第十九話:傀儡と賢者 Ⅶ
※流血、人死に表現がございます。
ご注意を。
…異様に長いです。
闇市の開始とともに扉には頑丈なかぎがかけられ、筋骨隆々とした警備が三人張り付いた。
それを見て、壁際にいたカルラは笑みを浮かべ、エルヴィアは自然な動きで会場から外に出た。
手洗いなどに行くために三つの扉があり、廊下に出られる。その廊下から外に出る為の扉は一つしかないが。
エルヴィアが出たのは右手の扉。観葉植物のおかげで唯一の出入り口からは見えずらい。
向かったのは奥。
出品する奴隷商人が控える部屋を通り過ぎる。
奴隷が閉じ込められている部屋は、舞台の裏からつながっているため、一番奥にある。
もちろん、厳重な警備が敷かれている。
閉じ込めているのが獣人ということもあり、さらに厳重で人数も多くなっているだろう。エルヴィアにとっては問題ないだろうが。
(…条件が厄介以外の何物でもないのよね)
三十分は様子を見る必要がある。
二年かけて布石を打ち、ギルバートは国内改革の準備を進めてきた。それをエルヴィアの感情と力技で無駄にすることはできない。まして、他国のことだからなおのこと。
時間を待つだけなら、苛立ちはしても厄介と考えることはない。
厄介なのは、騒動をそれほど大きくしてはならない、ということだ。
行政と軍事がこっちに目を向けるほどに大きなものにするわけにはいかない。
アンジェラが双方を潰すとはいえ、さすがに一瞬でたたきつぶせるわけではない。アンジェラから逃げるのを口実にしてこちら側に軍が流れてくるのは、阻止したい。
ラグメダの軍人を恐れているわけでも警戒しているわけでもないが、数が多いと面倒だ。狙撃するリーナとアレンが、だが。
その為、エルヴィアは魔法の使用を止められている。
剣術においてもかなりの強さを有するが、実は魔法による補強(地と水の複合魔法である身体強化)を要所要所で使用していた。ちなみに、魔導騎士はこれが出来るのが最低条件だ。学院では初っ端にならった。属性によっては使用できないが。
この身体強化の魔法ですらが止められたため、エルヴィアは純粋な技量でしかことに当たれない。
止めた理由が納得いくだけに、エルヴィアもため息をつくしかなかった。
(まぁ、確かに魔法に頼り過ぎていたところはあるけど…)
魔法は万能でも完璧でもない。だが、強ければ強いほど万能に近くなるのは事実。
エルヴィアであればなおのことだ。
頼りきるのは危険なことだとエルヴィア自身も分かっていた。
ラウルの治療の際、ケイトに治療を任せたのもそれが理由だ。
だが、護らなくてはならないと思う存在があったから、無意識に魔法を乱用していたことに気付いた。
それは魔法に依存する、魔導師として最悪の状態。そして、フローラ達を見下す行為でもあった。
指摘され、止められて理解したエルヴィアは、思わずこぼれそうになった文句を必死に飲み込んだ。
(カルラ達の場合、魔法を『使ってる』わけじゃないものね)
五人にとって、魔法は自分そのものに近い。魔法体質である者にとって、魔法は自分自身の一部だ。
使うな、ということは死ねというのに等しい。完全に制御できる五人と違って、ゼイルのように無意識に使ってしまう者にとってはなおさら。
だから、けして口には出せない文句だ。
その場にいたリーナは察したのか、肩をすくめていたが。
深いため息をついたエルヴィアは、曲がり角で立ち止まる。曲がれば、一つの大きな扉がある。
鉄製の分厚く頑丈な扉に、六人の見張り。全員が傭兵だ。気配を呼んでそう予測をつけたエルヴィアは袖から隠し持った短剣を抜く。
こういった市場は、武器の一切の持ち込みが禁止されている。魔導師も法具を預けることになっている。カルラにとっては無意味な規則で、エルヴィアはペンダントをフローラに預けている。
暗躍が基本行動のアンジェラの指導によって隠し持っていた武器だ。短剣はカルラの物だ。二本の内の片割れ。
鉄くらいならば刃こぼれすることなく切り裂く。もちろん、使用者の技量が必要だが。
(短剣は、あんまり使ったことはないんだけど…)
エルヴィアが得意とするのは一般的な長剣だ。短剣が扱えないわけではないが、戦場において短剣が有用であることは少なかった。
慣れていないのは事実だが、それを言ったところでどうにもならない。
素手で戦うのは無理だ。体術にも覚えはあるが、打撃力と体格で負ける。
武器があるだけ幸運だったと思うしかない。
柄を握りしめ、瞳を閉じる。
体内時計が示すのは、行動開始まであと十分はあるということだった。
会場に残ったカルラは、困惑気な司会者とはらはらした客達、そして歯ぎしりさえ聞こえそうなほど表情をゆがませた老人に、意地の悪い笑みを浮かべる。
「…二十」
「二十と二」
「…二五」
「三十」
「…四十」
「……百」
競りは金貨一枚から始められた。
出品される奴隷の順番は無作為に決められている。一人目は良質だったようで、最初は白熱した。
だが、徐々に声は少なくなって、最終的に老人とカルラが残った。
表に出せない奴隷と金の動き。ごまかすにも限界がある為、それほど大金をかけることはできない。
通常の奴隷が五人まとめて金貨一枚で買いたたけることを考えれば、十分な大金だが。
(…さて、どう出るよ。変態ジジィ)
カルラが提示した金貨百枚、という金額に会場が静まり返る。
小刻みに吊り上げていた金額を、一気に引き上げる。
老人の上限金額を五十から六十と推測したから一気に引き離そうとした結果だ。
一人目の獣人を見据えて、カルラは瞳を細める。
獣人は、外見は二十代の女性。完全に人と同じ形態である為、種族までは分からない。だが、豊満な肉体を隠すものはなく、全裸の状態で舞台に膝をついている。後ろ手に拘束された腕と目隠し、猿ぐつわ。
足にも拘束具があり、手足のそれは魔力を封じるものだ。
(下衆ども…)
獣人の姿に、男達の興奮した声が上がったのを覚えている。
そういう対象として購入しようという者が大多数だっただろう。そして、残ったのが老人だけ。
視界の端でもごついている老人に、司会者が木槌を鳴らそうと腕を上げる。同時、慌てたように老人の声が上がった。
「ひゃ、百一!」
どもりながらも刻んできた。
それに面倒そうにため息をついたカルラは、沈黙する。
同じように司会者が鳴らそうと木槌をつかんだ時、値を吊り上げる。
「百五十」
さらに引き離された金額に、老人は完全に沈黙した。
間をおいて、甲高い木槌の音が鳴り響く。
カルラが女性の獣人を金貨百五十枚で落札したことを知らせるものだった。
同時、カルラは笑みを浮かべる。
(予想より長引いたな。でも…ちょうど良い)
落札された獣人を舞台から下げようとした時、会場の外と奥で計画は始まった。
※※※
行政区の一角に忍び込んだアンジェラは、あちこちを歩きながら奥まった部屋の前に立っていた。
気配を消して、力を使って見張りに見とがめられないようにして。
見張りである二人の兵士は目の前にいるアンジェラに気付かない。
部屋の中では極秘会議が行われている。その内容までは聞こえないが、アンジェラが用があるのは会議の内容ではなく、話している行政の重鎮達だ。
微動だにしなかったアンジェラの唇が、ゆっくりと動き出す。
声に出すことなく、紡がれるのは秒読み。
ゼロ、と音もなく呟いた唇が愉悦の笑みを浮かべた瞬間、幻覚は消えて兵士達が驚愕に瞳を見開く。
慌てて剣を抜こうとするが、それよりも早く、アンジェラの両手がひらめいた。
両手に握られた不可思議な形状のナイフが、兵士の頸動脈を寸分たがわず切断した。
血しぶきをあげて倒れる兵士達。その音に室内の重鎮達も気付いたのだろう。話をやめて、扉を注視する。
数秒の間をおいて扉が瞬時に灰となった。
「こんばんわ」
軽やかなあいさつとともに足を踏み入れたアンジェラは素のままの姿だ。偽る必要はなかった。
見た目だけは年端もいかない少女に、重鎮(中年から老年の男性)達は戸惑いもあらわに固まった。
その様子を嘲って、アンジェラは一歩を進み出ながらおもむろに口を開いた。
「…そして、さようなら」
次の瞬間、手前の老人は心臓を正面から貫かれた。
即死だ。老人は自分が死んだことすら理解しないまま、床に転がった。
わずかな反応も抵抗も許さない速さと的確さに、重鎮の内数人が剣を抜く。
重鎮の中では若い部類に入る彼らは、軍事に携わっていたらしい。そして、一人が詠唱をはじめた。
それぞれの専門分野から代表者がきていたのだろう。
だが、誰も自身の力を発揮することはできなかった。
詠唱を始めた魔導師を真っ先に切り裂いて、剣を抜いた数人に向き合う。
その姿を見て、アンジェラはつまらないと言わんばかりにため息をつく。
(さっさと終わらせよう…)
決めた後は早かった。そして、地獄だった。
全員を一撃で仕留めたが、その一撃による出血が膨大で、アンジェラは多くの返り血を浴びていた。出て行った部屋には、まさに血の海という状態が広がっていた。
アンジェラが会議室を後にしたのとほぼ同時に、行政区の各地で爆発が起こった。
仕込んでいた罠用の魔法陣が起動したのだ。あちこち歩き回っていたのはこれが目的だった。
爆発によって起きだした幹部達を葬る為に、アンジェラは次の場所に向かう。
血の足跡を残しながら、笑みを浮かべて歩む様はこの世の存在とは思えなかった。
※※※
一人目の獣人がカルラによって落札される少し前、エルヴィアは見張りに奇襲をかけた。
魔法の使用を止められた(法具がないのでどっちにしろ使えない)状態では、正々堂々な戦いは出来ない。奇襲は戦略の一つなので、欠片も躊躇わなかったが。
六対一とはいえ、奇襲攻撃と技量によってたたき伏せるのにさほど時間はかからなかった。
何とか、とため息をついて扉に向かって腕を一閃する。
数瞬の間をおいて、鍵ごと両断された扉が倒れる。重い音を立てて倒れたが、防音設備が整っているのか、会場の方からは騒ぎは聞こえない。
だが、室内にいた見張りはそうじゃない。
驚愕に瞳を見開きながらも行動は素早かった。
剣を抜いて斬りかかるが、数日とはいえカルラから手ほどきを(仕事の片手間に)受けていたエルヴィアの返しによって腕を斬り裂かれて剣を落とす。
続けざまに繰り出した一撃で沈め、息つく間もなく残った二人(室内は三人いた)に向かって斬り伏せる。
ふっと小さな安堵の息をつき、ようやく余裕をもって室内を見渡したエルヴィアは眉をひそめた。
聴覚と嗅覚に優れた獣人達は警戒を露わにして固まっている。その姿は、舞台に立たされた女性獣人と同じように衣類を身にまとわず、目隠しとさるぐつわをされて拘束されている。
それに怒りを覚えるが何とか抑えて、特定の人物を探して視線を巡らせる。
警戒をあらわにする中で、一人だけ顔を上げ、衣類をまとっている獣人がいた。さるぐつわをされているのに、その口元が笑みを浮かべているように見えた。
服というには粗末な、大きな布を巻きつけただけのような姿だが、他より扱いは良いらしい。
瞳と口元を隠されながら、誰であるか理解したエルヴィアは怒りを忘れて泣きそうになる。
ゆっくりと歩みより、そっと目隠しの布をとる。
現れた金色の瞳を見て、エルヴィアは何とか涙をこらえてさるぐつわを解く。
「…お会いできて嬉しいです。姉上」
かつてとは容姿も違うのに、看破したその瞳に全く似ていない青年がかぶった。
彼も、こんな風に柔らかな眼差しを向けてくれた。
思わず過去に浸りそうになりながら、そんな暇はなかったと思いだし、手足の鎖を斬る。
魔力を封じる拘束具を外すには魔法を使うしかないので、ひとまず自由を確保するために鎖だけ。
「色々とお話がしたいですが、まずは皆を助けるのが先ですね」
話が早い。
相変わらずの聡明さと即決具合にわずかに苦笑を洩らして、エルヴィアは頷く。それに人物―――外見だけなら二十代前半の女性、金の瞳をもつ獣人族の王女エレミェーイはにっこりと笑う。
エレミェーイが眼隠しやさるぐつわを外し、エルヴィアは鎖を斬っていく。
王女の存在に獣人達が驚愕するかと思いきや、王族は気配が独特な為に気付いていたらしく、自由になると即座に臣下の礼をとった。それに慌ててエレミェーイは服を着るよう(引き渡す際に着せる簡素な服―――というか布が隅に積まれていた)に促す。
傅かれている様子を、最後の一人を自由にしていたエルヴィアは視界の端におさめて人数を数える。
(確か、捕まっていたのは十一人のはず…)
だが、ここには九人しかいない。表に出ているのを合わせても十人だ。
「姉上」
「ん? 何?」
眉をよせて考え込んでいたエルヴィアを、獣人達を従えた(勝手に従った)エレミェーイが呼び戻す。
瞬間、獣人達の視線がわずかに剣呑になった。だが、助けてもらったためか戸惑っているようにも感じられた。
「あちらに、もう一人いるのです。姉上の剣は鉄を簡単に両断する様子ですので…」
示されたのは、頑丈に施錠された分厚い鉄の扉。
弱っている上に魔力を封じられている獣人達には、壊せないのだろう。
借り受けた短剣は確かに鉄を簡単に両断する。
数が合っていることに納得したのと了解したのと、両方の意味で頷いて扉を一閃。
その実、十数回と斬りつけているのだが。
甲高く耳障りな音が響き、わずかにほこりが舞う。その先で、見た光景にエルヴィアは固まった。
獣人達は怨嗟の唸りを上げ、エレミェーイは小さな悲鳴をあげながらも駆け寄る。
音に気付いたのだろう、男がカルラに落札された獣人を突きとばすようにして入って来た。獣人を舞台に上げる役目にある男だ。
「なっ! お前っ…!?」
ありえない状況、あってはならない事態、見知らぬ侵入者。
今だかつてなかったであろう事態に、うろたえながら警備を呼んでも誰も来ない。近場にいたのはエルヴィアが全て斬り伏せている。
その状況に半ば恐慌状態に陥りながら、踵を返そうとした男の襟首をひっつかんで床にたたきつける。
息に詰まったように苦しげなうめき声を上げる男の腹を踏みつけて、エルヴィアは憎悪と憤怒を必死に抑えながら口を開いた。
愚か者達を外へと追い出す為に。
『 火炎 』
ただ純粋に炎を出すだけの魔法。しかも、法具がない上に詠唱破棄されているため、半ば暴走状態で顕現した。
内包された憎悪や憤怒が魔法の発露を後押しした。
ジャネットがしたような暴発だ。意図して出来るものではないが、エルヴィアはそれを行った。
どこに、誰に被害が出ようが知ったことではない。
カルラもエレミェーイも獣人も、この程度で瀕するほど弱くはない。
何にも気を使うことなく、感情のままに暴走する力をエルヴィアは止めようとは思わなかった。
鉄の扉の向こう側。
そこには、有翼の少女がいた。
一糸まとわぬ姿、翼を鉄の杭で壁に磔にされた状態で。
当然、有翼の獣人にとって翼は自身の命に等しい。それを貫かれて磔にされ、けして短くはない時間が経っていたのだろう。
その上、両手も錆びた鉄釘で壁に磔られ、全身に拷問したような鞭の痕が刻まれている。足も直に釘で磔にされている。おそらく、拘束具が足りなかったのだろう。
少女はすでに虫の息だ。何とか息はあるが、これでは商品にならない。
おそらく、奴隷商は手放す気はなかったのだろう。売れ残り、として手元に置いて存分に遊ぶつもりだったに違いない。そうでなければ、あそこまで痛めつけはしないだろう。
間に合ってよかった、と思った。
もっと早くに来ればよかった、と思った。
エルヴィアの中で二つの想いがせめぎ合い、発露した炎が会場の裏側と舞台を一瞬にして飲み込んだ。
唐突に上がった炎に、カルラはエルヴィアの心情を悟る。
(ここまでの憎悪、大戦時でも感じたことねぇぞ…)
かつては獣人側にも正義が存在することを知っていたから、憎悪を抱くことがなかったのだと知っている。だが、大戦時の状況はかなり悲惨だった。
今の方が生易しいくらいの状況だろう。
そう思うカルラだが、有翼の少女の姿を目にしていれば、彼女も同じように憎悪をあらわにしただろう。
優しさなどではなく、素晴らしい嗜好に対して。
大きな炎に驚いた客達は驚愕し、その炎が舞台にいた司会者を瞬時に灰にしたのを見て我先にと逃げ出した。
(ま、終わり良ければ全て良しってな。どうせ、こんな建物、さっさと壊しただろうし)
全てを灰にしてしまえば解体作業いらずで楽だろう、とそんな場合ではないのにのんきに思いつつカルラは奥へと向かう。
炎が眼前に迫っても慌てることなくさらに進む。
布を体に巻いた獣人達が警戒をあらわにするが、それらに構うことなくカルラはエルヴィアを見る。
エルヴィアの足元に人であったらしい物体を見て、小さく嘲笑を浮かべる。
有翼の少女を抱えているエレミェーイは瞳を見開いた。視線の先にいるカルラに、見覚えがあったからだ。
カルラとエレミェーイは面識がない。だが、エレミェーイは『イヴ』と会う際に一度だけカルラを見たことがあった。カルラの方は知らないだろうが。
その頃から変わらない容貌のカルラに驚愕と困惑を浮かべる。視線に気付きながらカルラはエルヴィアに近づく。
「随分派手にしたな」
「…ごめん」
「責めてねぇよ。それより、とっとと行くぞ。獣人は火に弱いだろう。特に…」
言葉を斬って視線を向けた先には、足や腕、こめかみに鱗のような模様がある女性獣人が二人。
鱗のような模様は、水棲の獣人であることを示している。
水棲であるため、必然的に炎は苦手だ。他の獣人にしても、獣が火を恐れるのと同じで得意とする者はいない。例外として、狼や虎の中に炎をまとう一族がいるくらいだ。王族である獅子は別格だが。
「有翼や水棲の者は走るのが苦手だろう、体力のある者は手を貸せ。ここを出るぞ」
樹上で生活する有翼、基本生活は陸上だが運動においては並以下でしかない水棲。
それを獣人達は理解しているから彼女らに手を貸すのに抵抗はない。仲間なのだから当然だ。
だが、突然現れた少女らしき存在(外見は少女だが内実が違うことは見抜いている)に命令されるのは不満だ。人間によって酷い目に合っていたのだからなおのこと。
気配を尖らせていく獣人達に対し、エレミェーイはエルヴィアを見る。エルヴィアが頷くのに応じて、エレミェーイが口を開いた。
「今は脱出するのが先です。彼女のことはともかく、助けてくれた方を信じて行きましょう」
カルラではなくエルヴィアを信じろ、と。
ある意味カルラに対して失礼な言い分だが、獣人達はそれならと素直に応じられた。
人間に対して警戒や不信が強いのは必然だが、基本的に獣人は義に厚く恩に報いる性質だ。
その様子に呆れたように肩をすくめたカルラは、焼け落ちて穴のあいた壁に回し蹴りを入れる。
もろくなっていた壁が崩れて穴が大きくなる。そこから当然のように外に出るカルラの後にエルヴィア、エレミェーイと続いて獣人達が外に出る。
炎が上がったことと客が飛び出した騒動で警備隊が駆けつけてきたのだろう。彼らはカルラやエルヴィア達を見て驚愕し、獣人を見て嫌悪と侮蔑をあからさまにする。
獣人がいるということで全員を敵と判断したのか、槍や剣を構える警備隊員。
だが、それが振るわれることはなかった。
いつの間にかカルラの手に握られていた短剣。エルヴィアに貸したそれと対になる一振り。
警備隊が動くよりも早く、短剣が音もなくふるわれる。
うめき声を上げる間もなく倒れる隊員達。息の合った動きで駆逐していくカルラとエルヴィア。
その様子にわずかな戸惑いを見せる獣人達はエレミェーイに促されて、二人に続く。
エルヴィア達が目指すのは東。
オークラインの騎士団、そしてギルバートが滞在する砦だ。
たどり着けば、そこからはオークラインの仕事になる。
アンジェラ達の帰還を待って、ケイトの魔法でそのままホルグスに向かう。
仕事を終えてこっちに向かっているケイトと合流するまでは、自身の足で駆ける必要があるが。
※※※
巨大な火柱が上がる会場から転げるようにして逃げ出してきた男達を目にして、アレンが鉄球を構える。
さすがに、リーナのように複数をばらまいて弾きとばすことはできない。
バチッと小さな稲光が発生し、鉄球を打ち出す。
雷をまとった鉄球は真っ直ぐに飛んで、待っていた従者に怒鳴り散らす男の頭蓋を打ち抜いた。
それを視認したリーナが頷くことで命中したことを知ったアレンとフローラは、ぐっと息をのむ。
人の命を奪うことに対して、葛藤も躊躇も消えはしない。
それでも背負う覚悟はとうに出来ている。だから、アレンは次の鉄球を構える。
アレンは風の魔法が使えない。遠くを見るための視覚強化は出来ないが、リーナからあらかじめ打ち込む場所と順番と時間を指示されていた。リーナの『瞳』によるものだ。
(…ここが適任、と言われた理由が分かったな)
属性的に攻撃に著しく偏っているため、エルヴィア達かアンジェラと行動を共にする可能性がある、と思っていたアレンに対してリーナが無感情に告げた言葉だ。
自分のそばが最適だと。
接敵する場面で躊躇や葛藤を抱いていれば、命取りになる。
アレンの若さでは当然のことでも、戦場はそれを考慮しない。
突きつけてしまえば、相手の命を左右することには慣れが必要なのだ。感じないというのではなく、受け止めるという意味で。
慣れるには経験が圧倒的に足りない。それはエルヴィアにも一因があるけれど。
それらを考慮して、リーナはアレンを自分の指揮下に置いた。
わずかに差し出された慈悲なのだと、今気付いたアレンは視線だけで感謝を述べる。それに肩をすくめるだけで無表情のままのリーナは、眉を寄せているフローラを見下ろす。
(風は苦手だと言ってたけど、なかなかだね)
フローラの魔法で自分達の姿と射出場所を隠している。
もっと荒っぽくなるかと思っていたリーナだが、存外にフローラの魔法は穏やかだった。
実際、フローラは制御が苦手であまり風属性の魔法は得意ではない。だが、アンジェラに突きつけられたことで一気にあり方が変わった。
まだ不慣れで苦手ではあるのだろう。多少余裕がなさそうな様子に、まぁ仕方ない、と思って瞳に白い炎をともす。
アレンに与えた指示と寸分違わないことを確認して、炎が消える。
同時、フローラが息をのんで結界が揺らぐ。
届きはしなかったものの、攻撃が向けられたのだ。
リーナのように数十発を一気に放てば、一瞬で片がついただろう。片がつかなくとも、数発で居場所の検討をつけられることはない。
「動揺しない」
ピシャリと言い放ち、結界が確かになったのを確認して口を開く。
「見当がつけられても、相手の射程に入らない限りは問題ないよ。近づいてくる前に撃ち抜けばいいだけだしね」
つまり、アレンに努力しろ、と。
言外にそう告げているリーナに、息をのんで手のひらに鉄球を複数握りこむ。
一呼吸置いて、鉄球を放つ。雷をまとって一気に飛ぶそれらは、半数が目標から外れた。半数は当たったが致命傷に至らない。
まだ複数の精密射撃は無理なようだが、再び同じように複数を放つ。
それを何度か繰り返せば、確実に命中するようになっていった。
(慣れるのが早い。それに学習能力が高いね…)
呑み込みの速さに少し驚きながら、リーナは視界の端でフローラの動きを意識する。
何かに集中していたフローラは、ふいに結界を解いて新しい魔法陣を構築する。それがなんであるかを理解して、リーナは珍しく口元に笑みを浮かべた。
(視覚補正が出来る隠密結界、か。結構難易度高いんだけどね)
正確に築かれた結界に、すでに苦手を克服している、と感心する。
事前のリーナの指示だけでなく自分の視界で確認できることで、さらに精度が増す。
二度三度と繰り返すうちに、アレンは一球も外さないようになっていた。
(…ツァリアにはいくら教えてもダメだったんだけどね。性格的な問題かな?)
同じ雷属性である人物に教えた時のことを思い出して、ちょっと遠い目をする。
何気にのんきで気楽なリーナが回想から戻る頃には、アレンは息を乱していた。
すでに逃げ惑っていた客達は地面に倒れている。従者達は我先にと散り散りになって逃げ出している。
標的は客だったので、従者達は見逃す。
役目は終えたので、合図として一筋の雷を空に放つ。
運良く曇天だったため、それが人為的な発生だと思う者はいなかった。
※※※
曇天に輝く金の閃光を見ながら、アンジェラは短剣についた血を振り払う。
アンジェラもちょうど終わったところだった。
始末すべき者は全て血の海に沈んでいる。それを無感情な瞳で見下ろして、背を向ける。
異変に駆けつけてきた警備兵達を切り捨て、悠然と回廊を歩む。
窓から出て疾走すれば逃げおおせられるが、アンジェラはわざと兵達の気配がする方へと向かっていた。
これは計画の中にはなかったが、アンジェラには一つの目的があった。
その為に歩みを進める先に、小柄な影が立ちはだかった。
小柄と言っても子供ではない。成人男性より小柄というだけで、三十前後だろう。
刈り上げた髪と浅黒い肌が、いかにも武人という雰囲気を出していた。
軍人よりも傭兵に近い空気感を持っている。一目で玄人だと分かるほどに鋭い気迫。
「…一手、お相手願おう」
「誰?」
「ラグメダ行政区警備隊隊長ハーヴェイ=ヘレミアス」
「隊長が、暗殺者に対してそんなに正々堂々としていていいの?」
「職責において、排除させていただく。だが、腕を試したいと思うのは武人ならば当然」
「…腕試し、で済むと思うのか?」
「貴殿の方が強者であることは理解している。その上で手合わせを願っている。その結果が死であるならそれはオレの力が足りなかっただけのこと」
「なるほど…」
手合わせであろうが、戦闘であろうが、負けたなら死があると理解している上で剣を抜くハーヴェイにアンジェラは笑みを浮かべた。
「良いだろう。来い」
上からの発言に反応を返すことなく、ハーヴェイは躊躇なく踏み込んだ。
暗闇に銀色の線を描く斬撃は荒く、形式ばった剣術ではなく実戦で養われた我流であると知れた。
(良い腕だ。傭兵としてやっていれば二つ名を与えられるにいたっただろうに…)
ラグメダのような腐敗都市に仕えるには惜しいと思える腕だった。
だが、アンジェラは紙一重で見切り、反撃をしない。ただ回避するだけ。
ハーヴェイはアンジェラとの実力差を痛感して歯噛みする。あまりの差に、真面目にやれ、という文句すら言えなかった。
(実直で誠実、人の尊厳を知るが少々愚直か…。だが、消すには惜しい。軍事には必要か…)
攻撃を避けながら、ハーヴェイを分析する。
その結果、口元に浮かべた笑みを深くしたアンジェラは一歩踏み込んで、ハーヴェイの懐に入り込む。
繰り出したのは短剣ではなく、拳。
至近距離から渾身の力で打ちこまれた拳に、ハーヴェイはわずかに呼吸を忘れた。
胃の内容物を吐き出さんばかりにせき込んでうずくまったハーヴェイを見下ろして、アンジェラは拳を開いて握る。
「あんたは見逃してやるよ」
「…ッ情けは、不要…」
「情けじゃない。これから、ラグメダは荒れる」
これだけのことが起こっているのだからそれは当然、と言いたげなハーヴェイの視線にアンジェラは何も返さない。相変わらず冷徹に見下ろすだけ。
「今回の事件じゃない。荒れるのは、新しい代表がついた後だ」
「…何故」
「すぐにわかる。荒れるここを保たせろ。次の領主がやってくるまで」
代表ではなく、領主。
その言葉が意味するところを察して、ハーヴェイは頬を引きつらせる。
「これだけのことをやって、独立させておくほど両国の国主は甘くない。だが、民に罪がないのは理解してるんだ。だから、ラグメダを思うのなら支えて見せろ。ハーヴェイ=ヘレミアス」
言いたいことだけ言って、アンジェラはそのまま歩き去っていく。
それを何もできずに見送って、ハーヴェイは混乱する頭を押さえてうなだれる。
武勇の差は諦めがつくほどに遠いから良いとして、言われた言葉が理解できなかった。
生かされた理由すら。
そう間をおかず、ハーヴェイはアンジェラの言葉を理解する。
確かに甘くない、と深い納得をして。
※※※
国境を超えて来た一団を見て、ラウルはほっと息をつく。だが、これからが大変なのだ。
戦闘に参加しなかった分、これ以降はラウルに最も負担がかかる。
後ろに控えたジュリアのそばに、さっきまでいたキルトの姿はない。
アルヴィスは薬の瓶を並べて準備に入っている。
「無事で何よりです、エル」
「うん」
先頭にいたエルヴィアに笑みを浮かべ、ラウルはその後ろにいるエレミェーイに瞳を見開く。
初めて見る金の瞳に、驚きを隠せなかった。
固まっていたのは束の間、我に返ったラウルは一礼した。
「お初にお目にかかります。獣人王女エレミェーイ・サーリャ=ジネヴラ殿下」
人間であるラウルが純然たる敬意を表したことにエレミェーイ含め、獣人達が驚愕する。
その空気に気付きながら、ラウルは自分がここに配置された意味を果たそうとエレミェーイの腕をとる。
『 治癒 』
さほど深くなく、ふさがっているが傷口がひきつれて痕が残ったであろうそれを綺麗に治す。
「みなさん、治療します。座ってください」
穏やかながら有無を言わせない力を込めた言葉。
エレミェーイは自身の腕を見て、ラウルの瞳を見すえる。
そこに悪意も嫌悪もないこと、何より怪我人を案じる気持ちにあふれていることを知る。
治療が必要なのは事実なので、エレミェーイはひとまず信じることにする。
警戒もあらわに近づけば下がる獣人達には、一定の距離から治癒をかける。
商品価値を下げないためかあまり虐待されていなかったらしく、傷は多くなかった。
打撲などの軽いものはジュリアが薬を塗って包帯を巻いていく。ジュリアに対しては、その瞳にわずかな嫌悪を見せながらも同族であるからか獣人達は触れるのを許容した。
横たえられた有翼の少女を見て、ラウルは息をのんだ。慌てて治癒より上位の魔法『快癒』をかける。
だが、傷が深く多いためか効きがいまいちだ。
性格的に治癒や防御魔法が合っているとはいえ、上級のものはまだ使えない。
『快癒』が使える最上位の魔法である為、それ以上何もできないことで焦りが生まれる。
ジュリアもその様子を見て自身に使える最上位の治癒魔法をかける。だが、それでも結果はさほど変わらない。
「…もう枯渇寸前か…」
悔しげに、半ば諦めたようなジュリアの声に、ラウルは少女の状態を知る。
治癒魔法は、負傷者の自己治癒力と生命力を基礎として回復を助けているだけにすぎない。
魔力が強く、魔法が高位の物であるほど補助する力は強く回復は早い。だが、生命力が突きかかっていたり負傷者に生きる気がなかった場合、どれほど有能な魔導師が治癒を施したとしてもさほど回復しない。命を取り留めることは珍しい。
長年の経験でそれを悟ったジュリアが、手を引こうとした。だが、その手は背後からの声に押しとどめられた。
「続けて下さい、ジュリア様」
動きやすい服に身を包んだギルバートが、真剣な表情で立っていた。
ゆっくりと少女の顔の横に膝をつく。
「もう少し、頑張ってください。必ず故郷に帰れますから。貴方方をこんな目にあわせた者達は、責任をもって処罰します。ですから…」
純然たる憎悪を宿した少女の瞳をまっすぐに見つめて、ギルバートははっきりと力強く言い切る。
「生きて下さい」
懇願するような強い言葉に、少女の瞳がわずかに見開かれる。
「そこ、どき」
新たに聞こえた声に、ジュリアは肩の力を抜いてラウルは驚いて顔を上げた。
無表情に歩み寄ってくるケイトを見て、ギルバートは一礼する。
その背後に、騎士の正装に身を包んだキルトと騎乗したイリス、オークラインの騎士達がいた。
「キルトさん、お願いします」
「仕事だからな」
「従姉上」
「ご安心を、陛下。必ず無事に戻ってまいります」
イリスに頷いて、ギルバートは騎乗した騎士達を見上げて。
一言を紡ぐ。
「武運を」
幼い王の心からの祈りを聞いて、自然に騎士達の背筋が伸びる。
イリスの号令で騎士達は不敬ながら騎乗したままギルバートに敬礼をして、駆けて行く。
ラグメダに向かって。
それを見送り、視線を向けた先でケイトは無感情に有翼の少女を見下ろしていた。
「望みは?」
その問いは少女に向けたものではない。ギルバートに向けられたものだ。
「救ってください」
「その結果、恨まれ刃を向けられたとしても?」
「僕には彼女達に償う義務があります。その為にも、生きてほしいんです」
「自己満足やな」
「人が人である限り、成すことはすべて自己満足であると思っています」
「……ええ答えや」
ふっと小さな笑みを浮かべたケイトは、有翼の少女の額に触れる。
困惑と憎悪を宿した視線を向けられて、ケイトはおもむろに口を開く。
「元気になってから、好きなだけ文句を言えばええ」
言うと同時、額に触れる左手の甲に魔法陣が現れる。
魔法陣から発せられる光が、少女の全身を包み込む。
数秒後、光がはじけるように消える。
光の残滓が消える頃には少女の体には傷一つなかった。穴が開いていた翼も最初から傷がないかのように元通りになっていた。
「これで全員の治療は終わったやろ。さっさと準備しぃ。…キルト、ホルグスに入るまで気ぃ抜くんやないで」
「もちろん」
いつの間にか姿を消していたアルヴィスが、一台の大型輸送馬車と武装した男達を連れてやって来た。
交易物資の輸送を装って獣人達をホルグスに連れて行くのだ。その御者と警護を、アルヴィスと男達が担うのだろう。国家間の物資という名目なら、オークライン側から監査を受けることはない。しかも、最高責任者がホルグスの魔導騎士団長なら誰もがしり込みする。
キルトがいる意味がこの時、ようやくラウルにも分かった。
暗部である以上、アルヴィスがその立場を公にすることはできないからだろう。
納得したように頷くラウルに、若干の呆れを含ませた視線をエルヴィアは向ける。
そうこうしている内に、リーナとフローラ達が合流し、最後にアンジェラが合流する。
全員がそろって、エルヴィア達は即座にその場を後にする。これから怒涛の忙しさが待っているはずなのに、にこにこ笑顔のギルバートに見送られて。
アンジェラの、返り血を大量に浴びた姿を目にした全員(ケイト以外)がドン引きしたのは余談である。
混乱極まるラグメダを治めたのは、代表となるジョルディ=カルラス。
その傍らに控え、軍事を統括することになるのはハーヴェイ=ヘレミアス。
この動乱に介入したのは、オークライン国境警備騎士団第五師団の騎士を率いた、後の魔導師団団長イリス=セナ=アドリア。
街中の虐殺、中枢部の粛清、闇市の摘発、逃走した奴隷と虐殺被害者の従者がオークラインの国境を侵犯、治安保全のための出撃。
虐殺と粛清が誰によるものかはついに分からなかったが、オークライン側に介入する権利を与えてしまったことにジョルディを含めた一部は歯噛みした。
ラグメダの腐敗と動乱により、オークラインの国境都市が打撃を受けた可能性が高かったのは事実である。オークラインに近い場所で起こったことだから、オークラインの介入を受けることになったが、生き残った行政の人間は安堵の息をついた。
下手すればコーラルが介入してきた可能背があるのだ。
狂公よりも傀儡の方が与しやすい。ましてや、オークラインの宰相はラグメダ上層部と癒着している。
粛清対象にならなかったが一歩間違えばその対象になっていた男達は、のんきに構えていた。
それが間違いであると知るのは、それから十日後、オークラインで御前会議が開かれた翌日のことだった。
その混乱の中、大型輸送馬車がホルグスへの国境を越えたことに気を止める者は誰もいなかった。
次は傀儡側の話です。




