

 空気の違いに、その雰囲気に民は気付いているのだろうか。

 きっと、誰も気付いていないのだろう。もしくは気付いていないふりをしているのかもしれない。

 チャリ。

 暗澹たる気分になりかけたエルヴィアの意識を、小さな音が引き戻す。

 視線を落とせば、そこにあるのは色石にブレスレット。

 無意識に頬を緩ませて、息を吸い込み前を向く。

 愛しい故郷を離れてかつての『自分』が没した地にやって来たのは、憤りや不満を募らせるためではない。

 『今』の帝国を見て、『今の自分』に出来ることをするために。

 出来ることはほとんどないかもしれないが、かつての『自分』としての責任があったから。

 国政に関われる魔導師になることを選んだのは、それが理由だ。

 決意と覚悟を抱いてきた。

 故郷の人々と過去の責任の為に。

 ここで足踏みしている場合ではない。

 深呼吸をして、ようやく一歩を踏み出した。







 帝立学院への道は、標識が用意されていたのでたどり着くのは楽だった。

 壮麗な門を見た瞬間、エルヴィアは崩れ落ちた。決意や覚悟も崩れ落ちそうだったが、そっちは何とか持ちこたえた。


「学校ごときにッ!」


 半ば叫ぶようにして唸る。

 学校の門というよりも城の門のようだ。

 三メートルほどの高い塀にそれよりも高い門。繊細な彫刻による装飾が施されている。

 丁寧に磨かれ光を弾く鉄格子。

 いかに帝立、生徒に上流階級出身が多いとはいえ学校にここまで凝る必要性が、エルヴィアには感じられなかった。

 肩を落としてうなだれるエルヴィアを見ていたのか、守衛室から体格のいい男が出てくる。


「何だ、お前は。関係のない者はとっとと帰れ」


 エルヴィアの服は辺境では上等でも、帝都では一般的な材質の布で出来ている。

 大荷物を持っているところも含めて帝都の人間ではなく、田舎者が物見遊山に来たとでも思ったのだろう。


「四月からここに通う者です。寮はどこに行けばいいでしょうか?」


 勘違いされていることは分かったし、いたしかたないことも理解できたので、学院の紋章が刻まれた金属板を見せる。

 それを手にとってまじまじと見ていた男は、しだいに眉を吊り上げる。


「どこから盗んだ」

「は?」


 無遠慮にエルヴィアを見回していた男は、はっと鼻で笑って嘲笑を浮かべる。


「どうみても、農民の小娘が身の丈に合わん姿で騙そうとしているようにしか見えんわ」


 男の声が聞こえたのか、守衛室にいるもう一人の男が同意するように噴き出す。


「今の内に消えれば警備兵は呼ばん。とっとと失せろ」


 温情だと言わんばかりの言い捨てて金属板を持ったまま、男は守衛室に戻ろうとする。

 人の言い分を聞かず、勝手に人を泥棒と判断してあしらい、人の物を持って行く。

 その現実に、呆けていたエルヴィアは自分の中で何かが切れるのを自覚した。

 おもむろに、右耳の上につけた髪飾りに触れる。

 中心の水晶が小さく明滅した瞬間、エルヴィアは背中を向ける男との距離を一気に詰める。

 それに気づかなかった男だが、首筋にひやりとした物を感じて動きを止める。

 視線だけを首元に向ければ、視界の端にギリギリ映ったのは細身の白刃だった。


「なっ…」

「それ、返してもらえる? 私は正真正銘、ここの入学生よ」


 凍てつくようなエルヴィアの声に、白刃を突きつけているのが誰か男は理解した。


「人のことを独断と偏見で好き勝手言ってくれたけど、現状、泥棒はあんたの方よ」

「馬鹿なっ。お前のような農民が帝立学院の門をくぐれるはずが…」

「ここは魔導師の素質がある者が入学するんでしょう。身分や血筋が関わるなんて初めて知ったわ」


 喉を引きつらせて男が沈黙する。

 少しずつエルヴィアの発する怒気が強まり、男を圧迫する。

 エルヴィアの言うとおり、帝立学院は身分や血筋に関係なく学生は平等に魔導師を目指す、と謳っている。それは偽善的発言で建前でしかない。

 そんなことはエルヴィアも分かっていたが、守衛ですら建前としか受け取らず身分の低い者を見下すとは思わなかった。守衛自身、上流階級の出身ではないだろうに。

 独断と偏見で人を犯罪者呼ばわりするほど、権威主義に染まっていると誰が思うだろうか。

 実際、生徒は貴族や騎士、裕福な商人の子供が多い。人口比率的に農民が最も多いが、そういった生徒達は入学してもほとんどの場合迫害を受ける。ストレスの発散などで暴力を受ける者もいる。

 卒業しても、就職先で上司や先輩(上流階級出身)にいじめを受け、早々に落命する者が多い。

 それが分かっているから、教師達も農民出身の生徒に対して粗雑になる。

 圧迫されて何も言えない男も、そうしてきたのだろう。動けないでいるもう一人も。

 数秒、沈黙が続いた頃。校舎の方から一人の男が歩いてくる。


「何事ですか」

「レ、レグル教授」


 三〇前後と思しき男は、剣を突きつけているエルヴィアを剣呑な眼差しで睨みつけた。


「剣を引きなさい。何があったのか知りませんが、我が学院の守衛に非があるとは思えません」

「何があったか知らない、と言っておきながら随分な身内主義ですね」

「嫌味を言う前に非を認めて剣を引きなさい」

「非がないので従えません」

「何を…」

「私は四月に入学予定です。守衛はそれを嘘だと決めつけて身分証を奪いました。私は被害者です」


 エルヴィアの言葉に、レグルは男が持っている金属板―――身分証に視線を向ける。

 門の脇にある通用門から出てくると、身分証を渡すように要求する。


「本物ですね。名前は?」

「ヴォダラのエルヴィア」


 簡潔な答えに、レグルは不快そうに眉を寄せる。

 農民は姓をもたない。その為、名乗る時には出身地も告げる。

 身分が分かりやすく、上流階級にとっては姓がないというだけで侮蔑の対象になる。

 懐から一枚を取り出して、上から下へ視線を動かす。入学者名簿なのだろう。


「名簿に名前があります」


 レグルの言葉に男が瞳を見開く。

 それを気配で察したエルヴィアはいらだたしげにため息をつき、剣を引く。

 レグルの手にある身分証をひったくるように取り返す。不機嫌そうにするレグルに疲れたようなため息をつく。


「寮はどちらですか」

「右へ壁沿いに行けば寮の門が見えます」

「ありがとうございます」


 男やレグルにさっさと背を向ける。

 非礼を働かれたのはエルヴィアなので、これ以上言うことはない。

 エルヴィアの行動に非はない。あるとするなら、非を認めていながら一言の謝罪も口にしない男の方だ。

 いらつきながら言われた通りに進めば、校門に次いで豪華な門が見えてくる。

 寮の門には守衛がいないようで、面倒事が繰り返されないことに安堵したように溜息をつき、門柱に隠れて剣を髪留めに戻す。

 一息ついて門を見ると、差込口を見つける。まさか、と思いつつ身分証を差し込めば、間をおいて差込口を中心に魔法陣が展開して身分証が淡く発行する。

 光が消えてから身分証を抜くと、門が開く。

 その光景に、エルヴィアは頬がひきつるのを自覚した。


「学校ごときに…」


 同じ言葉を今度は力なく呟いて、のそのそと門をくぐる。

 寮の建物は大貴族の屋敷かと思うほどだ。しかも、門が自動で開く仕掛けは認証魔法によるものだ。

 大貴族の邸宅などに認証魔法は普通に使用されている。

 特に理由もなく回り道をして見てきた高級住宅街の邸宅がそうだったとエルヴィアは思い出す。

 入学する生徒達の身分が高いことを考えれば、当然の処置なのかもしれないが土地と建物の規模を考えれば、ありえないほどの手間だ。

 呆れてものも言えない気分で、寮監室に声をかけて自室の鍵をもらう。

 その際、寮監にも侮蔑と不快の視線を向けられたが、反応する気にもならなかったので黙殺した。

 もらった鍵が認証魔法のかかった金属板だったことには、ため息すら出なかった。


 大戦直後とは違うのは分かっているが、倹約と節制が推奨されていた時代に生きたエルヴィアには少々理解しがたいほどの発展ぶり。

 その発展が、権威を見せつけるためだけのように思えて、苦い気持ちがわいた。



※※※



 帝立学院の寮は、科ごとに分かれ、階で男女が区切られている。

 魔法に加えて剣もしくは槍を習う魔導騎士科は女子生徒の数が圧倒的に少ないので、一階に部屋が集中している。

 基本、二人一部屋。わがままな生徒のために一人部屋も可能で、通常の生徒数の倍は部屋が確保されている。エルヴィア的には無駄だとしか感じないが。

 扉や壁には繊細な装飾が施されており、ここはどういう目的で作ったんだ、と叫びたくなった。


「同室者が、まともだといいんだけどね」


 望み薄なことを呟き、部屋に入れば誰もいなかった。

 右側のベッドが少し乱れていることから、同室者はすでに入寮し、生活していることが分かる。


「うわぁ」


 予想より五倍ほど広い部屋はまだ良いとして、天蓋付きの寝台と古美術(アンティーク)調の家具、床はふかふかの絨毯が敷き詰められている。ここまで豪華にされるとはっきり言って、引く。慣れていない者にとってはなおのこと。

 全体的に色が白い。天蓋からはうすぎぬが下がっている。

 いわゆる、お姫様様式だ。

 昔も今も質素倹約が至上命題であるエルヴィアにとって、見ているだけでいらつく光景だった。


「あれ? 同室の人?」


 一歩部屋に入ったところで立ち尽くしていたエルヴィアに、背後から明るい声がかかる。

 振り返れば、湿った髪をぬぐっている少女がいた。


「ここの?」

「そ、よろしくね」


 声は明るいが、言葉はいっそ冷たいほどにそっけない。

 何となくその理由を察して、苦笑を浮かべる。

 平均的なエルヴィアより頭半分ほど背が高く、細身ながらに鍛えられた(その分女性的起伏に乏しい)姿勢の良い少女に、エルヴィアは瞳を細める。

 肩がむき出しの肌着のような薄い上着と太ももがあらわな短いパンツは、貴族の少女達が見たら卒倒するような服装だろう。

 農民でもそこまで気軽すぎる格好はしないが、エルヴィアにとっては懐かしく感じる装いだった。

 戦乱の時代、服装に気を配っていられる余裕など誰も(一部のバカは除いて)なく、訓練や作業時は男女関係なく楽な格好で過ごしていた。

 布さえ貴重な時代だから、包帯などの医療品に重点的に使用していれば、衣服は必要最低限になった。

 少女のような格好は、男女関係なく見られたものだ。

 だから、エルヴィアは笑みを浮かべて歩み寄る。


「私はヴォダラのエルヴィア。よろしくね」


 手を差し出して名乗るエルヴィアを見下ろして、少女は驚いたように瞬く。

 数秒、エルヴィアの顔と手を交互に見つめていた少女は、自嘲めいた苦笑を浮かべて自らも手を差し出す。


「あたしはフローラ=セヴォル。こちらこそよろしく」


 フローラは髪を乾かすと、バサッと頭から被るように着替える。

 年頃にしては珍しいほどに短い髪はともかく、女同士とはいえ恥じらいも何もない様子はどうなのだろうか。

 思わず考えてしまったが、やはり、エルヴィアにとっては懐かしいとしか感じないので良しとしておく。


「ごめんね。ほとんどが貴族や騎士だって聞いてたからさ。もしくは魔導師の血縁とか? そういうの嫌いなんだよね」

「別に良いよ。私も同じだし、さっきも守衛とか先生とかに嫌な眼で見られたしね」

「あぁ、あの守衛、腹立つよね。あたしも止められた。先生って?」

「レグルっていう若い人」

「…その人は知らないなぁ」


 フローラは会っていないのか、首を傾げている。着替え終えたようだがさっきとあまり変わらない。

 エルヴィアは田舎の村娘そのものの服装だが、フローラは詰襟の半袖シャツに着替えただけで下はそのままだ。


「随分身軽な格好ね」

「楽だからね。はしたないって言われたけど」


 さらりと軽い調子で言われた言葉には、少しだけ重く苦いものが含まれていた。

 無意識だろうそれを聞き流して、エルヴィアは微笑む。


「まぁ、言うだろうね。私は良いと思うけど? セヴォルさんに合ってるよ」


 思ったままに言えば、フローラが驚いたように瞳を見開く。

 驚かれる意味が分からず、キョトンと首を傾げるエルヴィアを見つめていたフローラが、嬉しそうな笑顔になる。


「ありがとう。ねぇ、フローラで良いよ。これから三年間同室なんだし、仲良くやろ」

「そう? じゃぁ、私もエルヴィアで良いよ」


 にこにこと笑い合う少女達の空間は和やかで微笑ましい。

 素朴な二人に不似合いな家具さえなければ。



※※※



 広大な敷地を有する帝立学院には、訓練用の演習場や武道場、魔法の練習のために作られた施設などがある。

 使用自由な武道場や演習場(一部だけ)は、春休みと言うことで二・三年生がいないため、新入生であるフローラが独占しているような状態だった。

 家から早く出たい、という分かりやすい理由で、三月の初めには入寮していた。

 春休みで帰省する二・三年生と入れ違いでかなり目立ったらしい。

 だが、目立つことを我慢すれば一人で快適に過ごせて、訓練も好きなように好きなだけやれる。この一ヶ月弱、フローラにとってここは天国だった。

 部屋の悪趣味なまでのお姫様仕様の内装さえなければ。

 この点でエルヴィアと意気投合し、初対面とは思えないほどに話が盛り上がった。

 寮の地下に浴場、しかも、個人用があって女子用は八人分用意されている。部屋にもシャワーだけならついているのだから、どこの高級旅館だ、と二人は思った。

 洗濯物は出しておけば係りの者が洗い、食堂には専門の料理人が常駐している。


「まるで、異世界に入り込んだ気分だったよ」


 家から出たかったとは言え、慣れるまでの最初の数日は苦痛だった。

 そうこぼすフローラに苦笑を返す。

 これから苦痛の日々を体験するだろう身としては、何も言えなかった。


「これが帝都の普通の暮らしなのかと思ったけど、さすがに違うみたいだね」

「そりゃぁ。フローラは、帝都の出身じゃないの?」

「違うよ。あたしはカイクレス伯爵領の領都ゼイブルってとこの出身」

「ごめん。分からないわ」

「まぁ、有名な貴族じゃないからね。今の伯爵は一地方領主で爵位も何もなかったけど、金はあったらしくて金はないけど爵位はある人から爵位を買ったんだって。つまり、成金。場所は南の方、コーラルに近いかな」

「結構、遠いわね。エディオノスにも近い?」

「ううん。オークラインの方が近い。それ以上に独立都市の方が近いけど」


 宝珠国の一つであるコーラルと技術力で七大国一と言われるオークラインに近ければ、商業都市や商業の中継都市として栄えることもある。だが、コーラルに近くても交通の要衝としての実入りは少ないだろう。銀山都市モラリスが近いのだろうが、銀以外の特産はあまりない上、運搬経路は昔から決まっているのでなおさらだ。

 およそ八〇年でどれほど開発されているのか分からないが、南部は異民族との抗争などで最も荒れていた土地だった。

 エルヴィアはそれを思い出して、問いかける。


「私はアヌバルドとの国境に接してる農村の生まれなんだけど、確か、南部って民族が多数いて抗争を繰り返してるって聞いたんだけど」

「んー、ちょっと情報が古いかも。前の皇帝の時、一斉弾圧されたんだよね。皇太子、今の皇帝が巡行した時に襲われたってことで」


 前の皇帝、第三代ルフィド=ゼルディア=サーディエランは聖女帝イヴの一人息子とされている。父である第二代カインより後を継いだのが二六、六八で崩御するまで四二年間、皇帝であり続けた。

 崩御したのが今から十五年前なので、必然、それより数年前になる。

 当代ケネス=フォルディア=サーディエランは、四二歳でようやく皇帝になったということだ。長かった皇太子時代、ずいぶんと好き勝手やっていたらしい。


「襲われて、一斉弾圧」

「今は、独立都市やオークラインに逃げた人達の生き残りしかいないらしいよ。まぁ、怒りが爆発してもしょうがないと思うけどね」

「? どういうこと?」

「今の皇帝、俗称でなんて呼ばれてると思う?」

「何?」


 異称や尊称ではなく俗称、ということは良い意味ではないだろう。そう察したエルヴィアは無意識に眉を寄せた。


「色情帝」


 あからさますぎる名称に、エルヴィアはめまいを感じて後ろ向きに倒れた。

 ふかふかのベッドと布団が衝撃を殺して受け止めてくれたが、めまいは収まらない。

 その様子を見て、フローラはけらけらと笑う。


「驚きだよね。笑い話にされるほどなんだから、よっぽどなんだよ。当事者にとったら笑い話にはならないだろうけど。南部の民族とか、ね」


 つまり、当時皇太子、今皇帝が南部民族にとって触れてはならない存在に触れたか、横暴で身勝手すぎる行動にいい加減キレたか、で起きた事件だと。そして、結果が一斉弾圧による治安の安定、と。

 辺境になれば、皇帝の子供は皇太子くらいしか認識されていない。だが、当代の子供は、皇太子を含めて男子が二一人、女子は十七人、奴隷などが生んだ子(皇族として認められない)を含めると、五十を超すと言われている。

 一斉弾圧の根本要因としては情けないことこの上ないが、現状を考えれば大いに納得できた。

 フローラから今の皇室の状況をきいて、エルヴィアは納得してしまった。


(表向きは、私の孫ってことになってるのになぁ)


 実際はそうじゃないが、系譜を改竄してまで聖女帝の子孫であるとしているのに、だらけた行動ばかりしていては意味がない。


「どしたの?」

「初めて知る情報とか皇室とかに驚愕してて情報の整理が追いつかないの」

「それが一息に言えてる時点で問題ないと思うけど」


 さらっと指摘されて、そうかも、と思いつつ起き上がる。

 ベッドに座って首を傾げているフローラに笑って、内心を押し隠す。

 願ったものを破壊しつくして作り上げられた歪な国と皇室。

 それによって虐げられた南部の民。

 自分が拒み切れていたら、生きていたら、責任を全う出来ていたら…。

 過去は変えられないと分かっても、悔いてしまう。

 現在を生きると決めても、過去の自分が思い描いた『現在』との齟齬に憤りがわき上がる。

 もしも、『イヴ』としての生を、全う出来ていたら…。

 深く重い後悔が、エルヴィアの心にのしかかる。




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