第十九話 紫の国《アメジマドゥス》後半
鳴き声が、異様に上ずっていた。
「……繁殖期じゃない。
なのに、あんなに興奮してる」
憲兵の一人が、信じられないものを見るように呟く。
甘い匂いが、さらに濃くなった。
宝物殿の影響。
灰と混じった、歪んだ刺激。
フジライチョウたちは、
匂いに導かれるように――こちらへ走り出した。
その速度が、異様だった。
「速い――!」
そこら中の木岐が小石のように蹴り倒されていく。
最初に動いたのは、憲兵だった。
「前へ出るぞ! 囲まれるな!」
号令と同時に、数人の憲兵が隊列を組む。
槍と盾を構え、フジライチョウの突進を受け止めた。
――だが。
羽ばたきが、重い。
衝突の瞬間、盾が大きく揺れた。
羽毛の内側に、灰色の筋が走っている。
「っ……硬い!?」
刃が、思うように通らない。
本来なら、ここまでの抵抗はないはずだった。
フジライチョウが体当たりする。
地面が揺れ、土埃が舞う。
「数が……多い!」
憲兵の一人が、後ずさる。
隊列が、わずかに崩れた。
「――下がるな!」
だが、次の一体がすぐに迫る。
その瞬間。
「……仕方ないわね」
低い声とともに、リセリアが前に出た。
憲兵の隙間を縫うように踏み込み、
一閃。
今度は、確かに斬れた。
だが、浅い。
幾重にも重なる羽根が板金鎧のように刃物を通さない。
リセリアは歯を食いしばり、空中で回転しながらもう一度剣を振るう。
《朱焔紅!》
朱色の炎が剣に収束する。
リセリアは、そのまま首を狙った。
だが――
呼吸が、わずかに乱れていた。
次の瞬間、もう一匹のフジライチョウがカイルに向かって走り抜けた。
「カイル!一匹そっち行ったわ!」
カイルは、一歩引いた。
――覚悟を決めろ。
――沈めろ。
呼吸を整える。
胸の奥を探る。
影が、わずかに揺れた。
だが。
形にならない。
立ち上がらない。
歪むだけだ。
《影送り》は発動しない。
「……っ」
焦りが、喉に絡む。
その間にも、フジライチョウは間合いを詰めてくる。
リセリアがカイルの元へ向かおうとする。
だが、動きが――わずかに鈍い。
「……っ」
踏み込みが浅い。
前に出たことにより、カイルとの距離が遠い。
旅は長かった。
宝物殿の戦闘も、連続している。
普段なら問題にならない消耗が、
今は確実に、積み重なっていた。
「……はやく」
リセリアが吐き捨てる。
もう一体がリセリアの背後に迫る。
だが、呼吸が荒い。
肩が、わずかに上下している。
フジライチョウたちは、怯まない。
むしろ――
興奮している。
甘い匂いが、鼻の奥を刺す。
カイルの背筋に、冷たいものが走った。
誰かが、カイルを飛び越えてやってきた。
可憐な姿で、唐突に現れた。
風を裂く音が、一拍遅れて届く。
長い紫がかった髪が、夜気に揺れる。
紫のロングコート。
彼女は振り返った。
「一般の方は下がっててください。邪魔なので。」
肩には、簡素なシュラッグアーマー。
そこに刻まれた意匠は――梟。
「そんなことよりも魔物がこっちに向かってきて……って、あれ?」
カイルを目掛けて走っているはずの興奮状態のフジライチョウ。
だが、そこにはその姿はなかった。
「あれ?俺の方に走ってきていたはずの魔物は一体?」
次の瞬間、目の前にいた彼女が前線に立っていた憲兵のさらに前――
フジライチョウの群れと対峙する位置に、降り立った。
「やっと王国騎士団様のお出ましか。」
憲兵の一人が、皮肉混じりに吐き捨てる。
「全く、国の治安を護るのが僕達の仕事、
――国を護るのがあの人達の仕事でしょう?
王国騎士団さんは、ずいぶんと重役出勤ですね。」
言葉には、苛立ちと疲労が滲んでいた。
「おい! 新人!」
すぐ横から、別の憲兵が慌てて声を上げる。
「聞かれたらどうするんだ!
口には気を付けろ!」
だが――
その女は、振り返らなかった。
憲兵の言葉にも、魔物の鳴き声にも、
まるで同じ距離感で立っている。
長い紫がかった髪が、夜気に揺れる。
その女が、木製の杖を軽く傾ける。
次の瞬間。
地面と空中に、複数の魔法陣が展開された。
《夢鎮》。
重なり合う円が、その場にいる全てを囲む。
鳴き声が、途中で止まった。
羽ばたきも、衝動も、
次の動作に繋がらない。
「……落ち着いて」
女の声は、小さかった。
だが、不思議と全員の耳に届いた。
フジライチョウたちは、
互いを見て、首を傾げる。
次の瞬間――
群れは、森の奥へと散っていった。
逃げるのではなく、
“帰る”ような動きで。
「さすが、王国騎士団副隊長サラ・フューシャ様だ!」
「俺達が束になっても叶わなかったフジライチョウを一瞬で!!」
「……森へ戻しただけです」
それだけ言って、サラは杖を下ろした。




