表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/6

STORY MAKER 〜首都アンダーライン〜【ep.1】秋葉原の夜

 アニメキャラクターの看板が視界の端で踊り、フィギュアショップのガラスケースには非現実的なまでに整った造形の少女たちが並んでいる。その足元を、カートを引く外国人観光客が忙しなく行き交い、カメラを構えながら『Tokyo Cyber City』とでも言いたげに感嘆の声を漏らしていた。


メイド服を纏った少女たちが軒を連ね、猫なで声で道行く男たちの袖を引く。

「ご主人様、寄っていきませんか?」

「今日は特別サービスですよ♡」

手を引かれた男たちは、苦笑しながらも足を止め、迷いの表情を浮かべる。中には何度も通い詰めたのか、メイドと親しげに会話を交わす者もいる。

 その中を、黒崎レイカは歩いていた。

彼女の革のロングブーツが、アスファルトを乾いた音で打ち鳴らす。彼女が通るたび、秋葉原の夜の空気が僅かに変わる。

男たちの視線が、一瞬、迷うように彼女の姿を捉えた。

——惹かれるように目を向ける者。

——見てはいけないものを見たかのように、すぐに逸らす者。

そこにあるのは、興味でも、憧れでもない。

それは、警戒と畏怖が入り混じった、得体の知れない距離感だった。

彼女の名を知る者は少なくない。


 秋葉原のSMクラブ『Dominance(ドミナンス)』のNo.1女王様。

彼女はこの街の欲望の構造を知り尽くし、支配する側に立つ者だった。

だが、それは彼女の『一面』に過ぎない。

表の顔——人を弄び、支配する悦びを売る仮面。

裏の顔——都市の闇に潜み、真実を暴く『事件屋』。

彼女はその両方を使いこなしながら、この街を歩く。


——忘れている。

確かにそこにあったはずのものが、ぽっかりと抜け落ちている。

 黒崎レイカは、過去のある時期から、自分の記憶が不自然に欠落していることに気づいていた。

日常の中では、その穴を意識することは少ない。

だが、不意に何かの拍子で——

 たとえば、街中で見覚えのない場所に違和感を抱いたとき。

あるいは、知らないはずの人間に「久しぶり」と声をかけられたとき。

理由のわからないデジャヴに襲われるたび、背筋に冷たいものが走る。

そこにあったはずの記憶が、ない。

見えないはずのものが、脳裏に焼き付く。

——この空白は、何なのか?

レイカは何度も考えた。

しかし、答えはいつも霧の向こうにあった。


 その夜も、何の前触れもなく、それは襲ってきた。

激しい耳鳴り。視界の揺らぎ。

遠くで、誰かが囁いている。

「目を開けるな……」

——誰の声?

まぶたの裏に映るのは、暗い空間。

白装束を纏った集団。

意味のわからない言葉が、波のように押し寄せる。

鉄の匂い。床に広がる紅い染み。

意識がそこに釘付けになる。

——この光景を、私は知っている?

 記憶の奥底から、何かが無理矢理引きずり出されるような感覚。

この場所を知っている。この人たちを見たことがある。

けれど、それ以上は——

レイカは息をのむと、震える指でこめかみを押さえた。

頭痛は収まらない。


それは彼女の特異な能力と関係する。『ストーリーメーカー』——

右手に刻まれた呪印を触れさせることで、相手の記憶を書き換えることができる。

だが、その代償として、彼女自身の記憶もまた、少しずつ崩壊していく。

人の記憶を改変すればするほど、自分の中から何かが消えていく。

 それは意識的に忘れるのではなく、まるで誰かに削られているような感覚だった。

何を失ったのかもわからないまま、ぽっかりと欠けている。

まるで、誰かが意図的に、彼女の記憶を『改変』したかのように——。


あの言葉。『カムナ真典教』——

その単語が脳裏をよぎるたび、警報のように頭の奥が軋む。

何かが、警告を発している。

胸が締め付けられるように苦しい。

 知らなければならない、この記憶が何なのかを。

この欠落が何を意味するのかを。

 彼女は追う。

事件を解き明かせば、きっと、自分が何者なのかがわかる。

いや——わからなければならない。


 光が満ちた大通りから一本奥の路地に入ると、風景は一変する。

無数の看板が煌めく通りとは違い、ここには喧騒の残響だけが微かに響いていた。雑居ビルが並び、裏路地の奥には古びた電子パーツ屋が軒を連ねている。

パソコンショップの店先には、基盤むき出しのハードウェアやコードが雑多に積まれ、時代遅れのモニターがガラス越しに寂れた光を映していた。

 ここには、昼間の『秋葉原』とは違う住人たちがいる。

目つきの鋭いハッカー崩れの男たち、裏取引の噂が絶えない密売人、そして「街の異端者」として漂流してきた者たち。

 レイカも、その中にいた。

彼女のロングブーツが路地の石畳を静かに踏みしめる。

影のように気配を消しながら歩くその姿は、この街の闇と完全に同化していた。

 誰もが、自分の欲望を抱えてこの街に集まる。

だが、彼女にとって、この街は『獲物を狩るための場所」だった。


『Dominance』の控え室には、特有の匂いが満ちていた。

赤いベルベットのソファに沈み込んだ香水の残り香、酒とタバコの煙が入り混じった空気、そして甘ったるいボディローションの匂いが、薄暗い照明の下でじっとりとまとわりついていた。

 レイカは、化粧台の前に座っていた。

鏡に映る自分の姿を見つめながら、黒のレザーコルセットを締め上げる。革が肌に密着し、心臓の鼓動が僅かに締め付けられる感覚を覚える。彼女の指は慣れた動作でホックを留め、太ももまで伸びるロングブーツのジッパーをゆっくりと引き上げる。

 足を組み替えながら、手鏡を持ち上げた。角度を微調整し、光の加減を確かめながら、赤い口紅を滑らせる。

カチリ、と蓋を閉じる音が鳴る。

それは、彼女が「仮面を装着する瞬間」だった。


 控え室には、他のキャストたちもいた。

レースやラバー、ボンデージに身を包んだ女たちが、思い思いの時間を過ごしている。

壁際では、細身の女が片脚を組みながらタバコを吸っていた。赤く塗られた爪が灰皿の縁をなぞるたびに、灰が細く崩れ落ちる。その向かいでは、豊満な体つきの女が鏡に向かって髪を整え、手首にチョーカーの金具をはめながら微笑んでいた。

「今夜の客、また変なのばっかりだったわ」

誰かが軽口を叩くと、すぐに笑いが返ってくる。

「うちの支配人、変態の嗅覚だけは異常だからね」

「まあ、それで食えてるんだから、文句言えないけど」

笑い声が、天井の間接照明に弾かれ、空間のどこかで湿り気を帯びて消えていく。

レイカもその輪の中にいた。だが、彼女だけが、どこか異質だった。


 彼女に向けられる視線は、明らかに他のキャストとは違っていた。

「この人は別格」

それを言葉にする者はいないが、空気がそう物語っていた。

畏敬と嫉妬、あるいは単純な距離感。

彼女はこの店で頂点に立つ存在だった。No.1。

しかし、それゆえに、誰も彼女を『仲間』とは思っていなかった。

彼女は、支配する者だった。

だからこそ、彼女は完璧な仮面を纏わなければならない。


 支配人が控え室のドアを開け、低い声で告げた。

「今夜の客はVIPだ、頼むぞ」

レイカは、鏡越しに微笑んだ。

「ええ、もちろん」

その声は、完璧だった。

甘く、誘うようでありながら、一線を引くような冷ややかさを含んでいた。

支配と服従、その境界線をわずかに滲ませる声色

——彼女は、長年の経験から、それを知り尽くしていた。


 だが、その微笑みの奥で、彼女の心は別の場所にあった。

彼女は、もう一人の自分——事件屋としての自分を、常に隠し持っている。

この仮面は、どこまでが「本物の自分」なのだろうか。

そう思う瞬間が、時折、ほんの一瞬だけ訪れる。

 だが、彼女はそれを振り払う。目の前の仕事を完璧にこなすこと。

それが、この店における「黒崎レイカ」というキャラクター。

今夜もまた、彼女は支配者としての役割を演じる——。

彼女は仮面を整え、席を立った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ