二十三話 接触
憲兵詰所は、通りの奥にあった。
石造りの建物。
装飾は少なく、入口だけが妙に広い。
月光を受けても、影の輪郭がはっきりしない。
「……近づくと、思ったより圧あるな」
カイルが、小声で言う。
「でしょうね」
リセリアも声を落としている。
「ここ、今いちばん神経張ってる場所だもの」
二人は、真正面には立たない。
通りを挟んだ向かい側。
人の流れに紛れる位置を選んだ。
詰所の出入りはある。
憲兵が、数人ずつ出てくる。
交代の時間なのだろう。
足取りは速く、会話は短い。
「……あの中に、ロッシュいると思う?」
「いるかもしれないし、いないかもしれない」
「そりゃそうか」
カイルは、視線を動かし続ける。
制服。
髪色。
背丈。
だが――
「分かんねぇ……」
「ええ」
リセリアも、同じ結論だった。
憲兵の数が多すぎる。
動きが規則的すぎる。
一人だけを抜き出すには、情報が足りない。
しばらくすると、
詰所の前に立っていた憲兵の一人が、
ふと、こちらを見る。
視線が、合った。
「……今、見られたよな?」
「ええ」
「完全に」
リセリアは、何でもないふうを装って、歩く姿勢に戻る。
「目、逸らした方がいい?」
「いいえ。逆」
「逆?」
「“通りすがり”を演じるの」
「難易度高くない?」
「今さらよ」
二人は、ゆっくりと歩き出す。
詰所から遠ざかるでもなく、近づくでもなく。
あくまで、通りの一部として。
だが、空気は変わった。
視線が、刺さる。
一つではない。
二つ、三つ。
「……歓迎されてないな、これ」
「ええ。長居は無用ね」
「収穫ゼロ?」
「ゼロ」
即答だった。
「でも」
リセリアは、少しだけ言葉を区切る。
「“ここから探るべきじゃない”ってことだけは、はっきりした」
「それって、成果?」
「成果よ。立派な」
カイルは、苦笑する。
「前向きだなあ」
「生き残るためには、必要なの」
二人は、自然な流れで通りを離れた。
背中に残る視線が、
しばらく消えなかった。
「……なあ」
少し距離を取ってから、カイルが言う。
「ロッシュがあそこにいたとしてさ」
「ええ」
「今の俺達じゃ、絶対近づけないよな」
「無理ね」
「だよな」
月光が、建物の影に沈んでいく。
一日目の調査は、
何も掴めないまま終わった。
――だが、
“間違った場所”だけは、はっきりした。
◇
ハンターギルドが経営する宿は、通りから少し外れた場所にあった。
灯りは控えめだが、完全に消えることはない。
常夜の国では、それが「普通」だった。
「はぁ……」
宿の扉を閉めた途端、カイルが大きく息を吐く。
「想像以上に疲れるな、見てるだけって」
「でしょうね」
リセリアは、肩を軽く回しながら言った。
「何もしないで、何も掴めない。
一番、神経使うやつよ」
「しかも、あっちの視線が痛い」
「刺さってたわね」
「三本くらい」
「盛りすぎ」
軽口を叩きながら、二人は食堂の一角に腰を下ろす。
簡素な夜食が運ばれてくる。
温かいスープと、硬めのパン。
「……でもさ」
カイルが、スープをかき混ぜながら言った。
「詰所、完全にアウトだったな」
「ええ」
「正面から行くと、即警戒」
「下手したら拘束」
「最悪?」
「説明なしで牢」
「怖っ」
カイルは、即座に背筋を伸ばした。
「じゃあ、あれだな。
次は“直接聞かない”方向か」
「正解」
リセリアは、パンをちぎりながら頷く。
「目立たず。
探ってるって思われず。
でも、情報は拾う」
「……難易度高くない?」
「高いわね」
「だよな」
一瞬、沈黙。
だが、それは重くならなかった。
「でもさ」
カイルが、ふと思い出したように言う。
「詰所がダメって分かったのは、でかいと思う」
「ええ」
「少なくとも、
“ロッシュがそこにいるかどうか”
は、今すぐ確認する必要なくなった」
「そうね。
あそこに行けば何か分かる、って幻想は消えた」
「幻想だったのか……」
「ええ。綺麗に」
リセリアは、少しだけ笑った。
「じゃあ、二日目は?」
「間接」
「具体的には?」
「商人」
「……ああ」
「それと、巡回ルート」
「遠目限定ね。
もちろん。近づいたら、即アウト」
二人は、顔を見合わせる。
「集合は?」
「次に月が高くなる刻」
「了解」
カイルは、椅子にもたれた。
「なんかさ」
「何?」
「追跡任務みたいになってきたな」
「言い方」
「でも、ちょっと楽しくない?」
「……否定はしない」
その返事に、カイルは笑った。
「じゃ、今日はここまで?」
「ええ。
無理しても、判断鈍るだけ」
二人は、それぞれの部屋へ向かう。
廊下の灯りが、背中を照らす。
部屋に入る直前、
カイルは一度だけ立ち止まった。
ロッシュ・ギニョール。
黒の書を破った憲兵。
理由は、まだ分からない。
だが――
「……隠してるのは、間違いないよな」
誰にともなく呟き、
カイルは扉を閉めた。
月光は、細くなっていく。
一日目は、
何も掴めないまま、終わった。
◇
部屋は静かだった。
灯りを落とすと、窓の外から入る月光だけが、床に細い線を引く。
それも、さっきより少し弱い。
カイルは、肩のコートを外し、
壁際のフックに掛けた。
ベッドに腰を下ろしたまま、天井を見上げていた。
「……結局、何も分からなかったな」
声に出してみたが、答えは返ってこない。
ロッシュ・ギニョール。
黒の書を破った憲兵。
なぜ破ったのか。
何を隠したのか。
誰のためか。
どれも、まだ霧の中だ。
「……」
何か考えようとして、
やめた。
破れていたページ。
司書の顔。
どれも、うまく繋がらない。
気持ち悪い。
それだけが残る。
一日目は、
何も得られないまま終わった。
――だが、
何かが動いている感触だけは、残っていた。
◇
月は高い位置にあった。
街路の影は短く、代わりに人の気配が濃い。
「今日は、静かにね」
リセリアが、歩きながら言う。
「昨日みたいに張り付くのは、もうやらない」
「分かってる。
今日は“それとなく”だろ?」
「そう。“それとなく”」
その言い方が妙に大げさで、カイルは少し笑った。
◇
最初に声をかけたのは、香料を扱う商人だった。
「憲兵の人ってさ、
最近忙しそうじゃない?」
カイルは、できるだけ世間話みたいな口調で聞く。
商人は、一瞬だけ手を止めた。
「……さあね」
視線が、横に流れる。
「うちは香料屋だよ。
そういう話は、分からないな」
「あ、そっか」
軽く引き下がると、商人はすぐに別の客に声をかけた。
早い。
切り替えが、異様に早い。
「今の、分かりやすく避けられたわね」
リセリアが小声で言う。
「うん。
質問の途中で、空気変わった」
「“聞くな”って感じだったでしょ」
「かなり」
◇
次の店でも、反応は同じだった。
話題を変えられる。
笑って流される。
ひどい時は、聞こえなかったふり。
「……これ、全員で示し合わせてないか?」
「示し合わせてるというより、
“触れない方がいい”って共通認識ね」
「やばいやつだ」
「やばいやつよ」
二人は顔を見合わせて、同時に肩をすくめた。
◇
通りを外れ、少し高い場所から巡回ルートを眺める。
憲兵の隊列が、一定の間隔で街路を回っている。
「……多いな」
カイルが、素直に言った。
「思った以上にね」
「顔、全然見えなくない?」
「でしょうね」
並び方が揃いすぎている。
誰か一人を目で追おうとすると、
すぐ、別の背中に遮られる。
「……無理だな」
「ええ。遠目じゃ、どうにもならない」
感心半分、嫌な予感半分だった。
◇
歩きながら、カイルがぽつりと言う。
「昨日より、きつくない?」
「うん。
街全体が、神経張ってる」
「誰かが何かやった、って空気だよな」
「その“誰か”を探してる私達が、
一番怪しい立場でもあるけどね」
「……言わないでくれ」
即答だった。
◇
しばらく歩いても、成果はない。
名前は出せない。
顔も特定できない。
動線も読めない。
「今日も、空振りか」
カイルが、ため息混じりに言う。
「そうね」
リセリアも否定しない。
「でも、無駄ではないわ」
「そう?」
「“聞けない”ってことが、はっきりしたもの」
「それ、あんまり嬉しくない情報だな」
「でしょうね」
苦笑が重なる。
月は、まだ高い。
二日目も、終わろうとしていた。
巡回の様子を見届けてから、
二人は通りへ降りた。
その頃には、
人の数が増えていた。
「……帰る?」
リセリアが言った。
疲れがないわけじゃない。
今日も、何も掴めていない。
「……だな」
カイルは頷きかけて――
ふと、足を止めた。
「?」
リセリアが振り返る。
カイルは答えない。
ただ、前を見ていた。
人混みの向こう。
一瞬だけ、流れが割れた。
見えたのは、背中。
憲兵の制服。
迷いのない歩き方。
髪は、紫。
月光が差し込んだ、その瞬間――
前髪の一部が、灰色に見えた。
カイルの足が、先に動いた。
追う。
考える前に、距離を詰める。
「……すみません」
声が出たのは、ほとんど反射だった。
「ちょっと、顔を――」
指が、袖口を掴む。
引くほど強くない。
でも、離さない力。
相手が振り返る。
細い目。
紫の髪。
そして、前髪の一部だけ、
月光を受けて、確かに灰色に見えた。
一致している。
頭で考えるより先に、
それだけは、分かった。
リセリアが、横に並んだ。
「……!」
相手の眉が、わずかに動く。
その直後、
肩が、逃げる前のように強張った。




