灰谷涼介 一
「もう三十五か。お前も」
灰谷哲夫が今年四十一歳になる息子の涼介に向かって言った。
いつもの譫言だ。訂正する気もとうに失せた。
自分自身以外の事には何も興味を持たない父親だと思っていたが自分が定年退職し、やがて体を悪くして施設に入居して、
やる事がなくなったと思ったら一人息子の人生を憂いだした。
そして職場の休暇にこうやって都心から離れたホームで顔を合わせるたびに同じ譫言を繰り返すのだ。
「坂本龍馬はな、お前の年齢になるまでに成すべきことを成して、もう死んでるんだぞ」
はいそうでしたか。以外の言葉が出てこない。
灰谷涼介は武蔵野市の介護用品を生産している工場に勤めている。この仕事に落ち着いて十年が経とうとしていた。
三十になり大学の同級生と結婚し、子宝には恵まれなかったが、
特に社会に対して後めたい事の一切もなく、東京で慎ましく暮らしている。
涼介には、父親が何にそんな不満なのかがわからなかった。せいぜい、自分と同じ教員の道に進んでほしかったのだろうくらいに思っていた。
お父様が軽度の認知症を患っている可能性があります。そう医者に告げられたのは去年の年末の事。
母親の三回忌を済ませた直後に近隣の幼稚園児達に向かって父親が三十分近く怒鳴り続けた事で発覚した。
母の葬儀の時、父親はまだ「しっかり」していて、涼介に対して業務連絡以外の事は口にしなかった。
当時から食道癌で入退院を繰り返しており、七十にして杖がなければ歩けない体になっており、自身の全ての動作が俊敏にこなせなくなっても、
それでも心は「しっかり」と丈夫に喪主を務めていた。
まるで風船ひとつくくりつけたら、天高く飛んでいってしまいそうな今の姿とは違う。
「しっかり」と、地面に立ち、
「しっかり」とした、バリトン・ボイスで喋り、
「しっかり」とした、仏頂面にて他人を威嚇できていた。
その父が今や、一日数回介護士に怒鳴り、たまにくる息子に坂本龍馬がどうたらこうたら同じ文言を繰り返すようになった。
どこぞの島を何百年と見守ってる神木があるとして、それも何千年歳をとって枯れていくんだな。
そしてそのように父親も死んでいくんだな。
そんな当たり前のことを当たり前のことのように涼介は想像していた。そして当たり前のこととして受け入れ、順応していた。
今は自力で立ち歩きできないに留まっているが、そのうち手足も動かなくなり、達者な口も聞けなくなると病院の得体のしれないチューブに繋がれて動けなくなり、
晩年は呼吸も自分ではままならなくなり、そのような責め苦を受けた末に天に行くことを、ゆっくりと許されていくのだろう。
などと、父親の未来図を涼介は描いていた。
等の本人が実際に事きれるまでは。
訃報は、施設からではなく、病院からでもなく、警察からかかってきた。
享年八十一歳。
死因は出血性ショック。
刃渡り六センチのナイフが心臓を突いていたそうだ。