表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/10

第一章「聖者の漆黒」第四部「回帰」第1話

 すずしくなる時間。

 かたむいた陽の光が本殿に直接差し込む。

 周囲を包み始めた影が強い。

 風は弱いが、それでも急激に下がった空気を祭壇さいだん前へと運んでいた。

 御陵院ごりょういん神社に呼ばれたのは楢見崎ならみざき由紀恵ゆきえだったが、おとずれていたのは娘の沙智子さちこ

 それでもそこに何らかの意味を見出し、さきはすぐに受け入れた。

「娘の西沙せいさの所に依頼いらいをされたのは……貴女あなた様とうかがっておりますが…………」

 本祭壇ほんさいだんに背を向け、さきはそう切り出す。その横で綾芽あやめ涼沙りょうさがそれぞれ正座をしている光景が少なからず威圧感いあつかんかもし出すのか、沙智子さちこの表情はずっと固く、僅かに下を向いたまま。三人との距離もある。薄暗うすぐらいせいもあってかその表情もみ取りにくい。

 もちろんさきもその緊張感きんちょうかんを感じていないわけではない。同時に決してめ立てようとするつもりはなかったが、さきの中で西沙せいさの存在がくすぶっているためか、その口調にはどこか気持ちのみだれもあったのだろう。

ことは単純ではありませんが、しかしながら、やはり楢見崎ならみざき様にも〝真実しんじつ〟を知っておいて頂く必要はあるでしょう。本日おし頂いたのはそのためです」

 さきの続けたその言葉に、沙智子さちこもやっと口を開き始めた。

 視線しせんは僅かに落としたまま。

「……いかにも…………西沙せいさ様に依頼いらいをさせて頂いたのは私です」

あらためて……そのわけをお聞きしても?」

 やはりさきは自分の声色こわいろあせりをにじませていた。

 気持ちがざわつく。


 ──……まただ…………また、私は西沙せいさおそれている…………


 その気持ちの不安定さが、ついさきに言葉を急がせていた。

「確かに楢見崎ならみざき家の方々のあずかり知らぬところで、我々御陵院(ごりょういん)家は皆様を守り続けて参りました…………それは今に始まったことではありません…………数百年の長い年月────」

「────ええ…………」

 意外にも、沙智子さちこの小さな声がさきの言葉をさえぎる。

ぞんじておりました」

 その言葉に、さきの横の綾芽あやめ涼沙りょうさが顔を上げていた。


 ──……馬鹿ばかな…………


 反射的にそんな言葉がさきの頭に浮かぶ。

 誰も知っているはずがない。知っているのは御陵院ごりょういん家を継承けいしょうする人間だけ。


 ──…………しかし…………なぜだ…………


 突然、さきの中で疑問ぎもんいた。


 ──……そもそも……どうして楢見崎ならみざき家は知らない?


 沙智子さちこの言葉が続く。

「これは母も知らぬことでした。私が〝御簾世みすよ様〟から…………夢で────」

「夢? しかも……どうしてその名を…………」

 思わずさえぎっていたさき顳顬こめかみを、汗が一筋ひとすじ流れ落ちた。

 そしてやっとさきは気が付く。


 ──…………赤い目…………


 沙智子さちこの〝赤い目〟があやしくそのまぶたの下に浮かんでいた。

 そして思い出す。

 御陵院ごりょういん家で言いつたえられてきた歴史。その大きな起点きてんとなった事柄ことがらの中心人物。


 ──…………御簾世みすよは…………赤い目だった…………


 ──……この〝圧力あつりょく〟は…………


 さき沙智子さちこの間を、なまぬるい空気がゆっくりと流れていく。

御簾世みすよ様が……西沙せいさ様をたよれと…………西沙せいさ様でなければ…………〝のろい〟は終わらせられないと…………」

 その沙智子さちこの言葉から、静寂せいじゃくが生まれた。

 祭壇さいだん松明たいまつが音を立てて小さくくずれる。火の天井てんじょうに舞い上がると影に包まれそうな本殿を明るく照らした。

 その中で、沙智子さちこの赤い目が光る。

 綾芽あやめ涼沙りょうさからは、それは妖艶ようえんさを宿やどしているようにしか見えなかった。

 二人にとって、西沙せいさは一番下の妹でありながら、同時に〝おそれる〟べき存在。お互いに、認めながらも認めたくなどない現実。例え神社から追い出したとしても、西沙せいさが神社を継承けいしょうすることがないとしても、今現在で一番の脅威きょういであることには変わらない。

 だからこそ、御陵院ごりょういん家の問題でありながら、御陵院ごりょういん家ではなく〝西沙せいさでなければ〟というのは納得なっとくするわけにはいかなかった。二人にとって到底とうていゆるすことの出来る言葉ではない。

 涼沙りょうさとなりくちびるめているのを、綾芽あやめは感じていた。


 ──……ここに……なぜ西沙せいさはいない…………?


 しばしの間を空けて言葉をつないだのは、再び沙智子さちこ

「〝のろい〟の根源こんげんは知りません……誰ののろいなのか……何ののろいなのか…………どうして楢見崎ならみざき家がこんな〝ごう〟を背負せおわされているのか…………そんなことは私にはどうでもいい…………息子を守りたいだけです…………皆様は我々を守ってきたとおっしゃいますが…………この神社が守ってきたのは楢見崎ならみざきですか? それとも〝のろい〟ですか⁉︎」

 さきでさえ、何も応えられなかった。もはや、この状況じょうきょうを整理することすらむずかしく感じる自分に苛立いらだつだけ。

 しかし、沙智子さちこの言葉は続く。

「……だとしたら……私はこの神社をうらみます…………」

 そして、再びの静寂せいじゃくが空気に広がる。

 それは誰にも止められるものではない。


 その数時間前。

 楢見崎ならみざき家にいたのは、西沙せいさだった。



      ☆



 綾芽あやめ楢見崎ならみざき家をおとずれた翌日よくじつ

 由紀恵ゆきえ沙智子さちこに頼んで西沙せいさに連絡を取っていた。

 来客らいきゃく用の座敷ざしきには西沙せいさ由紀恵ゆきえだけ。意外にも西沙せいさはしばらく待たされた。来てすぐに出されたお茶がほとんど無くなるほど。

 由紀恵ゆきえの中にも、呼び出しておきながら気持ちが安定していないようなみだれがあった。もはや誰を信じたらいいのかも分からない。昨日突然やってきた巫女みこから聞かされた話は、ただ混乱こんらんしただけ。

 実際じっさい西沙せいさの前にこしを降ろしてからも落ち着かない。どう話を切り出せばいいのかもさだまっていなかった。

 しかし西沙せいさの中では少しずつバラバラだったものがつながり始めていた。ここへ来た時から感じる綾芽あやめの〝痕跡こんせき〟。それがさらに西沙せいさの中の確信かくしんを強めていく。

「私のあねは〝楢見崎ならみざき家を守ってきた〟と言ってたんですよね」

 綾芽あやめが現場に残していた感情を読み取りながらの西沙せいさの言葉はもはや自信にちていた。

「私の知る限り、それはうそではないようです」

 西沙せいさはそう続けながら、不安に包まれながらたたみに落ちる由紀恵ゆきえの目を見続ける。

 事実として、さきがそのためにホスピスに関わっていたことに確信かくしんを持っていた。御陵院ごりょういん(みずか)らが〝守ってきた〟と言っている以上、さきがあの事件の中の楢見崎ならみざき家の〝血〟の存在に気が付いていなかったわけがない。

 しかし、守りきれなかった。

 西沙せいさは小さくふるえる由紀恵ゆきえくちびるに気が付きながらも、えて言葉を続ける。

 しかも、その言葉はやわらかい。

「……由紀恵ゆきえさん……霊能力者なんて言うとあやしい職業だと思われるかもしれませんけど、私は小さい頃からかんだけはするどい子供でした。普通の人が思うような幽霊ゆうれいが見えるとかそういうことじゃなくて、他人の感情かんじょうが分かってしまうんです。今、何を考えているか……手に取るように……それと同時に、その人の過去かこも…………」

 由紀恵ゆきえが目を見開いた。

 まぶたと共に瞳孔どうこうふるえているのでさえ西沙せいさには感じられた。

 続く西沙せいさの言葉は、由紀恵ゆきえ感情かんじょうらしていく。

「おかしな体質でしょ。普通の人生なんか歩けなかった…………だから……この間お邪魔じゃました時に……分かりましたよ…………例えぎたことでも、過去かこは消えない……変えられるものじゃない…………この家の女性は……長女を出産した時に総てを先代せんだいから〝継承けいしょう〟するはずです。自分のしたことと、これから自分がしなければいけないこと…………」

 由紀恵ゆきえの肩がふるえ始めていた。


 ──……美由紀みゆきのおかげで……やっと辿たどり着けたよ…………


 そう思う西沙せいさの中で、それでも決して気持ちのよくない〝真実しんじつ〟がまとまる。

 かすかにれかける声にならない由紀恵ゆきえの声を、西沙せいさ容赦無ようしゃなさえぎった。

「……由紀恵ゆきえさんも無意識の内に…………まるで何かに取りかれたように…………自分の息子さんを、ころした」


 ──…………やめて…………


「そしてその遺体いたい先代せんだい処理しょりする。広い敷地しきちですものね。大きな焼却炉しょうきゃくろと専用の埋葬まいそう場所があるはず。やがては沙智子さちこさんの息子さんも、何かに取りかれたような沙智子さちこさん自身が無意識にころして、それを由紀恵ゆきえさんが────」

「────やめてっ‼︎」

 由紀恵ゆきえ甲高かんだかい声が、座敷ざしきに流れる空気を切りいた。

 記憶に無い殺人。長女を産んだ直後にそれを聞かされた過去かこ。ずっと信じたくなかった過去かこ。自分には自覚じかくなど無いまま。それでも、自分の娘が殺人をおかすところを見ることで、それを母として実感じっかんせざるを得なくなると教えられた。

 そして、そのまごみずからが〝処理しょり〟することになる。やがてやってくるその現実。それもまた変えられるものではないと聞かされた。

 気持ちのどこかで〝うそだ〟と思っていた楢見崎ならみざき家の〝ごと〟を赤の他人からあらためてきつけられ、由紀恵ゆきえ感情かんじょうは完全に理性りせいうしなう。

 それでも西沙せいさどうじない。


 ──……美由紀みゆきには……こんな気持ちを味わわせたくない…………


 そして、言葉をつむいだ。

「長男は最初から出生しゅっしょう届けを出していない……だから死亡届けも出す必要がない……名前も先代せんだいが決める仕来しきたりだから、いつも同じ……愛着あいちゃくを感じないように……せいぜいが時代とともに何度か変えてきた程度ていど戸籍上こせきじょうは存在しない子供だから……死んでも警察からうたがわれることはない。その役目も母親ではなく先代せんだいの母……由紀恵ゆきえさんも出生しゅっしょう届けを提出してきたことにしただけですよね。さいわいにも楢見崎ならみざき家の女性は過剰かじょうに守られてきた。おかげで学生の頃の友達なんか一人もいない。社会を知らない内に結婚。長男がいたことすら知っているのは婿養子むこようし実家じっかだけ。でも一年もせずにくなれば愛着あいちゃくも少ない。後は形だけの葬儀そうぎをすれば誤魔化ごまかせる。お寺にお金を払って、理由は何とでも作れるはず……流産りゅうざんした子供のものとでも言えばいい。しかも婿養子むこようし実家じっかはなれた土地の地主じぬしレベルの家柄いえがらだけ。三男さんなん以降の外孫そとまごになんか興味きょうみうすそうな家ばかり…………だから婿養子むこようしに長男や次男はけられてきた」

 由紀恵ゆきえたたみに両手を付く。その振動しんどう西沙せいさ座布団ざぶとんにまで伝わる。

 丸まった背中を大きくふるわせ、由紀恵ゆきえかすかにあふれる小さな声を押し殺した。

 つむがれる西沙せいさの声を待つだけ。

「そしてもう一つ…………それは、三人目以降の子供が産まれた場合…………」

 由紀恵ゆきえが僅かに頭を上げかけ、西沙せいさの言葉が続く。

「すぐに養子ようしに出されてきた…………そうしなければもっとおそろしい〝のろい〟がかると継承けいしょうされてきたはず…………その人たちを守ってきたのが御陵院ごりょういん家です。これは私も知りませんでした。そして何の因果いんがか……私は去年…………その数名と関わりを持ちました。他にもいるのかもしれませんけど…………そしてまだ分からないこと……由紀恵ゆきえさんの頭の中をのぞいても見えないのは、なぜ御陵院ごりょういん家が楢見崎ならみざき家の〝血〟を守ってきたのか────そもそもの〝のろい〟の根源こんげんは何か…………」

 由紀恵ゆきえが、頭を少しだけ上げた。

 西沙せいさの言葉を待つ。

「……御陵院ごりょういん神社に……何か秘密ひみつがあるはずです」

 そして、やっと、由紀恵ゆきえが小さく言葉をらした。

 視線しせんはまだたたみへ落ちたまま。

「…………どうすれば…………」

 西沙せいさはすぐに返していた。

「私も御陵院ごりょういんの人間です……追い出されていなければ、昨日のあねのように継承けいしょうしていたことでしょうね。そして、私もいつの間にか関わっていたわけです。しかし私はその〝かせ〟からはずされた。それなのになぜかここにいる。そこに意味がないと考えるほうが不自然です。しかも、沙智子さちこさんのほうから私の所にやってきた…………夢に現れた巫女みこの言葉にしたがってね。その巫女みこが誰なのか、昨日やっと分かりましたよ…………私だけじゃ分からなかった…………」

 由紀恵ゆきえれたまぶたを持ち上げるように顔を上げ、その目を西沙せいさに向ける。

 ふるえるくちびるが動いた。

「……本当に…………のろいを…………」

 おさなころから続いていた、めた緊張感きんちょうかんの中での人生。それが楢見崎ならみざき家の人間の人生だった。そして長女を産んだ直後に聞かされる〝仕来しきたり〟。そのくさりのようなものにしばり付けられ、どこにも逃げ道がなくなる。

 目の前に座る小さな霊能力者が、唯一ゆいいつの希望。

「…………終わらせられるのですか…………」

「私から質問させて由紀恵ゆきえさん…………私は強制きょうせいはしない。いつでも決めるのは本人…………沙智子さちこさんに秘密ひみつにしたまま〝のろい〟を〝継承けいしょう〟するか…………総てを話して〝のろい〟を終わらせるか…………私なら……沙智子さちこさんの記憶きおくを消すことも出来る…………」

 そしてその西沙せいさに対して、由紀恵ゆきえはその力強い〝目〟で応えているかのようだった。

 間違いなく、覚悟かくごを持った〝目〟。


 それから数十分。

 沙智子さちこ座敷ざしきに呼ばれる。

 そしてその数時間後、沙智子さちこ御陵院ごりょういん神社におもむいていた。



      ☆



「我々御陵院(ごりょういん)家は……楢見崎ならみざき家の〝血〟を守って参りました…………」

 さき沙智子さちこに言葉を返し始めた。

「それは沙智子さちこ様でもあずかり知らぬ〝血〟です。長女の後に……産まれた子供たちの存在をご存知ですか?」

 そのさきの言葉に、沙智子さちこふるえるくちびるめる。

 数時間前に母の由紀恵ゆきえから聞かされた真実しんじつ

 それをあらためて確認することがこれほどつらいとは自分でも思ってはいなかった。しかし沙智子さちこみずか御陵院ごりょういん神社にやってきた。それは西沙せいさの希望でもあったが、沙智子さちこは自分が御簾世みすよえらばれた身であることを自覚じかくしたからこそ、だからこそ自分で選択した。


 ──…………これ以上、母をくるしめるわけにはいかない…………


 ──……私が終わらせる…………


 ──……………………絶対ぜったいに…………


 何かにさえぎられているのか、その沙智子さちこの気持ちを読めないまま、さきが言葉をつなぐ。

みな……養子ようしに出されています…………そうしなければもっとおそろしい〝のろい〟がかると言われてきました…………だから我々は────」


 突然とつぜんの、おと


 そのおとに、さきの言葉はさえぎられた。

 祭壇さいだん横の板戸いたどが開けはなたれたおと

 綾芽あやめも、涼沙りょうさも、さきでさえ予想することすら出来てはいなかった。

 三人がゆっくりと首を回した視線しせんさき

 そこには、いるはずのない、西沙せいさの姿。

「見せてもらったよ。〝うら〟で」

 その西沙せいさの言葉に、涼沙りょうさが立ち上がってさけんでいた。

西沙せいさ! いつの間に────!」

「気が付かないねえさんがあまいんでしょ? 私の〝幻惑げんわく〟にまただまされて。沙智子さちこさんと一緒に来てたけど、存在を消すなんて簡単かんたんなこと」

 西沙せいさの強い〝目〟が涼沙りょうさおびえる〝目〟をとらえる。

 その目に対する〝おそれ〟は、涼沙りょうさだけではなく綾芽あやめも、もちろんさきも知っていること。

 涼沙りょうさも、こわかった。さきとは違い、自分と綾芽あやめあやつられる立場。何度も経験し、西沙せいさと目を合わせることをけてきた。幼い頃から。あらためて西沙せいさと目を合わせることの意味を感じる。


 ──……〝もの〟…………


 背中に冷たいものが走った。

 その涼沙りょうさが目線をはずしたことを確認するかのように、口を開いたのはさきだった。

「……西沙せいさ…………」

 さきは小さく息を吐き、正面に顔を戻して続ける。

「いつからいたのかはいません。何を見ました? 準祭壇じゅんさいだんで…………」

準祭壇じゅんさいだん?」

 西沙せいさの口元に、小さくみが浮かぶ。

 横目でそれを見ていたのは綾芽あやめ


 ──……辿たどり着いたのか…………


 西沙せいさが〝真実しんじつ〟に行き着いたことを感じた。

 それは、さきでも知らないこと。もちろん綾芽あやめ涼沙りょうさも知らない。

 誰も辿たどり着けなかった。

 〝のろい〟の〝真実しんじつ〟。

 御陵院ごりょういん家も理由を知らずに仕来しきたりにしたがってきた。

 なぜ楢見崎ならみざきの血を守らなければならないのか。

 歴史の中にかくされてきたものが何か。

 そして、どうして〝のろい〟が続いているのか。

「あれは〝準祭壇じゅんさいだん〟なんかじゃない」

 その西沙せいさの声が一段いちだんと強くなった。

「あれこそ、御陵院ごりょういん神社の〝本祭壇ほんさいだん〟だ」

 綾芽あやめの細い目が開く。

 涼沙りょうさは動けないまま。

 さき冷静れいせいたもとうとしてか、沙智子さちこの〝赤い目〟を見続ける。

 その空気の中で西沙せいさだけが言葉をつないだ。

密儀みつぎのための祭壇さいだん? その側面そくめんの裏の意味は……お母さんでも知らないはず…………ここを建て替えた時から準祭壇じゅんさいだんの〝松明たいまつの火〟はやしてはならないと言われてきた。それは御陵院ごりょういん神社のしん祭壇さいだんである準祭壇じゅんさいだん楢見崎ならみざき家に掛けられた〝のろい〟を押さえつけているから。材料をき集めてやっと見えた…………準祭壇じゅんさいだんと言われながらも本祭壇ほんさいだんよりも大事だいじあつかわれてきた場所の本当の姿…………御陵院ごりょういん神社を清国会しんこくかい参加さんかさせた伝説でんせつの人…………長女の麻紀世まきよと、それに対立して追い出された三女の御簾世みすよ。その御簾世みすよよめに入ったのが楢見崎ならみざき家。そのくらいはお母さんでも知ってるんでしょ?」

「総て、見えたと?」

 意外にもさきの返答は早い。

「見えたよ」

 西沙せいさおくさずに応えると、板間いたまを進め、沙智子さちことなりへ。

 板間いたまにそのまま胡座あぐらをかいてこしを降ろすが、そのひざはゴスロリのスカートですぐにかくれた。いつもなら涼沙りょうさがその態度たいどとがめるところだが、もはや誰も何も言えないまま、次の西沙せいさの言葉を待った。

 外は薄闇うすやみを越え、もはや漆黒しっこく

 あつい雲にさえぎられてか月灯りも無い。

 本殿の中を照らすのは祭壇さいだん松明たいまつの揺れる灯火ともしびだけ。

 時折ときおり、火のが風に舞う。小さな光のつぶかたまりとなって照らし出したのは口を開く西沙せいさの表情だけ。

「つまり両家は親戚しんせき同士。楢見崎ならみざき家には御陵院ごりょういんの〝血〟が入ってる。そして、麻紀世まきよ御簾世みすよあいだはさまれてた次女が母親を殺して自害じがいしたことは? 清国会しんこくかいに入りたい麻紀世まきよとそれに反対した御簾世みすよあいだ相当そうとうなドロドロしたせめいがあったみたいだよ…………そしてそのきっかけとなった〝清国会しんこくかい〟を御簾世みすようらんだ。自分を追い出してまで御陵院ごりょういん神社を継承けいしょうした麻紀世まきようらんだ。やがて二人は……〝のろい〟を掛け合った…………お互いの血筋ちすじやすため…………」

「〝風鈴ふうりんやかた〟とは…………」

 さき自身、無意識の内に口を開いていた。

 さき真実しんじつを知りたかった。

 それに、まるで待っていたかのように西沙せいさが返していく。

「そうだよね……とりあえず楢見崎ならみざき家と一緒に守るべき対象だったんでしょ? 誰も住まなくなった大きな屋敷やしきの管理をしてまで……仕来しきたりは文献ぶんけんみたいな形で残されてるわけじゃない。伝聞でんぶんだけ。そして理由までは伝えられていない。あそこの大量の風鈴ふうりん…………同じ物が楢見崎ならみざき家に何個も下がってた…………」

 沙智子さちこが首を振って西沙せいさの横顔を見るが、西沙せいさは構わずに続けた。

魔除まよけのためって昔から言われてたみたいだけど、どうやらそれはうそじゃないね。風鈴ふうりんに付いてる丸いマーク…………あれはここの準祭壇じゅんさいだん燭台しょくだいに付いてるマークと同じ。あまりにさりげなくて私もどこで見たものかすぐには思い出せなかったよ。おそらくは魔除まよけの〝ねん〟みたいなものを込めたものなんだろうね。そんな風鈴ふうりんが、あの屋敷やしきには無数むすうに下げられてる…………よほど……こわかったのか…………あの屋敷やしきが〝風鈴ふうりんやかた〟になる顛末てんまつを聞いてもらう前に、もう一つ大事だいじなことがある」

 西沙せいささきの顔が少しだけ上がるのを確認し、さらにつなぐ。

「それまで誰も存在を見付けられなかったあの屋敷やしきが、現在は世間せけんの目にさらされてる。もちろん簡単に見付けられなくなってるのはここの準祭壇じゅんさいだんの力。でも誰かが変化を作り出した。そして屋敷やしきが最初に見付かったのがおよそ一年前。沙智子さちこさんの〝目〟の色が変わった頃と同じ…………そして、それは御簾世みすよと同じ赤と茶色のオッドアイ…………その御簾世みすよ沙智子さちこさんを経由けいゆして私に助けを求めた…………おそろしい話だよ…………今まで見えなかったものが、ここの準祭壇じゅんさいだんの前に座っただけで総て見えた…………そして、見せてくれたのは…………麻紀世まきよ…………」

過去かこが……関与かんよしたとでも…………?」

 さきの言葉はあくまで確認作業のようなものだった。さきの能力的に、過去とつながることの出来る西沙せいさ感覚かんかくは理解出来る。西沙せいさが過去の人間や〝とき〟と接触せっしょくしたからとておどろくにはあたいしない。

 しかしことの問題は、西沙せいさが何を求めているか。それをさきは引き出したかった。

「もしも過去かこを変えることが出来るとしたら…………」

 そんな西沙せいさの言葉が続く。

「…………お母さんは……変える?」

西沙せいさ……その考えは…………」

「あくまで一般論いっぱんろんだよ。もしも……もしも変えることが出来たら…………〝いま〟はどうなっちゃうのかな…………」

 西沙せいさの中に、みずからの人生が渦巻うずまいた。


 ──……御陵院ごりょういんの歴史を変えたら…………私の人生は…………


 どうしたいのか、どうなって欲しいのか、それを口にすることは西沙せいさ自身(こわ)かった。

 ただ、今とは間違いなく違うものになる。

 そして、まるでつぶやくような西沙せいさの言葉が続く。

「……それを実現じつげん出来る人がいる…………」



      ☆



 亥蘇世いそよを感じる。

 最近になって、やけに亥蘇世いそよの存在を感じることが増えた。

 麻紀世まきよ布団ふとんに横になる度にそう感じていた。

 全身に広がる火傷やけど起点きてんとしてなのか、それから体調をくずし、横になることが増えた麻紀世まきよとて、その感覚まではまだおとろえてはいない。しかしながら、麻紀世まきよもすでに六十近く。養子ようし憂紀世うきよに当主のゆずって十年ほどがっていた。その憂紀世うきよ婿養子むこようしむかえ入れて、今ではすでにその子供たちも長男が一人。長女と次女。神社そのものは継承けいしょうしていくことが出来ている。

 しかし、もちろんしん御陵院ごりょういん血筋ちすじ御簾世みすよち切られたまま。

 今もそれは楢見崎ならみざき家にある。


 ──……おかしなものだな…………


 楢見崎ならみざき家の血筋ちすじち切るということは、今や御陵院ごりょういん家の血をつということ。

 しかもそれは御簾世みすよはばまれたまま。

 麻紀世まきよの作り出した〝のろい〟という〝おもい〟は完成されることのないままだった。

 年齢をかさね、当主のゆずり、みずからの人生を振り返った時に、やはり浮かぶのは亥蘇世いそよ面影おもかげ


 ──……やはり…………私は亥蘇世いそよを利用したのか…………


 まだ陽は高い時。

 とはいえ、強いはずの陽差しはあつい雲にさえぎられている。

 しかも黒い雲。

 それでも雨の匂いはまだ感じられなかった。

 その為もあり、板戸いたど障子しょうじも開けはなたれたまま。季節柄きせつがらということもあって、すずしくなり始めたゆるやかな風が広いたたみ座敷ざしきを流れていく。

 この日は、まだ体調もいいほうだった。

 むねもそれほどくるしくはない。

 いつ終わるともしれないいのちへの恐怖きょうふは、とうに過ぎた。

 今は、総てを受け入れる覚悟かくごが出来ている。

 しかし、何かがむねおく居座いすわる。決してはっきりとは姿を見せない何かが、手の届きそうな所でこちらをのぞき見ている感覚かんかく

 その存在に、時折ときおり麻紀世まきよは気持ちをみだされていた。

 そのたびに、亥蘇世いそよを感じる。

 あの頃のように、すぐそばに感じる。


 ──……どうして……今になって…………


 そして、いつも感情がたかぶった。


     〝 ……終わらせましょう………… 〟


 そんな声が麻紀世まきよの頭に浮かぶ。

 それは亥蘇世いそよの声に間違いはない。

 そして、確かに、その声は聞こえていた。


     〝 ……二人なら……終わらせられるはず………… 〟


 ──……今更いまさら…………


     〝 ……御陵院ごりょういんの血は……楢見崎ならみざきに………… 〟


 ──…………どうしろと…………


 亥蘇世いそよれたかった。

 亥蘇世いそよ吐息といきを感じたかった。


 ──……どうして…………私は亥蘇世いそよを死なせた…………


     〝 ……私は…………うらんではおりませぬ………… 〟


「────うそだっ‼︎」


 その感情かんじょう起伏きふくは、麻紀世まきよの本来の力をにぶらせる。

 事実、鳥居とりいに向かって階段を登る人影の存在に気が付かなかった。


 しばらくこの辺りでは雨がっていないことがうかがえた。

 鳥居とりいへの石の階段までの地面は、すでにかわき切っている。大きくひび割れ、雑草ざっそうすらも死にえることを受け入れた土の道。

 その為か、その先にある石の階段すらも水をほっしているように感じられた。

 横に広いかわいた石のその階段に、御簾世みすよは低い下駄げたの音をひびかせていく。一段(ごと)に、体がしびれるような、そんな不思議な感覚かんかくが気持ちの中心を通り抜ける。

 もう何十年ものぼっていなかった石段いしだん。目の前の鳥居とりいも以前と変わらずそのたたずまいを見せるだけ。

 ただ、この場所で見続けてきた。これまでの御陵院ごりょういんの歴史の傍観者ぼうかんしゃでしかない。

 この鳥居とりいくぐり、この神社を逃げ出した夜のことを、御簾世みすよは今でもはだに感じることが出来た。この鳥居とりいおぼえているだろうか、と、ふとそんなおかしなことを考える。

 同時に頭に浮かんだのは、母ではなく亥蘇世いそよ面影おもかげ


 ──……母上ははうえのことは……もう顔も忘れかけているというのに…………


 そして、今の自分があの時の母の年齢に近いことを感じた。

 どうするべきか、総ての気持ちがかたまった状態で来たわけではない。それでも御簾世みすよ麻紀世まきよに会うべきだと感じていた。

 そして、鳥居とりい真下ました

 特別何かを感じるわけではない。

 麻紀世まきよからの妨害ぼうがいも無い。

 ふと真上まうえを見えげ、すぐに視線しせんを正面へとろした。

 足元から続く石畳いしだたみ参道さんどう

 その先には本殿がひかえる。

 新しく建て替えられた建物は、あの頃よりも大きい。

 本殿までの参道さんどうも長くなった。

 その参道さんどう途中とちゅうに、人影ひとかげ

 巫女みこの姿。

 強い風が通っていく。かわいた土煙つちけむり周囲しゅういった。まるでどこかにかくれていたかのような空気の流れ。周囲しゅういの木々のざわめきがあたりを包み込む。

 その為か、御簾世みすよの気持ちもふるえた。


 ──……なぜに…………こうなった…………


 後悔こうかい無駄むだなことの代名詞だいめいしであることは御簾世みすよも知っている。振り返っても過去かこは変わらない。同時に、その後悔こうかいが無ければ未来みらいが無いことも知っていた。

 だからこそ、御簾世みすよはそこにいる。

 はるか先の正面に立つ巫女みこ微動びどうだにしなかった。風に巫女みこ服を揺らすだけ。

 だいぶ距離きょりがあるというのに、それでも御簾世みすよにはその表情と感情が見える。

 おびえ、おそれと畏敬いけいが入り混じる。


 ──……御陵院ごりょういんの血ではない…………


 御簾世みすよがゆっくりとを進めた。

 石畳いしだたみの上で下駄げた甲高かんだかい音を立て始め、それが風の音を切りいていく。


 ──……あやつるまでもない…………


 御簾世みすよがそう感じた時、巫女みこが軽く声を上げた。

「そこにて、しばらく」

 御簾世みすよはその静止せいししたがい、足を止め、前方の巫女みこに赤い目を向けるだけ。

 その巫女みこの言葉が続いた。

楢見崎ならみざき家の御血筋おちすじかた御見受おみういたします」

 すると御簾世みすよは軽く視線しせんを落とし、やがて参道さんどう石畳いしだたみから巫女みこへ顔を戻し、小さく応える。

「いかにも……そして…………御陵院ごりょういん家の血筋ちすじ継承者けいしょうしゃでもあります」

御簾世みすよ様ですね」

 意外にも巫女みこの返しは早い。

 しかもすぐに続いた。

「母からつたえ聞いておりました…………」

 その言葉にも、御簾世みすよは顔色を変えない。

 母というのが麻紀世まきよのことであろうことはすぐに感じた。

 強い風が二人の間を渡っていく。足元にくすぶ土埃つちぼこりが落ち着く気配けはいも無い。まるできりが立ち込めるような参道さんどうから、巫女みこの足元はかくれたまま。足先あしさきの動きから次の体の動きを読むことも出来なかった。

 簡単に入り込めるようなすきはない。


 ──……姉様あねさま……よくぞここまで育てた…………


 例え御陵院ごりょういんの血が入っていなくとも、その立ち振る舞いは決して弱くなかった。

 その巫女みこ────憂紀世うきよが体を軽く回し、横を見せ、そして本殿に顔を向けて口を開く。

「こちらへ」

 そして歩き始めた。

 距離きょりを同じくしたまま、御簾世みすよはその背中に続いた。とてもすきがあるようには思えない。

 言わずとも通じるものがあった。同じ世界の住人だからか、それとも因縁いんねん間柄あいだがらということか。お互いに〝おそれ〟はある。しかしその中には、少なからず〝おそれ〟もある。決しておだやかであるはずがない。

 そんな相手に背中を向けることの意味は憂紀世うきよでも分かること。しかしそれだけの相手を他に知らなかった。自分が養子ようしであることは義理ぎりとはいえ母の麻紀世まきよから聞いていた。自分に御陵院ごりょういんの血は一滴いってきも無い。逆にその事実が自分の気持ちをこれまで押し上げてきた。そして現在の御陵院ごりょういん神社の当主までのぼめた。しかし跡取あととりに御陵院ごりょういんの血を継承けいしょうさせることは出来ない。その現実も理解したまま。

 自分がもとめているものが何か。何か自分でも理解のしがたい感情がある。

 どこか、この流れを待っていた自分がいたのかもしれない。

 そう思いながら、憂紀世うきよが本殿の階段を登った。足袋たびらせながら、広い本殿の中央。一つだけ置かれたあつ座布団ざぶとん御簾世みすようながす。

「少々、御待ち頂きます……」

 憂紀世うきよはそれだけ言うと、祭壇さいだん横の廊下に姿を消した。

 広大な本殿に相応しい巨大な本祭壇ほんさいだんが、今、御簾世みすよの目の前。中央、そして左右の燭台しょくだいにはいまかすかにくすぶ松明たいまつうずの赤い光がかすかに見えた。その日も行われたであろう朝の神事しんじが昔と同じかどうかは、もちろん御簾世みすよは知らない。

 それでも本祭壇ほんさいだんの横の小さな板戸いたどは建て替えられたとはいえ昔と同じ。

 裏には、間違いなく〝準祭壇じゅんさいだん〟がある。

 その光景が見えた。

 本祭壇ほんさいだんとは違い、閉鎖的へいさてきな空間に鎮座ちんざする祭壇さいだん

 昔から簡単にみ入っていい場所ではなかった。そこにまどうもののおそろしさは御陵院ごりょういんの人間であれば誰しもが知ること。

 特別な〝密儀みつぎ〟にのみ使われてきた場所。御陵院ごりょういん家の人間以外は決して入ることのゆるされない場所。

 そして、御簾世みすよは気持ちを決めてここにいる。

 それは覚悟かくごと共にあった。

 少なからずの不安と共に、みずからの〝間違まちがったのぞみ〟────〝間違まちがってのぞんだ未来みらい〟を終わらせに来た。

 亥蘇世いそよき動かされるままに。





     〜 あずさみこの慟哭どうこく 第一章「聖者の漆黒しっこく

                第四部「回帰かいき」第2話へつづく 〜


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ