第八話:導と常識
【大陸暦八六年四月二九日】
※・※・※
ペンを握り、一心不乱にノートを文字で埋めて行く。
書庫での授業。
テーマにそった課題をこなし、レポートを提出する形式だ。
ただ、それは先週の授業だった。
「だぁ―――――――っ!!」
フローラがノートとペンを放り投げ、奇声を発する。
現在、エルヴィア達四人だけが書庫にいた。
他の生徒達は教室で授業中である。本来、アレンもそちらだったが本人が何も言わずに、エルヴィア達にくっついてきた。それを教師は咎めたが、アレンはすべて黙殺した。
ちなみに、不機嫌で愚痴り続ける教師を諫め(脅し)て黙らせたのは、ジャネットだ。
「うるさいぞ~、フローラ~」
「腹立つっ!」
「気持ちは分かるけど、落ち着こう? フローラ。あと、アレンは神経を逆なでしない」
「まぁ、叫びたくなる気持ちはわかりますが、ここは書庫ですし…」
エルヴィアにたしなめられ、ラウルに苦笑されて、フローラがうっと言葉に詰まる。
渋々とノートとペンを取りに戻り、大人しく座りなおす。
「ストレス発散で当たられたらたまったもんじゃないわ」
「確かに…」
怒りを無理やり押し込んだフローラの呟きに、エルヴィアが眉を寄せて頷く。
四人(実際は三人)だけが、先週の課題を書庫でやっているのは、提出したレポートを突き返されたからだ。
つまり、やり直し。
生徒の中でも特に身分の低い三人は、授業でも良く当てられる。というか、教師は三人しか当てない。
今、一年生にはソギラ公爵長男と第十一皇女がいる。それに気を遣いすぎて、かなりのストレスをため込み、それを三人に当たることで発散している。
アレンもジャネットも気にしないし、気を使う以前にまともな授業をしろと思っている。
当たられる三人の方が、よっぽどストレスがたまっている。
フローラのように爆発したくもなる。
「これ、どこをどう直せてのよ」
はっきり言って、フローラは座学(講義形式の授業)が苦手だ。だからといって、中途半端な物は提出していない。
何より、アレンとラウル(二人は速攻で終わった)に徹底的に指導を受け、仕上げたのだ。二人の出来だって高度な物なのだから、やり直しを命じられるのはおかしい。
アレンは良くてラウルがだめなのもおかしい。
理不尽な理由によると知っているから、フローラのやる気は底辺を突き破ってすでに地中に潜っている。
エルヴィアは、自分の知識と現在の知識の差に悩みながら、一人でこなした。アレンから太鼓判はもらったが。
それが突き返されたので、実はエルヴィアも怒っている。
「別に直す必要はねぇよ」
「じゃぁ、どうするのよ」
「こうする」
身を乗り出して、アレンがフローラのレポートを手繰り寄せる。
書き足される文字を、エルヴィアとラウルが身を乗り出して見つめる。
『校正・協力:アレン=オルセン=ソーレ』
それに目を瞬かせている内に、アレンはエルヴィアとラウルのレポートにも書き足す。
「ん、これで無下にはしねぇだろ」
というか、出来ない。
授業時、作成に生徒同士協力してはならないとは言われていない。なので、連名でもなにもおかしくない。しかも、それがアレンとの連名ならなおのこと。
「アレン。私の方、ジャネットの名前になってるけど…」
「あぁ、全員同じじゃなんだから。事情を話せば納得するだろう」
「そうだろうけど、問題はそこじゃなくて…」
十分それも問題だが、確かに、ジャネットなら頓着しないだろう。事後承諾でも快く頷いてくれるだろうことは、予想できる。
「字が、ジャネットにそっくりなんだけど」
「オレの特技の一つ、筆記の模倣」
自慢げに胸を張るアレンに、自慢するだけはある、と三人は頷く。
筆圧や文字の大きさなど全く同じだ。芸が細かい。
もしかしたら、本人でも見分けがつかないかもしれない。
最も見下されているエルヴィアの方だけ、ジャネットの連名。
皇女の名前が書かれているなら、もう粗雑には扱えないだろう。
「ま、いっか」
面倒事が減ったので、素直に頷いてエルヴィア達は筆記具をしまう。
「片付いたところで、エルヴィア、ここ、教えてくれ」
「もしかして、今まで口出ししなかったのはその本を探し出して要点まとめるため?」
「そう」
素直に頷くアレンに、エルヴィアは色々と諦めたような溜息をついた。
「で、どこ?」
アレンのマイペースさには全員が慣れ始めていたので、フローラとラウルも本を覗き込む。
「本気?」
「本気も本気」
「ねぇ、これって…」
「神霊召喚魔法、神聖魔法ですね」
頬を引きつらせるフローラとラウルをしり目に、エルヴィアは口元を覆って眉を寄せる。
「神聖魔法はすべてで五つ。四元素の神と精霊達の神を呼びだすものだけ。聖女帝イヴが使った記録以外、使用者はいない。さらに、その長大にして膨大な魔力を要する詠唱のため、一人では使用できないとされている。でも、英雄である聖女帝イヴが例外中の例外とはいえ、一人で詠唱をこなした事実がある以上、一人でもできるってことだろう?」
「まぁ、確かに」
頷きつつ、エルヴィアは徐々に眉間のしわを深くしながら本に目を通して行く。
神聖魔法。五つしかないため、五聖魔法とも呼ばれる。
絶大な威力を誇るが、それが行使されたのは歴史上一度だけ。聖女帝イヴが大戦期に使ったのが最後だ。
他の魔法の詠唱とは違い、神聖魔法はそれぞれに独自の詠唱が存在する。
複数の魔法陣を同時に構築し、長大な詠唱を行うのが必須。詠唱破棄はできない。詠唱が契約であり召喚する門を開く鍵なのだ。
それが、エルヴィアの知っている神聖魔法(かつては聖魔法)だ。魔法書にもそう書かれている。だが、記載していない事実を一つ、エルヴィアは知っている。
(こんなことも、記載していないのね)
「ここに書かれている通りに詠唱しても、意味はないわ」
「? どういうことだ?」
「神聖魔法、特に、神霊召喚は神々との契約を交わし、こことは異なる世界から招く為に門を開く魔法よ。詠唱はその門を開く鍵になっているわ」
「そう書いてるが…」
「ただ、契約を交わすのは神々と魔導師本人だから」
「そうか。違う魔導師の詠唱をそのまま使っても、それは自分の契約ではないから神々の召喚ができない、と」
「そう。神聖魔法に限っては、詠唱は魔導師ごとに違う。行使したいのなら、新しい詠唱を練って魔力を鍛え、自分の契約を完了させる必要があるわ」
「つまり、無理か」
「簡単に言えばそうね」
「…ちっ」
小さな舌打ちだが、静かな書庫には大きく響いた。
それを聞いたフローラとラウルは同時に思った。
((使って何をしようと思ってたんだろう…))
ちょっと薄ら寒い思いがした。
何も聞かなくても、アレンがかなり危険なことを考えているのは何となくわかった。
エルヴィアも何となく察していたが、現在のアレンでは到底無理なので何も突っ込まない。
(でも、いつかは…)
本気で残念そうにしながら本をめくるアレン。それを呆れたように見るフローラ。二人に苦笑しながら、本を物色に行ったラウル。
三人を視界に収めて、エルヴィアは思う。
(この三人なら、そして…)
離れた教室にいる二人を思い浮かべて、エルヴィアは苦笑を刻む。
(奇跡的な運ね)
真っ直ぐに真実だけを見つめ、自身を見失わない五人が今この時に集まった。
そして、真実を知る自分が同じ時に存在する奇遇に、エルヴィアは神に感謝したくなった。
本人達は無自覚だろう。
その膨大な魔力と類稀な魔法の才能。
いずれは、神聖魔法にたどり着けるだろう五人に、エルヴィアが見るのは未来への希望。
絶望しかけた現実に、差し込んだ光を育てるために生まれたのかもしれない。
エルヴィアは、そう思った。
※※※
「魔法技術棟の一室を借りれたわ」
きらり、と宝石のはまった許可証兼鍵を見せるジャネットに、エルヴィア達はしばし固まった。
「「「「…皇族の権威…」」」」
「素直に感謝なさい」
クラスメイトが帰り、六人しかいない教室。
上級生に独占される魔法実技棟を借りられた理由は、やはり皇族だからだろう。
それは十二分に理解しているが、即座の返答がそれでは、ジャネットも文句を言いたくなる。
クラウジアは苦笑しつつ、事実だから一切の否定をしない。
「中でも一番魔法強度が高い部屋だ。存分に練習ができる」
クラウジアが補足すれば、感嘆の声が上がる。
エルヴィアとラウルが素直に感謝を述べれば、フローラとアレンがからかいジャネットを怒らせる。
普通の友人同士のじゃれあいに、クラウジアは安堵したような笑みを浮かべる。
歩きながらもそれらは続いたので、偶然それを目撃した教師達が苦々しい表情を浮かべてエルヴィア達を睨んでいた。エルヴィア達はそれに気づきながら黙殺した。
魔法陣が刻まれた建材で造られた部屋は、かなり広い。六人が十分な幅を取って広がっても、余る。
「基本は属性の物質を顕現すること。あとは、結界ね。治癒魔法は属性によって会う合わないがあるから、後にしましょう」
書庫の蔵書が役に立たないことは承知済みなので、エルヴィアは記憶にある限りの知識を書きだした。
五人分、その上、基礎から全てだったからかなり大変な作業だった。
「中でも、制御が難しいのは風。フローラとジャネットね」
呼ばれた二人が互いの顔を見合わせる。
「ジャネットは完全な風だけど、フローラは雷も交じってるから、なお制御は難しいでしょうね」
初日の失敗を思い出して、フローラがうっと声を詰まらせる。
「わたくしは、雷は扱えないの?」
「訓練次第では、可能かもしれないけど、こればっかりは何とも言えないわ。使いたい?」
「ダメならそれで構わないの。ただ、風は攻撃性が最も低いでしょう?」
「確かに、戦いには不向きね。でも、万能性は高いわ」
「万能性…」
「風を操るということは、重力魔法も視野に入れることができるし、威力は弱いけど防御にも攻撃にも高い性能があるわ。それに、速さでは属性随一。速攻とかく乱に適しているし、相手を傷つけずに制することも可能だわ」
属性による特性と能力に、ジャネットが黙り込む。
何かを考えるようにうつむくジャネットから、フローラに視線を移す。
「雷は炎と同等に扱いは簡単よ。でも、その威力が強いから制御は慎重にすべきだわ。空気伝達が速いから、雷は炎よりも慎重に、ね。まぁ、フローラが風と雷、どっちを主体とするかによるけれど」
「個人的には、雷なんだけどなぁ」
「「あぁ、ぴったり」」
「どういう意味っ!?」
思わず頷いたアレンとラウルにかみつくフローラを見て、同じように思ったクラウジアは我関せずを貫いた。
エルヴィアはその様子をスルーして、手の中のメモ帳に何かを書き込む。
適当にフローラをあしらったアレンに視線を向けて、メモ帳を指でたたく。
「雷なら、アレンもだったわね。炎もだけど。どっちを主体にするかは決まってる?」
「炎で」
「即決ね」
「扱いやすいのにすれば、その分、早く上級に挑戦できるだろ?」
「あぁ、なるほど」
アレンらしい簡潔な考え方に、エルヴィアは苦笑する。
「クラウジアは?」
「え?」
「確か、属性は炎だったわよね?」
瞳を丸くするクラウジアに、エルヴィアは首を傾げる。
「どこまで把握してるんだ」
「同級生は全員」
「そう…」
まさか知られているとは思わなかったクラウジアは、ため息をついて平常を保つ。
「わたしは単一属性だから、気にする必要はない。それより…」
「?」
「一度、手合わせ願いたい」
「わかったわ」
好戦的な笑みを浮かべるクラウジアに、エルヴィアは同じような笑みを返す。
「ラウルは、水と地ね」
「え、地もですか?」
「最初の時には分からなかったでしょうけど、純粋に水だけの属性じゃないのよね。多分、地だわ。氷とは気配が違ったから」
気配で分かるものなのか、と誰もが思ったが、口にはしなかった。
言っても無駄な気がしたから。
エルヴィアにとっての魔法は、大戦期に集約されている。
だからか、その頃では常識だったことが、現在では非常識であることをいまいち理解していなかった。
「地は防御力が高く、水は風と並んで万能性が高い。二つともに言えるのは、治癒や修復関連の魔法に特化している、てことかしら」
「そう、ですね。となると、援護か治療方面を鍛えた方が有効ですか」
「本人の性格とかも問題になるけど、ラウルなら問題ないでしょうね。それに、地の魔法って上位になれば結構役立つのよ」
「たとえば?」
「薬の調合や鉱物、宝石などの加工を行う魔法があるわ。あと、地中の砂鉄や鉄鉱石を利用して武器を精製できる」
「良いですね、それ。お金がかかりません」
キラリ、と瞳が輝く。このあたり、一般庶民の感覚だ。
はたから見れば丸腰に見えて、魔法によって武器を作り出せば、相手はかなり混乱するだろう。
「水は幻覚系の魔法も多いから、戦闘の補佐役には重宝される属性ね」
実際、水の神聖魔法は、攻撃系ではなく他者の感覚を狂わし世界に干渉する物だ。
魔法の最高位ですらそれなのだから、攻撃系統としては水はあまり強くない。
表立って戦う属性ではないことを考えれば、ラウルの性格には合っている。
「エルヴィア」
「考えはまとまった? ジャネット」
「えぇ。一つ、聞いてもいいかしら?」
「どうぞ?」
「定まった属性以外、四元素の魔法を使うことは可能?」
「原則、不可能ね。だけど、前例として全属性を扱えた者はいるから、絶対とは言えないわ」
全員の脳裏に、聖女帝イヴの名が浮かんだ。
そして、何故かエルヴィアも。
かつて、エルヴィアが使って見せた奇跡のような魔法が、思い浮かぶ。
あれがどの属性で、どれほどの等級に属する魔法なのか、誰も分かっていない。
だからこそ、エルヴィアが単純に水の属性だとは思えなかった。
「風を極めるわ。そして、可能性が見える限り、諦めずに努力を行い続ける。わたくしは、決して負けられないから」
静かな、けれど力強い宣言に、フローラもアレンもラウルもクラウジアも同じ思いなのか強く頷く。
それに対して、エルヴィアはにっこりと笑う。
エルヴィアは、楽しかった。
これからを作っていく才能を、生かしていける、そのことが。
※※※
「魔法技術棟を、一年生が?」
「はい。皇女殿下とその取り巻きのようです」
「なるほど」
三年の徽章をつけた少年に、二年の徽章をつけた少年が無感情な声で答える。
「第十一皇女ジャネット=レウディ=サーディエラン殿下、か。ということは…」
ちら、と三年の少年が視線を投げる。その先には、背の低い少女がいた。
「お前の妹も一緒だな?二年代表カルメーラ=ジルファーレン」
「はい。不出来な妹で、申し訳ございません」
「構わん。だが…」
三年の少年が立ち上がる。
今まで椅子に座っていたが、立ち上がれば堂々とした体躯をしている。
二メートルに近い巨漢だ。だが、鈍重そうなイメージはない。
騎士というより、戦士という方が相応しいように見える。
「このまま、皇女のわがままをのさばらせておくわけにはいくまい。身の程、というものを知るべきだ」
「はい」
「取り巻きには、誰がいる?」
「一人は二年代表の妹クラウジア=ジルファーレン、一人はソギラ公爵家嫡子アレン=オルセン=ソーレです。他三名は、商人、職人、農民の出身者です」
「ほぅ」
三年の少年が、笑みを浮かべる。
それは、相手を嘲り侮蔑する物だ。
「やはり、怯懦の血を引く皇女は違う。下賤な者を取り込み、悦に浸っているのだろう。それらくらいしか、寄る者もいないということか」
嘲笑交じりの言葉は、あまりにも的外れだ。だが、これが一般的な見解であることは確かだった。
皇女に近づこうとする者は多いが、その血筋と後見の低さに、ジャネットに重要性を見出している者はいない。
同級生達もそうだ。ただ、お近づきになっておいて損はない、と考えているだけ。
それだけ、皇族というだけで価値がある。何よりも、聖女帝の子孫、という前提が。
「そんな卑しい考えの者が、誇り高き帝立学院の生徒であってはならん。そうだな」
周囲から、いくつもの賛同の声が上がる。
「まして、騎士道を往く者が下賤に汚れるとは言語道断。皇女殿下ならばなおのこと。聖女帝のお血筋を汚すことになりかねん」
聖女帝は、誰にとっても英雄だ。
その血を受け継ぐ高貴なる皇族を守る魔導騎士になることは、彼らの目標でありその候補生であることは誇りだった。
それが共通認識。ここの常識。
エルヴィア達こそが異端なのだ。
「教えてやらねばな。騎士とは何か、皇族とは何か、どうあるべきかを。その身と心に、な」
うっそりとした残忍な笑みを浮かべる彼に、誰も否定の声を上げない。
それが当然だったから。
だから、誰もが同じような笑みを浮かべた。
来るべき日、『標的』に思い知らせるときを想像して。
暗い感情が刃のように研ぎ澄まされて、自分達を狙っていることを、エルヴィア達は知らない。