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STORY MAKER 〜首都アンダーライン〜【ep.6】五芒星結界

 新宿西口、午後五時過ぎ。夕刻の光が高層ビルのガラスに反射し、歩道の隅々まで橙色の影を伸ばしていた。街のざわめきが背後から押し寄せる中、黒崎レイカはその静かな流れに逆らうように歩を進めていた。

 コートの裾が微かに揺れ、ヒールの音がタイルの上に乾いたリズムを刻む。足取りは一定だが、内側では僅かな緊張が張り詰めていた。

ここ数日の情報の繋がりが、都市の表面に浮かび上がってきている。J-DARPA、五芒星、都市意識。——そして、記憶。

 レイカは小さく鼻から息を吐き、首元のボタンを一つ留め直す。冷たい風が皮膚を掠めたその瞬間、彼女は一歩、現実から心を引き戻した。まだ、浮ついてはいけない。まだ、点と点は線になっていない。

 街灯がともり始める頃、レイカは背筋にじんわりと滲む冷気を感じ取った。誰かに見られている、あるいは何かに“読まれて”いるような感覚。

警戒は、もうとっくに習慣になっていた。


 向かった先は、公安が極秘に設けた仮設のオフィス。ビル群の谷間、外観は貸し会議室を装い、看板ひとつ掲げていない。だが扉の奥には、明らかに“外の空気”とは異質な気配があった。

 蛍光灯が微かに唸りを上げ、青白い光が天井から降り注ぐ。レイカは静かに椅子を引いた。金属の脚が床を擦る音が、無機質な空間にひときわ鋭く響く。

 折りたたみ椅子の背に寄りかかると、鉄の冷たさがシャツ越しに背筋を這った。ひやりとした感触に、思わず意識が現実に引き戻される。

 視線を巡らせると、使い古された会議テーブルの縁に無数の擦れ跡が残っていた。何度も何度も、誰かの肘や拳がここに置かれてきたのだろう。

壁際のホワイトボードには、黒ずんだ痕跡と共に『極秘』の赤文字がかすれたまま残されている。書いた者の手の圧を、レイカは想像した。

 まるで、この部屋そのものが、誰かの記憶の断片を保存しているようだった。


 諏訪賢吾はそこにいた。公安3課の捜査官、痩せた頬と鋭い眼差しが、ここ最近の睡眠不足を物語っている。

「遅かったな、黒崎」

 ドアの向こう、無造作に腰を掛けていた諏訪賢吾が顔を上げた。灰色のスーツの襟を指先で整えながらも、視線はじっと彼女を射抜いている。

「ごめんなさいね、途中で面白い看板を見つけちゃったの。『触れると即死、撮影も自己責任で』って。なんだと思う?」

レイカは軽く肩をすくめてみせる。だが、口元に浮かんだ笑みはどこか演技じみていた。

 諏訪の口元がわずかに緩む。だがその目は、笑っていなかった。

むしろ、何かを測っているような、言葉の裏を読む者のそれだった。

「相変わらず余計な情報を拾ってくるのが得意だな」

呆れとも諦めともつかぬ声色で呟く諏訪に、レイカは片眉を上げる。

「……お前は時間通りに来た試しがない」

「予定通りに動く女なんて、つまらないでしょ?」

 軽口の応酬の中に、ごく僅かな緊張と警戒が滲む。お互いに笑っていながら、どこかで探り合っている。かつて一度、命の危機を共にしたことがあるからこそ、踏み込みすぎると傷を抉る。そんな距離感だった。


「……J-DARPAが動いてる」

 その一言が放たれた瞬間、さっきまで気にも留めていなかった蛍光灯の唸りが、やけに大きく響いてくる。

レイカは無意識に背筋を伸ばし、手元の書類から視線を上げた。

 部屋の温度が変わったわけでもないのに、肌がわずかに粟立つ。

 諏訪の指先はテーブルの縁を静かに叩いていた。一定のリズムで——だが、それは思考の奥で何かを制御しているようにも見えた。

「そうね」

 レイカの声は、先ほどまでの軽やかさを脱ぎ捨て、研ぎ澄まされた刃のようになっていた。

J-DARPA——防衛省の下部組織にして、次世代軍事技術の研究開発を担う、国家の“影の頭脳”。だが、名前が出てくるのは異常だった。今回の事件は都市の“霊的インフラ”に関わるもの。通常、軍事とは無縁のはずだ。

「五芒星結界に興味を持っているって話よね」

「それだけじゃない。公安の内通資料に、“神経インターフェース”の文字があった」

 レイカは椅子に腰を下ろすと、背もたれに体重を預けた。神経インターフェース——人間の脳波をデジタルで捕捉し、ネットワークに接続する技術。サイバーパンクの象徴のような夢想は、すでに現実の技術段階に達している。そして今、その技術と“呪術”が、都市の奥底で交差しようとしている。

「都市の意識を統合する……それが可能なら、意識そのものを“上書き”することもできる」


 諏訪はモニターの前に立ち、操作パネルを叩く。

スクリーンに映し出されたのは、東京23区の地下構造図だった。

 複雑なラインが縦横無尽に交差している。地下鉄網、上下水道、通信ケーブル、古い軍用トンネルの名残まで……

 それらのレイヤーを束ねるように、都市の“裏側”が可視化されている。

そして、その地図の上に、血のような赤で——五つの点が浮かび上がっていた。

赤いマークは、まるで脈打つように瞬いている。

 それぞれが、都心の主要な交通結節点を押さえていた。新宿、上野、渋谷、品川、そして——東京駅。その配置は偶然ではなかった。

 レイカの目が細くなる。

五つの点は、まるで見えない線で結ばれ、五芒星の輪郭を成していた。

 画面上の赤点が、微かにズレていた——中心へ、確実に収束するように。

まるで何かがそこに“吸い寄せられている”かのように。

「LucidNetが、これらの場所に“結界ノード”を仕込んでいる形跡がある。目的は、五芒星結界の構築だ」

 その言葉に、レイカは背筋を正した。今まで聞かされてきた都市伝説、断片的な証言、地下の噂。それらが一本の線で結ばれていくのを感じた。

 もはや偶然ではない。意図的な“計画”がある。

「でも、五芒星を構築する意味は?何かを封じるの?それとも……解放する?」

 諏訪は答えず、画面の地図をズームさせた。東京駅の地下、そこに表示された“青い点”。それは、戦後に封印された“何か”の痕跡だった。

「公安内部では、“これ”を『首都αコーデックス』と呼んでいる。戦後、日本政府とJ-DARPAの前身組織が共同で開発したらしい」

 レイカの呼吸が、浅くなる。自分が生きている都市——東京——その構造そのものが、誰かの意志によって書き換えられようとしている。彼女の中で、何かが軋んだ。

 そして、ふと——記憶が、疼いた。

レイカの呼吸が、わずかに乱れた。

 目の前の地図よりも、脳裏に浮かぶ“もう一つの東京”があった。

記憶の中で、かつて歩いたはずの街角が、妙に歪んで感じられる。建物の配置、駅の出口、交差点の名前……どこか、何かが違っている。

——誰かが、私の中の「都市」を書き換えている。

そんな感覚が、背骨を冷たく這い上がる。

 思い出せないはずの映像が、不意に視界の隅に滲んだ。

 白い壁。無音の部屋。誰かの笑い声。

そして、自分が見下ろされていた——どこかで。

 レイカは手のひらをぎゅっと握った。

まるで、自分の存在を確かめるように。

「……書き換えられてたまるか」低く、小さく吐き捨てた。


 諏訪はモニターから視線を外さずに言った。

「それだけじゃない。」

 スクリーンに映る地図はすでに拡大され、東京駅の地下構造を示している。赤いラインが迷路のように絡まり合い、その交差点に、ひときわ大きなノードが点滅していた。

「この地下構造には、戦後に封印された施設が複数ある。記録上は“存在しない”ことになっているが……ここだけは例外だ。」

「なぜ?」

 レイカは声のトーンを落とした。直感的に、今から語られる情報が、彼女の中にある記憶の欠片と接続してしまうことを恐れていた。

「ここには“中継装置”があると言われてる。都市そのものの精神構造にアクセスできる鍵——そんな話が、公安の古い極秘資料に出てくる」

「中継装置……?」

「神経インターフェースと組み合わせることで、都市の意識と人間の脳を同期させる。つまり——都市全体を“記憶媒体”に変える計画だ」

しばし沈黙が落ちた。

 レイカは言葉の意味を一つひとつ噛み砕くように、息を吸った。胃の奥がざわついていた。

「冗談よね、それ」

「だったらいいんだがな」

諏訪の目は真剣だった。レイカは、ふと視線を横に逸らした。

 スクリーンの片隅には、ファイル名の一部が英語で記されていた——“NEURO-FIELD SYNCH”。

それが何を意味するのか、彼女にはまだ分からない。だが、脳の片隅に刺さるような違和感だけは確かに残った。

「……私の記憶。なぜかこの場所に近づくと、変な疼きがある」

その言葉に、諏訪が眉をひそめた。

「何か見たのか?」

「いや……見たのかどうかも、分からない。でも、地下鉄。白衣の人たち、光、それと——頭の奥で何かが燃えてるような……痛み」

そのとき、レイカのスマートフォンが微かに振動した。通知。暗号化されたバックチャネルからの警告だった。表示されたのは、公安側の内部チャットログ。発信元は匿名、だが確かに公安のプロトコルが使われている。


《渋谷——結界ノードの一部が点火された形跡あり。注意せよ》

レイカの指が止まった。

「……始まってる?」

「まだ断定はできない。だが、ノードの反応が複数箇所で観測され始めてる。渋谷、歌舞伎町、上野恩賜公園、品川、そして——東京駅」

 地図の上で、それらの点がまるで神経細胞のように光りはじめていた。まるで都市そのものが、ひとつの意識体として目覚めようとしているかのように。

 諏訪はモニターの中央にある“中心点”を指さした。東京駅の真下。そこに、ひときわ強い光を放つ円形のノードがあった。

「そこには、“記憶の坩堝”がある。首都の歴史、欲望、恐怖……あらゆるものが、そこに圧縮されている。俺たちがまだ“名前を持たない”ものだ」

「J-DARPAは、それを利用するつもり?」

「いや……」

 諏訪はわずかに首を振った。

「たぶん、奴らも正確には“何があるのか”を知らない。だが、それが武器になるのなら——奴らは躊躇しない」

 レイカは唇を噛み、拳を握りしめた。

「……止める。私のためにも、この街のためにも。」

 五芒星結界と神経インターフェース、不可視の力——それがもし、都市の記憶そのものを書き換える儀式ならば、自分の“欠けた記憶”も、例外ではないはずだ。

まるで、誰かが今この瞬間にも、都市の神経回路を組み替えているかのように。

 突如、それまで沈黙していたサブモニターが点灯し、公安内部の回線が自動接続される。新たな映像が画面いっぱいに展開された。ドローン映像。撮影地点は、渋谷——道玄坂の奥、封鎖された地下階段の入り口付近。

「……何これ、センサーか何か?」

レイカが前傾姿勢で画面を覗き込む。

「違う。結界ノードそのものだ。しかもこれは……稼働してる」

 諏訪の声が低くなった。画面中央、赤外線スペクトルで映し出された複数の『発熱源』。人間ではない。むしろ——何か“意志を持った構造物”のように見えた。

「内部構造の変化が始まってる。地磁気の乱れ、ノイズの再分布、都市配線との干渉……これは、まるで生体組織だ」

「都市そのものが、意思を持ち始めている——?」

 口に出した瞬間、レイカの背筋に冷たいものが走った。

ふいに、頭の奥が疼いた。

 喉奥から、焦げた鉄の匂いのような幻臭が立ち上がる。目を閉じると、また“あの光景”がよみがえった。

地下。揺れる白光。血塗られた壁。

 そして、何かが彼女の右手に刻印された瞬間の、あの灼熱。

「……レイカ?」

 諏訪の声に目を開けた瞬間、視界が揺れる。彼女は浅く呼吸を繰り返し、こめかみを押さえた。

「……大丈夫。少し眩暈がしただけ」

「無理をするな。だが……時間がない」

 レイカは頷きながら、指先で画面をスワイプし、結界ノードの全体マップを呼び出す。五芒星。都市を貫くその構造は、ただの幻想ではなかった。

新宿、渋谷、品川、上野、そして東京駅——

 その全てが、アジア・太平洋戦争後に計画され構築された地下都市網と重なっていた。


 諏訪が立ち上がり、奥のキャビネットから古い紙資料のファイルを取り出してくる。

黄ばんだ紙には、英語と日本語が入り混じった手書きのメモ。中央に大きく印されたロゴは、今はなき帝都科学技術創出院、戦中の研究機関の流れをくむ組織のものだった。

「これが、J-DARPAの前身?」

「ああ。名前は帝都科学技術創出院。そしてその下部組織が開発していたのが、“都市情報の記録と再生装置”だ。五芒星はその“鍵”だ」

「記録と再生……つまり、都市に記憶を植え付け、必要があれば“再生”させる」

「そういうことだ」

レイカの喉が乾いた。

 それは、ただの陰謀でも、サイバー攻撃でもない。この首都の歴史そのものを“設計し直す”ことができる構造。

人の記憶ではない。

  “都市の記憶”——無数の人々の生活、時間、感情の堆積が、物理的な“意志”として再構成される。

「……それが、“意識の統合”ってわけね」

レイカは吐息を混ぜた声で呟く。

 そのとき、レイカのスマートフォンが再び震えた。

今度は音声通知。公安の暗号ネットワークを通じて、レベル4の警戒アラートが届いた。

《東京駅地下構造にて、構造システムの外部干渉を確認。発信源はLucidNetの暗号通信IDに一致》

「……東京駅が動いた」

諏訪が固まったように沈黙する。


 レイカはジャケットを手に取り、ホルスターを足元に装着した。

「行くのか?」

「ええ、誰かが仕掛けた“物語”の中に、私も含まれてるみたいだから」

 部屋を出ようとしたその瞬間、レイカはわずかに立ち止まった。

ふと、自分の掌を見つめる。右手の呪印が、ほんのわずかに熱を帯びていた。

 それは、都市の記憶と共鳴しているようにも感じられた。

——誰かがこの都市を書き換えようとしている。

 ならば、私は——その物語の『編集者』になる。

そう決意するように、レイカは背を向け出て行った。

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