第一話:『現在』への旅立ち
再び闇に包まれて目覚めた後、痛みを伴う寒さを感じた。
戸惑いながら、ただひたすら助けを求めて泣き叫んだ。そこで、自分が赤ん坊であることを悟った。
今生の親が誰なのか分からない。そんな頃に、凍てつく寒さの中放置された。
そのことに、仕方がない、と諦めることは簡単だった。
持っている記憶は、それが当たり前の時代の物だったから。
生きるため、親が子供を捨てるのは当然の時代だったから。
生まれた理由が分からないまま、意味の分からない戸惑いのまま、年月は過ぎて。
再び生きる大地が、懐かしいものであることに安堵して。
けれど、すぐにおかしいことに気付いて。
再び生まれたこの世界が、あまりにも歪んでいることを、理解してしまった。
そのことを、誰にも言わない、言えないまま時間は過ぎていく…。
※※※
アヌバルド王国との国境に接する辺境の村ヴォダラ。
特別な物はなく、どこにでもあるような貧しい農村。
サヴェラス帝国の北東に位置するヴォダラは、まだ深い雪が大地を覆っていた。
三月の中旬、春になっても雪が降り続く日々が続いている。
長く続く冬のせいで土地の実りは薄く、その日を生きるのが精いっぱいだった。
関所を持つ交易都市ならば国家からの助成で魔法の恩恵があるが、ヴォダラにそんな物はない。
ほんの十年ほど前までは。
「ひめさま。おかあさんが、ふぶきになるからはやくかえってきてください、だって」
五人の小さな子供達に囲まれて、分厚い外套をまとった少女が小さく苦笑する。
子供達はもこもことした格好で、ポテポテと歩いている。
「分かった。だから、貴方達は帰りなさい。寒いでしょう? それと、姫様、はやめて」
「いや。さむいけどひめさまといっしょがいい」
「ひめさまはひめさま。おかあさんがいってたよ。ひめさまがいたから、いーらがげんきにうまれてかけっこができるんだよ、て」
全員に首を振られて、少女はあっさり諦める。
何度となく繰り返した問答だ。子供達だけではなく、大人達とも。
頑固な老人達ですら、姫様、と呼ぶのだからどうしようもないのだろう。
吐息は白く気温は氷点下だというのに、子供達は少女の外套の裾をつかんで帰ろうとしない。
五歳前後の子供達は働き手としては小さすぎるため、大人達も好きにさせている。
ついて来る子供達に合わせて、少女はゆったりと歩く。歩幅もいつもの半分ぐらいに保つ。
「ね、ひめさま」
「何?」
「さっき、なにしてたの?」
「ん?」
「ひがしのみずうみになにかいれたよね?このくらいのきれいないし」
「ああ。あれは石じゃなくて水晶」
「すいしょう?」
「魔導師の人が魔法を使う時に必要な宝石」
「がらすみたいだったよ?」
「ちょっと違うんだよ…」
違いが分からない子供が首を傾げる。
このくらい、と示したのは少女の手でつかめるくらいの大きさ。
少女は、微笑んで灰色の空を見上げる。
雪が降り注ぐ空に、少女は遠い過去を思い浮かべる。
(始まりも、こんな天気の日だった……)
かつての始まり。
今の人達が知るようなものではない。
それよりもよっぽど、最低で最悪で劣悪な始まり。
少女の意識が過去から戻り、現在を見すえる。
視線の先には白く染まる森。この土地では貴重な資源だ。
外部から薪や木材を買うには高くて無理で、この森でそれを補っている。
毎年決まった数の苗を植樹して、大切に大切に守られてきた。ヴォダラの生命線。
ゆっくりと、そう深くもなく迷うこともない森の中心へと向かい、少し開けた空間で立ち止まる。
「少し、やる事があるから、離れてて」
「「「「「はーい」」」」」
元気に返事して、二メートル離れた所にちょこんと座って興味津々に子供達が眺めている。
外套の内側から、子供が言っていた水晶を取り出す。
法具に使われるような高価な物ではない。
農民が小金を集めれば買える程度の、最下級の物だ。
地面に二十センチほどの深さの穴を掘り、両手で包むように持った水晶に息を吹きかける。
『 顕現せよ 』
言葉とともに、水晶が淡い光を放つ。
『 顕現せよ 』
繰り返された同じ言葉。光が、少し強くなる。
『 顕現せよ 』
三度目の言葉。暗かった周囲を照らしだすほどに、光が強くなる。
『 我が求めるは破邪の聖壁 』
言葉とともに、水晶が鼓動するように明滅する。
『 母なる大地に我は願う。愛しき命を守り導きたまえ 』
願いを受けた水晶が、了承したように光が一度明滅し、消える。
『 神聖守護結界 』
言霊の詠唱が完了し、一瞬、水晶が極光を放つ。
それは刹那のまた刹那。
子供達では視認できないほどの間。
魔導師でも、視認できるのは片手でも余る程の数だろう。
それほどまでに、繊細で緻密な魔力制御。絶大な魔法の技量。
水晶の発光とともに輝いていた胸もとのペンダント。それをひとなでして、少女は穴の底に水晶を置く。
土をかぶせて小さな山の形に整えると、大きめの石を中央に置く。
立ち上がって子供達を呼ぶ。
駆け寄ってくる子供達に微笑む。
「なにしてたの? ひめさま」
「明日になれば分かるよ」
明日、の意味を知っているからか子供達の表情が曇る。
一般的な意味ではなく、子供達、いや、ヴォダラに住む人々にとって重要な意味を持つ言葉。
帰る為に歩きだす少女と共に、子供達はゆっくりと歩く。
少女と過ごす、わずかな時間をかみしめるように。
お別れの時を、少しでも遅くしたいと言う願いをこめて。
※※※
農村にある教会の前に捨てられていた赤子。
愛らしい顔立ちの女の子。
貧しくとも小さな命をむげにはできない、と村人達は協力して赤子を育てた。
老齢の神父は、赤子に様々なことを教えた。
文字を。簡単な算術を。農業を。物作りを。
そう長くはない自分がいなくなっても、一人で生きていけるように、と。
神父は聖職者だったが、魔導師ではなかったから魔法は教えられなかった。
そもそも、魔導師は絶対数が少ない。こんな辺境の農村にはまずない。
赤子が五歳になった年の秋。
収穫が終わり、早く訪れ長く続く冬のため、準備に入ろうとした時だ。
アヌバルドとの国境である山脈から、この時を狙って山賊がやって来た。
過去に何度もあったことだ。
国府に訴えてもどうにもならないと誰もが諦めて、素直にいくらかの物を差し出そうとした。過去も、そうやって乗り切った。
それゆえに飢えて苦しんでも、命があるのだから、と耐えていた。
この時は違った。
山賊達は物だけでなく、年頃の若い娘達まで奪おうとした。
婚礼を間近に控えた者。結婚したばかりの者。美しければ子供を持つ母親でさえも。
それだけは勘弁してくれと懇願する村長や神父、男達を嘲笑い、連れ去ろうとした男達を止める者はいなかった。
五歳になったばかりの少女を除いて。
乱暴狼藉を働く山賊に、少女は紅葉のような手の平を向けて、舌足らずな声で紡いだ。
『 けんげんせよ。われがもとめるはがいあくをうちほろぼすいちじょうのや。てんにまういかずちにわれはねがう。そんげんあるいのちをさばきたまえ。らいでんこうし 』
神父以外、少女の言葉の内容を理解できた者はいなかった。
だが、神父が理解するよりも早く、小さな手の平から生まれた雷撃が、山賊の頭領の右腕を消し飛ばした。
「つぎはあたまをねらう」
警告を発して再び詠唱を始める少女に、頭領は怯んだ。
痛みに絶叫するよりも、目の前の不可解な存在への恐怖が勝ったのだ。
捕らえていた女達を放り出し、山賊達は逃げるように山へと駆けて行った。
それを見届けて、少女は詠唱を破棄する。抵抗して頬を切った女性に近寄り、傷口に手のひらを向ける。
思わず後ずさろうとする女性に悲しそうに眉を寄せながらも、詠唱を始める。
『 けんげんせよ。われがもとめるはじひぶかきははなるひかり。せかいをてらすあかつきにわれはねがう。ゆうげんなるいのちをまもりいやしたまえ。ちゆ 』
柔らかい光が手のひらから発せられ、女性の傷がスゥと消えて行く。
雷と治癒の魔法を使った少女に、誰もが驚愕し、同時に畏怖を抱いた。
辺境に住む者達は魔法を目にしたことがない者が多い。
かつての大戦期ならばいたかもしれないが、生存者はほぼ皆無だ。
未知の力を平然と使う少女に恐怖が生まれるのは必然だった。
それを理解していたのか、少女は礼も言えない村人達に寂しげな笑みを浮かべて教会に帰っていった。
驚愕と恐怖。
それに満たされる中で、少女に変わらず接したのは養い親である神父だけ。
村人達がよそよそしくなった。遠巻きにするようになった。
感謝の思いはあれども、未知の物はやはり怖い。それは、少女も分かっていたから何も言えなかった。
事態が変化するのは、それから数ヶ月後。
春、山賊達が大挙して奇襲をかけてきた。
幼い少女に追い払われたのがよほど腹にすえかねたらしい。
夜中の奇襲。畑を荒らし、村を焼いた。
子供を人質にとって、再び女性をとらえた。
寝間着のまま教会から飛び出してきた少女に向かって、山賊は一斉に弓を引いた。
放たれた矢は数十。
普通ならば、死んでしまう。
だが…。
『 しゅてん 』
術の名を呼んだ。ただそれだけで、矢は尽く弾かれ地に突き刺さった。
呆然とする山賊達は少女の瞳を正面から見て、戦慄した。
子供が宿すような生温い怒りではなく、憎悪もしくは殺意とも言えるほどの光が大きな瞳に煌いた。
突き動かされるように構えて放たれた矢は、やはり短い言葉に弾かれる。いや、消え去った。
『 れつえん 』
業火に焼き払われた矢は、灰も残らない。
『 ふうざん 』
不可視の刃が山賊達を襲い、多くの者達が十数メートルふっ飛ばされた。
『 ぢれん 』
大地の波が襲い、すでに立っていられない。
「…つぎは、こんなものじゃすまさない。きえて」
舌足らずで、威圧感などない声と言葉なのに、山賊達は震えあがって転がるように逃げて行った。
わずかな静寂。
動けない村人達に変わり、少女が動いた。
細い左腕をふるった。
『 すいめい 』
詠唱を無視して放たれた術は、燃えている家屋や畑を鎮火した。局地的に水を、雨を降らせる術だ。
荒れ果て、踏み荒らされた畑や土地を見て、大地に両手をつく。
瞳を閉じて詠唱を始める。
『 けんげんせよ。われがもとめるはみらいにつづくいしずえ。すべてをほうようするだいちにわれはねがう。いとしきいのちをはぐくみまもりたまえ。だいちれんせい 』
詠唱が終わると同時、荒れていた大地が以前のようになる。
荒らされる前と寸分違わない。いや、それ以上になっていた。
冬の名残で花が咲くのはまだ先のはずなのに、道の端やあぜ道に小さな野花が咲いている。
季節さえ超越して、行使された魔法に、村人達が唖然とした。
ドサッ。
呆然とする中、ふいに響いた音に視線をやれば、少女が倒れていた。
神父が駆けよれば、疲れて眠っていただけで、安心する。
少女を寝かし、神父はまだ夜が開けきらなかったが誰もが眠れないのを承知で、広場に集めて説明した。
少女は卓越した魔法の才能を持ち、自分達を救ってくれたこと。
どこで得たのかは分からないがその魔法は自分達を守るためだけに使われたこと。
少女の体力ではあれだけの魔法をいっぺんに使うのは無謀で、場合によっては命を落とすこと。
聖職者として魔法の知識があった神父の説明に、村人達は自分達の今までの行動を顧みて恥ずかしそうにうつむいた。
そして、少女が起きてきた時、真っ先に謝罪と感謝を述べた。
どこで知ったのか不思議なほど、博識な少女。
だが、誰よりも優しく穏やかな少女。
それからも、野生の狼の群れや盗賊などから幾度となく村を守ってきた少女。
彼女に敬意を持つのは自然なことだった。
村人達は、いつしか少女を『姫様』と呼んで慕った。
恥ずかしがる少女に、それでも笑いながら呼んで慕った。
大切な『姫様』に依存していたわけではなかった。
尊敬する『姫様』にすがっていたわけではなかった。
だが、少女が十五の年、国家が少女を村から連れ去ろうとした。
十五歳になった国民(奴隷や犯罪者を除く)全てに行われる、魔法の才能を見るための検査。
少女の才能はあまりにも大きく、どれだけ隠そうとしても見抜かれた。
そして、強制的に魔導師を育成する帝立学院への入学が確定された。
村人達は、不安に見舞われた。
少女の魔法に頼りきってはいなかった。
自分達で対処できることはしていたし、農作物を作る事にも少女は魔法を使用しなかった。
自然を捻じ曲げることを厭った少女の心に、共感したから。
だが、国家に守られてこなかった村を少女が守っていたのは事実。
不安を、抱えるのは必然。
何もできないまま、少女が旅立つ日を迎える。
この数日、少女が色々と歩きまわっていたことを知っている。
村だけではなく、周辺、ヴォダラと呼ばれる土地の端から端までを。
そして、何かをしていたことも。
何をしていたのか誰も聞かなかった。少女を信頼していたから。
村の女性達がお金を出し合って、手の届く範囲で最も上等な布を買って仕立てた服にそでを通し、広場の中央に少女は立っていた。
右手には短剣。腰に届く長い髪をつかみ、肩のあたりの高さでバッサリ斬り落とす。
周囲の村人達が困惑しながら見つめる中、少女は広場の中央に掘った穴に、紐で縛った髪を埋める。
大地に両手をついて詠唱する。
『 顕現せよ。我が求めるは破邪の聖壁 』
ここまでは森で唱えた言霊と同じ。
『 顕現せよ。我が求めるは害悪を打ち砕く鉄鎚 』
これがヴォダラの南の草原で唱えた言霊であることを知るのは、子供達だけ。
『 顕現せよ。我が求めるは全てを抱き許す聖母の涙 』
これは東の湖で唱えた言霊。
『 顕現せよ。我が求めるは幸運もたらす賢者の息吹 』
これは北の山麓で唱えた言霊。
『 我が求めるは愛しき命と息吹の幸福と安寧。遍く神と精霊の加護を持ちて繁栄を願う 』
愛しさと優しさの全てをこめて言霊を完成させる。
『 気高き命の吐息を導きたまえ 四聖結界 』
完成と同時、四方に埋められ、または、沈められた水晶が輝き、少女の両手の下から光の奔流が生まれて村を覆う。
さざ波のように広がった聖なる光が、ヴォダラ全体を包み込む。
「私にできるのはここまで。ごめんなさい。ずっと護っていけなくて」
申し訳なさそうにする少女に、村人達は微笑んだ。
どんな術なのか、その名前で推測するしかない。学のない彼らには、詳しくは分からない。
だが、行使された術が自分達を守るための物であることは分かった。
今まで、少女は誰かのためにしか力をふるわなかったのだから。
「安心なさい。ここはわしらの故郷。わしらで守っていくよ。ずっと、お前が帰ってくるまで」
「養父さん…」
神父の言葉に、そうだそうだ、と村人達が頷く。
「元気でやりなさい。お前なら、きっと立派な魔導師になる」
言いながら、少女の手に小さな水晶をはめた銀細工の髪飾りを乗せる。ソレを見て少女が瞳を見開く。
「間に合って良かったよ。わしからの入学祝いだよ」
それは、まぎれもない法具。どんなに小さな物でも、辺境の農村の神父が買える物ではない。村人達がお金を出し合っても、全く足りないだろう。
どうして、と思い、少女は気付く。
神父がいつもつけていた母の形見だと言う紅玉と金のブローチ。それが、無くなっている。
売ればそれなりの財にはなるだろう年代物だ。最低価格の法具ならば買えるだろう。
「お前は剣が得意だからね。剣に変化するものにしたんだよ。制御用は、持っているからね」
捨てられた時には手に持っていたクロスのペンダント。
少女に対しての疑問は多くある。謎もある。
だが、神父も村人も気にしなかった。
彼らにとって少女は大切な家族だから。
言葉が出ず溢れる涙をこらえきれない少女に、誰もが優しい笑みを浮かべた。
子供達は悲しそうに涙を浮かべる。
「笑っておくれ。お前がいたからわしらはある。お前が笑ってくれたから、わしらも笑えた」
神父の言葉に応えるように、一人の女性が歩み出る。
かつて、少女が治癒魔法で頬の傷を治した女性だ。その足元には、イーラと言う少女がいる。
「貴方がいてくれなければ、あたしは結婚することも出来ず、この子を産むこともできなかったわ」
だから、と娘を促して、その小さな手に握られていた物を少女に渡す。
ゆっくりと少女は顔を上げる。
「ひめさま、がんばってね」
綺麗に磨かれた色石で作られたブレスレットだ。
受け取った瞬間、ぎゅうと抱きついてくるイーラの頭をなでる。
左の手首に通して微笑む。
「ありがとう。大事にする」
女性がイーラをそっと離す。
微笑んで頷いてくれる村人に、少女は再度泣きそうになった。
ああ、変わらない。
かつてと同じく、ここの人達は暖かく優しい。
「行ってきます」
いつ帰れるのか分からない、愛おしい故郷。
かつてもこの時も変わる事のない温もり。
「行っておいで、エルヴィア」
いつまでも待っている。
言外に告げられた思いを胸に、エルヴィアは背を向ける。
いつの日にか、胸を張って帰ってくるために。
最初は主人公の独白です。




