第二話:コーラルの狂公 Ⅱ
【大陸暦八七年三月二七日(逃亡から八八日)】
※・※・※
場所を移して、エルヴィアは嫌悪を露わにした。
最初に通された応接間よりも豪奢、しかし品良く整えられた趣味の良い部屋は、セシエルの私室の一つだ。
セシエルがこれはと思った相手だけを招く部屋。
「…コーラルは、随分と豊かなのですね」
「そうじゃのぅ。名の通り、希少な珊瑚が良く取れるゆえ…。真珠も豊富じゃぞ? 詫びに一つ、どうじゃ?」
「結構」
無造作に、宝石箱を開いて差し出したセシエルに、エルヴィアは表情を消して即効で拒否した。
潔癖な反応に、セシエルは楽しそうに笑う。
それに眉を寄せ、エルヴィアのまとう空気が剣呑になっていくのを見たフローラ達は、そっと視線を外した。
ちなみに、三人はエルヴィアとセシエルから離れたソファに座っている。
エルヴィアとセシエルは対面している。
「話、とはなんでしょう? 狂公陛下」
「簡単じゃ。そなた、帝国をどうする気じゃ?」
端的でありながら、意味の分からない問いかけ。
エルヴィアは、サムエルから同じ問いかけを受け、答えた。だが、そのまま同じように返すことはできない。
セシエルは、帝国派だから。
「…どういう意味でしょう」
「分かっておろう? そなたは聡い」
「お褒めいただきありがとうございます。ですが、そう仰っていただけるほど、私と陛下は話しておりません。というか、今が初対面です」
「一目で分かることとてあろう。妾は、人を見る目はあるつもりじゃ」
「自惚れは国を滅ぼす元となりましょう」
「きっぱり言うのう。確かに。じゃが、自らを見ることのできる者にそれは当てはまらぬ」
「陛下がそうだと? 私にはそうは思えませんが」
「酷い娘じゃなぁ。じゃが、そなたの判断は関係ない。決めるのは民じゃ」
「そうですね。民が、陛下を見捨てることがないようにお祈りいたします」
(((……寒い)))
南にあるコーラルは、全体的に冬が短い。
三月の終わりにもなれば、ほのぼのとした暖かい陽気に満ちている。
気候的に、寒さを感じることは九割九分ありえない。
現在、ありえない事態に直面したフローラ達三人は、視線をそれぞれに走らせた。
部屋の中には、セシエルの護衛とユジェーヌもいる。
何も感じていないように微動だにしないが、それぞれわずかに頬がひきつっている。
それを見て、三人はゆっくりと寒さの中心に視線をやった。
片や笑顔で軽やかな口調。
片や腹立ち交じりの無表情で慇懃無礼な口調。
双方の空気に差がありすぎて、当人達以外は何とも居心地が悪かった。
冷気の発生源達は、互いに集中していて周囲の様子に気付いていない。片方は気にしていないだけかもしれない。
「民が妾を見捨てることはありえぬ」
「…なぜ、言い切れるのですか?」
「妾は、『聖女帝』のような愚君ではないからじゃ」
瞬間、護衛達がわずかに身じろいだ。
垣間見えただけですぐに消えた不穏な気配に、気付かないそぶりでセシエルは変わらず笑っている。
正面から見据えたエルヴィアは、ぐっと息をつめた。
その背を見つめる三人は、無意識に姿勢を正した。
「かつて、大戦を終わらせ、和平を築いた『聖女帝』。じゃが、その後がだめじゃ。『聖女』とうたわれた者が、中央集権の帝政国家を造るとは…結局、ただの人であったということかの」
ジェニの疑問を、セシエルが呟く。
ただ、セシエルのそれは嘲りが宿っていた。
「大戦期に功があったというが、ソギラ公爵やロナ侯爵は傑物には見えぬ。先祖の才を子孫が継ぐとは限らぬが、あれはいささか酷過ぎよう」
ソギラ公爵家の嫡子であるアレンが、何とも言い難い表情をする。
ロナ侯爵に因縁のあるラウルが、うんうんと頷いている。
そんな二人をフローラは呆れたように見る。
離れたところで現れたそれぞれの反応は無視して、セシエルは続ける。
「あんな愚者共を野放しにして、何が英雄か。帝国の腐敗の基礎を作ったのは、その英雄本人ではないか。『聖女』などと呼ばれ、有頂天になった愚かな女としか思えぬ」
セシエルの言葉に、エルヴィアは反論する術を持たなかった。
今生で、エルヴィアはかつてを後悔した。
自分の無力に。
何もなせなかった自分自身に。
その時に思ったことを、他人から告げられただけだ。
フローラ達は反射的に口を開いたものの、言うべき言葉が見つからず、そのまま口を閉ざすしかなかった。
不満を抱く者ならば、セシエルの結論に至ってもおかしくない。
そうならないのは、『聖女帝』の存在が圧政に耐えるための支えになっているからだ。
「そんな愚か者と対等など…恐れ多いことじゃ」
ふふ、と笑いながらも嘲りの混じった言葉と声に、エルヴィアは膝の上に置いた手を強く握りしめた。
「…そなたも、そう思っているのではないのか?」
「何故…」
「でなければ、何故、龍玉を奪ったりなどしたのじゃ? 不満があったのであろう? 皇帝か、貴族か、帝国か、全ての元となった『聖女帝』か…それとも、全てか」
抱いたのは悔恨。
不満を抱ける立場ではなかった。
その不満を、ぶつけられる立場だったから。
だから、エルヴィアはセシエルの言葉に頷けなかった。
不満に思っても、思える立場ではないことを突きつけられた今は、なおのこと。
「そなたは、ただ奪ってやりたかったのか? そして逃げ続けるのが目的であったのか?」
セシエルは瞳に責めるような光を宿して、エルヴィアを射抜いた。
当初はそうだった、と言えないほどに強い光。
「反逆に友を巻き込むからには、何らかの思いがあったからであろう?」
フローラ達は自分から飛び込んできたのだが、セシエルはそれを知らない。
だが、第三者から見ればセシエルの言う通りだ。もしくは、四人で共謀したと思うだろう。
黙り込み、瞳を揺らすエルヴィアに、セシエルは笑みを消してつまらなさそうに眉をよせる。
「…そなたは、優しいだけの腑抜けか」
吐き捨てるような言葉に、エルヴィアは瞳を見開いた。
『お前は、ただの腑抜けだな。愚君の見本だ』
セシエルよりも痛烈だったが、確かに似た言葉をかつて叩きつけられた。
それを思い出して、エルヴィアは大きな朱色の瞳を呆然と見据えた。
「最後に問おう。そなた、帝国をどうする気じゃ?」
再び問われ、エルヴィアはははっと小さく笑みを浮かべた。
突きつけられた言葉と現実に、愕然とした。
それに縛られて、見失いかけた。
思い出したデュラの言葉。
蘇った共闘した者の言葉。
悪意を持って相対し続け、良く似ていながらそう言われるのを嫌い続けた二人。
天の邪鬼で、負けず嫌いで、頑固で、そして、本当に優しかった。
それを思い出して、エルヴィアは瞳に光を宿す。
かつて、セシエルとよく似た唯一人と相対した時と同じ光を。
セシエルは、唐突に力を取り戻したエルヴィアに面喰らい、忙しなく瞬きを繰り返す。
数秒後、セシエルは笑みを浮かべる。
凶悪ともとれるほどの笑みに、エルヴィアは笑みを返す。
笑い合う妙齢の美女と少女に、他の面々が慄いて心持ち身を引いたのは、別の話。
※※※
『お前はバカなのだから、引っこんでいてはどうだ。邪魔だ、小娘』
『…遠まわしなのか、率直なのか、はっきりしていただけませんか? クロード様』
『では言うが、気に入らん。失せろ』
『随分な言いようですね…』
『責任も覚悟も知らぬ小娘など、邪魔以外の何物でもないだろう』
『…いわれなき非難、返答する必要はございませんね』
『いわれのないことを言うほど、俺を惰弱と思うか』
『そうではないのですか? 私は…』
『何も知らぬだろう。知っているのなら、どうして最前線ばかりに出向く? 兵に任せておけばいい物を。それとも、自身の部下が信用ならないか?』
『そんなわけありません! 私は彼らを信頼しています。だからこそ、彼らを預かり知らぬところで失いたくはないのです! それがいけないことですか?! 私が出れば、より早く戦いが終わるのです。何がいけないというのですか! どうして、責任も覚悟もないなどと…』
『本当に責任や覚悟を知っているなら、死にに行くような愚行はしない。指揮官ならば当然だ』
『…それは、危険を押し付けて逃げる卑怯者の論理です』
『だからお前は馬鹿だと言うんだ。…自分の足元を見てみろ。お前を慕って集まった奴らが、お前に従う奴らが、目の前でお前を失った時、どうなるのか考えていないのだろう?』
『…どうなるか、など。彼らは強い。きっと…』
『もう一度言う。だから、お前は馬鹿なんだ』
『クロード様っ…』
『良いか、イヴ。お前は自惚れ、驕り、楽観し、過信し、過大評価を下している。お前ごときが死んだところで、俺は痛くもかゆくもない。だが、お前ごときを慕って頼っている奴らにとって、お前自身の死が全ての崩壊につながることを知れ』
『全ての、崩壊…』
『つまりは、依存だ。お前は、優しく慈悲深く強く勇ましい。聖女と讃えられる条件は満たしているのだろう。だが、お前はそれだけだ。今しか見ていないお前は、お前を失った後の奴らの心を考えない。ゆえに、お前は奴らを真実の意味で殺すだろう』
『私は…っ』
『失せろ、イヴ=ラーラ=ヴォルジア。王家に生まれながら、王としての覚悟も責任も知らず、手前勝手な正義感と慈愛によって人を殺す愚か者。お前には、人の上に立つ資格はない』
彼は、残酷なまでに正しかった。
エルヴィアはかつて共闘した相手から言われた言葉を思い出して、彼に良く似た存在を見据えて心で賛美する。
辛辣で、毒舌で、非道で、けれど、民の為に最後まで『悪辣な君主』であり続けた彼の心を。
※※※
「…良い目になったではないか。今度こそ、答えをくれるのであろう?」
楽しむような弾んだ声で問いかけて、セシエルはエルヴィアの瞳を見つめる。
強く、ひたすらに前を向く人間の眼差し。
「私は、貴方が望む答えを持っていないかもしれませんよ?」
「構わぬ。元より、十近く年下の小娘に、そこまでの高望みはしておらぬ」
バカにしたような言葉に、エルヴィアは反応しない。
それだけの、過去を残してしまった。
バカにされても、罵られてもおかしくないほどに、無様な人生を。
(あぁ、そういえば、彼女と同じ年だった…)
『イヴ』が死んだのは、セシエルと同じように、二五になる前だった。
エルヴィアはセシエルの誕生日を知らないが、年くらいは知っている。
だから、ふいに思ってしまった。
かつての自分―――『イヴ』とセシエルを比べて。
自分のようなバカはしないだろう、と。
「…信頼できる者に国を託し、私自身は姿を消します」
「ずい分と勝手じゃな。後のことを考えずに行動したのが丸見えじゃ」
「そうですね。ですが、私にとって、これが最善です」
「…ほぅ。帝国を混乱させ、魔導騎士団を動かし、下手すればレゼドルが壊滅するやもしれぬ事態に追いやって、事態を収拾せずにただ逃げるか。卑怯じゃな」
「私もそう思います」
あっさりと頷いたエルヴィアに、セシエルはすぅと瞳を細める。
それによって、凶悪な笑みがさらに凄味を増した。
フローラ達は、室内の温度が少し下がったように感じる。
「けれど、私には、出来ることがないので…」
「混乱した国を、自身の手で治めようとは思わぬのか」
「私に、統治者としての資格はございませんから」
「…そなたは、無知なのか悟っているのか分からぬな」
「悟ってなどいません。ただ、教わっただけです。悪によって自身を貫いた人に、私の愚かさと甘さを」
わずか、セシエルの表情が揺らいだ。
ほんの一瞬だったから、誰も気付かなかった。
嫌われても、悪と罵られても、セシエルは自身を貫く覚悟を持っている。
目的のために、最愛の存在も自分自身の幸福も捨てて歩むと決めた。
それを、見抜かれたように感じた。
自分の最も脆い、深いところを。
(この娘、ただのバカではないのぅ…)
かすかな悔しさを覚えながら、セシエルは少しだけ認識を改めた。
侮りも嘲りも、少しよけて見すえる必要がある。
「…そなたは、帝国をどう思う」
ふいに、セシエルの声が低く静かな物になった。
「不満があろう。憎しみが、怒りがあろう。それゆえの行動であろう。妾はそう思った。じゃが、それだけではないように感じる。そなたは、この国にどういう思いを抱いておる?」
軽やかな声から、感情が消える。
侮蔑も嘲りも見えない、ただまっすぐに向けられる言葉に、エルヴィアはここ一年で見た帝国を思い出した。
「…過度に加えられた魔法警備、贅を尽くした調度品が当たり前のようにあふれている。贅沢に華美に整える必要のない学校内まで。民が支払った税金でするようなことじゃない。…自らの欲の為、民の生活をないがしろにしているように感じられるわ。それに…」
言葉を切ったエルヴィアの視線は、セシエルの細い指を飾る指輪や身につけた衣装に注がれる。
「その指輪一つで、家族四人が八十年ほど楽に暮らせるでしょうね…」
ため息をつくエルヴィアに、セシエルは片眉を吊り上げる。
怒りではなく、呆れでもなく、訝しげで不審げな表情だ。
「…確かに、民を圧迫するほどの重税を課してまで贅を尽くすのならば、問題であろうが…。そなたは、ずいぶんと古い時代の考え方をするのじゃな」
「古い、ですか…」
「戦中戦後ならば、そなたの考えは正しい。じゃが、終戦から八十年もたった今ならば、王侯が華美にしていたところで問題はなかろう。何より、君主が贅をまとうことは国の豊かさと勢力を他国に知らしめ、牽制することになる。何も、贅を尽くす君主の全てが民を圧迫しているわけではないのじゃ」
幼い子供に諭すように声が少し柔らかくなる。
普段では考えられないのか、ユジェーヌや護衛が困惑を浮かべている。
エルヴィアは、セシエルの言葉に、半ば呆然としたように天井を仰いだ。
それを見て、セシエルは自身の指にはまった指輪に触れる。
「…そうじゃな。妾の指輪は、皇帝よりの贈り物じゃ。こんなものをほいほいとやってしまうのじゃから、あの男はそなたの言うとおりじゃろう。じゃが、全てを一緒だと思ってはならぬ。そして、それが悪いことだと思ってはならぬ」
諭すように告げる言葉に、エルヴィアは眉間に指を当てて低くうなる。
エルヴィアの知識、認識、王侯の経済観念は、『イヴ』の時代で止まっている。
長い間戦争状態で、その中で生まれた『イヴ』は質素倹約が当然だった。
贅を尽くした城も衣装も装飾品も、当時は全てが『悪』に分類された。
今の貧困層よりも、はるかに貧しかった民の生活を知っているからこそ、潔癖なまでに嫌悪した。
その認識が、辺境に生まれ変わり、農民の生活をしていたために改善されることなく、今に続いている。しかも、国府からほぼ見はなされていた北部国境だったから扱いが悪かったことも、起因していた。
なるほど、と自分の人生(十数年)と『イヴ』の記憶を比較検証したエルヴィアは、遠い目になった。
自分の知識が非常に偏っていることに気付いたのだ。
ちなみに、離れて聞いていたフローラ達も視線を天井にやっていたが、今は小刻みに頷いている。
少年少女が何故か深く納得している様子に、セシエルはこめかみが痛むのを気のせいと思いこんだ。
自分の役割じゃない、と思い、自分はこんな親切じゃない、と言い聞かせた。
護衛達から感じる感心したような視線が、セシエルをいたたまれなくさせた。
強権的な君主としてあり続けたのに、わずかな時間でその印象が薄れてしまっている気がした。
「勉強になりました」
当初とは大きく違った雰囲気になった上、エルヴィアが深々と頭を下げたことで、空気が緩んでしまった。
(なんじゃ、この学校のような雰囲気は…)
セシエルは学校に通った経験などもちろんないが、家庭教師がついた経験はある。良い経験ではなかったが。
その時と少しも似通っていないが、普通の師弟関係はこうではないか、と考える雰囲気だと思った。
「…ですが、帝国に関する認識を変えることはありません」
「なかなかに頑固じゃな」
一度緩んだ空気が、エルヴィアのきっぱりとした嫌悪をにじませる声でわずかに引き締まる。
「お尋ねいたしますが、陛下。貴国では、貴族の邸宅にどのような警備をなさいますか?」
「…警備員を雇い、貴族が魔導師ならば私兵として登用しておる魔導師を一人は常駐させるであろうな。あらゆる対策を講じ、門と塀に認証魔法を使用する、くらいじゃな」
あっさりと警備内容を漏らしていることについては、ユジェーヌが何かを言いかけたが相手がセシエルであるだけに、口をつぐんだ。
「では、建材に魔法陣を刻むことは?」
「…城や一部の牢にはある。貴族の邸宅となれば、主人の部屋の一部に使うことならあり得るであろうな」
「建材の全てに使うことは?」
「…ありえぬ。それは、魔導師を使い潰し、殺すことじゃ」
「帝国では、それが行われていました。全ての貴族の邸宅に、です」
「正気とは思えぬな」
「認証魔法でも、土地が広大ならばそれに応じて魔力量も甚大になります。全ての邸宅に行うのも無理があるでしょう」
「そなたの頑固さと嫌悪の理由、合点がいった。なるほどのぅ」
潔癖さゆえの嫌悪からだけではないと理解して、セシエルは頷いた。
認証魔法だけならば、エルヴィアも嫌悪はしてもそれが憎悪に変わることはなかった。
邸宅全体を包むように魔法の気配がしたということは、全ての建材に魔法陣が刻まれていたということ。
そして、魔法陣を刻むのはとてつもない魔力量が必要になる。魔法をただ行使するだけではなく、魔法を定着させて維持させる必要があるためだ。
それを、広大な邸宅を建てる全ての建材に行えば、魔導師は過労で倒れてしまう。最悪、昏睡状態に陥ったり、死に至ったりする。
魔導師にとって魔力は生命力に等しい。行使を最低水準でとどめれば、休養することで魔力は回復する。最低水準を超えても魔法を行使し続ければ、心臓に大きな負担をかける。
だから、魔導師には魔法行使に関する規定が存在する。どのていどの等級、回数など。
魔法陣を刻む行為は、並の魔導師なら日に二度すれば限度に達してしまうだろう。それほどに難易度が高い。
魔導師の絶対数は少ない。そして、『イヴ』の世代から魔導師の質は圧倒的に劣っている。
なのに、城や魔導師を捕縛するための牢だけでなく、貴族の邸宅全てにそんなことをすれば、魔導師が何人いても足りない。一軒建てるのに何十年かかることか。
八十年ほどで数十軒の貴族邸宅を建てるなど、不可能だ。つまり、それだけの無茶を魔導師に強いたということ。
何人の魔導師が、犠牲になったのか。
それを思えば、いかにセシエルとて不快に感じる。エルヴィアのような正義感などでは決してないが。
エルヴィアの嫌悪が憎悪に変わった最大の理由がそれだった。
全ての国でそれが当り前なのだと考えたのは、単純すぎたが。
「帝国は、国家の財産を愚かなことで使い潰したものじゃ」
魔導師は希少。そして、強力。
だからこそ、国防には必要不可欠で大切な存在。
コーラルでも、かなりの高待遇で地位を約束されている。
ちなみに、いくらセシエルでも魔導師をそこまで酷使しない。限界ぎりぎりまで利用することはあるが。
「それが全てではありませんが、不満の一端を担ったのは事実ですね」
決定打は龍玉なのだから。
自分の思い違いに気付いて、少しばかり呆然としたままのエルヴィアに、セシエルは瞳を細める。
(本当、おかしな娘じゃ…。玄人のような空気をまといながら、無知な小娘の姿をしておる。だまそうとしておるようには思えぬが…)
エルヴィアという存在に違和感を覚えて、だが、嫌な感覚はみじんもせず、セシエルは考え込むうちに楽しくなってきた。
「…随分と話し込んでおったようじゃ。今日はこの城で休むがよい。部屋に案内させよう」
セシエルがユジェーヌに視線をやると、頷きが返る。
唐突に話を区切ったセシエルに、エルヴィアは眉を寄せる。だが、ふいに視線を向けられて口元に笑みを浮かべる。
何かを企んでいるような笑みに、これだけでは終わらないと言われているように感じた。
「…そなたの話をじっくりと聞きたいものじゃ。そう、二人で、ゆっくりと『ナハト』で」
「そうですね。私も、大公陛下ともっとお話がしたいです」
にっこりと笑うエルヴィアを、フローラ達は形容しがたい表情で見やって息をついた。
(((何かあるな、絶対に)))
二人の間で企みが進行していることに気付いたが、三人が関われる次元ではないと察して、見て見ぬふりをした。
それを見ていたユジェーヌは、感心したように頷いて護衛に指示を出す。
(…聡い子供達だ)
諦めが良いだけかもしれないが、自分の分というのを知っているということでは、十分、三人は聡かった。
思わぬところで一国の宰相に評価されているとは知らない三人は、曖昧に笑うエルヴィアをじと目で見つめ、部屋に案内されていく。
その様子を見送ったセシエルは、ユジェーヌを手招く。
「…アレを用意しておけ。必要になるじゃろ」
「! …かしこまりました」
ユジェーヌが退室し、護衛も下がらせ、一人になるとセシエルは息をつく。
真実の意味で、信頼できる者を持たないセシエルにとって、安息は孤独と同義だった。




