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第八話 朱と白の賭け

 絶望が広間を満たす中で――

 ただひとり、リセリアだけが、口元を吊り上げていた。


「……あなた、まだ勝った気でいるつもり?」


 サタナキアの灰色の瞳が、ゆっくりと細くなる。


『もちろんですとも。

 こちらはほぼ無傷、そちらは戦意喪失。

 ――なのに、なぜあなたは、そんなにも勝ち誇った顔ができるのです?』


 灰の視線がちらりと周囲をなぞる。


 地に膝をつき、宝具を支えにようやく立っている者。

 崩れた石畳にもたれかかったまま、震える手で傷口を押さえる者。

 完全に目の光を失い、ただうつむいている者。


 どいつもこいつも、さっきまでの勢いは見る影もない。


『他の宝具ハンターは、もう立っているのがやっとでしょう?』


 サタナキアの言うとおりだった。

 ここにいるハンターの多くは、先ほどの総攻撃と反動でボロボロだ。


『それでもなお、あなたは笑う。――なぜです?』


 そこで、サタナキアは首を傾げた。


『……それにしては。ひとつ、妙ですね』


 灰色の瞳が、リセリアの足元をなぞり――わずかに見開かれる。


『あなたの隣で倒れていたはずの、あのトーンレスは――どこに?』


 リセリアは肩をすくめた。


「バレてしまっては、仕方ないわね」


 ひゅ、と指先を持ち上げる。

 細い指が――最奥へと続く階段を指し示した。


 サタナキアはゆっくりと振り向く。

 その動きにつられるように、地に伏していたハンターたちも顔を上げた。


 階段の途中。

 血に濡れた足を引きずりながら、それでも必死に段を駆け上がる影がひとつ。


 ――カイル。

 白い髪の、トーンレスの少年だった。


 周囲のトーンレスたちは、まだその場で縮こまり、ほとんど動けずにいる。

 動いた瞬間に殺される――そう信じ込んでいるからだ。


 その中で、ただひとりだけ。

 死を覚悟して駆け上がるトーンレスがいた。


『……なぜ、奴がそこにいる?』


 サタナキアの声に、わずかな苛立ちが混じる。


 リセリアは、わざとゆっくりとした口調で言った。


「あなた、私たちの“トーン”から発生する魔力に、過敏に反応してるでしょう?」


 灰の瞳が、かすかに揺れた。


『――なぜ、それを……?』


リセリアが淡々と告げる。


「……あなた、私たちの総攻撃を受けたあとの“防ぎ方”、見ていれば分かるのよ」


彼女はサタナキアの背のルージュビオレを指す。


「今のあなたが完全に耐性を持っているのは、その二色だけ。

 だから、それ以外のオランジュジョーヌベールブルは完全に受けるしかない。

 ただ、あなたがかすり傷ひとつないなんてあり得ない」


そして――ゆっくり息を吐いた。


「……ただし、これは“賭け”でもあったけどね」


サタナキアの灰色の瞳が細くなる。


『賭け……とは?』


リセリアは指を階段へ向けた。


「簡単な話よ」


階段を駆ける白い影。


「今、あそこを走ってるのはトーンレス。

 この世界の七色から“こぼれ落ちた”存在。

 だから――」


リセリアの眼差しがサタナキアを貫いた。


「魔力を、一滴も持たない」


 核心を突かれ、サタナキアは一瞬だけ黙る。

 そして――。


『……はは』


 乾いた笑いが漏れ、やがてケタケタとした嗤いに変わった。


『これはこれは。一本取られてしまいましたね』


 灰色の指が、ゆっくりと鳴る。


『あなたの言うとおり、我々は“トーン”に敏感です。

 ルージュも、オランジュも、ジョーヌも、ベールも、ブルも、ビオレも――

 その魔力の波形は、炎の中でも白日の下でも、はっきりと視える』


 灰の瞳が、階段のトーンレスを射抜く。


『ですが――奴は違う。

 トーンレスには、何もない。

 ゆえに、こちらからは“存在感”すら薄い』


 サタナキアは頭を振り、愉快そうに笑った。


『なるほど。だからこそ、あの煙幕の中でひとりだけ動かせたわけですか。

 あなたの《赫焔かくえん》で視界を塗り潰し、トーンの波形をかき乱しておいて――

 トーンレスだけを、こっそりと走らせる』


 灰色の唇が、にやりと歪む。


『面白い。ここまで計算できるのなら――手を抜いている余裕はありませんね』


 サタナキアはくるりと身を翻した。

 宝具を持たない宝具ハンターのオランジュジョーヌのハンターたちが固まっている方へ、灰色の視線を向ける。


『まずは――足りない色を、揃えましょうか』


 次の瞬間、灰色の影が掻き消えた。


「――っ!」


 反応する暇もなかった。

 気付いたときには、ふたりのハンターの髪が、みるみる白く染まっていた。


「う、あ……っ!? 色が……!」

「や、やめ――……っ!」


 彼らの髪と瞳から、色が抜け落ちていく。

 オランジュの温かさも、ジョーヌの電撃も――すべてトーンレスに塗り替えられていく。


 サタナキアの背から、ぞり、ぞり、と音がした。


 一本。

 また一本。


 新たな翼が生える。


 岩でゴツゴツした橙色の翼。

 稲光をまとった黄色の翼。


 背中には――赤、橙、黄、紫。

 四色の翼が、不気味に揺れていた。


『やはり、戦意を失った者から色を奪うのは、実に容易ですね』


 サタナキアは愉快そうに肩をすくめると、そのままトーンレスの方へ振り向いた。


『さて。あの子供を、止めに行くとしましょうか』


サタナキアの四色の翼が――爆ぜるように広がった。


ルージュ

オランジュ

ジョーヌ

ビオレ


そのうち、ジョーヌの翼だけが、空気を裂くほどの雷紋を走らせる。


『――速度、解放』


バチィッ。


大広間の空間そのものがひび割れたように揺れた。


「ジョーヌの……速度強化……!」


リセリアの顔が引き締まる。


次の瞬間、サタナキアの足元から灰色の爆風が巻き上がった。


――奴が飛ぶ。


「全員――彼を守って!!

 奴が飛び立つ前に止めるのよ!!」


だが、その叫びよりも先に――

動いた影があった。


十数名のハンターが、武器も宝具も持たずに前へ躍り出る。


誰も詠唱しない。

誰も技名を叫ばない。


ただ――命を削る覚悟だけがあった。


数人のルージュオランジュジョーヌ

が飛びかかり、翼へしがみつき、サタナキアの胴へと全体重をぶつける。


バキィッ!!


骨が折れる音が響いた。

それでも誰も離れなかった。


『鬱陶しい……!』


サタナキアの表情が初めて歪む。


「俺たちごとやれぇ!!

 数秒でいい……時間を稼げッ!!」


肉体だけで、悪魔に張り付くなど本来できることではない。


だが彼らは知っていた。


――ここでトーンレスを通さなければ、外の世界が滅ぶ。


だから、誰も離れなかった。


今度は後方。


ビオレの魔術師数人が両手を組み合わせる。


「――行動阻害、最大展開。《歪界呪陣ディストル・デバイド》!!」


紫の陣がサタナキアの視界・平衡・反射を狂わせる。


続けて、数人のベールブルが声を張り上げる。


「《蔦牢結界ヴィネ・ルクス》!!」

「《水圧封鎖アクア・グラビティ》!!」


蔦の檻と水圧の檻が幾重と重なり、

張り付いたハンター達ごと、サタナキアの動きを固定した。


『……ああ、なるほど。

 そんなにあの“トーンレス”に賭けていると。』


サタナキアの灰色の目が細くなる。


次の瞬間、大鎌がぬるりと振り抜かれた。


ザシュッ。


ビオレベールブル――

閉鎖魔法を維持していた数人のハンターの身体が、魔法と同時に断たれた。


封鎖が消失。


張り付いていたハンターたちも、

ビオレの精神干渉によって意識を刈り取られ、地へと落とされた。


『呆気ない。』


その冷たい声が響いた直後――


「――撃てェェェェェッ!!」


宝具持ち全員の叫びが広間にこだました。


サタナキアの視線が動く前に、

十人分の混合奥義が同時に叩き込まれる。


ルージュ × オランジュ× 下位悪魔ヴォルグ


紅蓮墜星クリムゾン・メテオ


赤炎と大地が融合し、落石すら燃え崩す隕石と化す。


ベール × ブル × 下位天使エリュオル


蔦獄奔流ヴァイン・サージ


蔦の蛇と水の獣が絡み合い、牙をもつ奔流としてサタナキアへ噛み付く。


ビオレ × ルージュ × 下位悪魔グラステア


毒炎侵鎖ポイズン・バーンチェイン


下位悪魔グラステアの“腐蝕の力”が、赤と紫の炎に混ざり、鎖となってサタナキアの四肢を侵す。


オランジュ × ジョーヌ × 下位天使キュレオン


雷震地轟サンダー・テラブレイク


大地振動と雷撃を合成した、直線型の破壊衝撃波。


ブル × ビオレ × 下位悪魔ノーグ


毒潮心穿トキシック・アクアスパイン

精神を揺らす波と水流が混ざった“心臓刺し”の狙撃魔法。


ベール × ルージュ × 下位天使フェリオス


紅蔦咆哮ボタニカル・ハウル


紅蓮樹の咆哮が衝撃波となり、蒼炎の渦を巻き起こす。


炎、大地、雷、水、蔦、毒――

六色の混合奥義が一斉にサタナキアを襲った。


広間が揺れ、

天井の石片が何枚も落ち、

床が何度も割れた。


まさに――宝物殿が崩壊するレベルの火力。


だが、サタナキアの背で四色の翼が震えた。


ルージュ――焔の脈動

オランジュ――大地の躍動

ジョーヌ――雷の震え

ビオレ――精神の波動


四色が重なった瞬間――


ゴウッ……!!


空気中の色素が吸い寄せられ、

サタナキアの身体の周囲に 虹霓こうげい が走った。


赤でも橙でも黄でも紫でもない。

四色が干渉し合うことで生まれる、

四重の“色圧しきあつ”。


『――よいでしょう。

 四色の“虹霓こうげい”で迎えて差し上げます』


サタナキアが大鎌をゆっくりと構える。


それだけで、

広間の石畳が ひび割れた。


「圧……ッ!?」

「魔力が、押し潰される……!」


宝具持ちたちが一斉に歯を食いしばる。


『人の色をここまで混ぜた。

 ならば、私もそれに応えましょう』


サタナキアの足が少しだけ後ろへ滑る。

“構えを深くするための一動作。”


次の瞬間。


ギ……ググゥゥウウ……ッ!!!


大鎌に四色が収束した瞬間、

空間が“悲鳴”を上げた。


ルージュの灼熱。

オランジュの重量。

ジョーヌの振動。

ビオレの干渉。


四色の魔力が刃に凝縮され、

“色そのものが震える音”が広間全体を叩く。


サタナキアは大鎌を――

ただ一度、振り下ろした。


『――《四色虹霓・断 しきさいこうげい・だん 》』


大鎌の軌跡が、

光ではなく 色裂しきれつ を生む。


その刹那。


ドォォォォォォオン!!!


六つの奥義が

まとめて粉砕された。


隕炎は二つに割れ、

水獣は霧散し、

蔦顎は裁断され、

雷土は反転し、

毒潮は蒸発し、

紅蔦の咆哮は、色の塵へと還った。


ハンター達が息を呑む。


「……馬鹿な……」

「六つ合わせて……崩された……?」

「いや、崩されたんじゃない……消された……!」


サタナキアは薄く笑った。


『四色の色圧――

 これが、あなた達が相手取っている“領域”です』



「くっ……やっぱり俺たちじゃ、勝てねぇってのか……!」


悔しさと絶望が混じる声。


だが、その“数秒”――

カイルには十分だった。


カイルは、その短い猶予で三段分を駆け上がっていた。


「はぁ……っ、はぁ……っ!」


血まみれの手で階段を掴む。


視界の端で――

宙に浮かぶ黒い羽根が、わずかに揺れた。


(あと……あと少し……!)


カイルは歯を食いしばり、

二段、三段と登った。


だが、サタナキアの眼が、カイルを射抜いた。

サタナキアはすぐさまジョーヌの速度強化を使い、カイルに追いつく。


『詰めが甘かったな――トーンレス風情が』


 紫の翼の周りに、幾重もの精神干渉陣が展開される。

 ビオレ特有の、不快な耳鳴りがカイルの頭の中を締め付けた。


「ぐっ……!」


 視界がぐにゃりと歪む。

 階段の段差が一瞬で見えなくなり、足が急に上がらなくなるほど重くなる。


(まずい……このままじゃ――!)



「――させない」


 背後から、穏やかな、だが芯のある声が響いた。


 リセリアだった。

 彼女はふらつく膝を押さえつけながら、ゆっくりと立ち上がった。

 

 リセリアの足元にまた、赤い紋様が広がった。

 “王族の権能”の陣。


 紋様が一気に燃え上がる。


「――《赫焔かくえん》!!」


「その攻撃は効かん!」


そういうとサタナキアがルージュの翼で受けようとする。


ただ、リセリアの隣には、ジョーヌの髪をした槍使いが一人。


「雷撃!!」


赫焔かくえん》とジョーヌが混ぜり合わさる。


「《赫雷かくらい》!!」


さっきまでの赫焔とは比にならないスピード。


とっさにルージュの翼で攻撃を受けようとしたが間に合わなかった。

サタナキアのビオレの翼を貫く。


四枚の翼で空中を浮いていたサタナキアはバランスを崩して落ちていく。

そしてカイル対して使っていた精神干渉陣が、次々と消えていく。


いくら耐性があろうとその色の翼で守らないとリセリアの攻撃は防げなかった。


「詰めが甘かったわね!」


上空を飛んでいたサタナキアはバランスを崩し降下していく。


「人間風情が!!」


サタナキアの咆哮が響いたとき――

リセリアは、にやりと笑い、そして静かに崩れ落ちた。


その身体が床に触れるのとほぼ同時。

サタナキアの四枚の翼のうち、ビオレだけが燃え尽きていた。


『……詰めが……甘かったのは……そちらだ……!』


落下しながら、サタナキアは大鎌を逆手に握りなおす。

ビオレの精神干渉は死んだ。

だが――残る三色は依然、健在。


ルージュが灼け、

オランジュが軋み、

ジョーヌが震えた。


三色が大鎌の刃へと滲む。

空気が破裂音を上げて反転する。


サタナキアの瞳が、階段を登るカイルを射抜いた。


『――《三色虹霓・さんしきこうげい・だん》』


ギィィィィンッ!!


大鎌から放たれた斬光は、

さきほどの四色ほど洗練されていない。

ただ――破壊に特化した“暴力の光の奔流”だった。


階段ごとカイルを両断する軌道で疾走する。


「っ……!」


精神干渉が消えても、身体はまだ重い。

ふらつきながらも、カイルは階段を一段、また一段と登る。


背後から迫る三色の破壊斬撃。


(間に……合え……!)


指先が――黒い羽根に触れた。

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