表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

STORY MAKER 〜首都アンダーライン〜【ep.3】歪な首都の胎動

 新大久保の夜は、秋葉原の喧騒とは異なる熱を持っていた。駅を出るとすぐ、立ち昇る煙とスパイスの匂いが鼻をつき、韓国料理の鉄板から立つ油の跳ねる音が耳に残る。ハングルのポップミュージックが通りを満たし、原色に彩られたネオンがビルの壁面に乱反射していた。

 多国籍な人々がこの街を占拠する。韓流アイドルのグッズを両手に抱える少女たち。スマホを掲げて配信中のインフルエンサー。屋台の前に並ぶ外国人観光客。中国語、タイ語、英語が入り混じり、言語が意味を失っていくかのようだった。

 だが、黒崎レイカの視線は、そんな表層には興味を示さなかった。

彼女の目は、都市の笑顔の奥に潜むわずかな『歪み』を捉えていた。街角の防犯カメラが不自然な角度で動いた瞬間。地下へ通じるメンテナンス口の前で足を止めた男の動く視線。壁のグラフィティに紛れ込んだ見慣れない五芒星の落書き。


「空気が変わってる……」

レイカはゆっくりと深呼吸し、すぐにそれが気配の問題ではなく、「情報の流れ」の問題であることに気づく。都市の“脈”が、どこかで鼓動を変えている——彼女には、それが肌でわかった。

 路地裏の一角にある、廃業したネットカフェのシャッターが、先ほどからわずかに開閉を繰り返している。コードも何もついていない監視カメラが天井から釣られていた。無意味なはずのその存在に、都市の『非言語コミュニケーション』がまとわりついているように感じられた。

 レイカはスマホを胸ポケットから抜き出し、独自のプロトコルで都市の公共ネットワークに侵入する。通常のWi-Fiでは拾えない微弱な電波が、断片的なデータパケットを送受信していた。暗号化されたその情報の中に、『LucidNet』という文字が幾度も浮上する。

 LucidNet。表向きは都市開発に関するネットフォーラム。だが実態は、地下ネットワークを駆使した新興の思想集団。噂では、彼らは東京の“都市機構”に介入し、首都そのものを再設計するという狂気じみた野望を掲げている。


「見えてきたわね……」

この街の華やかさの下には、もうひとつのレイヤーが存在する。それは、人々の記憶にも記録にも残らない『不可視のネットワーク』だ。

「地図にない都市構造……これが、奴らの拠点」

レイカは視線を上げ、路地の奥に吸い込まれていく影のひとつを追った。彼女のブーツがコンクリートを鳴らすたびに、都市の奥底に沈んだ“レイヤー”が、わずかに軋む音を立てていた。

その一端が、この雑居ビルの一室に潜んでいる。

 レイカはその雑居ビルに入る。鉄製の扉は錆びつき、階段には使われていない監視カメラが沈黙していた。5階建ての古いビル。エレベーターは故障中。彼女は音を立てぬよう、階段を一段ずつ上っていった。革のロングブーツの音を抑え、壁の染みや落書きに視線を走らせる——情報は空間の持つ記憶にも宿る。

 3階。目的の扉の前で足を止める。内側から漏れる光。電子音。そして、若干の薬品臭と、焦げたプラスチックの匂い——サーバーを隠している証拠。

 ノックもせずにドアを開けると、室内にいた数人の男女がこちらを一斉に見た。彼らは若い。目の奥に常識の欠片がない。MacBook、Linux端末、改造デバイスがテーブルに並ぶ。彼らの瞳は、ネットの闇を覗き過ぎた者のそれだ。


「……誰?」

一人の若い男が訝しげに立ち上がる。

レイカはフードを下ろし、淡々と名乗った。

「黒崎レイカ。都市構造研究のプロジェクトで、LucidNetの活動に興味があって」

一拍、沈黙。そしてその後ろから、誰かが彼女の前に出てきた。

「いいよ、私が話す」

 女だった。長い黒髪に白のワイドパンツ、薄い青のシャツ。その姿は、他のメンバーたちのギークな雰囲気とは異質だった。知性と、何かの熱狂が混じったような目をしている。

「私、柊。LucidNetの中心的なプロジェクトに参画してる。……あなた、何かを持ってるね」

 彼女の声には、妙に耳に残る音色があった。理性的に聞こえるのに、どこか祈りのような響きがある。

レイカは、柊の視線の強さに一瞬だけ呼吸を忘れた。

その目は「あなたの奥を見ている」とでも言いたげだった。

「都市ってさ、建物だけじゃなくて“構造”でしょ? エネルギーや人の流れ、感情のルート、情報の重心。LucidNetはそれを“再設計”しようとしてる」

 柊が言ったその言葉に、部屋の空気が微かに変わった。単なる理想論ではない。これは信仰だった。

「あなたも、こっちに来たらいい。Ω様は“これからを見立てている”から」

その名を聞いた瞬間、レイカの背筋に冷たい電流が走った。

柊が口にした『Ω様』という名に、レイカの中で記憶の薄膜がざわめいた。

 まただ——名前に反応する。

理屈じゃない。身体が、神経が、その名に“警告”を発している。


「Ω様……ね。ずいぶん宗教っぽい響きね」

レイカは声を崩さずに返す。

「宗教とは違う。……むしろ“最適化”って言った方が近いかも。感情と都市、記憶と構造。全部を繋げて、“都市の自我”を作る」

 柊はごく自然に話していた。狂気を纏う者特有の、過度な熱も、理屈っぽい押し付けもない。ただ、静かに“信じている”目だった。

 レイカは、そういう人間に一番警戒する。

「……で、その“都市の自我”ってのは、どこから始まるの?」

レイカが探るように問いかけると、柊は嬉しそうに目を細めた。

「東京駅の地下。そこにね、戦後に封印された“何か”があるって言われてる。私たちはそれを目覚めさせるために動いてるの」

 くだらない都市伝説の1つ——そう思いたかった。だが柊の口ぶりは、明らかに『知っている者』の語りだった。

「東京駅の地下に……何かが?」

レイカの言葉が、わずかに震える。

柊は頷いた。

「“五芒星結界”って知ってる?」

その単語に、レイカの視界がわずかに暗転した。記憶のどこかで、かすれた文字が脈打つ。

——“目を開けるな”——

一瞬、幻聴のような囁きが耳の奥を滑る。

柊は続ける。

「戦後の混乱期に、都市の記憶と秩序を安定させるために、政府が“結界”を張ったっていう話。都市そのものを一種の記憶装置に変える、呪術と技術の融合。……でも、封じたままじゃ意味がない。動かさなきゃ」

「動かすって……具体的に、何を?」

「感情、記憶、流れ。“都市そのものの再編集”。それがΩ様の目的。彼はそれを——“物語”と呼んでいる」

レイカの心臓が跳ねた。

「物語……?」

柊がレイカに微笑みかけた。まるで、同じ言語を知る者に出会ったときのように。

「ねぇ、あなた——“記憶を変える”力を持ってるんでしょ?」

一瞬、部屋の音が消えた気がした。


 なぜ柊がそれを——

レイカは反射的に口元を引き結んだが、表情を崩さなかった。

「さぁ、何の話かしら」

「隠さなくて大丈夫。私たち、そういう力を探してるの。あなたもきっと、選ばれた側の人間……

“ストーリーメーカー”なんでしょ?」

その単語に、レイカの喉奥がひりついた。

この女、どこまで知っている……?

「……知らない名前ね」

 レイカは平静を装いながら、人差し指のスマートリングを回した。

緊急時には、ここから直接遮断コードを発信できる。柊が何か仕掛けてきたら、その瞬間、遮断し記憶領域をロックする。だが柊は一歩も詰めてこなかった。むしろ、どこか安堵したように、声を柔らかく落とす。

「大丈夫。あなたがそう言うと思ってた。でもね、私もそうだったの。最初は、全てを疑っていた。でも、Ω様と出会ってから、世界の構造が“意味”を持ち始めたの」

“世界の構造に意味”?

レイカの胸の奥に、ひやりとした感覚が走る。

「あなたも感じてるんでしょ。日常がどこか偽物みたいで、都市が“物語られて”いる感覚」

レイカの喉が渇いた。

 それは、彼女が“ストーリーメーカー”の能力を使った後に、必ず訪れる感覚に似ていた。

——現実と記憶の境界が、わずかに軋む。

「あなたがその力を使うと、都市の“記憶”が変わる。でも、同時に……あなた自身も失っていく。そうでしょ?」柊の言葉は、レイカの核心を撃ち抜いた。

 反射的に拳を握りしめる。今にも立ち上がり、目の前の女に問い詰めたくなる衝動を抑え込んだ。

「私たちは、そんな“苦しみ”を終わらせようとしているの。……Ω様は、全てを再編成する。あなたの“空白”すら、意味のある物語に変えることができる」

柊の目が、一瞬だけ真剣さを帯びる。

 そこには狂信の色はなく、むしろ“救済”を信じる者の静かな光があった。

だが、レイカはすぐにその視線を断ち切る。

その光は、かつて彼女が「空白」に堕ちたときに、すがりそうになった幻想と同じものだったからだ。


「私は、私自身の記憶で十分よ。他人に書き換えられた人生に意味なんて感じない」

柊はわずかに笑った。まるで予想通り、という顔で。

「そう思うのも、あなたの物語。けれど——選択肢は増えていく」

彼女はそう告げると、名刺のような黒いカードをテーブルに置いた。

 その表面には何の文字も記されていない。ただ、中央に五芒星の紋様が浮かんでいた。

「そのカードをかざせば、アクセスできる。“結界”の断片に。もし、あなたが本当に自分の物語を知りたいなら——来て」

そう言って、柊は席を立った。

「どこに?」

「都市が導くわ。……私たちは、常にそこにいる」

柊は、黒いアクリル扉の向こうに消えた。残された空気は、静かに揺れていた。

 レイカはカードを睨みつける。

その五芒星の紋様は、まるで記憶の中に焼き付いていた“あの日”の記号と一致していた。

 彼女の手が、震える。だが——握りしめた。

「いいわ。記憶が私を否応なく呼ぶなら、徹底的に付き合ってあげる」

レイカの中で、何かが再び目覚めようとしていた。

“空白”が導く“物語”の始まりに向けて——。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ