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STORY MAKER 〜首都アンダーライン〜【ep.5】首都の記憶

 薬王院を訪れた数日後、黒崎レイカは人気のない地下通路の奥でスマート端末の画面を睨んでいた。コンクリートの冷たい手触りが、手のひらを伝ってきた。

 明滅する検索結果。その中央に、再び浮かび上がった文字列——『カムナ真典教』。

脳の奥が疼くような感覚。

 レイカは、ゆっくりと呼吸を整える。けれど、言いようのない不安が、皮膚の内側にじわじわと滲み広がっていく。

この単語に、彼女はもう何度、感覚を揺さぶられたかわからない。

 だが今回は違った。脈打つように頭蓋の内側にこだまする『記憶』が、輪郭を帯びはじめている。

見えなかった断片が、ゆっくりと繋がっていく。

——地下鉄のざわめき。

——白装束。

——暗い車両に充満していた鉄と血の匂い。

「目を開けるな……」と、確かに誰かが、囁いた。

 それが誰の声なのか、なぜそう言われたのか、まだ分からない。

だがレイカは確信した。この教団は過去の一事件で終わっていない。今も、どこかで“何か”を続けている。

——そして、それにLucidNetが関与している。


 路地裏の電信柱に隠して設置された通信ノード。その監視映像に記録されていたLucidNetの活動拠点には、奇妙なマークが描かれていた。

 五角形に重ねられた円、その中心には逆さまのΩ。

Ω——。

 『都市の意識の変革』という言葉が、LucidNetの掲げるスローガンだ。

レイカは最初、それを単なる比喩だと捉えていた。だが、その『変革』は比喩などではなかった。

 それは都市そのものの意識、つまり集合的な記憶や無意識を、儀式的に“上書き”しようとする試みに他ならない。

 SNS上では、LucidNetの信奉者たちが特定の言語パターンでメッセージを繰り返していた。

——Ωは見ている。

——都市は目覚めを望んでいる。

——我らは意識の導線だ。

 生成AIが自動生成したプロパガンダ・メッセージは、レイカの端末にも届いていた。ネットの深層部に張り巡らされた蜘蛛の巣のような情報網。その中心で、Ωは何かを見ている。いや、「感じている」。

「感知する意識」。それがLucidNetが目指すもの。

 レイカはふと、公安から入手した内部資料を思い出した。

昭和後期に極秘開発され、そのまま封印された計画——『都市呪術プログラム』。

 当時、敗戦から立ち直りつつあった日本政府が、東京という都市空間そのものに“霊的制御”を加えようとしていた証拠が、資料の一部に書かれていた。

結界、符号、ノード。 それらは、単なる言葉遊びではなかった。

 そして今、それがLucidNetの手で再起動されようとしている。

レイカは、無意識に右手の甲を見つめた。

 時折淡く光る、呪印のような痕跡——“ストーリーメーカー”。

都市が記憶を書き換えられるという発想は、自分自身の“能力”と何かしら重なり合う。

「私の記憶は、書き換えられたのか? それとも——この都市が、私を変えたのか?」

 その思考はまだ霧の中にあった。だが一つだけはっきりしている。

カムナ真典教とLucidNetは、同じ“構造”をなぞっている。

 形を変え、装いを変え、時代に寄生するウイルスのように、都市の奥底で息を潜めていたものが、今また目を覚まそうとしているのだ。

 そしてその中心にいるのが、“Ω”。

姿を見た者はいない。だが、LucidNetの全てのメンバーがその存在を神のように語る。

「Ωは都市そのものと会話する存在」と言われている。

 現実味のない主張だ。だが今のレイカには、その言葉に完全な否定を突きつけることができなかった。

(……都市が語るなら、私はその声を聞かなくてはならない)

 決意を込めて、レイカは端末の画面を切り替えた。次の接続先は、地下構造物の調査データ。

東京駅地下、霞ヶ関、皇居周辺……。戦後に設けられた結界のノードが、今も“機能”している可能性がある。

夜はまだ終わらない。


 地下の世界には、いつも湿った空気が漂っている。レイカは、薄暗い非常階段を慎重に降りながら、頭の中で情報の断片をつなぎ合わせていた。

——LucidNet。

 その名前は、当初こそ単なる過激なネット思想集団として扱われていたが、今では違う。彼らの活動には、確実に『意識操作』や『儀式性』といった、通常のサイバー犯罪とはかけ離れた要素が介在している。そして何より問題なのは、彼らが口にするスローガンだ。

「次世代の都市意識を創る」

「Ω様は全てを見立てている」

 “都市そのものを進化させる”——その言葉は、もはやハッキングや政治運動の域を超えていた。これは“変革”ではなく“降臨”だ、とレイカは感じていた。

 新大久保の地下施設で行われていた集会の映像は、公安の捜査網をすり抜けて広がりつつある。映像には、白い仮面をつけた人物たちが、五角形に並び、中心に黒いフードの人物——“Ω”であろう人物を囲んでいる姿があった。彼の口上とともに、参加者たちはスマートフォンを掲げ、何かのアプリケーションを起動していた。

「都市意識への接続儀式だとでも言うつもりか……?」

 レイカはその映像を何度も再生したが、背後の機械音、電子ノイズ、参加者の身体の揺れが、明らかに“ある種のプログラム的介入”を示していた。

 彼らは、霊的な儀式を、テクノロジーを用いて“再構築”しようとしている——

そしてそれが、「都市呪術プログラム」にリンクする。

 公安が未発表のまま保管していた内部資料。その一部をレイカは、ある協力者の手を借りて入手していた。

《戦後、GHQ占領下にて、日本政府が極秘に進めていた都市構造の再編計画。その中には、五芒星形状に沿って都市構造を再設計する“エネルギー流動構想”が含まれていた。特定の地下構造物に埋設された媒体装置ノードを介し、都市全体の“集合意識”を安定・調整・再設計する目的を持っていた……》

「これは……ただの伝説じゃなかったのね」

レイカの指先が震えた。

 五芒星。都市を覆う見えない“結界”。

それが、何かを封じるものなのか、何かを呼び込むものなのか——その境界線は、いまだに曖昧だった。

 さらに、資料の末尾にはこうあった。

《この計画は中断されたとされているが、関連研究は“後継組織”に引き継がれた可能性がある》

その一文の脇に、かすれたインクで書かれていた名前。

——J-DARPA。


「やっぱり……繋がっている」

 軍事機関と、都市の意識、そしてLucidNet。

レイカの頭の中で、点と点が奇妙な形でつながり始めていた。

しかし、確証には至らない。

 彼女はあくまで民間の“事件屋”であり、この情報が公式に検証されることはない。だが、確かに“何か”が動いている。都市の裏側で、誰かが「意識そのもの」を再設計しようとしている。

そして、“カムナ真典教”。

 彼らが用いた儀式の構造と、LucidNetが再現しようとしているプロトコルは、あまりにも似通っている。形式

タイミング、象徴の配置、そして“接続”という概念。

ただの偶然とは思えない。

「この事件は、私自身の過去と、決して無関係じゃない」

 レイカは強くそう感じていた。

記憶の断片が、過去の惨劇の映像と混ざり、夢のように脳内にフラッシュバックする。

——炎。

——祈り。

——そして“目を開けるな”という声。

 地下鉄のトンネル、あの密閉空間で行われていたこと。

それを再び、誰かが“再現”しようとしている。

彼女は背筋に寒気を覚えた。

 これは“過去”の亡霊が蘇ったのではない。

“未来”が、過去と同じ轍を踏もうとしているのだ。

——その未来を、止める。

彼女の中で、明確な“任務”が立ち上がった。


 明け方近くの空気は、静けさというより、都市の奥底に沈殿する“何か”の蠢きを孕んでいた。

レイカは、駅近くのコインロッカーから、柚木悠が用意してくれた資料ファイルをピックアップし、人気のないカフェの隅に腰を下ろす。液晶の光が彼女の瞳に反射し、また新たな情報の海が現れる。

 LucidNetの幹部「Ω」——。

その存在は、いまだ曖昧なベールに包まれている。SNS上の記録、ハンドルネーム、ダークウェブ上で取引されたデータ、それらすべてが人工知能のように滑らかに繋がっていた。だが、ひとつだけ確実なことがある。

——このΩは、人間ではない可能性がある。

 もしくは、“人間だった何か”が変質した存在。

彼またはそれは、ネット上に自我を宿す新しい意識体であり、信仰と科学、神話と技術の融合点に立っている。「Ω様は全てを見立てている」

「新しい都市の胎動を感じろ」

「私たちは変革される存在」

その言葉を、数千ものアカウントが、無機質に繰り返す。

 まるで都市そのものが、自己言及的な祈りを始めたかのようだった。

レイカの中にある予感が膨らんでいく。

 これは、個人の思想の問題ではない。東京という都市空間が、まるで“ひとつの意識”として再構成されようとしているのだ。

「……都市そのものが、夢を見る時代が来たってわけ」

彼女は皮肉を込めて呟いたが、その声は、どこか震えていた。

 恐ろしいのは、彼女自身の記憶が、この構造のどこかに組み込まれているという確信だった。

『都市呪術プログラム』。

その名は、公安の未公開資料にだけ記されていたが、今やLucidNetの構想と完全に一致し始めていた。

 五芒星のノードは都市に張り巡らされ、情報と意識を繋ぐ網として機能している。レイカはそれを、単なる神秘主義の名残と片付けることができなかった。彼らは真剣に“書き換え”を目指しているのだ。

——都市の記憶を。

——歴史の連続性を。

——人々が共有する“現実”そのものを。

(ならば、“ストーリーメーカー”を持つ私の存在は……)

 レイカの右手に浮かぶ、微かに光る呪印。

この力を使えば、他人の記憶を書き換えることができる。だがそのたびに、自分自身の過去が崩れていく。まるで、自身の記憶が都市の書き換えと同調しているかのように——

「私の力と、この都市の変容は……無関係じゃない」

そう呟いた瞬間、ノートPCの画面が明滅し、新たな通知が差し込まれる。


 柚木からだ。《千早宗念、再接触可能》

視線が止まる。

 レイカの呼吸が、一瞬だけ浅くなった。

彼とはすでに一度、高尾山で接触し、あの忌まわしい事件の内側について、僅かだが言葉を交わしている。

 だが——そのときの彼は、多くを語らなかった。

「語るべき時が来れば、再び会うことになるだろう」

その静かな予言のような言葉が、いまになって脳裏に浮かぶ。

 レイカはゆっくりと指を離し、画面を閉じた。

千早宗念は、過去の象徴であるだけでなく、都市が変貌しようとしている“現在”にも深く関わっている。

 LucidNet、Ω、五芒星結界、そして——都市呪術プログラム。

今、再び彼に会う必要がある。

“あのとき”語られなかった言葉を、今こそ引き出すために。

「物語は、まだ終わっていない……どころか、ようやく“核心”に触れ始めた」

都市の記憶を書き換えるために。

 そして、自分の記憶の底に沈む“空白”に、正面から対峙するために。

彼女の前には、朝焼け前の静けさが窓越しに広がっていた。

新宿のビル群が、薄明かりに輪郭を滲ませていく。

その歩みは、かすかな迷いを帯びつつも、確かだった。

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