表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/10

第一章「聖者の漆黒」第二部「回顧」第3話

 静かな夜。

 虫の声も、木々のざわめきも聞こえない。

 みずからの足音も聞こえなかった。

 最も、自室のふすまに手を掛けるまで、そこまでの記憶が麻紀世まきよには無かった。

 あの後、御簾世みすよの部屋からここまで歩いて来た記憶が無い。


 恐ろしいものを見た。


 そうとしか表現出来ない。

 今まで妹だと思っていた者は、人では無かった。少なくとも麻紀世まきよにはそうとしか思えなかった。


 ──…………あれは人の〝目〟では無い…………


 ──……人の心をあやつる力の正体は……あれか…………


 ──……ともすればやはり母上ははうえも…………このままでは御陵院ごりょういんは…………


 手を掛けたふすまの先、部屋の中に気配を感じる。


 ──……よもや別の〝もの〟か…………


 しかし、やがて麻紀世まきよの視界に現れたのは亥蘇世いそよの後ろ姿。

 以前と同じ、白い浴衣ゆかたに身を包み、やはり以前と同じようにふすまに背を向けて布団ふとんの上にこしを降ろしている。

 麻紀世まきよは胸をで下ろし、大きく息を吐いてから後ろ手でふすまを閉めた。

「……亥蘇世いそよ……ここに来てはならぬと申したはず」

 亥蘇世いそよは何も応えない。僅かに頭を下げたその背中からは何も感じられなかった。

 先程さきほど御簾世みすよの部屋での恐怖感がやっとうすらいできたせいか、亥蘇世いそよの存在に気持ちがやすらいだのは事実。明日は代替だいがわりの催事さいじ亥蘇世いそよにも色々と思う所はあるのだろう。

 どこまで付け離していいものか、その距離感に麻紀世まきよ思案しあんしていると、やっと亥蘇世いそよの声がする。

「……御簾世みすよの…………所ですか…………」

 何かを見透みすかされているようで、そんな感覚に先程さきほどの恐怖感が再び僅かに再燃さいねんする。

姉様あねさまも……あやつられておりますか…………」


 ──……まさか…………私はまだ…………


「私は……姉様あねさまのもの…………共に清国会しんこくかいへ…………」



      ☆



 やはり、その夜はおかしな夜だった。

 亥蘇世いそよ御簾世みすよの部屋のふすまを開けた時、まだ御簾世みすよ布団ふとんかず、たたみの上に正座をしたまま。

 流れた空気が蝋燭ろうそくの炎を大きく揺らした。

 しかしそのあわ灯火ともしびだけの中で、御簾世みすよの表情はうかがえない。

 声だけ。

「声もかけずにふすまを開けるとは、亥蘇世いそよ姉様ねえさまともあろう御方おかたが…………」

だまれ……気が付いておったくせに」

 亥蘇世いそよのそんな低い声を、御簾世みすよは初めて聞いた気がした。

 その声が続く。

母上ははうえまどわしたな…………姉様あねさままどわした…………これ以上は御主おぬしの好きなようになど────」

「では…………」

 相対あいたいするやわらかい口調のままの御簾世みすよが繋げた。

「……如何いかがなさるおつもりですか?」

 顔を上げた御簾世みすよの目が、蝋燭ろうそくの炎に揺れる。

 その赤い輝きに、亥蘇世いそよは顔をゆがめた。

 そして言葉をあふれさせる。

御陵院ごりょういんぐのは麻紀世まきよ姉様ねえさまただ御一人おひとり────! われらはしんかみを見ているだけぞ!」

清国会しんこくかいですか…………それが御陵院ごりょういんの先の未来を決めると────何故なぜに分からぬのですか⁉︎」

 声をあらげた御簾世みすよの耳に、薄暗闇うすくらやみの中で、たたみに何かが落ちる音。

 かたい物が落ちる音。

 そして、亥蘇世いそよの手の内に何かが光る。

 それは蝋燭ろうそくあかりを照らしながら、細長い。

 それを両手でつかんだ亥蘇世いそよたたみる直前、その動きは御簾世みすよによってはばまれる。

 御簾世みすよは右腕を真っ直ぐに伸ばし、指を広げ、そのてのひら亥蘇世いそよへ。

 亥蘇世いそよは体を動かせなかった。

 眉間みけんしわを寄せて顔をゆがませるだけの亥蘇世いそよに、御簾世みすよの声が飛ぶ。

先程さきほど……麻紀世まきよ姉様ねえさまがいらっしゃいました…………御本人ごほんにんです。亥蘇世いそよ姉様ねえさまのように〝まぼろし〟ではありません。失礼(きわ)まりない…………私に…………勝てるおつもりか?」


 そして、亥蘇世いそよの姿が消える。


 ──……よもや私をだませると思ったか…………


 ──………………違う………………



      ☆



 麻紀世まきよいま亥蘇世いそよの背中を見続けていた。

 以前のように亥蘇世いそよの正面に回っては、おそらく自分をおさえることは出来ないだろうと感じていたから。

 麻紀世まきよ亥蘇世いそよが欲しかった。

 その亥蘇世いそよの声がする。

「……明日は催事さいじです…………御準備はよろしいですか?」


 ──…………準備?


 〝 ……麻紀世まきよ姉様ねえさま…… 〟


 ──……? ……御簾世みすよ……?


 〝 亥蘇世いそよ姉様ねえさま幻惑げんわくです……こちらにも来ました 〟


 ──……馬鹿ばかなことを…………亥蘇世いそよが私をまどわすとでも…………


 しかし、その背中は、今はどこにも無い。

 麻紀世まきよの頭の中に、御簾世みすよの声が続く。


 〝 気付かれたか……すでに遅いか…… 〟


 そして、廊下にけたたましい足音。

 ふすまの向こうから聞こえるのは御簾世みすよの声。

麻紀世まきよ姉様ねえさま! 母上ははうえの所です!」


 しかし、遅かった。

 広い蓮世はすよ居室きょしつ

 その中央。

 布団ふとんの上。

 そこから赤黒あかぐろく広がる血溜ちだまり。

 その中にしずむようにして横たわる蓮世はすよの目に、すでに光は無かった。

 その横で片手に短刀たんとうを握ったまま倒れているのは、亥蘇世いそよだった。

 首を大きく切りいた直後なのか、まだそこからは黒い液体が流れ続けたまま。

 障子しょうじからの僅かな月灯り。

 それが総てを照らし出す。

「すでに……命は見えません……」

 御簾世みすよつぶやくように口にしていた。その声が僅かに震える。

 もちろん麻紀世まきよにも分かっていた。


 ──……どうする…………御陵院ごりょういんは終わるのか…………


 麻紀世まきよの口から出るのは、自分の意思とは、違うもの。

「……御簾世みすよ…………逃げなさい……御陵院ごりょういんは終わりです……」

姉様あねさま…………」

貴女あなたとつがせようと思っていた御武家おぶけなら受け入れてくれるはず…………」

「しかし姉様あねさま……このままでは御陵院ごりょういんは────」

「私のせいです……私が亥蘇世いそよを〝まどわした〟…………行きなさい……貴女あなたには逃げられる所がある…………御陵院ごりょういんは……私が終わらせます…………」


 ──…………明日は代替だいがわりの催事さいじ…………


「それが私の〝おもえがく未来〟です…………行きなさい! 〝楢見崎ならみざき家〟へ!」


 ──……明日の催事さいじ…………


 ──……私は……御陵院ごりょういん神社を継承けいしょうする…………


 ──…………それが……亥蘇世いそよが見た未来…………



      ☆



 御陵院ごりょういん神社。

 本殿。

 外から見える一番大きな本祭壇ほんさいだんのある板間いたまは、本殿の中でも一番の広さをほこる所だ。

 まさに神社の中心と言ってもいい。

 基本的な神事しんじはこの本祭壇ほんさいだんで行われる。その裏にひそかに設置されている準祭壇じゅんさいだん滅多めったに使用されることはない。おもに〝密儀みつぎ〟に使用されてきた所だ。それでも、だからこそなのか、完全に松明たいまつの火をやすことの許されない祭壇さいだんでもある。

 現在の大きな本殿に建て替えをした時、当時の当主────御陵院ごりょういん麻紀世まきよによって設計され、その仕来しきたりが作られた。その火は、ひっそりと本祭壇ほんさいだんの裏で御陵院ごりょういん神社をまもり続けているとされてきた。

 それは、現在でも継承けいしょうされ続けている。

 一度神社を出た西沙せいさは、それ以来準祭壇(じゅんさいだん)のある部屋には入っていない。

 その日も、西沙せいさが呼ばれたのは本祭壇ほんさいだん前。

 もちろん、呼んだ相手は母のさき。しかしその理由までは西沙せいさも聞いていない。西沙せいさといえど、簡単に心を読み取れるような相手ではなかった。

 本殿の正面及び横の板戸いたどを開けはなつと、その開放感は大きな神社ならではだ。風が通るというより、外と何も変わらない。巨大な東屋あずまやのようなものだと西沙せいさは思ってきた。しかも周囲には林が広がり、空気は明らかに街中の蒸し暑さとは違う。

「さすがに今年は暑いですね」

 そう言いながらさき板間いたま足袋たびらせ、祭壇さいだん前の座布団ざぶとんこしを降ろした。自然と西沙せいさに背中を向ける形になる。

「だったらエアコンでも付けたらいいのに」

 そう言う西沙せいささきが即答した。

情緒じょうちょがありません」

「まあ……ねえ……」

 広すぎだしね、と言いかけて西沙せいさは言葉を止める。母とはいえ、少し感覚がズレた人であることはよく知っていた。普通の会話にならないことは目に見える。

 西沙せいさ楢見崎ならみざき家に行ってから数日。現在の所、特別動きはない。西沙せいさ杏奈あんなからの連絡を待っていた。

 そんな状態でのさきからの呼び出しは西沙せいさに不安を抱かせるには充分なもの。少し感性のズレた浮世離うきよばなれしたさきとはいえ、その能力はやはりするどい。西沙せいさでも身構みがまえることが何度もあった。


 ──……何かをかん付かれたとしても……楢見崎ならみざき家に何かあるっていうの……?


「最近……〝風鈴ふうりんやかた〟に行きましたね?」


 ──…………そっち?


 予想外なさきの言葉に、西沙せいさは言葉が出ない。

 さきが続けた。

「……あそこは…………良くありません」

「良くないって……なんで知ってるの? ゴシップなんて興味きょうみないでしょ? テレビも見ないくせに」

「あなたが危険だから言っているのです」

 さき滅多めったに感情を表には出さない。

 常に冷静な印象があった。だからこそ、西沙せいさにとってはときに〝おそれ〟の対象であり、同時に〝おそれ〟の対象ともなる。


 ──……どうして知ってるのか…………


「説明はあるの? 説明も無しにただ危険って言われてもさ…………私も仕事だからね」

 西沙せいさも簡単に引き下がる気はない。

 謎がふくれ上がる。杏奈あんなは確かに西沙せいさだけでなくさきとの繋がりも持っていた。基本的に現在は西沙せいさとの絡みしかないが、もちろん何かあればさきが直接杏奈(あんな)と連絡を取り合うことは出来る。しかし最近の西沙せいさの動きを杏奈あんなが簡単にらすとも思えない。そんなことがあれば、むしろ西沙せいさ察知さっちするだろう。

 分かることは、さきは〝風鈴ふうりんやかた〟を知っていて、かつ、その詳細についても〝何か〟を知っている。

 だからこそ西沙せいさに〝関わるな〟とくぎを刺している。

 関わってはいけない理由を知っている。


 ──……御陵院ごりょういんが関係してる?

 ──…………じゃあ楢見崎ならみざき家って…………


 西沙せいさ御陵院ごりょういん神社の歴史の総てを知っているわけではない。むしろ知らないことのほうが多いだろう。その血筋ちすじ継承けいしょうし、そこに暮らしたことがあっても、御陵院ごりょういん神社は決して多くを見せようとはしてこなかった。まるで何かにはばまれているかのようだと、西沙せいさ自身も感じたことがあったほど。

 文献ぶんけんは確かに多く残っている。しかしそれに目を通したからといって歴史の一部をつまむことが出来るだけ。感じられるわけではない。

 二人の姉がそれをどう感じているのか聞いたことはない。西沙せいさと違って神社をぐ立場。外に出た西沙せいさだからそう思うのか、もしくは御陵院ごりょういん神社そのものに疑念ぎねんを持つ西沙せいさだからそう考えるのか。


 ──……やっぱり……あそこにはもう一度行くことになる…………


「説明ですか……」

 さきはそう言いながら、それでも依然いぜん西沙せいさには背を向けたまま続ける。

西沙せいさ……あなたは、あそこで何を感じました?」

「質問に質問で返して誤魔化ごまかさないでよ。恋愛で嫌われるタイプの女だよ」

「私は独身ではありませんよ」

誤魔化ごまかさないでって言ってるでしょ? 何かあそこの廃墟はいきょ御陵院ごりょういんと関係あるの? だとしたら、むしろ何もしないほうが私に疑念ぎねんを持たれることもなかったのに…………そんな話をして、いかにも気が付いてくれと言わんばかり…………気になるなあ」

「このまま気付かずに関わり続ければ……危険だと言っているのです…………手を引きなさい。関わってはいけません」

「つまり……説明は無しか…………」

 少しだけ強めの風が、祭壇さいだんの前を流れていった。

 その風を感じると、なぜか西沙せいさの頭には楢見崎ならみざき家で聞いた風鈴ふうりんの音がよみがえる。

 すずやかなときを感じるはずなのに、西沙せいさの気持ちはくもっていくばかり。


 ──……めんどくさいなあ…………


西沙せいさ

 さきの少し強目な声が、離れ掛けた西沙せいさの気持ちを押さえ付けた。

ことは簡単ではありません。私にも……言えることと言えないことがある…………あの屋敷やしきは、確かにあなたが言うように御陵院ごりょういん家と関係があります。言えるのはここまで…………だからこそ、あなたに関わってもらうわけにはいかないのです」

「分かんないなあ。そこまで言っておいて私に手を引けと?」

「……西沙せいさ…………風がなければ…………ほこりい上がりはしませんよ…………」


 ──……時間のムダか…………


 西沙せいさいた溜息は、止まった空気に広がることもなく時間に飲み込まれるだけ。

 西沙せいさが何も知らずに〝風鈴ふうりんやかた〟に関わり続ければ、いずれは何かに辿たどり着く。さきはそう考えた。だからこそ〝関係がある〟ということを知られたとしても、ここでさえぎっておきたかった。

 しかし、西沙せいさがそれに反発する可能性があることも、母親として予想してはいたこと。

 そして、そのリスクはさきの予想に反し、大きく広がる。

 口を開く西沙せいさにも、決して余裕はなかった。

「誰かが風をかせたら…………」


 ──…………誰か……?


 そう思ったさきの目付きが変わる。

 そして西沙せいささきの背中からそれを感じ、続けた。

「…………私は約束したんだよね…………」

 その言葉に、背中を向けたままのさき祭壇さいだんに向けて目を見開く。


 ──…………約束……?


「……またあそこに行くって、私は約束したから…………」


 ──……誰と…………


「だから、必ずまた行くよ…………〝あの人〟が待ってる…………」

 その西沙せいさの声に振り返ったさきの両目は、無意識の内に見開かれていた。

 やっと合わせた西沙せいさの目は、強く、自信にちる。


 ──…………だれだ………………


「よもや……〝呼ばれた〟とでも…………」

 そのさきの小さな声は、僅かにふるえる。

 しかし、その真意しんいまでは西沙せいさにも見えない。


 ──……お母さんも…………総ては知らないのか…………


「まさか〝ウチ〟がからんでくるとはね」

 西沙せいさは吐き捨てるようにそう言って立ち上がった。

 ゴスロリの生地きじれる音は、その生地きじの厚さのせいもあってか巫女みこ服のそれとは違う。空気を重く揺らした。

 まるで何かを見透みすかされまいとするかのように、さき祭壇さいだんに顔を戻す。その背中に何かを感じながらも、西沙せいさも背中を向けた。

 本殿の木の階段を降りると、幅の広い石畳いしだたみ参道さんどうが大きな鳥居とりいまで続く。周囲は広く玉砂利たまじゃりき詰められ、その整備された印象だけでも神社の大きさを物語る。

 西沙せいさが黒いローファーに足を通し、その靴底は石畳いしだたみで緩い足音を響かせた。

 その音はやがて大きな鳥居とりいへ。

 何度も塗り替えられたであろう鳥居とりい朱色しゅいろはだいぶほころびも見える。古くに木で作られたためか、材質の収縮で割れが出来るのは仕方のないこと。それでも何百年もここに立ったまま。御陵院ごりょういん麻紀世まきよが本殿を建て替えるよりも古くからここにあるという。

 西沙せいさはその前で立ち止まると、その鳥居とりいを見上げていた。


 ──……この鳥居とりいは……何を見てきたんだろう…………


 そして、やっと気が付いた。

 反射的に声をらす。

「相変わらず上手うまいね……気配けはい消すの」

 その声に応えるかのように、草履ぞうりの音が石畳いしだたみに乗った。

「あなたの作り出す〝まぼろし〟ほどではありませんよ……」

 そう言いながら鳥居とりいはしらの影から姿を現したのは、巫女みこ姿の長女の綾芽あやめ

 西沙せいさとは違い、母のさきと同じくらいの身長の高さがあった。涼沙りょうさもそうだったが、それだけを考えたら西沙せいさ姉妹しまいとは思えないほど。

 そして、西沙せいさにとってもつかみにくい性格だった。表情から感情を読みくことは難しい。しかも簡単に西沙せいさ真意しんいを見せるようなこともしない。元々無口な印象があった。それだけに未知数な部分は多い。

 そして、西沙せいさは決してあなどってはいなかった。


 ──……おめずらしいことで…………


「お姉ちゃんから私に直接なんて珍しいじゃない。いつも裏でコソコソしてたくせに」

 西沙せいさのそんな言葉にも綾芽あやめは動じない。

 僅かに視線を下げたまま、ゆっくりと口を開いた。

母上ははうえから聞きました……〝風鈴ふうりんやかた〟に行ったそうですね」

監視かんしカメラでも付けてたの? さすがは御陵院ごりょういん情報網じょうほうもうだこと…………それとも……〝清国会しんこくかい〟?」

 西沙せいさのその言葉に、初めて綾芽あやめ目尻めじりが僅かに上がる。


 ──……でも、本筋ほんすじ清国会しんこくかいがらみじゃなさそうけど…………


 お互いに出方でかたうかがいながら、自分を隠してすきねらう。

 しかし綾芽あやめにも聞きたいことはあった。

「……あなたがどこまで清国会しんこくかいを知っているのかは知りません。しかしながら────」

「ああ、それね」

 綾芽あやめの言葉を遮った西沙せいさが続ける。

「私は〝ヒルコ〟の産まれ代わりなんだって……小さい頃にお母さんに言われた…………」

 日本書紀にほんしょきの神話では、天照大神あまてらすおおみかみの前にイザナギとイザナミの間に産まれた子供がいたとされている。その〝ヒルコ〟と言う名前は、現在でも〝蛭子ひるこ〟の字を〝えびす〟と呼ぶことで痕跡こんせきが残っている。

 いわば、もう一人の〝かみ〟。

 西沙せいさはその産まれ代わりとして育てられた。

 そう最初に言ったのはさきではない。

 清国会しんこくかいの中心である〝雄滝おだき神社〟。


 ──……私は……お母さんの子供じゃないの…………?


 西沙せいさが子供の頃に最初に感じたその感情は、いまだに西沙せいさの中から消えない。


 ──……神社から追い出されたらなくなる〝産まれ代わり〟なんて…………


「ヒルコの産まれ代わりだから……お姉ちゃんは私を排除はいじょしたかったんでしょ? 神話と同じように…………」

 そう言いながら西沙せいさ綾芽あやめの横を通り過ぎ、そのローファーの音がなぜか綾芽あやめには大きく響いた。

 石の階段を一歩降りながら、再び口を開くのは西沙せいさ

「怖かった?」

 ローファーの靴底が、階段を一歩ずつみしめていった。

 綾芽あやめは、その背中に顔を向けることも出来ないまま。

 しかし小さく、やっと口を開く。

「知らないほうがいいことも…………あるのですよ…………西沙せいさ……」

 小さくなるその声に、西沙せいさは振り向きもしなかった。



      ☆



 参道さんどうから駐車場まではそう距離はない。

 駐車場自体も車五台分だけ。元々が普通の神社ではない。通常の参拝客さんぱいきゃくが来るような所でもないためか、それほど駐車場の広さも必要ないのだろう。

 今日も西沙せいさのデザインだけで選んだ小さく真っ赤な軽自動車のみ。

 その駐車場に着くなり、スマートフォンに杏奈あんなからの着信。

「そっちの進展しんてんはどう?」

『だいぶありました』

 スピーカーから返ってくる杏奈あんなの声は決して明るいものではなかった。

『最初にもう一度確認したいんですけど、長男がいるんですよね? しかも一年もせずに亡くなってる……』

「そう。どうしたの?」

『いないんです』

「いない?」

戸籍こせきに残ってません。出生しゅっしょう記録も死亡記録も』

「は?」

 その杏奈あんな馴染なじみの雑誌社の資料室にいた。

 そこはフリーになる前からよく出入りしていた所でもあるが、現在はメインに仕事を回してもらっている雑誌社でもある。オカルトライターの仕事をさせてくれてもいた杏奈あんなにとってはありがたい所だ。

 そして、西沙せいさとの切っ掛けを作ってくれた昨年の〝悪魔祓あくまばらい事件〟を杏奈あんな依頼いらいした雑誌社。

 杏奈あんな西沙せいさに電話しながら、その事件の資料を開いていた。元々は自分でまとめた資料でもあるが、改めて目を通すのは事件の直後以来。

「もう一つ、面白いことが分かりまして…………」

 杏奈あんなは薄暗い資料室で紙のたばをめくりながら続けた。

「去年の〝悪魔祓あくまばらい事件〟なんですけどね……」

『ああ……あの事件が何よ』

 杏奈あんなからの予想外の言葉のせいか、スピーカーから聞こえる西沙せいさの声もどことなく驚いたものに聞こえる。

楢見崎ならみざきって苗字みょうじがなんだか引っかかって……そしたらありました……〝悪魔祓あくまばらい事件〟の資料に」

『どういうことよ』

 その西沙せいさの声は反射的に、しかも低い。そこに混ざって車のドアが閉まる音。

「〝浅間あさま美津子みつこ〟……覚えてますか? あの事件の中心にいた人物です。産まれてすぐに養子ようしに出されてました。その旧姓きゅうせいが〝楢見崎ならみざき〟です……同じ家でしたよ」



      ☆



 石の階段は十段程。

 そこを登り切ると大きな鳥居とりい

 太い木で作られ、朱色しゅいろられた古い鳥居とりい

 あちこちの塗装とそうげたまま、色のあざやかさよりも古めかしさのほうが目立つ。

 そんな鳥居とりいの下。

 黒い和服。

 朱色しゅいろおび

 日除ひよけの黒い和傘わがさ

 しかし長い黒髪は背中で一つにたばねただけ。この時代、しかも御武家おぶけとついだ女性としては珍しいだろう。


 夏の始まりの頃。

 御陵院ごりょういん神社────。


 鳥居とりいから真っ直ぐ、石畳いしだたみ参道さんどう鳥居とりいに対してそのはばせまい。おおよそ人一人分。本殿までの距離も決して長くはない。

 その周囲はき出しの土。しかし相変わらず管理は行き届いているのか、雑草ざっそうは無い。


 参道さんどう石畳いしだたみに、低い下駄げたの音。

 小さな歩幅ほはば

 その音は本殿の階段の手前で止まる。

 そこに、本殿の奥からの声。

「……元気そうで何よりです」

 その声は、祭壇さいだんに向かって座る麻紀世まきよの背中から。

 返る声は石畳いしだたみ参道さんどうから。

姉様あねさまも…………御忙おいそがしいようで…………」

 かさを少しだけ上げ、そこから〝赤い目〟を見せたのは御簾世みすよだった。


 一年前のあの夜────。

 使用人たちが集められ、蓮世はすよ亥蘇世いそよ亡骸なきがらを裏の山にめた時は、すでに朝方あさがた。小さな神社とはいえ、使用人は常に十名程。

 麻紀世まきよにとってもう一人邪魔(じゃま)な存在は、蓮世はすよおっとであり、同時に麻紀世まきよにとっては父親。しかし幼い頃から父親に育てられた記憶は無い。親子の繋がりなど皆無かいむ間柄あいだがら

 麻紀世まきよ別邸べっていの扉を開けると、そこには父親とそのめかけ亡骸なきがら亥蘇世いそよであろうと思われた。蓮世はすよと同じように、二人とも首筋から胸にかけて何度もえぐられるように短刀たんとうを刺されたあとがある。

 それだけの時間をかせぐ為、亥蘇世いそよ麻紀世まきよ御簾世みすよの所へ〝まぼろし〟となって現れた。

 その御簾世みすよは、まだ暗い内に二人の女性使用人を引き連れて楢見崎ならみざき家へ。

 御陵院ごりょういん神社での惨劇さんげきは、確かに御簾世みすよにとっては悲劇だった。

 道中どうちゅうもやはりおだやかになどなれるはずもない。

 まだ暗い森の中。前後を使用人にはさまれながら、守られるように御簾世みすよは先を急いでいた。

 亥蘇世いそよ御簾世みすよも殺そうとしていたのか、それが気になっていた。〝まぼろし〟の姿のまま確かに亥蘇世いそよ短刀たんとうを持っていた。しかしまぼろしの姿のままで相手を殺すことなど出来るのかまでは分からないまま。


 ──……もし殺せたとしたら……麻紀世まきよ姉様と二人で清国会しんこくかいへ行くつもりだったか…………


 ──…………だったらどうして……自決じけつした…………?


 途端とたんに、御簾世みすよの中で疑問と同時に不安がき上がった。


 ──……何か……おかしい…………


 聞こえる音は、背後。

 御簾世みすよは素早く右腕を伸ばして後ろに体をひるがえす。

 そこで、使用人は短刀たんとうを持ったまま動けなくなっていた。

 ふるえる目。


 ──……麻紀世まきよ姉様ねえさままどわされたか……


 ──…………さすがだ……私ほどでなくとも見事みごと……


 そして、使用人は本人の意思とは関係無くみずからに短刀たんとうを向け始める。

 そのままみずからの首にゆっくりと切先きっさきを差し込んだ。

 ふるえながら首からあふれ出す赤黒あかぐろい血が、着物をめていく。

 御簾世みすよするどい〝目〟で、右手のてのひらを向けたまま。

 そして、御簾世みすよの前を歩いていたはずの使用人がこしを落としていた。片手につかんだ短刀たんとう刃先はさきが大きくふるえ、上下の歯が音を立てたまま、何も言葉が出てこない。目の前の光景に、恐怖だけに包まれていた。

 その姿に顔を振った御簾世みすよが口を開く。

「死ぬか、戻るか、自分で決めなさい」

 そして、短刀たんとうが地面に落ちた。


   〝……私のせいです……私が亥蘇世いそよを〝まどわせた〟……〟


 麻紀世まきよの言葉が頭に浮かぶ。


 ──……本当に…………亥蘇世いそよ姉様ねえさままどわせた…………


 ──……亥蘇世いそよ姉様ねえさまを利用して……母上ははうえを…………


 ──………………やられた……


 ──……あの人は…………御陵院ごりょういんを終わらせる気など最初から無かった…………


 ──…………私を追い出す為に…………


如何いかがですか? 清国会しんこくかいは…………」

 あれから一年後の御簾世みすよの言葉は、おもい。

 それでも背中を向けたままの麻紀世まきよには、あくまで冷静な口調に感じられた。相変わらずの御簾世みすよと言うべきか、決して感情を表には出さない。強い陽差しがその口元の小さな動きを照らし出していた。

 むしろ冷静でいようと努めていたのは麻紀世まきよ

清国会しんこくかいですか……」

 麻紀世まきよはあの後、すぐに動いていた。しかしいまだに清国会しんこくかいでの立場は小さいもの。立ち上げ初期の頃とは違い、すでに多くのやしろが参加してからとなれば、余程よほど貢献こうけんをしなくては上に行くのは難しいだろうと思われた。

 麻紀世まきよは完全にあせっていた。それでもそれを御簾世みすよ見透みすかされまいと言葉を繋ぐ。

「〝亥蘇世いそよの願った未来〟でした……」

 しかし、返す御簾世みすよの口角は上がっていた。

「……うそ…………」

 まるで麻紀世まきよの言葉を遮るかのような御簾世みすよの声は、途端とたん妖艶ようえんあやしさをともなう。

 そのつやのある声色こわいろに、麻紀世まきよは背中が冷たくなるのを感じた。

 御簾世みすよが続ける。

「その亥蘇世いそよ姉様ねえさまを殺してまで私を追い出して…………一石二鳥いっせきにちょうですね…………晴れてここは姉様あねさまの物…………姉様あねさまの〝おもい〟そのまま……」

 麻紀世まきよは背を向けたまま、何も応えなかった。

 まるで分かっていたかのように御簾世みすよが言葉を繋げる。

「……亥蘇世いそよ姉様ねえさまは…………重過おもすぎましたか?」

「やめなさい御簾世みすよ……」

 一言だけ返す麻紀世まきよ真意しんいは、御簾世みすよでも読めないまま。

 どこからが麻紀世まきよの計画だったのか。

 最初からか、亥蘇世いそよの計画を麻紀世まきよが利用したのか。

 事実を知るのは今となっては難しい。

 一つはっきりしているのは、麻紀世まきよ御簾世みすよだまして御陵院ごりょういん神社を継承けいしょうしたこと。

姉様あねさまの方が上手うわてでしたね……見事でしたよ…………しかし────」

 間を空ける御簾世みすよの声に、麻紀世まきよは僅かに首を動かす。

「────このままというわけにも…………いきませんね…………」

「どうすると……」

 返す麻紀世まきよの声は弱い。無意識の内に弱さを見せた自分を麻紀世まきよいた。

 しかし、その隙間すきま御簾世みすよ見逃みのがすわけがない。

「……今度こそ……私が…………御陵院ごりょういんを終わらせます…………」


 ──…………ならぬ…………


「あの時……私をあやめておけば良かったものを…………」


 ──…………それが出来たなら…………


「……姉様あねさまに……跡継あとつぎは産まれません…………私が生きている限り…………」


 ──……われに…………〝のろい〟を掛けるというのか…………


「それとも…………私に…………勝てるおつもりですか…………」





     〜 あずさみこの慟哭どうこく 第一章「聖者の漆黒しっこく

                第二部「回顧かいこ」終 

                第三部「回天かいてん」第1話へつづく 〜


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ