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第十七話 応影

 仰向けに倒れたまま、カイルは空を見ていた。


 灰色の雲が、ゆっくりと流れている。

 呼吸をするたびに、胸の奥が重くなる。


「……生きてる?」


 視界の端に影が差し、顔が覗き込んできた。


 リセリアだった。


「カイル。聞こえてる?」


「……ああ」


 喉がひどく乾いていた。

 声を出すだけで、胃の裏がきしむ。


 リセリアはほっと息を吐き、少しだけ口角を上げた。


「カイル!すごいじゃない!魔法が使えるようになったのね!

 この短期間で使えるようになるなんて、才能あるんじゃない?

 後は剣術だけね!」


 リセリアは腕を組み、少し考えるように首を捻る。


「後は剣術だけど……」


 小声で剣術をどう教えるか考えているようだ。


 ――確かに、と思う。


(リセリアに褒められると、胸の奥が少しだけ軽くなる。


 もう“トーンレス”だった頃の、

 何もできず、守られてばかりの自分じゃない。


 剣は、まだ途中だ。

 魔法だって、はっきり分かっているわけじゃない。


 それでも。

 少なくとも――

 弱いまま、じゃない。)


 カイルは、ゆっくりと上体を起こした。


 体が重い。

 けれど、不思議と嫌な感覚ではなかった。


「そうだね。リセリアのおかげで、日に日に強くなっていることが実感できるよ。

 しかも、今回は特別凄かっただろ?」


「影から出てきた、あれ。

 どこに行ったの?」


 カイルは、足元を見た。


 自分の影は、いつも通り地面に落ちている。


「……分からない。

 ただ、影から何か出たと思う。

 名前……なのか分からないけど、“影送り”って言葉だけ浮かびました」


「浮かんだ?」


「はい。

 使おうと思ったわけじゃなくて……気づいたら」


 リセリアは顎に手を当て、少し笑った。


「魔法に目覚めた時って、そんなものよ」


「え?」


「例えるなら……もう一つ体を動かしてる感じ。

 最初は気持ち悪いし、思い通りにならない」


 その言葉に、カイルは思わず頷いた。


 気持ち悪い。

 まさに、その通りだった。


「慣れれば、少しずつ整理できるようになるわ」


 リセリアはそう言って、立ち上がった。


「今日はここまで。

 無理はしないで」


 その背中を見ながら、カイルは思う。


(……慣れれば、か)



 夜。


 簡単な野営を済ませ、焚き火が小さく揺れている。


 リセリアは少し離れた場所で剣の手入れをしていた。


 カイルは、一人、影を見つめていた。


 焚き火の明かりで、影が揺れる。


(あの時……)


 思い返す。


 追い詰められていた。

 焦っていた。

 何もできないと思った。


 そして――

 感情を、沈めた。


(怖かった。

 でも、飲み込んだ。

 あの瞬間、影が動いた。……なら)


 一つの仮説が、形を取る。


(追い詰められた時、

 感情を沈めれば……

 影は、動くんじゃないか)


 呼吸を整える。


 深く吸って、ゆっくり吐く。


 あの気持ち悪さを、思い出そうとする。


 胸の奥を、探る。


 一瞬。


 影が、歪んだ。


「……っ」


 確かに、揺れた。


 だが、それだけだった。


 形にならず、立ち上がらない。


 代わりに、胃が重くなる。

 

 額に、嫌な汗が滲む。


(……くそ)


 思わず、視線を逸らした。


 リセリアは、こちらを見ていない。


(完全じゃないけど……)


 胸の奥で、言葉がまとまる。


(方向は、合ってる気がする)


 少なくとも。


(何もできない、ってわけじゃない)


 焚き火が、ぱちりと音を立てた。



 夜が明ける。


 空気が、少し変わった。


 甘い匂い。

 影が、やけに濃い。


 紫の国が、近い。


 リセリアが、低く言った。


「この先は……

 心を揺さぶる土地よ」


 カイルは、頷いた。


 胸の奥に、確かに不安はある。


 けれど――


(なら、大丈夫だ)


 思う。


(揺さぶられても、

 俺には――影がある)


 

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