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第一章「聖者の漆黒」第一部「回起」第2話

 杏奈あんながオカルトライターの仕事をい始めたのは年が明けてから。

 まだ半年程度。

 よく仕事を回してくれる雑誌社からの話が最初だった。フリーになる前、他の雑誌社に勤めていた頃からよく出入りしていた所でもある。

 オカルト系への知識も元々はほとんどなかった。せいぜい地元で有名な心霊スポットくらいはさすがに聞いたことがあるという程度。むしろ戦場ジャーナリストだった父親の影響か、目に見えないものよりも目の前の現実をどうファインダーの中に描くかのほうに興味があった。

 西沙せいさとの出会いで興味を持って調べ始めると自然と知識も溜まる。あからさまにあやしげな都市伝説よりも、実話怪談的なもののほうが興味がいた。加えて全国の心霊スポットにも詳しくなっていく。今ではちょっとしたオカルトマニア。

 そういった話を集め始める中で、やがて辿り着いたうわさ


 〝風鈴ふうりんやかた〟────。


 最初にネット上でその話が出回り始めたのは一年近く前のこと。

 発端ほったんの事件のすぐ後。

 その事件は小さなものだった。地元の新聞でのみ見付けることが出来たほど。そういう情報を集めるのは杏奈あんな仕事柄しごとがら難しくはない。

 しかも地元ネタ。取り上げない理由はない。

 事件とは言っても、警察の最終的な発表は〝自殺〟。しかしその最終発表前の状況の説明が不可解だった。そのためか、いまだ警察も他殺の可能性を捨てきれてはいない。

 元々その場所は古くから〝自殺の名所〟としても有名な深い森。一応古くに整備された遊歩道はあったが、以前から悪いうわさばかりが先行し、今では山歩きを楽しむような人もいなかった。オカルト好きにとっては恰好かっこうの〝心霊スポット〟。森に入る人は自殺者か肝試きもだめしの若者。最近では動画配信者も加わった。

 年間を通して五名前後の自殺者が見付かる場所。

 地元の消防団を交えた捜索隊にもルーティーンが出来ていた。

 特別、自殺を防止するために地元が大きな対策をしているわけでもない。自殺者向けの看板はあるが、むしろ黒いうわさに拍車をかけるだけ。森の周りは幹線道路。古いとは言ってもさくが森の周りを巡り、遊歩道の入り口が森の入り口ということになってはいたが、入ろうと思えばどこからでも入ることは出来た。

 自殺希望者を監視するために一応の監視カメラがやっと設置されたのは二〇年ほど前の事。それでも入り口だけ。歩いてこれるような場所でもない事に加え、車を停められる場所がそこしかなかったからでもある。

 とはいえ、どこからでも森に入ることは出来る。

 それなのに、自ら命を絶とうとする者はなぜか入り口から森に入った。

 遊歩道に沿って歩けば、やがては同じ入り口に辿り着く。入った人が出て来なけば、警察に捜索願が出されていなくても捜索隊が作られる。最初は警察に監視カメラの報告。しかし決して大人数の編成ではない。

 そして、そのほとんどの場合、事実として自殺者が見付かる。

 その森は、そんな場所だった。

 それでも、一年前の自殺者の発見は不可解だった。

 捜索隊が辿り着いた場所は、突然のひらけた場所。何度も森の中に入っている捜索隊でも、誰一人としてそんな場所を知っていた者はいなかった。

 そしてそこにあるのは古い屋敷。

 立派な日本家屋(かおく)

 その場の全員が唖然あぜんとした。森の中にそんな屋敷があるなど、誰も想像してはいない。

 さらには、その場に似つかわしくない〝音〟。

 小さく、波のような〝音〟が空気を震わしていた。

 捜索隊の一人が気付く。


 風鈴ふうりんの音────。


 おびただしい数の、風鈴ふうりんの音────。


 屋敷の中、総ての部屋、総ての天井から大量の風鈴ふうりんが吊るされていた。

 その音から逃げられる所はどこにもない。


 そして、一階の大広間と思しき広い板間の部屋で、行方不明者の首吊り遺体が見付かる。

 しかし、その遺体は何者かによってひもかれ、床に綺麗きれいに横たえられ、おだやかな表情をしていた。



      ☆



「その警察からの情報、信用出来るの?」

 そう言うと、いつの間にか美由紀みゆきがテーブルの上に置いたガラスの冷茶用ポットから、西沙せいさからになった自分のグラスに麦茶を注いだ。ポットをテーブルに戻すと再び杏奈あんなに目を向ける。

 その目に応えるように杏奈あんなが口を開いた。

「嘘はつかないと思いますよ。元々、まあ、もう何年にもなる間柄あいだがらなので」

 言いながら杏奈あんなの目が泳ぐ。

「へー、杏奈あんなにもそういうことあるんだ」

 西沙せいさは軽く返したつもりだった。決して知り合いとはいえ人のプライベートに深く関わる趣味はない。もっとも、自分自身が他人に詮索せんさくされるのを嫌っていたからというのもあるだろう。

 それでも、無意識にアンテナを張ってしまう。本来なら誰に対しても無闇むやみに相手の内面が見えるわけではない。さらに言うなら、意識することで見えるようになることのほうがほとんど。もちろんそれは自分の〝力〟をコントロール出来るようになってからのこと。今では当たり前のように扱っていた能力だったが、杏奈あんなの予想だにしていない言葉に、西沙せいさもつい、コントロールを失う。

 少しだけ、見えた。

 〝男〟であるということと、その〝関係性〟。

「あります。というより、ありました」

 杏奈あんな西沙せいさに隠せないことは分かっていた。反射的に視線をズラす。

 それはまだ、杏奈あんなが会社員として雑誌社に勤めていた頃。

 仕事の関係で東京方面に行くことが多くなっていたことが、総ての始まりだった。

 杏奈あんなにとっては嫌な過去。

 決して気持ちのいい過去ではない。

 相手の男────佐々岡亮一(ささおかりょういち)

 警察庁勤務。警視総監の孫として、いわばエリート組。

 二人はとある事件をきっかけに不倫関係になって二年ほど。もちろん杏奈あんなは分かっての関係だった。決して家庭のある佐々岡(ささおか)に結婚を求めるわけでもなく、いつまでもというわけではないことは理解しながらも続いていた関係。

 そんな頃に杏奈あんなに回ってきた情報は雑誌社でも議論がされたものだった。しかもマスコミ各社の中でもその扱いは慎重しんちょうにならざるを得ないネタ。

 それは警察庁内部での、誤認ごにん逮捕の揉み消しの事実。

 よりによって、と杏奈あんなが思ったのも無理はなかった。しかし杏奈あんなの中にそれを記事にしないという選択肢はない。会社が決めたことでもあるが、何より杏奈あんな自身が記事にしたかった。

 雑誌社も決して杏奈あんな佐々岡(ささおか)の関係を知っていたわけではない。杏奈あんな佐々岡(ささおか)を巻き込むべきか悩んだ。しかし、現実的に佐々岡(ささおか)はもっとも内部の情報に切り込める存在。佐々岡(ささおか)からの情報は間違いなくスクープに繋がるだろう。

 そして、警察庁の内側に入り込むことは今も昔も簡単ではない。

「バレたら俺は終わるぞ」

 当然、佐々岡(ささおか)にはそう返される。

 いつもの密会の後、佐々岡(ささおか)は車を運転しながらも珍しく声をあらげた。

「俺が誰の孫で誰の息子か知ってるだろ⁉︎ ウチは警察一家だ…………バレたら俺だけの問題じゃなくなるんだぞ」

 もちろんそんなことは杏奈あんなも分かっている。しかし気持ちが動く。いくら自分の所に回ってきた仕事とはいえ、このまま見過ごすことは出来なかった。しかも問題になっている冤罪えんざい事件は複数の県に跨った連続殺人事件。それゆえ警察庁が直々(じきじき)に出張っての結果。そしてこのままでは無実の人間を国家機関が裁くことになる。

 それでも佐々岡(ささおか)の珍しい態度に、杏奈あんなは僅かに萎縮いしゅくして応えていた。

「じゃあ…………知らないフリをすればいいの?」

「俺をからませないなら好きにしろ。内部に入り込むのは難しいとは思うが…………」

「だから頼んでるんでしょ⁉︎」

 反射的に杏奈あんなが声を上げる。

「自分に火のり掛からなきゃそれでいいなんて…………あなたは冤罪えんざいの犠牲者より自分の保身ほしんのほうが大切なの⁉︎」


 ──……これは言っちゃダメなやつだ…………


 杏奈あんなの世界では嫌われるものの一つ────〝感情から来る言葉〟。しかしそれはどんな人間関係でも同じこと。

 それでも佐々岡(ささおか)は冷静に応えた。

「……それが組織ってものだ」

「大した警察庁ね。あなたに警察官の資格はないわ」

 一度(あふ)れ出した言葉は簡単には止まらない。

 やがて、車が杏奈あんなのアパートの近くで停まる。いつもアパートの前までは行かない。秘密の関係ではそのくらいが丁度いい。

 何かを言いたくても、お互いに口を開けない時間が続く。

 そして、最初にその口を開いたのは佐々岡(ささおか)だった。

「……どこまで情報を流せるか分からないぞ…………」

 その佐々岡(ささおか)の言葉に、杏奈あんなの目の前が僅かに明るくなっていく。

「可能な範囲で…………後は自分で何とかするから……」

「一週間、時間をくれ……いつも通りこっちから連絡する」

 やがて、その情報を元に書かれた記事は世間を騒がした。

 警察庁幹部数名の辞任に発展するが、内部で佐々岡(ささおか)から情報が流れたことが発覚したことは報道にならないまま。そのまま佐々岡(ささおか)は地方県警の盗犯課への移動を命じられる。

 そして、二人は距離を取り始めた。

 杏奈あんなは、自分がまっすぐ過ぎることを自覚しながらも、同時にそれを変えられない自分をうらんだ。

 それから数年。

 自分も変わったと感じながら、やはりあの頃の感覚が捨てられない自分もいた。

 無意識の内に過去が浮かび上がる。出来るだけそんな感情を西沙せいさに見られまいと、杏奈あんなは視線を外し続けていた。

 西沙せいさもそれを感じ取ったのか、出来るだけ話を進めようと言葉を繋ぐ。

「でも物的証拠が無さすぎるよ。ネットにその屋敷の動画でもあれば別だけど」

 杏奈あんなも平静をよそおうように即答した。

「そうなんですよ…………事実として遺体は見付かったのにその屋敷の写真や動画はネット上に存在しないなんて、ただの作り話って言われても仕方ないですよね。なぜか誰もその屋敷に辿り着けないなんて……」

 事実、多くの人間がオカルトネタに乗じて屋敷を探しに森の中に入っていたが、誰も、なぜかそこには辿り着けないまま。しかし皮肉にも、それがうわさを大きくしていた。

「でも捜索隊は実際に屋敷で何度も遺体を見付けてるんです。ちなみにそこの動画って言われてネットに上がってるのはどれも偽物にせものでした。さっきの警察の知り合いが言うには。本当に風鈴ふうりんだらけだそうですよ。どの部屋の天井てんじょうも。耳がおかしくなりそうだったって聞いてるそうです。もちろん知り合いが直接見たわけじゃないですけど、県警でもちょっとしたオカルト話になってるそうですよ」

「つまり警察と捜索隊にとっては、その〝風鈴ふうりんやかた〟ってのは実在する所なわけだ」

「間違いないですね。作り話をするメリットがありませんよ。でも〝風鈴ふうりんやかた〟を探しに行くと見付けられないって感じです」

 その杏奈あんなの言葉に、西沙せいさの目が無意識にするどくなっていた。何かが繋がり始める。それまでバラバラだった情報が、少しずつまとまり始めていた。

 その西沙せいさが口を開く。

「どの部屋の天井てんじょう風鈴ふうりんだらけなの? じゃあどこで首吊るのよ」

 最初に見付けた穴を、一つずつ杏奈あんなからの情報でめていく。

「今でいうリビングみたいな所かもって言ってましたけど、広い板間があるんだそうです。そこに何本か太いはりがあってそこでひもとか……いろんなひもだそうですけど……って感じだそうです。でもその後に誰かに降ろされたとしか考えられないんだそうです」

「つまり、検死解剖の結果は間違いなく首吊り自殺だっていうのね?」

「です」

「死亡した後にひもけて落ちた可能性は?」

ひもは誰かにかれた形跡があるそうです。しかも自然と落ちたなら、あんなに綺麗きれい寝姿ねすがたはありえないと」

「だから警察としては事件性を捨て切れないわけか」

「殺人を自殺に見せかけようとするなら分かるんですよ。でもこの場合、第三者がいると仮定すると、自殺させた後にわざわざひもいて床に寝かせてるところが不思議なんです。第三者の介在かいざい形跡けいせきをワザと残してる。意味も目的も分かりません」

「だねえ……」

 西沙せいさは小さくそれだけ応えると、目の前の水滴だらけのグラスを見つめていた。

 そして続ける。

「つまり、その屋敷は……屋敷を探すだけの人には見付けられないのに、自殺者の遺体いたいを探す人には見付けられるわけか…………やさしいオカルトだ…………いいね」

 しかし、西沙せいさの表情は決して明るくはない。

 自分で霊能力者の道を選んだ。体質的、周囲の環境的にそれしかないと思っていた。そして何度もオカルト的な事象じしょうに関わってきた。

 そして思う。


 ──……嫌だな……リアルタイムに誰かが死んでる話は…………


 西沙せいさの表情の静けさに、杏奈あんなも変化を感じていた。しかし西沙せいさの心のうちは見えない。何も返せないまま。

 そして、言葉を繋いだのは西沙せいさ自身。

「で、いつもなら不思議なオカルトネタで終わるのに、警察の知り合いに話を振ってみたらリアルな部分が多くて興味がいてここに来たってこと?」

 西沙せいさの視線と口角が上がる。

 杏奈あんなの目が、それを捕まえた。すかさず、少し前のめりに杏奈あんなが言葉を返していく。

「どう考えたって後は西沙せいささんの分野じゃないですか」

 しかし杏奈あんなとは逆に背を引いた西沙せいさの反応はあくまで現実的。

「どうだろうなあ……不思議な話も既成きせい事実を淡々(たんたん)と並べていくと不思議でもなんでもないことって実際あるよ。ここに持ち込まれる依頼だって心霊現象と関係ないことだってあるし……」

「そうなんですか?」

「オカルトライターだったらそこら辺も押さえておきなさいよ。森の中でラップ音だとか言われてもさあ、何も音のしない森のほうがおかしいよ……マンションでラップ音がひどいって調べてみたらウォーターハンマー現象だったり……オーブなんて海外の霊能力者が昔のテレビ番組で言ったのが最初なんでしょ? それまで日本の霊能力者は光を反射したほこりを幽霊だなんて言ってなかったわけだしさ……カメラにしか写らない時点で分かるようなもんなのに…………オーブなんて言葉を口にしてる霊能力者はみんな偽物にせもの。〝私たちの世界〟を知りもしないで…………」

 いつの間にか西沙せいさの口調が変化していた。月に一度ほど、杏奈あんなが来た時に始まる愚痴ぐちタイムのもの。

「はあ……西沙せいささんにも色々あるんですねえ」

 杏奈あんなもいつも同様に応えながら、懸命けんめいに話題のズラし先を探る。

 しかし収束させたのは西沙せいさ自身。

「さすがにあんな依頼じゃお金もらえないしね…………それに比べたら、今回の話って確かに興味はある。とは言っても、そもそもどうやってそこに行くのよ。自殺希望者かその捜索隊でもなきゃ見付けられないってことになってるんでしょ?」

 杏奈あんなの応えは早い。

「はい。今日もその捜索隊が警察と動いてます」

「今日⁉︎ だから今日来たの?」

 目を見開いた西沙せいさに対して、杏奈あんなは口元に笑みを浮かべて返した。

「今日が捜索二日目です。まだ発見の報告は入ってません。森の中に入ったまま一週間以上だそうです。もちろん遊歩道かられた可能性は否定出来ませんけど────」

「それとも……監視カメラ見てる人も〝かん〟ってあるんじゃない? 自殺する人の雰囲気って……やっぱり違うからさ…………」

「なんとなくってヤツですか?」

「まあね」

「元々あの森は、自殺者が多いことで有名でしたからね。そこに一年くらいまえから〝風鈴ふうりんやかた〟のうわさがプラスされて…………」

 そこに、西沙せいさが疑問の一つを杏奈あんなに向ける。

「最初の情報って、やっぱり捜索隊の誰かから?」

「みたいですね。地元の消防団とかボランティアとかですから、情報はいくらでも流れると思います。あんな森の中に誰も知らなかった屋敷が見付かれば確かに不思議だったんでしょうね。誰かにしゃべりたくもなりますよ。でも警察じゃないから写真は無い。さすがに私でも警察の捜査資料の写真までは入手出来ませんし…………」

「それなのにそこを探しに行っても見付からないから話がふくらんだってことか。今まで、その屋敷で見付かった自殺者の遺体は何人?」

「一五人です。今回見付かれば一六……」

「いつもは何人なの?」

「毎年五人前後だって聞いてます」

「確かに多いな…………で、これは正式な依頼? お金掛かるけど」

「友人価格の後払いでお願いします」

 応える杏奈あんなは覚悟していた表情。実際に警察もからんでいる案件だけに杏奈あんなも小さな話で終わるとは思っていなかった。今まで西沙せいさに振った話とは規模が違うと、なんとなくだが杏奈あんなも感じてはいた。

 そしてそれは西沙せいさも同じ。

 その西沙せいさが立ち上がり、杏奈あんなを見降ろして口を開いた。

「まあ払えない時は体で払ってもらえばいいし、早速さっそく連れてってよ。捜索隊に合流するんでしょ?」

「……? …………からだ……?」



      ☆



 地元とはいえ、その森は中心の街から車で一時間以上は掛かる場所。

 かろうじてまだ昼前。

 外の気温がどんどんと上がる中、エアコンを全開に回した杏奈あんなの車が爆音を響かせて急いでいた。

 すでに街中からはだいぶ離れていたが、道路がまだ舗装道路であることが救いだろう。杏奈あんなの話では山を一つ超えた先にあるとのこと。それでも決して大きな山ではない。格段かくだんに山道というわけでもなかった。

「それにしたって…………」

 杏奈あんなが運転の合間にそう呟き、横目でチラチラと助手席の西沙せいさに視線を送った。

 そして何度目かの同じ言葉を投げ掛ける。

「ホントにそんな格好で大丈夫なんですか? 山ですよ。森ですよ」

「派手な格好のほうが宣伝になるでしょ。警察のほうにも合流するって連絡したならジャージなんてカッコ悪い格好で行ったら失礼ってもんだし」

 応えた西沙せいさは相変わらずの黒いゴスロリ姿。とても山の中の森を目指している人間の服装には見えないだろう。

 溜息をいた杏奈あんなが言葉を繋げる。

「とは言っても……森の中歩くのにフリフリのゴスロリって…ボロボロになりますよ。足だってそんな白いストッキングだけじゃ傷だらけになるし────」

「……ま、まあ、とりあえずその廃墟はいきょが見付かるまでは任せるわ」

 西沙せいさが応えながら外に視線をらした。

「それじゃ意味ないですって。だから途中で何度もジャージ買おうって言ったじゃないですか」

 その言葉に杏奈あんなの再びの溜息が続く。道中で買ったのはコンビニのコーヒーとスナック菓子だけ。

 その溜息に西沙せいさが応えた。

「私はジャージで出歩くようなセンスのない人間にはなりたくない」

「それは同意しますけど、知りませんよ。山ですよ。森ですからね」


 やがて到着したのは遊歩道の入り口。

 すでにパトカーが一台。その他は消防団のメンバーの物とおぼしきワンボックス車が三台。今回は捜索願いが出されての動きではない。決して大規模な捜索活動ではなかった。遺体が見付からない限りはまだ救急車を呼ぶわけにもいかない。

 パトカーのそばに群がっているのは一〇人程度。

 運よく捜索の開始前に合流することが出来たが、問題は別にあった。

「待て待て、なんだアンタらは」

 突然入ってきた部外者の車に、若い警官の一人があわてて駆け寄る。

 杏奈あんながそつ無く対応していく。

石塚いしづか巡査長にお話は通ってるはずですが……こういう者です」

 話しながら車のドアの窓を開けて名刺を手渡した。まとわりつくような重たい空気が車内に入り込む。

 警官は怪訝けげんな表情でその名刺に目を通すが、すぐに声を張り上げていた。

「フリーか……巡査長!」

 警官が顔を向けた先、パトカーのボンネットに紙の地図を広げていた一人の中年警官が振り返る。インターネットの時代とは言え、いまだ紙の地図にも需要じゅようはあるようだ。そしてさらに、少し離れていても、その声色こわいろにいい印象はない。

「ああ、県警から電話あったヤツだろ。なんだってマスコミなんか……」

 この森の捜索隊の隊長を勤めてすでに一〇年以上。石塚いしづか巡査長と言えば、地元の小さな町の中で知らない者はいないだろう。

 その石塚いしづかが近付いてくるのに合わせて杏奈あんなが運転席を降りた。

 それに釣られるように西沙せいさが助手席を降りると、付近の全員が西沙せいさの服装に反応する。すぐに声を上げたのは石塚いしづかだった。

「おい待て。そんなチャラチャラした格好かっこうで山の中に入れるわけないだろ」

 無理もない。捜索隊の全員が短くても足が完全に隠れる長さの長靴。ツナギのようなものを着ている隊員もいる。そんな中でフリルに包まれた黒いゴスロリの西沙せいさの存在は違和感しかない。スカートであるだけでなく白いストッキングに黒いローファー。森の中を歩く捜索隊としては何一つ許せるところはないだろう。

「二人とは聞いてたが……そんな格好かっこうでどこに行くつもりなんだ」

 呆れ顔の石塚いしづかが大きな溜息をくと、それに合わせるのは杏奈あんなだった。

「ほらやっぱり」

「だって」

 そんな小さな西沙せいさの声を再び杏奈あんなつぶす。

「だってじゃないです」

 そんな二人のやりとりを無視し、石塚いしづかが声を張り上げた。

「誰か消防の……松戸まつどさん! この姉ちゃんに着せる服、なんかねえかな」

 石塚いしづかが視線を向けた先。

 数人の消防団員の塊から声。

「最近のマスコミにはそんなのもいるのか」

 返ってきた声は消防団員の松戸まつど。大柄の体にいかつい顔が西沙せいさ杏奈あんなに大きな威圧感いあつかんを与える。そしてその威圧感いあつかんが二人に近付いた。

「わざわざ服装まで指示してやらなきゃねえとはな」

 続く松戸まつどの声。

 しかし西沙せいさも口では負けない。

「そんなのって言わないでよ。私は霊能力者です! マスコミと一緒にしないで!」

「そのマスコミと一緒に来たじゃねえか」

 そう返した松戸まつどの顔が少しゆるんだ。

 杏奈あんなは誰から見ても典型的てんけいてきなマスコミの人間。Tシャツにジーンズ、アウトドア用のハイカットブーツに大きなカメラバッグ。確認するまでもない。

 松戸まつどの雰囲気の変化か、途端とたんに空気の威圧感いあつかんやわらぐ。僅かな目元の表情だけで人間の印象は大きく変化する。特に目元は顕著けんちょだ。感情に左右されやすい。

「それはそれでしょ」

 西沙せいさがそう返すと、松戸まつどの口元までがゆるみ始めた。見た目の割に印象は悪くない。ついさっきとはまるで違う。

 その松戸まつどは口調までが変化していた。嘘の付けないタイプだろう。少なくとも西沙せいさ杏奈あんなはそう感じた。

「にしたってその格好かっこうで山に入ると足手纏あしでまといにしかならねえ。担架たんかがもう一つ必要になるしな」

 そう言いながら松戸まつどが車まで戻るが、次に振り返った時には満面の笑みを浮かべていた。両手で、全身が隠れそうな、いわゆる〝ゴム長〟を持ち上げ、楽しそうに西沙せいさに近付く。

 その松戸まつどが口を開くよりも早く西沙せいさが声を張り上げていた。

「ちょっと! ウソでしょ⁉︎」

 松戸まつどの笑顔は収まりそうにない。

「足を傷だらけにしたくなかったらあきらめな。俺のお古だけどよ」

くさいでしょ⁉︎ 絶対(くさ)いからダメ!」


 数分後、杏奈あんなに説得されて着替えた西沙せいさに、その杏奈あんなは背中を向け続けていた。

 絶望感にも似た西沙せいさの声が低く響く。

「……にしたってこれはないでしょ⁉︎ 大き過ぎてブカブカだし!」

「そのフリフリの服の上にかぶせるには上等じゃねえか。ここには更衣室なんかねえしな。丁度いいのがあって良かったぜ」

 すでに西沙せいさ松戸まつどに言い返す気にもなれないまま、杏奈あんなの背中に声を投げた。

「ちょっと杏奈あんな。背中向けて笑いこらえるのやめてくれる?」


      ☆


 森に入ってすでに一時間も経っただろうか。

 気温も時間経過に合わせて上がってはいたが、唯一の救いは森の木々に囲まれていたことだろう。木々の作り出す影と水分の染み込んだ土のお陰か、体感温度は間違いなく街中よりも低い。そうは言っても快適とは言いがたかった。整備もされず、ほとんど人が歩くことのなくなった遊歩道は歩きにくく、全員の疲労を蓄積ちくせきさせていく。

 しかも湿度は高いまま。

 その遊歩道を起点としてさらに森の深い所へと入っていくが、もちろん足元は草木くさきで見えないほどに深い。左右に広がるようにして隊員が歩き続け、捜索が続いていく。誰かが足を進めるたびに広がる土の匂い。空気と共に前日までの雨が地面から押し出され、その匂いが草木くさきの香りを広めていった。

 広がり続ける太い木々の羅列られつ。規則性の無いその自然の作り出す光景からは、とても開けた場所があるようには思えなかった。視界の先には遥か先まで様々な太さの木々が立ち並ぶだけ。

 遊歩道を外れるとどこにも道と言える所はない。

 一人一本ずつペットボトルの水が渡されてはいたが、初めて参加する西沙せいさ杏奈あんなにとって難しいのはその配分だ。どのくらいの時間が掛かるのかも分からない。ハイカットブーツにジーンズの杏奈あんなならいざ知らず、ゴスロリ衣装の上に胸までゴムでおおわれた西沙せいさにとって暑さと動きにくさは不快ふかいそのもの。


 ──……ゴムくさいし…………


 中に汗が溜まっていくのが分かる。


 ──……絶対にゴム以外の匂いもするし…………


 汗の量に比例するように、飲み水の消費量は人一倍だった。

 しかし疲労が解消されるわけではない。そんな西沙せいさが足を止め掛けた時だった。


 小さく。

 何かが西沙せいさの耳をかすめる。


 空気を震わせる、音。


 小さく。

 まるで波のようにその音は繰り返し西沙せいさの耳をくすぐる。


 次いで耳に届いたのは、西沙せいさの前を歩いていた松戸まつどの声。

「出てきたぜ」

 疲れよりも、西沙せいさはその言葉の真意に気持ちが揺らいだ。

 松戸まつどの声が続く。

「アンタらのお目当てはあの廃墟はいきょなんだろ? 行方不明者がそこにいる保証はないがな」

 顔を上げると同時に西沙せいさは駆け出していた。草に足を取られながらも、目の前の木々の先が開けているのが見え始めると、もはや気持ちだけがはやる。

 草の匂いが広がる。

 そうしている間も小さな音は響き続けた。

 西沙せいさの横を歩いていた杏奈あんなも同じ気持ち。

 うわさだけだった〝風鈴ふうりんやかた〟がもう少し。オカルトライターとしてこれほどうれしいことはない。しかもオカルト関係者では初めてだろう。撮影が出来ればスクープであることは間違いない。

 やがてそんな杏奈あんなの目の前には、仁王立におうだちするかのような西沙せいさの背中。その肩が大きく上下に動いていた。

 鼻をくすぐる匂いが僅かに変わる。

 森の匂いに混じる、小さな、人のいとなみの香り。

 確かに、そこはひらけていた。

 誰かが管理しているとしか思えない、短くられた草が広く続き、そして、その〝屋敷〟があった。

 平家ひらやのように見えるが、何より大きい。

 立派な日本家屋(かおく)

 想像していた物よりも明らかに大きなその御屋敷に、しばらく杏奈あんなも口を開けたまま言葉が出ない。

 その横で、西沙せいさが乱暴にゴム長を脱ぎ始めていた。

 その音にわれに返った杏奈あんながやっと口を開く。

西沙せいささん! それは帰りも使うんですから────」

 その言葉を遮るように西沙せいさが一歩地面をろうとした時、その肩を押さえたのは松戸まつどだった。

「待ちな姉ちゃん。こういう廃墟はいきょってのは野生動物が入り込むってこともある。俺たちが調べるまでは待ってろ」

 ここ一年ほど、必ずこの屋敷で遺体が見付かっている現実。誰もが遺体を見付けたいわけではない。しかし確かにここで見付かる。

 またここだろう、というあきらめにも近い感情。

 その感情が、周囲をくす〝風鈴ふうりんの音〟にき消されていく。

 何人もが屋敷に上がっていく。屋敷の板戸いたどはあちこちが開け放たれたままだった。雨風あめかぜさらされているにも関わらず、崩壊ほうかいしている様子ようすもない。


 ──……やっぱり……誰か管理してる?


 そう感じるためか、誰もが靴を脱いで屋敷に上がっていた。

「いました!」

 屋敷の奥からの声。

「いいぜ。やっぱり見付かったようだ…………」

 横からの松戸まつどの言葉に、西沙せいさは反射的に返していた。

 明らかに西沙せいさの態度────口調が変わる。

「……探してたのに……見付かれば嫌なものね…………」

「きっといつもの部屋だ……」

 松戸まつどはそう言って一歩だけ進むが、足を前に進めない西沙せいさに顔を振る。

 少し考えるように間を空け、続けた。

「……俺は霊能力者の知り合いなんていたことがねえが、みんなアンタみたいに派手はで好きなのか?」

 すると、西沙せいさ途端とたんに口元に笑みを浮かべて応える。

「まさか……目立ってていいでしょ」

 西沙せいさがゆっくりと歩き始めると、少し強めに風が舞った。

 それに呼応こおうするかのように大きくなる風鈴ふうりんの音。

 辺りを包むその音に、その光景を見ていた杏奈あんなは不思議な感覚を感じずにはいられなかった。


 松戸まつどに続いて西沙せいさ杏奈あんなは真っ直ぐ大広間へ。

 板戸いたどふすまも開けはなたれているためか、ほこりの匂いは僅かしか感じない。

 古い日本家屋(かおく)は風の通りがいい。とは言え想像以上に綺麗きれいだった。

 捜索隊にとってはいつもの同じ部屋。

 話には聞いていたが、それは確かに不思議な事実。

 廊下の天井てんじょうにもおびただしい風鈴ふうりんが下がる。

 そして当然のように、その音も無数。

 しかし西沙せいさは、なぜかうるさくは感じなかった。

 心地良ここちいいというのとも違う。

 建物中をくす風鈴ふうりんなど見たこともないし、そんな環境での無数の風鈴ふうりんの音など聞いたことがない。しかし、なぜか受け入れている自分がいる。不思議と嫌ではない。

 やがて辿り着いた大広間。

 広く開けられた板戸いたどのせいか、陽が差し込み、風が渡り、さらに広く見えるほど。

 たたみで言うと何畳なんじょう分の広さになるのだろう。かなり広いことだけは間違いない。そんな大広間の一角に石塚いしづかを中心に数名の警察官。その内の一人の警官はカメラを手にしていた。

 松戸まつどが廊下で足を止め、西沙せいさ杏奈あんなが中へ。

 それに気が付いた石塚いしづかの声が届く。

「霊能力者の姉ちゃん、死体を見たことは? まあ、こいつは綺麗きれいなもんだがな。しかもいつもだ……」

 西沙せいさめられまいとするかのようにすぐに返していた。

「これでも神社の娘ですので色々と見てきましたけど……」

「霊能力者が死人を怖がってるんじゃ仕事にならんか」

 神社の産まれだからといって遺体にれているわけではない。現代の日本で神式しんしきの葬儀をする人はほとんどいないだろう。まして西沙せいさの産まれ育った御陵院ごりょういん神社は〝きもの〟や〝はらごと〟専門。神事しんじの最中に気がれたようになった人は何度も見てきたが、死人とれる機会はない。

 まして自殺者の遺体となれば、普通に生活する中で目にする機会はほとんどの人がないだろう。それは西沙せいさも同じ。

 しかし、西沙せいさは別の形で幼い頃から〝見えない人々〟と関わってきた。

 恐れる理由はない。

 むしろこういった光景にれているのは杏奈あんなのほうかもしれない。最近でこそなくなったが、会社勤めの頃は様々な事故現場に行かされた。

 それでも、不思議と杏奈あんなの気持ちはしずみ始める。やっと見付けられた〝風鈴ふうりんやかた〟。しかも総てが話に聞いていた通り。天井てんじょうには大きなはり。しだいに近付く遺体は、確かに綺麗きれいに横たわっている。

 それでも〝事故〟と〝自殺〟は違う────それを杏奈あんなはまざまざと感じていた。


 ──……こっちの気持ちまでしずむ…………


 杏奈あんなはカメラバッグからカメラを取り出すことすら出来ずにいた。それが自分の〝弱さ〟であることは杏奈あんな自身も自覚するところ。

 そんな中で、二人の背後から聞こえるのは松戸まつどの声。

「死人でも遺体でもねえよ。見付かったら〝ほとけさん〟さ……最近は多い時で月に二人から三人……れないようにしてるつもりだが、つい気持ちがゆるんじまう……姉ちゃん、もしも何かが分かるなら、俺たちも知りたいのは事実だ。確かにここには不思議なことが多過ぎる」

 その言葉に、西沙せいさ天井てんじょうを見上げた。

 確かに風鈴ふうりんが下がっていないのは二本の太いはりだけ。

杏奈あんな

 西沙せいさはそう言うと、天井てんじょうを見上げたまま続けた。

「この屋敷の写真を資料として記録してくれる? 〝仏様ほとけさま〟以外ね」

「そうですね。分かりました」

 杏奈あんなはやっとカメラを取り出す。

 西沙せいさ松戸まつどに振り返った。

廃墟はいきょっていうわりには綺麗きれいね……何度も来てる内に皆さんで?」

「何度もほとけ搬送はんそうをしてる内に自然とな。元々家具らしい物もなかったが……大き目の神棚かみだなみたいなのはあったか…………」

神棚かみだな?」

「最初は仏壇ぶつだんかと思ったよ。普通は神棚かみだなって上の方にたな作って置いてあるだろ? 違うんだ。板間いたまの部屋に〝祭壇〟みたいに置いてあってよ」


 ──…………祭壇?


「どこ? 案内して」

 松戸まつどの案内で辿り着いた部屋は、決して大きな部屋ではなかった。それでもそこに鎮座ちんざする物を見た西沙せいさはすぐに結論付ける。

 すすみ付いた匂い。

 左右の小さな燭台しょくだいと、中央にある大きな燭台しょくだい

 その燭台しょくだいの向こうにある大きなほこら

 その中にある丸いかがみは、今はくすんだまま、何も映し出してはいない。


 ──……小さいけど間違いない……祭壇だ…………


 神社で産まれ育った西沙せいさに分からないはずがなかった。


 ──…………ここって………………


西沙せいささん」

 背後からの杏奈あんなの声に、西沙せいさは不意を突かれたように現実に戻される。

「そろそろ御遺体の搬送はんそうだそうですよ」

 杏奈あんなはそれだけ言うと廊下に足音を響かせた。

 軽く溜息をいた西沙せいさは無言で松戸まつどに続いて部屋を出るが、やはり祭壇のことが気に掛かる。


 ──……どういうこと…………?


 前を歩く松戸まつどに、西沙せいさは言葉を掛けていた。

「最初にここが見付かってから一年でしょ? どうしてそれまで誰も存在を知らなかったの?」

「さあな、元々が深い森だ。遊歩道って言ったって満足に整備もされちゃいない。山登りのためにここに来る人なんか何十年もいないってのに、それでも入って行くのは帰るつもりのない連中ばかりだったってことなんじゃないのか」

 元の部屋に入りつつ、松戸まつどの声が続く。

「地元の年寄り連中も誰もここを知らなかったしな」

 どこから聞こえていたのか、そこに挟まったのは先に戻っていた杏奈あんなだった。

「でも衛星写真でもこの屋敷は見付からないんですよ。こんなに周りが開けてるのに」

 それを松戸まつどが拾う。

「ってことはやっぱり……霊能力者の出番ってことなのかもな」

 すると、担架たんかに乗せられる遺体を見下ろしながらの石塚いしづかの声が届いた。

「……何かは……あるんだろうな……意味なのか理由なのか…………」

 なかば呆然とした石塚いしづかのその声に、西沙せいさ担架たんかに近付く。驚く石塚いしづかをよそに、担架たんかの横でひざを落とした。

「ごめんなさい。仏様ほとけさまのお顔を見せてもらってもいいですか?」

 遺体はすでに担架たんかの上で白い布をかぶせられていた。消防隊員の一人が石塚いしづかに視線を送ると、石塚いしづかは小さくうなずく。

 そして白い布がまくられた。

 首筋くびすじひもの跡はある。

 しかしその表情はおだやかだった。

 目元、口元、決してそういった知識に詳しくない西沙せいさからしても、とても苦しんで死んだ遺体には見えない。


 ──……よかった…………


 西沙せいさはそう思いながら手を合わせていた。

 すぐその横にひざを下ろした杏奈あんなも同様に手を合わせる。西沙せいさ杏奈あんなのそんなところが好きだった。ジャーナリストでありながら完全に一歩引くことが出来ない。ジャーナリストとしては失格なのだと、杏奈あんな自身が言っていたのを西沙せいさは忘れていない。だからこそ杏奈あんなを見放せずにいた。本来ならジャーナリストに向いている性格ではないのかもしれない。

 それでも、遺体を見て手を合わせるよりもシャッターを切るようなジャーナリストだったら、きっと西沙せいさ杏奈あんなと付き合ってはいなかっただろう。

 西沙せいさは再び白い布をかけた。

 そして立ち上がる。

 誰も何も言わないまま、担架たんかが運ばれていく。

「霊能力者の姉ちゃん……」

 それは背後からの石塚いしづかの声。

 なんとなくそれまでとは声色こわいろの変化した石塚いしづかが続けていた。

「……さっき松戸まつどさんも言ってたが、何か感じたりするのか? 俺は幽霊なんか真剣に信じたことはねえしそんな経験もねえ。でも……明らかにこれはおかしいだろ…………誰もこんな屋敷なんか知らなかったしな…………遊歩道の入り口からだって大した距離じゃねえ…………どうして突然現れた…………」

 すると、杏奈あんな西沙せいさの顔に視線を振る。

 西沙せいさは再び天井てんじょうあおいだ。

 呼応こおうするかのように風鈴ふうりんの音が風に大きく響く。

 西沙せいさの小さな口が開いた。

「……この風鈴ふうりん…………魔除まよけ……?」

 その単語に杏奈あんなが目を見開いた。そして反射的に言葉を返す。

魔除まよけ⁉︎ 風鈴ふうりんがですか⁉︎」

「うん……昔はそういう意味もあったみたい。風習みたいなものだから、みんながみんなじゃないとは思うけど…………って言っても、こんな風鈴ふうりんだらけにするかな…………」

「何か……感じるんですか?」

 そう聞いた杏奈あんなの声は、不安もありつつ、やはり興味からの期待のほうが大きい。

 しかし西沙せいさ淡々(たんたん)と応えるだけ。

「……不安…………恐怖…………なんだろう……意味も理由も分からないけど…………誰か、いるね」

「誰か…………?」

「……うん…………」


     〝 ようこそ 〟


 ──…………?


         〝 風鈴ふうりんやかたへ 〟


 ──………………あなた……は…………?


「────西沙せいささん?」

 杏奈あんなの声が、西沙せいさを現実に繋ぎ止める。


 ──…………誰の声?


 次の刹那せつな

 いつの間にか途切れていた周囲の音が再び耳に届いた。

 西沙せいさの意識を波のような風鈴ふうりんの音がくす。


 ──……誰の声なの…………?


 外からは松戸まつどの声。

いしさん、早目に降りよう。雲が広がってきたから一雨来るぜ。周辺じゃ今回も何も見付からんさ」

 人が動く。

 ざわつきが広がる。

 それにかぶさるのは杏奈あんなの声。

西沙せいささん? どうします? みんなもう────」

「いいよ」

 遮った西沙せいさが、天井てんじょう風鈴ふうりんを見上げて続ける。

「────……また来る」

 杏奈あんなは、その言葉が誰に向けられているのか分からなかった。なぜか自分ではないような、そんな気がする。


 ──……誰と話してるの?


「…………必ず…………」

 その西沙せいさの声は、小さかった。





     〜 あずさみこの慟哭(どうこく) 第一章「聖者の漆黒しっこく

                第一部「回起かいき」終 

                第二部「回顧かいこ」第1話へつづく 〜


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