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08. 助っ人の到着


 ――その瞬間、聖女ビアンカは弾かれたように顔を上げた。

 全身を駆け巡る凄まじい聖力。その気配に圧倒されて、危うく窒息しそうになる。



「聖女様? いかがなさいましたか?」



 異変に気づいたキースが声をかけてくれたが、ビアンカはすぐには動けなかった。まるで全身を押さえつけられているかのような圧倒的な聖力に、体が順応するまでやや時間がかかってしまう。

 そういえば前にも同じことがあった。あれは、そう、聖女ルクレーシャが就任した時と、先日彼女が帰還した時のことだ。彼女が発する殺人的なまでの聖力に当てられて、しばらく体が動かなかった記憶がある。


 それまでは国で一番の聖女であったビアンカ。だが、ルクレーシャが現れた時にその座を彼女に明け渡すことには、なんの異論もなかった。あるはずもなかった。そのくらいルクレーシャの力は強大すぎたから。



「聖女様。聖女様? 大丈夫ですか、顔色が真っ青ですぞ」


「……大丈夫です、キース殿。ありがとうございます」



 ああ、とビアンカは目を閉じる。そうか。……そうか。



「キース殿、思っていたよりも危険は少ないかもしれません」


「は? どうしたんですか急に」


「たった今、ルクレーシャ様の聖力が増大したのを確認しました。恐らく国内だけではなく、もっと先まで安全に行けるはずです」



 思わぬ報告にキースは大きく目を見開いた。聖力持ちにしか分からない感覚であるが、ビアンカが言うのであればまず間違いない。

 しかし同時にキースは察した。ルクレーシャが聖力を増大させているのは、恐らくほんの一時だけだ。



「それはありがたいことです。しかしそれは一時的な守りに過ぎないと思われます。これは余計に道中を急がねばならなくなりましたな」



 安心するどころかむしろ気を引き締めるキースにビアンカは意外そうな顔をした。どうして一時的なものだと断言できるのだろう。ビアンカがその理由を問おうとした、その時。



「お、お、お前、俺はこれでも王族でぶふっ!」


「身分にこだわるなら今すぐ城に帰れ。言っておくけど、金も身分も名誉もお前の命を守ってはくれないぞ」



 カイに食ってかかっていたライアンが情けない悲鳴を上げて吹っ飛ばされていくのが見えた。ビアンカは額を押さえる。この旅が始まってから、もう何度も見た光景だ。



「またあの二人は……キース殿、もう置いて行ったほうが良くないですか?」


「あー……、確かにそのほうが平和ではあるんですがね」



 気まずそうに笑いながらキースがぽりぽりと頬を掻く。どうやら彼も一瞬は思い浮かんだ選択肢らしい。



「しかしライアン殿下を連れて行くことは陛下直々のご命令ですし……なにより我々の生存率を一人で底上げしてくれている総帥殿を失うわけにもいかんのですよ」



 それもそうだ。ビアンカは天を仰いでなんとか気持ちを落ち着けた。キースの言う通り、せっかく得たカイという戦力をこんな馬鹿げたことで手放すなんてあまりに惜しい。


 それに国王陛下の意図はビアンカも理解している。大変なことをやらかしたアホ息子に、名誉挽回の機会と、受けるべき罰の両方を差し出しているのだ。

 もしもこの任務を無事に達成して生き残れば、その功績に免じていくらかの減刑が叶うことだろう。しかし、そうでなければ魔物の生息地域で無様に死ぬことになるはずだ。

 減刑か、死か、究極の二択。だがそれほどの愚行を犯したのだ。挽回の機会が与えられているだけまだマシであろう。まあ、付き合わされるこちらとしては堪ったものではないのだが。



「それに荒ぶる総帥殿を鎮めてくれる助っ人はもう呼びましたから。心配はいらないかと」


「……助っ人?」


「はい。テオドール殿下には手紙を送りましたし、ルクレーシャ様の聖力も増大した。となると、そろそろ……」



 キースが最後まで言い終わらぬうちに、視界の片隅でなにかが光った。ビアンカは咄嗟に身を固くする。

 忽然と、その場に光る紋様が出現した。見たことのないそれに敵襲かと身構えるビアンカだったが、そんな彼女を宥めるようにキースが「大丈夫ですよ」と声をかける。



「どうやら助っ人が到着したようです」



 どこかホッとしたようなキースの言葉と共に、光る紋様の中心から一人の女性が姿を現した。

 作業着姿で、首元にはヘンテコな造りのゴーグルをぶら下げている女性。年齢はビアンカと同じくらいか年下に見える。

 彼女が歩く歩調に合わせて、高い位置で括られた長い黒髪が左右に揺れた。この国で黒髪は別に珍しくないが、ここまで深い(いろ)はそうそう見ない。



「アランデル様」



 キースが深く頭を下げて黒髪の彼女を出迎える。アランデル。その名前にビアンカはハッとした。総帥殿の義眼を造ったという天才錬金術師と同じ名前。

 ビアンカはまじまじと女性を見つめた。そうか、この人が噂のエステラ・アランデルか。

 興味津々なビアンカの隣ではキースがすまなそうに眉を寄せている。



「急にお呼び立てして本当に申し訳ありません」


「まったくです……と言いたいところですが、カイ関係なら仕方ないです。で、死人は出ていませんよね?」



 到着した途端に物騒な確認をしてきたエステラに、キースは引きつった顔で「出ていません」と否定した。それを聞いたエステラはどこかホッとしたような顔で頷く。良かった。もしもうっかり誰かを殺していたら事後処理が大変になるところであった。

 しかし安堵したエステラとは対照的にキースの顔色は悪かった。まさかとは思うが、キースは一応訊いてみる。



「あ、あの……総帥殿関係で過去に死人が出たことなどは……」


「私が知る限りではありませんよ。せいぜい半殺しです」



 まったく安心できない言葉であったが、あまりにもエステラが平然としているのでなんとなく安心してしまうキースである。

 それはともかく、エステラはぐるりと周囲を見回した。総帥殿を鎮めてくれと言われたからには、荒ぶっているカイがどこかにいるはずなのだが。



「それでカイはどこに?」


「あ、ええと、あちらです。ほら、あそこでライアン殿下を吹き飛ばしている……」



 どこぞの誰かが宙を飛んでいく光景を見てエステラは半眼になった。王族の顔など知らないとはいえ、ライアンという名前には聞き覚えがあった。確かルクレーシャを追放したアホ王子の名前である。


 それはともかく、エステラは元気そうなカイを見てわずかに瞳を和ませた。怪我をしている様子もなし。なんだかんだ心配していたので、こうして無事を確認できたのは素直に嬉しい。

 しかしカイ関連で呼び出しを食らうなんて、それこそ錬金術協会時代以来だ。あの頃も事あるごとにエステラに泣きが入ったが、今になってまたぞろこういう事態に巻き込まれるとは。できれば自分ではなくクレヴィオ伯爵家の誰かを呼び出して欲しいものである。


 なお、そのクレヴィオ伯爵家はカイ関係の面倒事を出来うる限りエステラに押し付ける気満々なのだが、そんな思惑など今はまだ知る由もない。

 そうこうしているうちに、ついにカイがエステラの存在に気がついた。



「……エステラッ!?」



 驚きに大きく目を見開いて、しかしすぐに喜色を浮かべたカイがものすごい勢いでこちらへと駆け寄ってくる。エステラは手を振ってそれに応えたが、走ってくるカイの速度が一向に落ちないのを見てさすがに危機感を覚えた。焦ったように後ずさる。



「カイ、待った。そこで止ま」



 しかし最後まで言い終わらぬうちに、勢いを殺さないまま突進してきたカイと真正面から激突するエステラ。そのままカイもろとも後方へと吹っ飛んでいく。見ていたビアンカは呆気に取られた。……ちょっと、どこから突っ込めばいいのか分からない。

 少し離れたところにいたライアンは絶句し、キースも完全に凍りついている。誰も何も言えないなか、もんどり打って倒れたエステラはカイの下敷きになりながらプルプルと震えた。



「カイ……あんた私になにか恨みでもあるの?」


「ごめんごめん。ちょっと嬉しすぎて」



 嬉しいからって相手に激突して吹き飛ばすなんてどうかしている。カイの下から這い出したエステラは、こちらを遠巻きに見つめてくる一行に胡乱げな目を向けた。傍観していないで少しは助けてくれてもいいのではないか。

 とはいえ、関わりたくないという彼らの気持ちも分からなくはない。行き場のない気持ちを持て余しながら、改めてエステラはここへ呼び出された詳しい理由を聞くことにした。ちなみにのしりと背中にかかる重みのことは完全に無視する。



「……はあ、なるほど。つまり第一王子とカイの相性がドン底すぎて旅を続けるのが困難だと」


「そ。おかげで目的地に着く前に早くも挫折しそうなのよ。あ、自己紹介が遅れたけど私はビアンカ。よろしくね」



 適当に挨拶を交わしながらもエステラは拍子抜けする。どうやら手紙に書かれていた以上の補足情報はないらしい。



「それで私はなにをすれば? 喧嘩両成敗なんで二人ともボコボコにすればいいんですか?」


「過激ね……。ただ総帥殿を諭して欲しいだけよ。ライアン殿下と仲良くしろとまでは言わないから、せめて旅の間だけでも見逃してあげてって」



 そのくらいなら簡単だ。エステラはほぼ背後霊と化しているカイに言った。



「カイ、ライアン殿下と仲良くしろとまでは言わないから、せめて旅の間だけでも見逃してあげて」



 完全にオウム返しのエステラにビアンカはがっくりした。できればもっとこう、総帥殿の琴線に触れるようないい感じで言って欲しかったのだが。

 しかし、あろうことかカイはすぐさま「わかった」と即答したのだった。あまりの素直っぷりにビアンカはぎょっとする。なんだこれ。誰だこいつ。本当にあの総帥殿なのか。



「エステラの頼みなら仕方ないね。業腹だし鬱陶しいし視界にも入れたくないけど、旅の間だけは我慢するよ。それでいい?」



 エステラがちらりと視線をよこしてきたので、ビアンカは仕方なく頷いてみせた。……希望通りの展開になったはずなのに、なぜこんなにも釈然としないのだろうか。

 ちなみにじりじりと近づいてきたライアンは、カイのあまりの豹変ぶりを見てこの世の終わりみたいな顔をしていた。今までずっと『感情のない欠落の錬金術師』としての彼しか見ていないため、ここまで笑み崩れている姿は不気味でしかないようだ。



「お、おい……お前本当にカイ・クレヴィオか……?」



 恐る恐るライアンがそう尋ねれば、カイの顔から瞬時に表情がかき消える。



「そうだけど。それ以外の何に見えるんだ」


「あ、いや、いつも通りのお前に戻ったな。……こっちの態度のほうが安心するって我ながらどうなんだ」



 なにやら遠い目をしてぼやいているライアンだが、もはやカイがタメ口なのはどうでも良くなっているようだ。いや本当はダメなのだが、この旅では貴賎は関係ないというのが国王陛下からのお達しである。当初のライアンはそれでもブツブツ言っていたのだが、それがなくなったというのは彼なりの進歩とみて間違いない。



「じゃ、私はこれでお役御免ですね。帰ります」


「あっ、お待ちくださいアランデル様!」



 さっさと踵を返そうとしたエステラだったが、予想外にもキースに呼び止められた。



「申し訳ありませんが、もう少しだけ我々にお付き合い願えないでしょうか」


「もう少し?」


「はい。……もし可能であれば、我々の一行に加わっていただけないかと。あなた様が行くところにはルクレーシャ様の加護があるはずですから」



 エステラは眉を上げた。出がけにルクレーシャが言っていたことを思い出す。



『あんたが戻ってくるまでの間、聖力の効果範囲を一時的に広げておく。もしもカイのお()りで魔物の生息地域まで行くことになっても、あたしの聖力の範囲内にいれば安全だから』



 まさか本当に同行を頼まれることになるとは。なんともいえない顔をしているエステラにキースが説明を続ける。



「あなた様の到着とほぼ同時にルクレーシャ様の加護が増大しました。これはあなた様を案じたルクレーシャ様が力を強めたためですね?」


「……よく気づきましたね。その通りです。聖力の無駄遣いでしかないと思うんですけどね」


「いや、無駄なんかじゃないよ。今回ばかりは不良聖女に感謝してもいいかな。今回はだけど」



 意外にも思えるカイの言葉に、エステラだけではなく皆が呆気に取られた顔をした。しかし当のカイは周囲の困惑など気にも留めない。


 普段は最高に仲が悪く、特にエステラに絡んだ場合は絶対に譲らないし、一生かけても相容れないはずのカイとルクレーシャ。

 だけど、だけど、だからこそ。

 わかってしまう。理解できてしまう。エステラに関してだけは、お互いを天よりも高く、谷よりも深く理解できてしまうから。



「ムカつくけど、あの不良聖女のエステラ愛は相当なものだからね。結果的に大嫌いなこの国を守ることになったとしても、それでエステラを守れるなら安いものって考えるはずだよ」



 カイは思う。自分とルクレーシャが馴れ合う日など、百年経っても来やしない。考えただけで反吐が出る。きっとそれはルクレーシャのほうも同じで。

 それでも、カイが認めていることもある。たった一つだけ。譲れなくても認めていること。



「たとえ自分自身を犠牲にすることになったとしても、あいつはエステラを守るよ。そのくらいあいつはエステラを大事に思ってる。……まあ僕には及ばないけど」



 最後の余計な一言を聞いて全員の目が死んだ。いろいろと台無しなうえ、あまりにも愛が重すぎる。周囲からの同情の眼差しを一身に受けつつ、エステラは溜め息をついた。



「……ま、ルーちゃんの厚意はありがたく受け取るとして。そういうことならしばらくは付き合いますよ。お城での仕事のほうはゼノに任せてきたから当分は心配いらないだろうし」


「ありがとうございます、アランデル様。この借りは必ずやお返ししますので」



 キースはホッと胸を撫で下ろした。とりあえずはこれで一安心だ。


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