第七話 色喰らいの名
灰獣の背に生えた二枚の翼を見た瞬間、広間の空気が変わった。
赤と紫。
炎と精神。
どちらも、この世界では“主属性”と呼ばれる強い色だ。
それを、まるで戦利品のように背負っている。
「……マジかよ……」
「色を、翼に……? 聞いたことねえ……」
宝具ハンターたちがざわめき、喉を鳴らした。
恐怖と、同時に――獲物としての“価値”を悟った目だ。
(ほんとに、ろくでもない連中よね)
リセリアは、喉の奥で苦く笑った。
震える膝を、意志の力で押さえつける。
怖くないわけがない。
でも――ここで怯えて後ろを向いたら、それこそ“赤の王族”の名折れだ。
「前衛は赤と橙、後衛は黄と紫が軸。青と緑は サポートに回って」
リセリアは、短く指示を飛ばした。
「宝具持ちから順に、前に」
「了解!!」
髪の色が、それぞれの意思を照らす。
炎の赤。
大地の橙。
雷の黄。
水の青。
生命の緑。
精神の紫。
彼らは皆、自分の色に見合った“宝具”を持っている。
それは多くが、下級天使か下級悪魔の名を冠したものだ。
名だけは立派だが、階級としては“下々の存在”が宿る宝具たち。
それでも普通の魔物相手なら、十分すぎる力を発揮してきた。
今までは――。
「全員!死にたくないなら、全力で」
リセリアが赤い髪を揺らし、前へ出る。
背筋を伸ばし、胸の奥で炎が燃えるのを感じながら。
(絶対に、ここで止める……!)
◆
「――開戦だ!」
赤髪の男が駆ける。
握りしめた宝具が赤黒く脈動し、瞳が“紅色”に染まる。
「《ヴェラク》ッ!」
男が振るう大剣から、黒混じりの紅蓮が奔る。
悪魔ヴェラクを宿した、炎を纏う剣だ。
灼熱の斬撃が灰獣へと襲いかかる。
同時に、橙色の髪の女が宝具を手に持った。
瞳が“代赭”に染まる。
「《マルバス》、拘束!」
橙髪の女が地面を叩きつけた。
悪魔マルバスを宿した岩のハンマーが、鈍い音を響かせる。
石畳が唸りを上げて隆起し、灰獣の足元を縛る。
橙系統ならではの、大地支配の一撃だった。
別の方向から、青髪の男が杖を突き出す。
瞳が“縹”に染まる。
「水で足元を滑らせろ。《ネフィエル》!」
天使ネフィエルを宿した、水を纏う杖が唸る。
冷たい水流が灰獣の足場を洗い、バランスを崩そうと渦を巻く。
「雷、通すわよ! 《キュレエル》!!」
黄色の髪をポニーテールにした少女が叫び、雷槍を放つ。
天使キュレエルを宿した、雷を纏う槍だ。
瞳が“雌黄”に染まる。
大地と水が作った“通り道”に、雷が一気に走る。
炎が押し、土が縛り、水が導き、雷が貫く。
教科書どおりの連携だった。
さらに、紫髪のハンターが目を閉じる。
「精神干渉、重ねる。《目覚めよ。ザガン》……感覚撹乱」
閉じていた目を見開いた時、瞳が“二藍”に染まる。
悪魔ザガンを宿したネックレスが、五つの魔法陣を展開する。
見えない波紋が空気をゆがめ、灰獣の視界と平衡感覚を乱す。
息もつかせぬ連携。
この一瞬に込められた経験と研鑽は、決して軽いものではない。
――だが。
灰色の人影は、一歩も動かなかった。
紅蓮に包まれても、
大地に縛られても、
雷が爆ぜても。
灰獣は、ただそこに“いる”だけだった。
火は、赤い翼の周囲で霧散し。
雷は、紫の翼の前で弾かれ。
大地の拘束は、足首のあたりで“それ以上進めない”かのように固まる。
「なっ――」
前衛の男が目を見開いたそのとき。
灰獣の口元が、ひくり、と動いた。
――笑った。
けたけた、と、くぐもった笑い声が洩れる。
「……何がおかしい?」
橙髪の女が唸るように言った。
「なめやがってんのか、テメェ」
その問いに、灰獣は――はっきりとした言葉で答えた。
『あなた達が使う“下々の宝具”など……我に傷はつけられませんよ?』
その声を聞いた瞬間、広間の空気が凍り付いた。
宝具ハンターたちが、一斉に眼を見開く。
「……しゃ、喋った……?」
「灰獣が……?」
灰獣は本来、意思疎通などできない。
ただ本能のままに喰らい、壊し、色を曇らせるだけの“災厄”。
彼らは、ずっとそう教えられてきた。
「お、お前……なぜ我々と言葉を交わせる……?
意思疎通ができるなら、なぜ最初から喋らなかった……!?」
黄色の少女が震える声で叫んだ。
灰獣――いや、灰色の人型は、ケタケタと笑った。
『ああ、そういえば。
“理由”を説明してあげた方が、あなた達には親切でしたね』
灰色の瞳が、わずかに細められる。
『さきほど、紫の色を取り込んだでしょう?
紫は確か――精神干渉、でしたよね?』
その瞬間、紫髪のハンターが青ざめた。
(読まれてる……! 思考の流れまで……!)
『それを少し弄ってみたのです。
あなた達の思考波形に合わせ、言語野をなぞり……』
灰獣は、わざとらしく肩をすくめるような動きをした。
『……このように。
我々と、あなた達との間で、意思疎通が取れるようになった、というわけです』
静まり返る広間。
ただでさえ異常な色喰らいの能力に加え、
相手の属性を取り込んで“応用”してくる。
(こいつ……ただの灰獣なんかじゃない)
リセリアは奥歯を噛んだ。
色を奪う。
攻撃は即死級。
こちらと意志疎通ができるほど知能が高い。
(アークエネミーどころか……
ネメシス級でもおかしくない)
そして――もう一つ。
リセリアの中に浮かんだ仮説があった。
(この宝物殿を護っている以上……
“本来の持ち主”がいるはず。
なら――こいつは、その配下か、
あるいは一部を切り離された存在……)
宝物殿を守るのは、たいていその宝具に由来する天使か悪魔。
名のある存在なら、なおさらだ。
今目の前にいる“こいつ”も――名を持つ存在なのではないか。
リセリアは一歩前に出た。
「ねえ、あんた」
灰獣の灰色の瞳が、ゆっくりとリセリアを向く。
「あなた、相当強いけど……
名前がある悪魔だったりするの?」
問う声は、あくまで冷静だった。
だがその実、賭けだった。
もしこれで――名を名乗るような存在なら。
この宝物殿の“格”は、完全に別物になる。
『それは、良い問いですね』
灰獣は、口元を吊り上げた。
『あなた達人間は、我々を階級によって表現しているようで』
リセリアのこめかみを汗が伝う。
精神干渉。
――考えを読まれている。
『あなた達にも分かるように言いましょう』
灰色の人型は、背に生えた赤と紫の翼をゆるりと広げ――
『我が名は――サタナキア』
その名が、広間に落ちた。
どこかで誰かが、息を呑む音を立てる。
「サ、サタナキア……?
悪魔目録に載ってる……あの……?」
「嘘だろ……あれ、確か……
“堕天の七十二柱”のひとりじゃ……」
宝具ハンターの何人かが顔を青くしながら呟く。
サタナキア。
堕天使ルシファーに連なる悪魔のひとり。
契約と堕落を司る、上位の存在。
『そして――』
サタナキアは、わざとらしく奥の部屋に視線を向けた。
そこには、真っ黒な一枚の羽根が浮かんでいる。
この宝物殿の核であり、宝具である“黒い羽根”。
『この宝物殿の主。
あなた達が喉から手が出るほど欲している宝具の持ち主』
灰色の唇が、ゆっくりと歪む。
『――堕天使ルシファー』
その名を聞いた瞬間、宝具ハンター達の膝が震えた。
神に反逆し、自ら神になろうとした大罪人。
七十二柱の悪魔を従えた、堕天の王。
世界の伝承においても、
それは“触れてはいけない名”として扱われている。
「ル、ルシファーの配下……?」
「は……? そんなもん、勝てるわけ……」
誰かが口をぱくぱくさせたまま、言葉を失った。
下級悪魔や下級天使の宝具をいくつ持っていようが、
相手は“主格”そのものに連なる者。
攻撃が通用するはずがない――そう思うのが、普通だった。
(……やっぱり)
リセリアの胸には、逆に“確信”のようなものが芽生えていた。
ルシファーの宝具。
堕天の王の羽根。
(だったら――この国を狙った理由も、少し見える)
天使の宝物殿が、灰に堕ちていく。
その最前線に、白の国が選ばれた。
世界の“色のバランス”を崩すには、これ以上ない場所だ。
恐怖に膝を折る宝具ハンターたち。
誰もが心のどこかで「無理だ」と結論を出し始めていた。
だが――そう思っていない者が、二人いた。
「……ふぅ」
その一人はリセリア・フレイ。
胸の奥で、赤い炎が、静かに、だが確かに燃えている。
「勝てるわけがない、ね」
誰かの諦めの言葉を、そっとなぞるように呟く。
「下級悪魔や下級天使の宝具なんかじゃ、
上位の悪魔には傷ひとつつかない――」
その言葉に、宝具ハンターたちがうなだれかけた、その時。
「――だからこそ」
リセリアは、前に出た。
赤い髪が、熱を帯びて揺れる。
「“フレイ”の名にかけて。
私が、あなたを焼き尽くす」
サタナキアの灰色の瞳が、ゆっくりと細くなった。
『ほう……?』
◆
広間の空気が、ひときわ熱を帯びる。
リセリアは一歩踏み出し、右手を前に突き出した。
掌の前に、赤い紋章が浮かび上がる。
炎朱の紋。
それは、赤の王族だけに許された“王権の術式”だった。
「――“炎朱”」
小さく呟き、息を吸う。
次の瞬間、彼女の視界から“色”が一瞬抜け落ちる。
世界が白と黒に分解され、その中心に自分の赤だけが残る感覚。
心臓が強く脈打つたび、
血管を流れる血が“燃え”始める。
足元の石畳に、赤い紋様が広がった。
宝具でも悪魔でも天使でもない、“王族の権能”の陣。
その紋様が一気に燃え上がる。
「――《赫焔》!!」
咆哮のような言葉とともに、爆炎が広間を覆った。
それはさきほど赤髪のハンターが放った炎とは、まるで別物だった。
色が濃い。熱が重い。
空気そのものが燃え、石畳が溶ける。
炎が“質量”を持ったように、サタナキアを押し潰しにいく。
広間にいる全員が、思わず目を閉じた。
「……やったか?」
誰かが呟く。
爆炎はしばらく広間を支配し、やがて、少しずつ収まっていった。
残ったのは、黒い煙と、焼け焦げた石畳。
サタナキアの姿は見えない。
「さすが王族の炎……!
宝具を持たずに朱色だけあるな。
あれなら、さすがに……!」
「ルシファーの配下だろうが、直撃すれば――!」
期待と希望が、わずかに胸を持ち上げる。
と、その時だった。
ごうっ――と。
紅と紫の風が、広間を薙いだ。
赤と紫の翼が、一度だけ大きく羽ばたいたのだ。
黒煙が、一瞬で吹き飛ぶ。
『……やはり』
爆炎の中心にいたはずのサタナキアは――
傷ひとつ、負っていなかった。
灰色の肌はそのまま。
赤と紫の翼が、わずかに熱を纏って揺れているだけ。
『警戒しておいて正解でした』
赤い翼の羽根が、ぱらぱらと焦げカスを振り落とす。
『あなた達“炎朱”の系譜の炎は、
確かに、通常の炎よりも格が一段高い』
サタナキアは、わざとらしく肩についた煤を払った。
『ですが――』
赤い翼を、ひときわ大きく広げる。
『すでに、“赤”はいただいていますからね』
背に生えた赤の翼。
さきほど炎属性のハンターから奪った色。
それを身に宿している以上――
炎属性への耐性は、すでにサタナキアの中に組み込まれている。
いわば、炎に対する“抗体”。
「……っ」
宝具ハンターの誰かが、乾いた笑いを漏らした。
「おいおい……どこまで、頭が回るんだよ、あの化物」
「俺たちの攻撃が通る未来を……
何手先まで読まれてんだ……?」
絶望が、静かに広間を満たしていく。
だが彼女は、そこで――
にやり、と笑った。




