第六話:縁と認可
【大陸暦八六年四月二十日:書庫】
※・※・※
ジャネットとの予期せぬ試合の翌日。
準備運動なしの過度な運動はさすがにこたえたのか、エルヴィアはぐったりと机に突っ伏していた。
「大丈夫?」
フローラの問いかけに、よっぽど疲れているのかひらりと手を振るだけで答える。
帝立学院の週に一度の休日。
ほとんどの一年生は、コネ作りにいそしんでいる。二・三年生は自主練にいそしむ。
魔法技術棟と武道場、訓練室などは上級生が優先的に使えるため、一年生が行えるのは予習復習くらい。
結果、書庫に一年生がほぼ集まっていた。アレンがいるのが最大理由だろう。
「魔法の練習は技術棟でないとできませんからね。武術訓練も空いているのは演習場くらいですし」
落胆したように呟くラウル。その横で、アレンは欠伸を噛み殺しながら本をめくっている。
演習場は野外訓練場で、模擬戦なども行われたりする。つまり、かなり広い。
土地が広いため、休日の使用は十人以上の生徒の連名と教師の認可が必要になる。
現状、エルヴィア達四人では演習場の使用ができない。
アレンでつれば十人くらい集まるかもしれないが、媚びる奴もやる気のない奴も四人は嫌いなので実行しない。
「まぁ、本読んでるだけってのも暇だから。エルヴィア」
「ふぁ?」
「魔法講義、第二回と行こうぜ」
「ここで?」
脱力しきったエルヴィアは呆れたように返す。
フローラとラウルも辺りを見回して、同意するように頷く。
周囲の生徒達(魔導師科も含む)は、アレンに近づこうとしきりにうかがっている。その手には、基本魔法の教本を持っているあたり、根は真面目かもしれない。
それらの存在を一切合財無視して、アレンはニヤリと笑う。
「地下で」
「地下書庫は、重要文献の保管場所ですから、授業と特別許可以外では入れませんよ?」
「だから、誰も近寄らねぇだろ? 好都合だろ」
「不法侵入する気? 別に良いけど、見つかったらあたし達が大変なんだけど?」
アレンは無罪放免にされるだろうが、商人と職人と農民の出身であるエルヴィア達はきつい罰則を受けるだろう。
それを想像して、アレンは不満げに眉を寄せる。
エルヴィア達が不当な叱責を受けるのは嫌らしい。
「なら、特別教室を使いましょう」
ガタン。
エルヴィアの隣、空席だったそこの椅子を引いて、五人目が割って入ってきた。
フローラ達は嫌そうに眉を寄せ、エルヴィアは苦笑して起き上がる。
「特別教室も、許可がいったはずよね? 上級生と魔工師科の人が優先される、て聞いたけど?」
「わたくしの名前に、逆らえる教師や生徒は、貴方達を除いていないわよ?」
「確かに、ね」
普通に会話しているエルヴィアにいぶかしげな視線を向けると、もう一人、書庫の入り口からやってきた。
「ジャネット様、許可が下りました」
「ありがとう、クラウジア」
エルヴィアに丁寧に一礼して、クラウジアが許可証をジャネットに渡す。
第一印象最悪な二人がそろった上、エルヴィアはと親しげであることに訳が分からず戸惑う。
そんな三人に苦笑して、エルヴィアが振り返る。
「ジャネットが、部屋をおさえてくれたみたいだから、行こう」
呼び捨てに驚きつつも、ジャネット達から先日のような雰囲気は感じられず、三人は一応従う。
アレンに加えてジャネットとクラウジアまで合流した一行に、生徒達は声をかけたそうにそわそわしている。それらを一顧だにしない姿勢とここに残っているアレンから先日向けられた一言が、声をかけることを躊躇わせた。
その躊躇いの間に、六人はさっさと書庫を出て行く。フローラ達の手には、いつの間にかそれぞれに興味を抱いた魔法書が握られていた。
(あれ、全部私が講義するのかなぁ)
それぞれに分野が違う魔法書を一瞥して、エルヴィアはちょっと遠い目をした。
※※※
許可を取った特別教室に向かいながら、フローラがエルヴィアの袖を引く。
「ねぇ、どうなってんの?」
「何が?」
「何か親しそうじゃない、皇女様達と」
「昨日、帰るの遅かったでしょう?」
「補習でしょ?」
「その後、武道場で一戦やったんだよね。ジャネットと」
「へ?」
ジャネットとエルヴィアを交互に見て、驚きをあらわにするフローラ。それに苦笑して肩越しに後ろを見れば、話を聞いていたアレンとラウルも瞳を丸くして驚いている。
「色々、大変な立場で、必死に虚勢を張って、頑張ってたみたいよ?」
色々、に少し力を込めれば、それなりに複雑で悲惨な生い立ちの三人は何かを察したらしい。
表情に苦い物を浮かべて、複雑そうな視線をジャネットに向ける。
エルヴィア達の会話を背中越しに聞きながら、ジャネットは居心地悪そうに視線を泳がせる。
主の慣れない様子に苦笑するクラウジアは、どこか安堵していた。
城でも学院でも味方がいない。クラウジアの家族ですら敵だった。
だから、クラウジアはかなり気を張っていた。
最初に、皇族として居丈高にふるまうことで、他者との間に壁を作る。それが、何よりも手っ取り早かった。
なのに、フローラ達は素直に嫌悪を表し、エルヴィアは説教をした。
ジャネットには驚愕で、そして、嬉しかった。クラウジアも、本心そのままに接してきたエルヴィア達にわずかな喜びを感じた。
だが、二人は対人関係を築くのが下手だった。
誰かと関わる事が極端に少なかったせいだが、その為、自ら関わっていくことができないでいた。
昨夜の試合は、エルヴィアからきっかけを作ったからできた。
だから、今回、ジャネット的にかなり頑張って声をかけた。
なんでもない様子だったが、心臓が破裂しそうなくらいに動悸がすごかったし、かなり動揺していた。表情を読ませないようにする術も、幼少期に培われたもので、役立って嬉しかったことは今回ほどないかもしれないと思うほどだ。
「クラウジア、どうしよう…」
「聞きたいことがあるからお誘いしたのでしょう? 素直にお聞きになれば…」
「い、いや、そうじゃなく。あ、謝るべきかしら? 初めての時のこと…」
「何やら、ご理解くださったご様子です。変にかしこまっては場の空気が妙になるかもしれません。気になさっていらっしゃらないようなら何も言わないでいいのでは?」
「そ、そうかしら?あ、あぁ、でもっ!」
「わたし以外にご友人を作られるのは喜ばしいことです。友情を築きたいと思って行動なさるのは素晴らしいことです。わたし自身、人間関係には疎いことがございますから、偉そうなことは申せません。時に思い悩みながらも進むのは間違っていないと思われます。ですが…」
「?」
「悩みすぎて教室を過ぎるのはどうかと思われます」
「!?」
立ち止まって振り返るクラウジアに、反射的に勢いよくジャネットが振り返る。
首を傾げたエルヴィア達も立ち止まって同じように振り返る。
ジャネットは手の中の許可証と教室の名札を見比べて、元に戻る。
許可証をカギ穴に差し込んで、教室をあけるとさっさと入ってしまう。
しばし、固まる一同を、クラウジアは入り口横に立ちながら促した。
「ジャネット様は、人見知りで臆病なところがおありで、慣れないことには抜けたことをしでかすことがある」
淡々と、主に対して随分な言いようのように聞こえるが、苦笑するクラウジアはそれを許されているのだろう。
それだけ、二人の絆は深く強い。
かなり緊張していることがクラウジアの言葉から知れたエルヴィアは、微笑ましいと言わんばかりに柔らかい笑みを浮かべる。
フローラはポカンとし、アレンは吹き出すのをこらえ、ラウルは眉を寄せて宙をにらんでいる。
それぞれ、第一印象と皇女のイメージが、吹っ飛んだらしい。
もちろん、良い意味で。
数秒後、全員が笑いながら入ると、しかめっ面で椅子に座るジャネットがいた。
その耳が赤くなっていたことに、フローラとアレンが噴き出した。
ジャネットが借りた特別教室は、魔法理論の実験(魔法陣構築など)を行う教室で、簡単な魔法なら使用できる。
エルヴィア達にとって都合のいい部屋だ。
「まず、部屋を確保してくれたジャネットから聞こうかな」
「ぇ?」
「何か、聞きたいことがあったんじゃないの?」
首を傾げるエルヴィアに、ジャネットは諦めたように溜息をついた。
「法具を、見せて欲しいの。持っているでしょう?」
魔工師の一族かそれなりに力のある貴族でなければ、個人で法具を所有することはできない。
高価であることと特殊技術によって作られるものであるため、全てが管理されている。
市井で手に入るのは、エルヴィアの髪飾りのような質の悪い物。それらでさえも管理対象に入る。
そのため、学院生や身分の低い者が魔導師になる前から持っていることはない。アレンやジャネット、クラウジアは身分が高いから個人で所有している。ラウルは魔工師一族だ。
「あぁ、これのこと? これは…」
「そっちじゃなく。もう一つ、持っているでしょう?」
髪飾りにそっと触れたエルヴィアを制して、ジャネットはエルヴィアの胸元に視線を向ける。
その視線にエルヴィアは苦笑して、首にかかっている鎖を引っ張る。
取り出されたシンプルなクロスを見て、ジャネットとラウルが息をのんだ。
中心に紐のように細くした銀が交差しているだけの、水晶のクロス。
だが、水晶そのものの法具はない。
水晶は核、銀は魔力の方向性を導くように細工され、出来あがるのが法具。必然、銀の使用比率が大きい。エルヴィアの法具のように、九割が水晶という法具はまずない。
さらに、水晶を加工するのはとても難しい。クロスのように多角形は特に。
それを知っているジャネットとラウルは、無意識に詰めていた息を大きく吐き出した。
アレンは珍しそうに、フローラは初めて見る法具に興味心身で見ていた。
「よく、私が持ってるって気付いたね」
「制御を、間違えたでしょう? 昨日」
「あぁ、うん」
気まずそうなエルヴィアに気付かず、ジャネットはクロスをじっと見つめる。
「慣れてない、ていう印象を受けたから。魔法の詠唱その物に」
「誰もがそうでしょう?」
「それなら、分からない、でしょ。不安に思うのは普通だもの。初めてなんだから。法具による制御に慣れている者は、法具を使わずに魔法を行使することに戸惑いを覚え、制御を間違えることが多いわ」
エルヴィアが黙り込んだことに少し不安になるが、言いたいことは言ってしまおうと言葉を続ける。
「個人的に所有していても学院に持って入るには許可がいるわ。学年筆頭は特例だけど、それ以外は明確で正当な理由が必要になる。皇族や公爵家は自衛手段が正当理由になるから、持って入れるけど…」
「まぁ、確かにオレのも法具だけどな」
一瞥を向けられたアレンが自分の髪留めに触れる。
「わたくしとクラウジアも持っているわ。あと、おそらく、貴方も…」
「僕のは見ただけでは分かりにくいんですけどね」
苦笑するラウルが身につけているのは、左耳だけにつけたピアス。一見、青玉にしか見えない。おそらく、青水晶(希少な発色水晶の中で最も数が多い)だろう。
「あからさまに法具と分からない限りは、申告しなければ持って入れるのね」
唯一、法具を持っていないフローラが、呆れたような視線をラウルの左耳に視線を向ける。
曖昧な微笑みだけを浮かべるラウルは、何も言う気はないらしい。結構、良い性格をしている。
魔導師には法具でないかどうかが分かるはずだが、身分と見た目で特に調べられなかった。学院側の怠慢なので、ラウルはわざわざ自分で言う気はない。取り上げられるのはごめんだった。
「制御を間違えたこと、動作、慣れていないこと。ふまえたら、持っているんじゃないかと思ったの」
「これだと、思わなかったんだ?」
「作動中の法具は光をまとう。髪飾りは光っていなかったわ」
呆れ、諦め、感嘆などをふくんだ複雑な笑みを浮かべ、エルヴィアはクロスを握りしめる。
「素晴らしい洞察力ね」
「褒め言葉と受け取らせてもらうわ」
「もちろん、そのつもりだもの」
エルヴィアが瞳を閉ざした瞬間、クロスを握りしめた指の隙間から光が漏れた。
徐々に強くなる光は、エルヴィアの足元と頭上、前後左右に複雑な文様の魔法陣を形作る。
円、方、古代文字で造られる魔法陣は淡い緑に発光し、一拍後、視界を覆うほどに強烈な光を放った。
思わず、誰もが瞳をきつく閉ざし、まぶたの裏を支配する白い光が消える頃、そろりと開いた視界に、呆然とした。
そこは、教室ではなかった。
「ジャネット」
呆然と見上げていたジャネットは、呼ばれて視線をゆっくりと向ける。
「貴方は頭が良いわ。それを見せるべき時とそうでない時を知っている。本当の意味で賢明だわ」
エルヴィアは、全員の視線を受けながら、穏やかに微笑んだ。
「だから、ここで一つ学んでいきなさい」
それぞれが腰かけていた椅子の感触がない。机も。立っているはずの床の感触すら。
「抱え込んでいても解決が見つけられない疑問を、その答えを知っている者にぶつけるのは正しい。けれど、相手のことを知ってからになさい」
厳しくも、愛情のこもった声が、ジャネットの背筋を伸ばさせた。
「自身を隠す術を貴方は知っている。だからこそ、言葉にもそれを用いなさい。貴方の素直な言葉は、相手に隙を与えることにつながるわ」
教え、諭し、導くような言葉。初対面の時のような。
「貴方自身と貴方を信じる人のために、貴方の命と心を守ることを優先なさい。賢明な貴方なら、それが出来るでしょう」
そっと指が解かれ、握りしめられていたクロスが姿を現す。
「信頼できる者を作りなさい。自らの心と言葉を素直に託せる存在を」
穏やかな声と微笑みと、広がる世界に誰もが息をのみ、奥歯をかみしめた。
上も下もなく、広がる全天の星空。
無限に広がる空を、空間干渉魔法で具現化しただけ。床や机などが消失したように感覚を錯覚させている。
星空を室内に限定して具現化させるのはそれほど難しくない。古式魔法の中でも、簡単な物だ。
同時に、人体の感覚を錯覚させる干渉魔法も行使されている。これもさほど難しい物ではない。
一つ一つは、それなりに経験を積めばこなせる魔法だが、同時に行えばその難易度は一気に跳ね上がる。
さらに、魔法陣構築だけで、詠唱破棄。
そう簡単にできるものではない。
熟練の魔導師でも、難しい。現在の魔導師では、不可能な魔法の行使。
立場的にそれを知っているジャネットとクラウジアは、ただ感嘆し、悔しかった。
得体のしれない者への恐怖はない。
自分達のはるか上を行く者の、底知れない実力に感動して、生涯をかけてもたどり着けないような遠さに悔しさが沸き起こった。
ジャネット達だけではなく、フローラ達も。
現在では誰も行使できない高度な魔法。
奇跡とも言えるほどに遠い神聖魔法に近い。
目の当たりにした現実、そして、諭されたことに、誰もが心に浮かべたのは向上心。
はるか先を行く者が、振り返り差し伸べる手に似た導き。
その手に、背に、届いてみせるという強い想い。
かつて、聖女と呼ばれた少女は、彼らを彼女らを待っている。
はるか高みから、手を差し伸べて、ここに来い、と。
それだけの存在だと、信じて。