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第一章「聖者の漆黒」第二部「回顧」第2話

 産まれてから、常に沙智子さちこは守られてきた。

 小学校から高校を卒業するまでは、常に車での送迎そうげい

 同級生と遊びに行ったこともない。

 少し体がだるいというだけで病院で精密検査。

 買い物がしたくても好きに歩き回ることも許されず、常に使用人が数名。

 そんな日々の中で、当然のように友達はいない。

 同級生は沙智子さちこの事情を知るなり離れていった。

 高校を卒業してからは就職することもなく花嫁はなよめ修行。

 二〇歳(はたち)婿養子むこようしむかえ入れて結婚。


 それが楢見崎ならみざき沙智子さちこの、いては楢見崎ならみざき家の女の人生。


 結婚相手は五歳年上の銀行員だった。他県とは言え、それなりの財閥ざいばつ家柄いえがらの四男だという。それでもあいだに県を二つも挟む遠くの家から。居場所が無かったのだろうか。

 そして、あまり会話の上手なタイプではない。

 ほどなくして男の子が産まれた。

 名前は先のだいが付ける仕来しきたりとなっていた。

 沙智子さちこの場合、母の由紀恵ゆきえが名付け親となり、その由紀恵ゆきえが出生届けを役所に提出する。


 それが、楢見崎ならみざき家だった。



      ☆



「あれからどうよ」

 ぶっきらぼうな西沙せいさの問いに、冷たい紅茶のカップを両手で持った杏奈あんな眉間みけんしわを寄せて応えた。

「たまにゆっくりと紅茶を楽しんでるのに……もう少し情緒じょうちょのある言い方って出来ませんかね」

 この日の冷たい飲み物が紅茶になったのは麦茶のパックを切らしたから美由紀みゆきがアパートの自室から紅茶を持ってきただけ。しかし西沙せいさもそうは言わない。

「いつもコーヒーとビールばっかりの人が何言ってるのよ。たまには化粧けしょうくらいしてから言いなさい」

「ファンデーションくらいはしてますよ。一応口紅(くちべに)だってカバンに入れてますし」

「カバンの量増かさましに使ってどうすんのよ。化粧品けしょうひんって色々種類だってあるんだから」

「だって汗で崩れてくるし」

「安っぽいの使ってるからでしょ」

 そんな、ある意味いつもの会話を、パソコン前の美由紀みゆきが遮る。

情緒じょうちょのない会話はめてくださいね」

「そうだよ」

 くぎを刺したつもりのそんな西沙せいさの言葉に、今度は美由紀みゆきくぎを刺す。

西沙せいさも。今日はあまり時間無いでしょ?」

「そうだった」

 反射的に返した西沙せいさに、今度は杏奈あんなくぎを刺す。

「そうですよ。こんな朝に呼び出して……れない出勤ラッシュの時間なんか運転が疲れるだけなんですから……そもそもライターとかジャーナリストは夜型が多いし」

「ジャーナリズムに昼も夜もないでしょ?」

 今回は珍しく西沙せいさ杏奈あんなを呼び出していた。

 楢見崎ならみざき家のむかえが来るのが一〇時。まだ時間はある。

 とはいえ、今日は朝から汗の出る暑さ。陽差しも強く湿度も高い。排気ガスの巻き上がる出勤ラッシュの幹線かんせん道路は空気がらむほどだった。

 それでも杏奈あんなはコンビニの駐車場を使わせてもらってるためにいいほうだろう。昨日の沙智子さちこは駐車場を探していたと言っていた。西沙せいさもコンビニの駐車場を使うように伝えていなかったことをやんだ。


 ──……だったら、沙智子さちこさんをここで降ろしてから駐車場を探せば…………

 ──…………ああ、そっか……分かった…………


「この間の〝風鈴ふうりんやかた〟って記事にするんでしょ? 何か進展はあったの?」

 西沙せいさの言葉に、杏奈あんなは急に視線を外す。こういうのは大体良くない時。

「一応まとめてはいますよ」

 応えながらも、杏奈あんなの言葉は歯切れが悪い。

「何よ。私があんなカッコ悪い思いしてまで頑張ったのにおくらじゃないでしょうね」

 西沙せいさはそう言いながら、自分のカップにそばの冷茶用ポットから紅茶をそそぐ。さすがに麦茶と同じグラスではない。ガラス製の冷茶用カップ。味は変わらないと思いながらも、やはりそういうところはゆずれない性分しょうぶんだった。というよりも、気持ち一つで味も変わるというのが西沙せいさ主張しゅちょうでもある。そういう部分は美由紀みゆきと意見が分かれたことはない。

「実はですね……写真が……ちょっと……」

「ちょっと何よ」

「一枚しかれてなくて…………」

「は⁉︎」

「残りは全部真っ黒のデータばかりで────」

「何やってるのよ!」

 さけびながら、西沙せいさは立ち上がっていた。

 咄嗟とっさに体を引いた杏奈あんなも驚きの表情を浮かべ、次の言葉が出てこない。

 続けたのは西沙せいさ

「あんたプロなんでしょ⁉︎」

 元々杏奈(あんな)の持ち込んだ依頼いらい。いくら仕事とはいえ、決して西沙せいさが最初に興味きょうみを持った案件あんけんではない。それなのに、どうして自分がこんなに感情的になっているのか、なぜか西沙せいさは感情をあやつれていない自分をもどかしく感じた。

 杏奈あんな西沙せいさの変化に触発しょくはつされたのか、少しだけ感情が揺れる。

「……分かってますよそんなこと。私だってやっと行けたんですから無駄むだにしたくなんかありません。でも……こんなこと初めてで…………」

 自分の失態しったい。その事実が変わらないことは杏奈あんなにも分かる。しかも、杏奈あんなが一人で再び探したところで見付けられないであろう場所。

 正直、くやしかった。

「一枚だけって言ったけど……」

 杏奈あんな苛立いらだちを感じ取ったのか、西沙せいさも声のトーンを落としながらこしを戻す。そしてカップを口へ運んだ。しかし気持ちが落ち着いてくることで杏奈あんなへの罪悪感ざいあくかんす。


 ──……どうしてこんなに……気持ちがれる…………


「これです…………」

 杏奈あんなは横のカメラバッグからタブレットを取り出すと、カメラロールを開いて西沙せいさの前へ。

 そして続ける。

風鈴ふうりんの一つをアップでった写真です。いっぱいあったし、どれも高い位置ばかりだったし、近くで見てみたくてアップにしただけなんですけど…………」

 望遠レンズで撮影したためか、中心となる一つの風鈴ふうりんの周囲はピントがあわい。

「……家紋かもん?」

「やっぱりそんな感じですよね。った時はただの模様もようだと思ってたんですが……」

 二人はしばらくの間、テーブルの上のタブレットをのぞき込んだ。

 ガラスではなく、鉄製てつせい風鈴ふうりんの写真。

 ただの模様もようならその多くは全面に装飾そうしょくほどこされるのが一般的だが、そう思われるのは最低限におさえられ、大きく〝家紋かもん〟とおぼしき部分が目立つ。

 しかし一般的な左右対称の家紋かもんとは何かが違った。〝円〟の中に、同じく円を思わせる線が不規則ふきそくえがかれている。

「調べてみた?」

 液晶えきしょう画面を見つめながら、西沙せいさが口を開く。

家紋かもんと思って調べてますが……まだ見付かりません。家紋かもんじゃないのかも……なんかちょっと違うし……」

 応えた杏奈あんなも画面を見続けている。

 答えの出ないままの時間。

 しかし、西沙せいさの記憶のどこかに、何かが引っかかる。


 ──……どっかで……見てないかな…………これ……どっかで…………


 記憶は深いきりの中のように手探りの西沙せいさ邪魔じゃました。

「何か分かったら教えて」

 そう言った西沙せいさが体を起こす。

 杏奈あんなも体を起こし、応える。

「分かりました」

「まだあそこの話は終わってないよ……何も解決してない…………分からないことばかりだ…………」

「そうなんですよね。やっと行くことが出来たのに…………まだ、それだけなんですよね」

「でも……また行くことになるよ。いつかは分からないけど」

 そう言う西沙せいさの口角が上がる。

 いつものそんな西沙せいさの表情に、やっと杏奈あんなの気持ちも落ち着いていった。

「その時はまたお願いしますね」

「お洒落しゃれ登山とざん用の服ってないの? そこが問題なんだけど」

西沙せいささんのオシャレの基準がおかしいんですよ」

「じゃあ今度一緒に探してよ」

 その西沙せいさの言葉に反応したのは、意外にもパソコン前の美由紀みゆきだった。顔を向けた美由紀みゆきの表情に西沙せいさが反射的に顔を向ける。

 しかし咄嗟とっさ美由紀みゆきは目線を外した。

 そして聞こえてくるのは小さな声。

「……私が探しとく…………ネットで……」

「あ、うん……」

 そんな微妙びみょう雰囲気ふんいきにも杏奈あんなは相変わらず気が付かないまま。

美由紀みゆきさんのセンスなら問題無いですね。西沙せいささんと違ってオシャレだし」

 応えるのは溜息混じりの西沙せいさ

杏奈あんなに言われたくないわ」

 そして視界に入った壁掛けのアナログ時計を見ながら続けた。

「まあ、そんなことより時間もあまりないから本題に移るけど、仕事一つ受けてよ」

「えー、いそがし────」

「──いわけないでしょ。そんなに難しい仕事じゃないと思うよ。いつもながらどこの出版社よりもわりのいい仕事だから安心してよ。ちょっと調べて欲しい〝いえ〟があるだけ」

「まあ私の情報網のほうが個人情報の問題もくぐれますけど……」

 それは事実だった。

 市役所に行ったところで他人の家の情報を調べられる時代ではない。しかしマスコミの情報網はネットの時代でもいまだに強力だった。とはいえ、もちろんそれには危険もともなう。そうしなければ情報を得られなくなったのもネットの影響であることは事実だった。

 そう言う点では、杏奈あんな昔気質むかしきしつなタイプなのかもしれなかった。ネットを批判ひはんしながらもそこにり寄るしかない現在のマスコミの世界に馴染なじめず、昔ながらの泥臭どろくさい仕事をこのむ。それは戦場カメラマンだった父親の影響も大きいのだろう。

 それでも、だからこその強さを西沙せいさは何度も見てきた。

隣町となりまちに〝楢見崎ならみざき〟って苗字みょうじ地主じぬし旧家きゅうかがあるはず……戸籍こせきから何から、集められる情報を集めて欲しい」

 西沙せいさの目付きが変わる。

 この瞬間しゅんかん杏奈あんなは好きだった。

地主じぬしですか……また何か大きそうな仕事ですね」

「その家では何世代にも渡って一歳になる前の長男が亡くなっているってことらしいんだけど、過去にさかのぼって死因しいんとか諸々(もろもろ)も知りたい…………お願い出来る?」

「一歳になる前…………そうですか……」

 素早く鞄から取り出したメモ帳にペンを走らせながら杏奈あんながそう言った直後、途端とたんに笑みを浮かべる。

「ま、西沙せいささんのためなら何とかしますよ」

 向かいで同じように笑みを浮かべた西沙せいさに、杏奈あんなが続けた。

「おまかせを。珍しい苗字みょうじですし、調べるのはそんなに難しくは…………」


 ──……あれ? ……どっかで…………


「ならみざき……? どっかで見てますね……」

「まあ、珍しくはあるけど、どこかにはある苗字みょうじなんだろうね。杏奈あんなだったら仕事で色々な所も行くだろうしさ」

「……そうですね」

 それでも杏奈あんなの中の何かが引っかかった。何か〝古い所〟をつつかれたような感覚。


 ──…………だれだ…………


 その杏奈あんなとほぼ入れ替わる形で、楢見崎ならみざき家のむかえが到着した。

 昨日の運転手の男性だった。昨日はガラスしに中年男性かと思ったが、直接会うと決してそんな年齢には見えない。三〇手前と言ったところだろうか。

沙智子さちこさんは、今日は……」

 何気なく聞いた西沙せいさの言葉に、男性は節目ふしめがちに応える。

御屋敷おやしきのほうで、御陵院ごりょういん様をお待ちしております」

 少し不思議に思いながらも、西沙せいさはいつもの小さな黒いハンドバッグだけを肩から下げ、パソコン前で立ち上がっていた美由紀みゆきに顔を向けた。

晩御飯ばんごはんよろしく。そんなに遅くならないよ。じゃ、行ってくる」

「うん……」

 いつもの会話。

 それでも美由紀みゆきは何か〝さびしさ〟のようなものを感じていた。

 それが何かは分からない。


 ──……不安……なの……? どうして……?

 ──…………この感覚は、なに…………?



      ☆



 車で一時間と少し。

 街中からはだいぶ離れた場所。

 奥に山並みが見える細い道路に沿うように長い壁が続いていた。

 やがて、その壁の一角が大きな門に繋がる。


 ──……さすが旧家きゅうか大地主おおじぬしってとこか…………


 もはやどのくらい前から壁が続いていたかも覚えてはいなかった。それでも、ずっと敷地しきちだったと言う事実だけは、どうやら変わらない。

 門が開くと、左右には使用人が一人ずつ。深々と頭を下げている。一口ひとくちに門と言っても上部の清掃せいそうをどうするのかと不思議に思う高さ。


 ──……神社なら鳥居とりいか…………大事な部分だよね…………


 入り口は敷地しきちの出入りに使われる場所。

 同時に人をむかえ入れる所。

 神社の産まれだからということもあるのだろうが、昔から大事にされてきたそんな考え方が西沙せいさは好きだった。

 家にまねき入れる人をす最初のスタート地点。外から入る人が最初にれる所。だからこそ粗末そまつには出来ない場所。


 ──……この家は、その意味を理解してる…………


 さすがに大きな御屋敷おやしきだった。

 そうとしか表現の出来ない立派りっぱさだ。門だけでなく屋敷やしき自体も客をまねき入れる準備が出来ている。

 使用人の一人が車のドアを開けたが、初めて見たかもしれないゴスロリ姿にもおくすることはない。仕事として、というよりも、理解した上で客人きゃくじんしているのを感じられた。


 ──……ただの地主じぬしじゃないな…………


 玄関げんかんでは使用人数名が頭を下げる中、すぐに沙智子さちこが現れる。

「申し訳ございません。私がおむかえに上がりたかったのですが────」

 綺麗きれい薄紫うすむらさき和装わそう

 茶色のおびこまかな装飾そうしょくを落ち着かせる。

 家を流れる風に合わせたかのようなさわやかさ。

 外の蒸し暑さに対して、どこかこの家の玄関先に嫌な湿度は感じなかった。エアコンの乾燥した冷たさとも違う。

 総てのバランスが、適度だった。

「いえいえ」

 笑顔でせいした西沙せいさが続ける。

「ここへおうかがいすることは私からの要望です。お気遣いなく」

 厳格げんかくな日々をまもる神社の産まれ。今の生活とはかくの違う雰囲気だからといってまれることはない。こういう時の西沙せいさの立ち振る舞いも見事なものだった。

 もっとも、それは使用人にとっても同じこと。例え使用人とはいえ、長くも短くもこの世界で生きている。順応じゅんのうするということは決して簡単なことではないだろう。

御陵院ごりょういん様を、客間きゃくまへ御案内差し上げて下さい」

 沙智子さちこが使用人の一人にやわらかい声で指示を出した。

 その直後、大きく開けはなたれた広い玄関げんかんから僅かに風が入り込む。


 そして聞こえる、すずやかな、風鈴ふうりんの音────。


 西沙せいさは反射的にその音を追いかけ、見上げていた。


 小さな、甲高かんだかくもやわらかい音が空気にただよう。


 玄関げんかんから上がる所の框板かまちいたの上、小さな鉄製てつせい風鈴ふうりんが一つ。

「この時期にはいいですね。風鈴ふうりんって」

 西沙せいさは見上げたまま言葉を繋ぐ。

「こちらでは常に下げていらっしゃるんですか?」

 その光景が見えた。

「ええ、常に下げております」

 応えた沙智子さちこが続ける。

楢見崎ならみざき家では古くから、風鈴ふうりんは〝魔除まよけ〟になるからと…………」

「そうですね。そういう考えは地域によってもあるみたいですよ。かなり古くから、この国では身近な物だったんでしょうね…………」


 ──…………ふーん……面白い…………


 通された座敷ざしき大広間おおひろまと言ってもいい広さだった。

 きっとこんな部屋がこの屋敷やしきにはいくつもあるのだろう、とそんなことを思っている内、運ばれてきたお茶を一口だけ。やはり安い味ではない。

 座布団ざぶとんも厚く立派な物。しかし正座をする西沙せいさの周囲はゴスロリのスカート部分が広がるせいか、その座布団ざぶとんをもかくした。

 やがて、足袋たびで廊下の板をる音がかすかに聞こえてくる。決して大きく音を立てるような歩き方ではない。

 その音はたたみの上の音へ。

 沙智子さちこと母親の由紀恵ゆきえだった。

 西沙せいさの目の前、二メートルほどだろうか、二つ並んだ座布団ざぶとんの一つに、まずは母の由紀恵ゆきえこしを降ろした。

 沙智子さちこはその隣の座布団ざぶとんを少し後ろに引くと、由紀恵ゆきえななめ後ろへ。

 どちらも衣擦きぬずれの音からして安い着物でないことが分かった。生地きじの違いだけではない。作りが違う。

 沙智子さちこ薄紫うすむらさきに対して、由紀恵ゆきえ和装わそうは年齢に合わせたのか落ち着いたい茶色。金色とおぼしきこまかな装飾そうしょくを、黒に近い赤いおびが引き締めていた。

 沙智子さちこの年齢から考えて四〇を少し過ぎた所だろうか。決してけ込んだ印象はなかった。立ち振る舞いから言っても冷たい印象でもない。

 部屋という空間に不快感ふかいかんが少ないのもそう思わせる要因よういんなのか、西沙せいさは見事なまでのかぜの作り方に感心していた。障子しょうじふすまを開ける位置がしっかりと考えられている。元々古い日本家屋(かおく)というものは風の通りがいいように作られてきたが、それでもこの家の徹底てっていの仕方は脅威きょういを覚えるほど。エアコンが無い状態で扇風機せんぷうきすらも回っていない。おそらくは天井てんじょうにも空気の抜ける秘密がありそうだった。

 さらには家の所々に配置された〝風鈴ふうりん〟。

 〝風鈴ふうりんやかた〟の一件いっけんがあったからとはいえ、冷静に考えればそれ自体は何もおかしな光景ではない。

 それでもその効果は絶大ぜつだいだった。

 総てが考えられた上で、屋敷やしき全体を空気が回っている。


 ──……なんだか……神社みたいだ…………

 ──…………後は祭壇さいだんがあれば…………


 そんな印象だった。

 その空気にただようかのように、由紀恵ゆきえの声がやわらかく流れる。

楢見崎ならみざき家当主、由紀恵ゆきえです。本日は御暑い中にも関わらず娘の沙智子さちこのためにわざわざおし頂きましてありがとうございます」

 深々と頭を下げる由紀恵ゆきえの長い髪が、僅かに横にすべる。低い位置で一つにたばねられた美しい黒髪。その髪を見るだけでも沙智子さちこと親子なのが強く感じられた。

「いえ、こちらこそ強引ごういんにお願いしまして……今回の一件いっけんは娘さんからはお聞きですか?」

 西沙せいさのその言葉、さらには態度たいど西沙せいさ自身、それが相手にあたえる印象まで理解している。久しぶりの〝大口おおぐち〟の客。無意識に態度たいどあやつっていた。

 それでも由紀恵ゆきえ些細ささいな感情の変化は見逃さない。

 いきなりの〝本筋ひんすじ〟の話に、由紀恵ゆきえまゆが一瞬だけ寄る。


 ──……やっぱり強引ごういんに抜け出してきてたか…………


「おずかしながら……」

 由紀恵ゆきえかすかに視線を下げ、西沙せいさから目線を外しながら続けた。

「いつも勝手に出歩くなとは言い聞かせているのですが……しかも息子のこともありますので……何か用事があれば何人も使用人がおりますでしょうに……おずかしい限りで……」

 言いながら、由紀恵ゆきえは僅かに首をななめ後ろの沙智子さちこへ。決して振り返りはしないが、沙智子さちこにとってはその動きだけで充分じゅうぶんだった。

 沙智子さちこは合わせるように視線を下げる。

 手に取れるかのような二人の微妙びみょう緊張感きんちょうかんを、西沙せいさは感じていた。


 ──………………


「その息子さんのため……だからこそですよ」

 その西沙せいさの言葉に、意外にも由紀恵ゆきえの返答は早い。

「話は一通りお聞きになられているご様子ようす…………確かに沙智子さちこが不安に思うのは無理もないでしょう……私にも息子がおりました。沙智子さちこの兄に当たります。そうですね……確かにあの子も半年ほどだったかと記憶しております。しかしながら、私たちはすでに覚悟かくごをしているのですよ」

覚悟かくご……」

 西沙せいさが言葉をらす。

 そこに入り込むように、由紀恵ゆきえが顔を上げた。

「はい……覚悟かくごです……ですから……あの子もどうせ一年とたずに────」

「────やめて下さい」

 それは沙智子さちこの声。

 由紀恵ゆきえの背後から、ふるえる声で遮る。

「……お母様…………あの子は……幸成ゆきなりは…………まだ、生きています…………」

 由紀恵ゆきえ西沙せいさと目を合わせたまま、かすかに口元に笑みをたずさえた。


 ──…………え…………


 由紀恵ゆきえの〝目〟から何かを読み取った西沙せいさが目を見開く。

 続けて空気をふるわせるのは、少し強くなった由紀恵ゆきえの声。

楢見崎ならみざき家では、古くから男子だんしは一年と持ちません。これは何代にも渡って続いてきたこと。しかし必ず産まれます。そんな誰かの〝のろい〟に、私たちはえ続けてきたのです」

「それを……」

 西沙せいさの低い声が、由紀恵ゆきえの声をらした。

「……終わらせることが出来たら…………」

私共わたくしどもも……みなそうでした…………あちこちの神社を渡り歩いて…………解決などしたことがありません。私もです…………おはらいなどとそんなもの…………」


 ──…………この家の血は……真っ黒だ………………


御陵院ごりょういん様でしたら、終わらせることが出来るのでしょうか。聞けば神社のお産まれとか」

「ええ…………姉妹しまいの中で一番にかん鋭過するどすぎて…………神社を追い出されましたよ…………」

 応える西沙せいさの目のするどさのせいか、由紀恵ゆきえが歯を食いしばり、僅かに顔をゆがませる。

 西沙せいさ容赦ようしゃ無く続けた。

「〝のろい〟の出所でどころは、本当に分からないのですか?」

「分かりません…………」

 由紀恵ゆきえは即答して続ける。

「私の母にも、その当時の祖母そぼにもたずねましたが、誰も分からないと…………文献ぶんけんがあるわけでもありませんし…………」

「しかも過去におはらいをした人たちは、誰もそこに辿たどり着けなかった…………」

御陵院ごりょういん様でしたら…………」


 ──……この人だって……すくわれたいはずなのに…………


「出来ますよ」

 その西沙せいさの言葉に、しばし間を空け、由紀恵ゆきえが目を見開いた。

 小さくそのくちびるが開き掛けた時、西沙せいさがすかさず繋ぐ。

「出来なければ…………私はここにはいません。出来るだろうなんて言い方はしません。私がすくうべきは娘さんだけではありません。これからの楢見崎ならみざかい家と、あなたです」

 すると、由紀恵ゆきえは目を細め、視線をたたみに落とした。


 あきらめ。

 そこにかろうじてぶら下がる希望。

 つみばつ


 ──……私は……希望など持ってはいけない…………


 何度も思ってきたそんな同じ言葉が、不意に由紀恵ゆきえ脳裏のうりかすめる。

 それを包む西沙せいさの声。

「あなたは何も嘘はついていません。あなたは本当に〝のろい〟の根源こんげんなんか知らない…………でも…………」

「元々楢見崎(ならみざき)家は────」

 そう言って西沙せいさの言葉を遮った由紀恵ゆきえが続けた。

御武家おぶけだったと聞いております。なにぶん古い話で私もくわしくは分かりませんが、御侍おさむらいの立場を捨てる時にこの辺りの土地を買いめて地主じぬしになったとか…………戦後にいくらかは持ち土地も切り張りされたようですが…………しかし〝のろい〟はもっと前からだそうです。これが、私の知っている総てです」

 言い終わっても、由紀恵ゆきえいまだ顔を上げない。


 ──……そうだよね…………いいよ……大丈夫だいじょうぶ…………


 そして、それは突然とつぜんだった。


     〝 お待ちしておりました 〟


 ──…………! ……だれ…………?


 どこかで聞いた声。

 しかし、その声は続かない。


 ──……誰? 応えて…………


 そのわりか、西沙せいさの頭に浮かぶ光景があった。

 それがどこかは分からない。

 板間いたまの部屋。

 丸いかがみおさめた小さなほこら

 中心と、左右に配置された燭台しょくだい

 一般家庭にある神棚かみだなにしては大きい。


 ──………………祭壇さいだん…………?


「一つ…………おうかがいしても…………?」

 西沙せいさは無意識の内にそんな言葉を口にしていた。

 その言葉が続く。

「……こちらに……もしかして祭壇さいだんがありませんか?」

 なぜかそう思った。

 そう感じた。そうとしか表現のしようがない。西沙せいさ自身、理解が追い付かない。

 例えどんなに歴史の長い旧家きゅうか家柄いえがらとはいえ、神社でもない家に祭壇さいだんなどあるはずがないことは西沙せいさにも分かっていること。

 それでも強く感じた。


 ──……ここには……祭壇さいだんがある…………


 突然の想像だにしない西沙せいさの言葉に、由紀恵ゆきえ沙智子さちこも反応をまよう。そして二人の頭に浮かぶものと、西沙せいさの意識が一致いっちした。

 口を開いたのは由紀恵ゆきえ

「……祭壇さいだん……と言えるものなのか…………大きな神棚かみだなのような物でしたら…………」

「どこ? 見せてください」

 西沙せいさは言いながら廊下に足を進めていた。自然と足がある方向へと向かう。

 それをあわてて沙智子さちこが追い掛けていた。

御陵院ごりょういん様⁉︎」

 やがて西沙せいさが開けたふすまの向こう、

 そこにその〝祭壇さいだん〟はあった。

 先ほど頭に浮かんだ光景。


 ──…………風鈴ふうりんやかたと同じだ…………


 間違いない。あそこほどに古さを感じさせるわけではない。人のいとなみのある屋敷やしきで管理された部屋。風鈴ふうりんやかたとは印象いんしょうは違った。しかし構造的には意図いとしていなければおかしなほどに似通にかよっている。

「……これは…………何…………?」

 背後に追い付いた沙智子さちこに、西沙せいさは背中を向けたまま問い掛けた。

「これは間違いなく祭壇さいだんですよね…………聞かせてください…………この祭壇さいだんは何ですか?」

 すると沙智子さちこはゆっくりと応え始めた。

「古くからある物だそうで、大事だいじな物ということで掃除そうじはしておりますが…………どういった物なのかまでは…………今は何かに使うこともございませんし…………」


 ──……だから神社のようだって感じたんだ…………


 ──…………どうつながる…………?


 ──……やっぱり玄関げんかんのアレは同じ〝風鈴ふうりん〟か…………


 玄関げんかんに下がる風鈴ふうりんを見た時から、もしかしたらという気持ちはあった。あまりにもそっくりな風鈴ふうりん。しかし高さのせいで間近まぢかで見ることも出来ずじまい。

 それでも今、西沙せいさは確信していた。

 〝風鈴ふうりんやかた〟と同じ風鈴ふうりん祭壇さいだん

 昨日、沙智子さちこに初めて会った時には感じなかった。しかし二つのけんの繋がりを感じると同時に、偶然ぐうぜんという言葉だけでは語れない〝意思いし〟を感じた。

 西沙せいさ常日頃つねひごろから〝必然ひつぜん〟という言葉をきらった。きらっていると言えば大袈裟おおげさだが、あまり好きでなかったのは事実。総てが決められているという考えが苦手にがてだった。

 過去を、未来が見えることもある。幼い頃からそれが当たり前の生活を送ってきた。それでも、むしろだからこそ、西沙せいさは未来の不安定さを求めたのかもしれない。いやな未来が見えるたびに、違う未来になって欲しいと思ったことが何度もあった。どうして自分の見る未来が一つだけなのか。それは今でも西沙せいさなやませる。

 ときは進むだけ。しかし〝今〟がどこなのかは〝今〟の自分には分からない。もしかしたら、誰かにとっては〝過去〟なのではないかと、そう考えたこともあった。それでも答えは出ないまま。

 だからこそ、今回のことも〝必然ひつぜん〟とは思いたくなかった。

 決して杏奈あんな楢見崎ならみざき家のことを知っていて風鈴ふうりんやかたの相談を西沙せいさにしてきたわけではない。

 沙智子さちこ楢見崎ならみざき家ののろいをいて欲しかっただけのこと。

 その総てを〝必然ひつぜん〟と言うには、あまりにも出来過ぎだ。しかもこのタイミング。その言葉をきら西沙せいさですら何かの〝意図いと〟を感じた。

 そしてふと思い出す。

「……沙智子さちこさん…………確か昨日、夢で私に相談するように言われたって…………」

 西沙せいさの確認するような問いに、沙智子さちこはすぐに返していた。

「はい…………巫女みこに…………」


 ──……そういう……ことか…………


 西沙せいさは後ろの沙智子さちこに顔をり、応える。

「一度戻ります。色々と調べたいので」

 そして西沙せいさ沙智子さちこ客間きゃくまへ戻った。

 そこには由紀恵ゆきえが座ったまま。

 西沙せいさ由紀恵ゆきえの前に座ると、心なしか由紀恵ゆきえ神妙しんみょうな顔付き。気持ちの奥底おくぞこまうみずからのわだかまりに対峙たいじしているかのようだった。その心中しんちゅうが見えていた西沙せいさには、そのいたみさえも感じられた。

 しかし、今は時間が欲しい。

 そして由紀恵ゆきえうつむいた目を見ながら口を開いた。

「私が総てをお受けします……だから…………一つだけ、お願い出来ませんか?」

 西沙せいさはすぐに立ち上がって続ける。

「娘さんのことです」

 由紀恵ゆきえななめ後ろに戻っていた沙智子さちこおどろいた顔を上げた。

 さらに続く西沙せいさの声。

「たまには……自由にってわけにはいかなくても、外に出して上げて下さい。昨日の運転手さんでしたら、丁寧ていねいな運転でしたから大丈夫です。〝さきの見える〟私が保証しますよ」

 西沙せいさを見る沙智子さちこが目を見開いていた。


 ──……〝初めて〟好きになった人だもんね…………

 ──……旦那だんなさんは親の決めた結婚相手でしかない…………

 ──…………父親が誰であれ、子供は子供……でも聞かれたくなかったよね…………


 ゆっくりと、由紀恵ゆきえが顔を上げる。

 そのひとみには、何かの〝覚悟かくご〟が見えた。



      ☆



 静かな夜になった。

 夕食の時、御簾世みすよは姿を現さないまま。

 蓮世はすよも、麻紀世まきよも、亥蘇世いそよも、誰も言葉をかわわさないままの食事。

 障子しょうじ隙間すきまから入り込む風も無い。

 空気と時間がよどむ。

 先にはしを置いたのは蓮世はすよ

 立ち上がる音が空気を切り裂いた。

 そして、一言だけだった。

麻紀世まきよ、食後に私の部屋へ」


 麻紀世まきよ蓮世はすよの部屋に行っている間、亥蘇世いそよ麻紀世まきよの部屋で待ち続けた。

 時間が異様いように長く感じられる。いつもの白い浴衣ゆかた姿のまま、今夜も亥蘇世いそよは自分の部屋に戻る気は無かった。

 気持ちは、あの時からずっと落ち着かない。

 誰もが麻紀世まきよぐと考えている、と亥蘇世いそよは思い込んでいた。


 ──……どうして……御簾世みすよが…………


 ──……姉様あねさまが一番の能力者のはず…………


 ──……姉様あねさまと私で…………急いで清国会しんこくかいに参加しなくては…………


 ──…………姉様あねさまと……私で…………


 麻紀世まきよのことを頭に思い浮かべるたび、体がうずく。

 それでも、時間が止まったような感覚が亥蘇世いそよの意識をくしていた。

 いま麻紀世まきよは戻らないまま。

 どれだけの時間がったのか、やがて亥蘇世いそよの背後、小さな足音の後、ふすまが開く音。

 待っていたはずなのに、なぜか亥蘇世いそよ背筋せすじ悪寒おかんが走った。

 ふすまの閉まる音が、亥蘇世いそよ鼓動こどうを更に早くする。


 ──…………姉様あねさまと一緒に…………


「〝まぼろし〟じゃないですよね…………亥蘇世いそよ…………」

 背後からの麻紀世まきよの声が、亥蘇世いそよからみ付いた。

 続く、巫女みこ服のおびれる音。

 衣擦きぬずれの音が、部屋の空気を包み込む。

 そして、麻紀世まきよの細い腕が、亥蘇世いそよの背後から首筋くびすじに流れていく。


 朝。

 結局、何も聞けないままに身をまかせただけ。

 亥蘇世いそよの中でもどかしい感情だけが渦巻うずまく。

 朝の神事しんじ御簾世みすよが現れたのは途中からだった。冷静な表情のまま。心のうちを見せない御簾世みすよに、亥蘇世いそよ苛立いらだった。


 ──……まさか……御簾世みすよ母上ははうえあやつったのでは…………


 それは御簾世みすよの〝能力〟そのもの。御簾世みすよにしか出来ないこと。

 御簾世みすよなら出来る。


 ──…………御簾世みすよなら…………


 夜、亥蘇世いそよ麻紀世まきよ準祭壇じゅんさいだんに呼び出した。

 神事しんじの後、夕食まではまだ少し時間がある。

 祭壇さいだん燭台しょくだいの上からはいま松明たいまつくすぶる匂い。あわけむりが空気をにごらせていた。

 今夜、亥蘇世いそよ麻紀世まきよのがしたくなかった。自分自身が待てないと感じていた。亥蘇世いそよには麻紀世まきよと共に御陵院ごりょういん神社を清国会しんこくかいに参加させる未来しか見えていなかった。

御簾世みすよです……御簾世みすよ母上ははうえまどわせたに違いありません」

 その言葉は亥蘇世いそよの感情そのもの。

 正面に座る麻紀世まきよは落ち着いた表情のまま、感情を隠しているように亥蘇世いそよには見えた。

 その声は決しておびえてはいない。

「……亥蘇世いそよ……そのような考えは────」

姉様あねさま以外に誰がこのやしろまもれるのです! 清国会しんこくかいと共に……私と共に…………」

「冷静になりなさい……母上ははうえ御陵院ごりょういんのことを考えての決断をしたまでです。確かに母上ははうえ清国会しんこくかいを良く思ってはおりません…………それは御簾世みすよも同じでしょう…………しかしときを待つのです。必ずそのときは来ます。御簾世みすよもいずれは理解してくれるはず……」


 ──……まさか姉様あねさままで…………


御簾世みすよに…………御簾世みすよは…………人の心をあやつります…………自分ののままに…………」

 亥蘇世いそよの口から言葉がれていた。

 目をうるませたまま、その感情を〝疑念ぎねん〟だけがおおう。

「……あやつられてはなりません……姉様あねさま…………」

 亥蘇世いそよには、麻紀世まきよしかいなかった。

 麻紀世まきよの為に生きていた。

 麻紀世まきよの為なら、喜んで死ねると思っていた。

「何を……私があやつられるなど…………」

 言葉を返しながらも、麻紀世まきよの中にも不安が無いわけではない。もちろん麻紀世まきよほどの能力者となれば簡単にあやつられることは無いだろう。しかし麻紀世まきよにとっても御簾世みすよの力の強さに関しては未知数な部分が多い。それほど御簾世みすよ自己じこを表現することが少ない。決して自分の能力をひけらかすような部分を持ち合わせてはいない。

 今回のことで、あらためて麻紀世まきよ御簾世みすよに少なからずの疑念ぎねんを抱いていたのは事実。

 それはもはや〝おそれ〟に近い。

 その感覚があらためて麻紀世まきよの中でふくれ上がる中、目の前の亥蘇世いそよは涙と共に感情をこぼし続ける。

「…………私は…………姉様あねさまと一緒に…………」

 いとおしくないわけではない。麻紀世まきよにとっても亥蘇世いそよ大事だいじな存在だった。

 共にやしろぎ、清国会しんこくかいの中でのぼめ、しんかみもともとまもりたかった。


 ──……亥蘇世いそよは…………弱すぎる…………


 二人は、すでに〝金櫻鈴京かなざくられいきょう〟にあやつられていたのかもしれない。


 その夜から、麻紀世まきよ亥蘇世いそよを遠ざけ始めた。

 当然、自分を一歩も部屋に入れようとしない麻紀世まきよに、亥蘇世いそよさびしさをつのらせるだけ。


 ──……ときを待ちなさい…………亥蘇世いそよ…………


 麻紀世まきよの言葉を理解しながらも、感情では受け入れられないまま。



      ☆



 それから一月ひとつきの間、着々と代替だいがわりの催事さいじの準備が進められた。

 亥蘇世いそよ様子ようすから、その中で現実を受け入れられずにいるのは麻紀世まきよも分かっていた。日に日に変化していく亥蘇世いそよの目付きに不安をつのらせる日々。

貴女あなたは……何か感じませんか?」

 その麻紀世まきよの声は後ろ向きな感情に支配されていた。

 少なくとも、その正面に座る御簾世みすよにとってはそうとしか感じられなかった。

 そして、麻紀世まきよ御簾世みすよの部屋に入るのはこれが初めてのこと。姉妹しまいとは言え、二人の間には長女と三女という開き以上の距離があった。それでも明日の催事さいじに合わせ、麻紀世まきよはどうしても御簾世みすよと二人で話をしておきたかった。

 深夜。

 部屋には一本の蝋燭ろうそくあかりだけ。

「……亥蘇世いそよ姉様ねえさまのことですね……」

 相変わらず御簾世みすよは感情を表に出さない。そればかりか、相手の心を読み取ることの出来る麻紀世まきよ亥蘇世いそよですら御簾世みすよの意識を読み取ることは出来なかった。

如何いかにも」

 それだけ返し、御簾世みすよからの返答を待つのが限界。

 それにくわえ、麻紀世まきよはいつもとは違い、あせりがあった。

貴女あなたにも未来は見えるはず……しかし……どういうわけか私は亥蘇世いそよの未来が見えない…………」

「未来が……存在しないとしたら…………」

 その冷静なままの御簾世みすよの言葉に、麻紀世まきよは目を見開く。

「何を申すか────」

ぎたことも……先のことも……そして今も…………総ては同じ所にあるもの…………しかし、どうして先のことばかりが不確定なのか…………私にはそれが不思議でした。さだまっていないのではありません。存在しないのです。我々は先を見たつもりになっているだけ…………見たい未来を思い描いているにぎませぬ」

 御簾世みすよは、御陵院ごりょういん家の〝教義きょうぎ〟を否定ひていした。

 ないこと

 麻紀世まきよはそう思うことしか出来ない。

 それを〝受け入れる〟可能性を、無意識に排除はいじょした。

 それなのに、麻紀世まきよは何も返せないまま、御簾世みすよの言葉が続く。

「私は元々、ここをぐつもりはありませんでした。正直、今も気持ちはさだまっておりません。姉様あねさまが私のとつぎ先を見付けて下さった時、実は安心したのです。もちろん今となっては母上ははうえの決められたこと…………それは受け入れましょう…………しかし麻紀世まきよ姉様ねえさま…………〝清国会しんこくかい〟は……私の〝おもえがく未来〟には存在しません」


 ──…………負ける………………


 そう感じた。


 ──……これが……母上ははうえの〝もとめていた未来〟…………


 麻紀世まきよはこれまで〝畏敬いけい〟という感覚をいだいたことがなかった。自分のでもある母の蓮世はすよに対してもそうだった。自分は母よりも能力が高いと信じてうたがわなかった。

 もしかしたら、それは今でも変わらないのかもしれない。

 しかしその蓮世はすよは、麻紀世まきよが信じる〝清国会しんこくかい〟を否定ひていし、麻紀世まきよが見抜けなかった御簾世みすよの〝ちから〟にも気が付いていた。


 ──……清国会しんこくかいの存在が無かったとしても……御陵院ごりょういん神社をぐのは…………


麻紀世まきよ姉様ねえさま…………亥蘇世いそよ姉様ねえさまが…………お待ちですよ……」


 ──……これは〝畏敬いけいおそれ〟ではない…………〝恐怖きょうふおそれ〟だ…………


 こわかった。

 そして麻紀世まきよは初めて気が付いた。

 あわ蝋燭ろうそく灯火ともしびの中で、それが〝見えた〟。


 ──……目の、色が…………


 蝋燭ろうそくらぎの為か、いつからなのか、御簾世みすよの両目が、赤い────。

 しかも、右目より左目のほうが赤く見えた。


 ──……暗いからか……蝋燭ろうそくの為か…………


 ──…………人では無い…………〝もの〟だとでも………………





     〜 あずさみこの慟哭どうこく 第一章「聖者の漆黒しっこく

                第二部「回顧かいこ」第3話へつづく 〜


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