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第七話:頂き

【大陸暦八六年四月二一日:深夜】


※・※・※


 夜明けにはまだ遠い時間、エルヴィアは寮の屋根に腰かけていた。

 本来、屋根に上る術はないのだが、皆が寝静まっている時間に魔法を行使して上った。

 魔法に関することがばれるのは嫌だが、結構簡単に使っている。


「なんの因果かなぁ」


 かつて、関わりの深かった者や親しかった者の子孫達と出会った。

 市井を知り、現在の情勢に精通した者。

 騎士として仕える者の視野で広く見ている者。

 何よりも、皇族でありながら腐らなかった稀有な者

 かつての故郷に再び生まれ、思い描き、望み、願った未来とはかけ離れた現在に絶望した。

 共に戦った同胞が、自分の夫とされる者が、自分の子とされる者が。

 間違え、犯し、砕き、腐った現在の国。


「私は、こんなことの為に、戦ったわけじゃない…」


 そして、それは…。


彼ら(・・)も同じなのに」


 もしも、この現状を彼らが知ったなら、どうするのだろう。

 不可侵を築いて百年にも満たない時間で、人間は瓦解していく。

 そのことに、彼らはどれだけ失望するのだろう。

 そう思っただけで、エルヴィアは悲しく、怖かった。

 かつて、敵だった人々。

 人間とは違って、はるかに長い寿命と丈夫な肉体を持っている。

 大戦を知る人々は、まだ生きている。これからの数十年、数百年を生きる。

 『イヴ』を知る存在が、今の帝国にどういう思いを抱くのか。

 それが分からないことが怖かった。

 けれど、分かる事がただ一つ。

 彼らが抱く思いは、けして、良い物ではないということだ。


「…イエレミーヤ…」


 脳裏に浮かぶ、遠くなった懐かしい面影に思いをはせて、エルヴィアはゆっくりと瞳を閉ざした。



※※※



 風切り音とともに飛び散る汗。

 一見、舞っているかのように長い手足をふるう。

 険しい表情を浮かべるフローラは木剣をきつく握りしめる。

 滝のように流れる汗に視界を塞がれそうになりながら、歩調は揺るがず剣筋もぶれない。


「ちっ」


 小さな舌打ちを漏らして、瞳を伏せる。

 とたん、まぶたを流れる汗に、そのまま視界を塞ぎつつ剣をふるう。

 誰もいない武道場で、すでに何時間もふるい続けている。

 がむしゃらに、規則性を失い無茶苦茶としか言いようのない動き。

 エルヴィアがいたなら、止めただろう。


「くそっ」


 小さく悪態ついた瞬間、汗で滑った木剣が吹っ飛ぶ。甲高い音を立てて離れた所に転がる。

 荒い息をつきながら、フローラは袖で汗をぬぐう。

 修練着は汗でぐっしょりと濡れている。その気持ち悪さに眉を寄せながら、床の木剣を見つめる。


「強くなりたい…」


 フローラの生まれは裕福な商家だったが、母親は奴隷だった。

 兄弟姉妹から疎まれ、父の正妻に嫌われ、父には見はなされた。

 厳しすぎる環境下、いつか独り立ちして家を捨てるために自己流で身に付けた剣術。

 来る日も来る日も木の棒を手にふるい続けた。

 家族がそうだったから、街の人間もフローラに近寄ろうとしなかった。奴隷が生母であることも要因だった。

 母は幼い頃、正妻によって殺された。理由はいまだに分からない。ただの鬱憤晴らしだった可能性が高い。

 だからこそ、心から望んでいた。

 理不尽を許さなくてもいいように、理不尽をはねのけられるように強くなりたい、と。


「やっと、機会が来たんだから…」


 魔法の才があることが分かって、計画よりも数年早く家を出られた。

 環境的に精神的負荷は大きいが、それでも自分自身の力でのし上がれる絶好の機会だ。

 才能に左右される、魔導師、魔導騎士への道。

 我流だが、そこらの大人には負けないくらいに力をつけたと自負していた。

 そこで判明した、魔法の才。どれほど嬉しかったか、誰も知ることはないだろう。

 兄弟姉妹に劣らない、血筋を払しょくする、名誉あるその才能。


「無自覚に、有頂天になってたのかもね…」


 偶然、同室になった少女エルヴィア。

 その生まれも容姿も特筆すべきことは何一つとしてない。

 だが、その言葉と空気には表現することのできない力があった。

 思い知らされた。

 何も知らないことを。自負が、過信であったことを。

 突きつけられて、でも、差しのべられた手がある。

 ここに来い、と示され導かれた。

 口元に、勝気な笑みが浮かぶ。


「追いついてやろうじゃない。目標ができれば、やる気は違うのよ」


 もう一度、木剣を握りしめる。

 絶大な力を見せつけられて、けれど叩きのめすのではなく弱者を導くような優しさを示された。

 その心に報いるために。

 何よりも、そこ(・・)に行ける存在だと認められた、その想いに応えるために。

 かつてよりもずっと、強くなりたいと、フローラは思って唇をかみしめた。



※※※



 寮に設けられている談話室の一角で、ほのかな明かりを頼りにアレンとラウルは本を読んでいた。

 それは、教練書ではなく一般書庫でも最も古い魔法書。

 まだまともな記述のあるそれに、目を通しているがアレンの眉間にはしわがよっている。


「水、飲みますか?」

「あぁ」


 苦笑したラウルが問えば、低い声が返る。


「なぁ」

「はい?」


 自分の前に水の入ったグラスが置かれたタイミングを計って、アレンは声をかける。


「ラウルは、魔導騎士になるのか?」

「変な質問ですね。ここに来た以上、それが当然でしょう?」

「そうだな。だが、自分の意思で、今、本当に魔導騎士になりたいと思うか?」

「…複雑ですね」


 明確な返答ではなかったが、アレンはそれを予想していた。

 アレンも同じ気持ちだったから。複雑としか言いようがない。

 教練書に書かれているのがでたらめである事実。

 昨日(すでに日付は変わっている)、特別教室で見た奇跡のような魔法。

 それらを見て、今の魔導騎士と同じ道を歩めるかと考えたら、沈黙するしかない。

 偽りだらけの魔法の存在を知れば、今の魔導騎士に疑問しか浮かばない。


「僕としては、この国に縛られるのはごめんです」


 それだけは事実。

 ラウルは、幼少期をグローツェの名に縛られてきた。

 魔工師としての才がないから、技術師である分家に養子にやられ、そこで疎まれて虐待を受ける日々を送った。

 本家の息子で、その分家には子供がいなかった。さらに、ラウルの実父と仲が悪かった。

 現状を訴えても、才能のない息子に父は見向きもせず、母は知らぬ間に帰らぬ人となっていた。

 残ったのは、母の形見であるピアスだけ。

 母の死から二年後、父をふくんだ家族は皆殺しにされた。

 怒りも悲しみも絶望も感じた。だが、それ以上に感じたのは安堵。

 これ以上、この家に縛られるのはごめんだった。もう、縛られなくて済むことに、安堵した。


「僕は、自分自身で立つためにここに来ました。魔導騎士を選んだのは、政治に興味がなかったからです」

「それはオレも同感」


 アレンは軽い動きで頷く。

 母の下も、父の下も、環境としては大差がなかった。

 いっそのこと皆殺しにしてやりたいと、思ったことは一度や二度ではない。

 政治に関わって、国に縛られるのは嫌だった。家に縛られるのも嫌だった。

 魔導騎士なら、どちらにも距離を置いて接することができる。

 なのに、今、その道が揺らぎ始めた。


「ですが、今、目指したい頂きは見えています」

「へぇ、奇遇だな。オレもだ」


 顔を見合わせて、二人は笑う。

 決めた道は揺らいだ。その代わり、新しい道が見えた。

 魔導騎士になりながら、新しい道を突き進む。そして、目指すべき頂きに立ってみせる。


「「絶対に追いつく」」


 宣誓のように、同時に呟かれた言葉。

 差しのべられた手と、はるか上から自分達が歩んでくるのを待っている瞳。

 それに応えるために、もう揺らがない。

 かつてとは逆に、その道とその存在になら縛られてもいいと、アレンとラウルはそう思った。



※※※



 手のひらに乗せたピアスを見つめているジャネットを、クラウジアは少し心配そうに見つめる。


「クラウジア」

「はい」

「わたくしは、どうしたらいいのかしら」

「ジャネット様は、どうされたいのですか?」


 はたから聞けば何のことか全くわからない会話だが、二人の間ではちゃんと通じている。


「わたくしは、皇族であることが嫌だったわ」

「存じております」

「皇族でなければ、好きに生きられた。でも、今の帝国ではそれは難しいことは分かっているわ。それでも、自由でいたかった。好きに生きたかった」

「はい」

「けれど、今は、皇族であれたことに、少し感謝しているわ」

「さようですか」


 強気な笑みを浮かべるジャネットに、クラウジアは安堵したように微笑む。


「皇族であるからできることがあるわ。その権限を振りかざすのは嫌いだけど、必要ならいくらでもふるうわ」

「はい」


 ピアスを強く握りしめる。

 それは、母の形見である紅玉髄カーネリアンのピアス。シンプルなそれの周囲に、極小の水晶球をつけて法具にしたもの。

 改造するには高度な技術と莫大な費用がかかる。

 皇族であること、そして、たった二人しかいない魔法の才を持つ者であることを理由に、父に唯一言ったわがままが、母の形見を法具とすることだった。

 せめてもの、心のよりどころ。


「わたくしは、彼女に、エルヴィアに認められたいわ。対等な存在として」

「わたしもです」


 農民出身の少女に、対等の存在と認められたい。

 そう思うのは、おかしいのかもしれない。

 けれど、二人はそれを当然と受け止めた。

 同じ位置に上れると認められたから、差しのべられた手。

 その手を必ず握るために、嫌なことも利用して、踏み台にして、歩んでいく。

 かつての痛苦を抱き、それを糧にして、ジャネットとクラウジアは同じ頂を目指すと、そう決めた。


 次代を担っていく少年少女の思いは、屋根の上、遠い過去の面影に心をはせる少女に注がれる。

 ただ一人の少女にこそ、認められたいと、一心に思っていた…。




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