第十一話 同行契約
白の国ハクレインを離れて、まだ一刻も経っていなかった。
薄く霞む早朝の街道を、カイルとリセリアは南へ向かって歩いていた。
しばらくして、リセリアが静かに口を開いた。
「……戻れる場所は、もうどこにもないわ」
その声音には、姫としての誇りよりも、現実を受け止める強さが滲んでいた。
「フレイ・ガルドにも……難しい、ということですか?」
カイルは慎重に問いかけた。
リセリアは小さく頷く。
「ええ。私が“黒の力を持つ人と行動していた”――それだけで、王族としての立場は危うくなるわ」
「……そうですよね。あなたまで巻き込むことになる
では、ハクレイン王国は?」
「白の国はもっと無理よ」
苦く笑いながら、リセリアは続けた。
「王ヨルンドの命令を無視して宝具を持ち出したんだから。
あなたは“反逆”だと思われても仕方がないわ」
「僕にそんな意図はなかったんですが……国にとっては事情より結果、ですか」
「そういうことね」
その冷静な説明の奥には、確かな“心配”が滲んでいた。
「では……この先、僕たちはどこへ?」
カイルが前を向いたまま尋ねる。
リセリアは迷わず答えた。
「――南よ。紫の国――
マドゥーシア王国に向かうわ」
「マドゥーシア……?」
「紫の祖マドゥスの名を戴く“夜国”よ。
儀式・魔術・占術に長け、夜や霧、幻術の理を極めた国でもある。
帝都アメジマドゥスには、古代の秘儀書が集められているわ。
黒に近い理も多い。あなたの力に関する手がかりが見つかるかもしれない」
カイルは静かに息をのむ。
「そんな国が……あるんですね」
「あなた、本当に世界のことを知らないのね……」
呆れながらも、どこか優しい声だった。
「ただ、徒歩なら――」
リセリアは淡々と指を折った。
「――ハクレインからビオレまでは、最短でも五日」
「五日。覚悟しておきます」
「野営しながらよ。魔道具を使っても、完全には魔物を防げない」
そう言って、リセリアは腰の小袋から青銀の球体を取り出した。
「“魔除けの核”。展開すると、夜の魔物が寄りにくくなるわ。ただ――」
「ただ……?」
「持続できるのは三日だけよ。
魔力の膜がそれ以上もたないの」
「三日……なんですね」
「ええ。残り二日は、私とあなた自身の腕に頼るしかないわ」
カイルは小さく苦笑した。
「僕の力が役に立てばいいんですが……努力してみます」
「それで十分よ」
リセリアの声は穏やかで、真っ直ぐだった。
「私ひとりで抱えても進めない。
あなたも立派な“旅の仲間”なんだから」
リセリアは前へ歩き出す。
その背中はもう姫ではなく――
これからの行く先を切り開く、一人の旅人のものだった。
カイルも静かにその後ろへ歩みを進める。
二人はしばらく、静かな街道を歩き続けた。
だが、ふと気づく。
カイルの歩調が、ほんの僅かに重い。
リセリアは後ろを振り返り、そっと声をかけた。
「……カイル。無理してない?」
「いえ、大丈夫です。ただ……少し身体が重くて」
「やっぱり」
リセリアはカイルの右手――宝具が収まる位置へ視線を落とした。
「ねえ、さっきから“柄を握り直す”癖が出てるわ。
宝具が反応しない時の仕草よね?」
カイルはわずかに目を見開き、苦笑した。
「……気づかれていましたか」
「気づくわよ。戦場をくぐってきた者なら、あの仕草はすぐわかるもの」
責める口調ではなく、状況を正しく見抜いた者の穏やかな声だった。
「そんなにわかりやすいですか……」
苦笑するカイルに、リセリアは少し柔らかく微笑む。
「でも、それはあなたのせいじゃないわ」
「僕の、せいじゃ……?」
「ええ。“宝具の安定期”に入っているだけよ」
リセリアは街道の砂を指先で軽く払いながら続けた。
「契約したばかりの宝具は、一度でも限界を超えると
持ち主の身体を守るために“過出力防止封鎖”を発動させるの。
あのサタナキア戦……あなたは無理をしたでしょう?」
カイルの胸に、その瞬間の記憶がよぎる。
「……あれが原因なんですね」
「そう。翼の展開や大規模な魔力操作は、“危険行動”として真っ先に封鎖されるわ。
本来なら数日、長くても数週間で戻るはずよ」
「なるほど……ルシファーが守ってくれた、ということなんですね」
「ええ。あなたの身体が壊れないように」
リセリアの声は優しく、それでいて真剣だった。
「だから飛べないことを気に病む必要はないわ。
歩くしかできない時もある。……旅なんて、そんなものよ」
カイルはその言葉に静かに頷いた。
「ありがとうございます。……前に進めるなら、それで十分ですね」
「そういうこと」
――ここで場面が一度落ち着く。
「……そういえば、僕の“色”って――
普通の人と違うんですよね?」
自分でも整理しきれていない疑問が、ぽつりと口をつく。
「黒い髪なのに……瞳は赤に近い。
これって、そもそもどういう仕組みなんですか?」
リセリアはその言葉に、小さく瞬きをした。
「……たしかに。
今のあなたに“色核”の仕組みを知ってもらうのは、とても大事ね」
そう言うと、近くに落ちていた小枝を拾い、軽く折って地面に線を引いた。
「じゃあ――順番に説明するわ。
色核は、髪と瞳の“理”から始まるの」
リセリアは拾った小枝を折りながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「まず――色核の“基礎”になるのは髪の色よ」
「髪色は生まれた瞬間に決まる“属性”。赤・橙・黄・緑・青・藍・紫……
これは環境でも訓練でも変わらない、絶対の《色相》なの」
カイルは自分の黒い髪をそっと触れ、静かに頷く。
リセリアはその様子を見て、柔らかく目を細めた。
「でね……ここからが本題」
「瞳の色は、髪と同じ《色相》を“本来なら”受け継ぐの。
赤髪なら赤い瞳、青髪なら青い瞳――それが普通の七色の理よ」
カイルは目を瞬かせる。
「でも、瞳は髪と違って“後天的”に変わるの」
「後天的に……?」
リセリアは静かに頷いた。
「人は誰でも、生きていく中で《耀素》と《黯素》を吸収していくわ。
どちらが多く身体に馴染むかで、瞳は“白く”も“黒く”も変わっていくの」
彼女は自分の朱い瞳に指を添える。
「例えば私は、赤の《色相》に《耀素》が入り、この《朱色》になっているの。
耀素が強いほど瞳は明るく、繊細で、魔力の巡りも滑らかになるのよ」
「逆に《黯素》に馴染むほど、瞳は黒みを増していく。
深度が増すほど力は鋭くなるけど……扱いは難しくなるわ」
カイルは小さく息をのんだ。
「……瞳って、そんなふうに変わっていたんですね」
「ええ。だから七色の人なら、瞳の明度や深度を保つにも、鍛えるにも“訓練”が必要なの」
リセリアはそこで小枝で地面に短い線を描いた。
「本当はね……この理だけでも 全部で六十三通り あるの」
「ろ、六十三……!?」
カイルは完全に言葉を失った。
リセリアはやわらかく肩をすくめる。
「全部説明してたら、日が暮れるどころか次の朝になってしまうわ」
「だから――代表として《赤》だけ説明するわね。七色すべてに共通する“基準”だから」
リセリアは地面に横線を引きながら、段階ごとに区切っていく。
「まず基準になるのが、《赤》よ。
まったく混じりけのない赤。これが赤系の中心点
大体の人間はこの色」
次に右側へ線を描く。
「ここから、さっき説明した《耀素》が混ざるほど赤は“白へ近づく”。
段階としては――」
・赤80+白20 →《朱》
・赤70+白30 →《緋》
・赤60+白40 →《浅紅》
「明度が上がるほど繊細さと制御力が増す。
私の瞳はこの《朱色》にあたるわ」
今度は左側に線を描く。
「逆に、《黯素》が増えるほど赤は“黒へ沈む”。
段階は――」
・ 赤80+黒20 →《紅》
・赤70+黒30 →《深紅》
・ 赤60+黒40 →《臙脂》
「この“《臙脂》”……ここまで行くと、威力は跳ね上がるけど扱いを誤れば自壊しかねない危険色よ」
カイルは小さく喉を鳴らした。
リセリアは描いた線を見せながら、静かにまとめる。
「《浅紅》 →《緋》→《朱》→《赤》→《紅》→《深紅》→《臙脂》」
これが赤の主な段階。
他の色もこの“明るさと深さの理”に従って動いているの」
そして、横目でカイルを見た。
「……ここまでは『七色に属する人の理』ね」
「あなたみたいな例外は、また別の話だけれど」
カイルは苦笑して肩をすくめる。
「いつか僕の黒も、この図に収まる日が来るんでしょうか」
リセリアも同じように笑った。
「ええ。来るわよ、きっと」
リセリアは描いていた線を手で払って消し、
ふうっと息をついた。
「……色核の説明はこのくらいにしておきましょう。
六十三段階全部話していたら、本当に日が暮れるから」
カイルも静かに笑い、頷いた。
「すごく分かりやすかったです。リセリア――」
「ちょっと待って」
リセリアがそっと手を挙げ、カイルの言葉を遮った。
「その喋り方。
“丁寧すぎる敬語”は、これからの旅では逆に危険よ」
「敬語が……ですか?」
リセリアは小枝をいじりながら、少し困ったように微笑む。
「宝具ハンターは荒っぽい人も多いし、
あまりにかしこまりすぎてると“事情を隠してるな”って怪しまれるの。
それに……あなたと私は、もうそんな他人行儀な関係じゃないでしょ?」
カイルは一度瞬きをし、少し頬をかく。
「……僕は、目上の人と話すと自然に丁寧になってしまうんです。
癖というか……礼儀だと思っていて」
リセリアの眉が、ぴくりと動いた。
「……ちょっと。
私、まだ十五なんだけど? 年上扱いは心が傷つくんだけど?」
思わぬ反応に、カイルはあわてて目を見開いた。
「えっ……十五!?
ごめんなさい、てっきり僕より年上かと……。
落ち着いてるし、この世界に詳しいし……ずっと導いてくれていたから」
リセリアはそっぽを向き、頬をふくらませる。
「……それはあなたが世界のことを知らなすぎただけよ。
私のせいじゃないわ」
リセリアはそっぽを向いたまま、少し拗ねていた。
カイルは困ったように眉を下げた。
「本当にごめん。
僕、十六なんですけど……
リセリアさんは落ち着いて見えたから」
リセリアはぱちりと瞬きをした。
「十六……? 一つ上なだけじゃない。
それなのに、私のこと“年上みたい”って思ったわけ?」
カイルは苦笑しながら言った。
「だって……面倒見がいいし、
旅のことも世界のことも、全部あなたのほうが知ってるから。
僕には頼れる人に見えたんです」
その言葉に、リセリアは一瞬だけ目を逸らし、
頬に淡い朱が差した。
「……そう言われると、悪い気はしないわね」
「確かに……その通りですね」
カイルは優しく笑った。
「じゃあ、リセリアがいいなら……
敬語は、やめるよ。
自然に話すようにしてみる」
リセリアもその笑みに、ほっとしたように微笑み返した。
「うん。それでいいわ、カイル。
そのほうが……一緒に歩いていく感じがするもの」
火にくべられた小枝がぱち、と弾ける。
二人の間にあった“身分の壁”が、静かに溶けていく気がした。




