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07. 修羅場


 その日、エステラの目は血走っていた。正確には二日前から血走っていた。



「総帥代理! シードルフからの追加要請です! 長期保存の効く回復薬と、牙狼の剣と、発火玉を至急用意できないかと! それぞれの希望数量はこちらです!」


「第四騎士団からも物資提供の要請が来ております! 場所はノースライド最南端のバレンバークです!」


「第三騎士団から至急案件! 戦闘錬金術の使い手を一名お借りしたいとのこと! いかがいたしましょう!?」



 次から次へと押し寄せてくる部下たちに、エステラは頭を掻きむしって奇声をあげたい気分に駆られていた。

 なんなんだこれは。一体どうなっているんだ。カイはいつもこんなに忙しくしていたのか。いや、そのわりには結構うちに遊びにきていたが。もしかして今が特殊な状態なのだろうか? だとしたら……。



「だあああああ! 納品依頼書は期日が近いものから順にそこに貼っておいて! 薬品関係の在庫はまだある!?」


「ありますが余裕はありません! 昨今の魔物襲撃の影響で一番消費が早いです! 錬成が間に合いません!」


「薬学系錬金術師たちはすぐさま全員在庫確保に当たって! 人が足りないならベシーを引っ張り出して! ていうかあいつ今どこにいんの!?」



 仮にも副総帥の分際で行方をくらませるとはいい度胸である。エステラの怒声に、しかし辞書のような分厚さの納品依頼書を手にした宮廷錬金術師たちも「わかりませんスミマセン!」と怒鳴り返した。別に誰も怒ってはいないのだが、余裕がなさすぎてつい声が大きくなってしまうのだ。エステラがさらに叫ぶ。



「足りない素材は路地迷宮の倉庫という倉庫を爆破してでも手配するから一覧にして持ってきて! あと戦闘錬金術使える奴で手が空いているのは誰!?」



 ほとんど怒鳴るような勢いで指示を飛ばしながらも、エステラの手元では供給が追いついていないらしい回復薬の錬成が行われている。見れば解毒薬と栄養剤とネズミ駆除剤まですでに錬成済みらしく、完成したばかりの薬品はすべて箱に入れられてエステラの足元に山積みにされていた。それを見た部下たちは素早くそれらを回収して、代わりに新たな空き箱をエステラの足元に置く。



「これで明日納期の錬成品はあらかた揃いました! ありがとうございます!」


「総帥代理! 副総帥が第三騎士団に加わりたいとのことです! ご許可を!」


「副総帥の自覚がないのかあいつはー! でもいい、許可する! お願いだから早く終わらせて早く帰ってきて!」



 王宮に来て早五日。こんなことになるだなんて聞いていない。これを修羅場と呼ばずしてなんと呼ぼう。

 せっかく欠品中の素材を路地迷宮から多めに仕入れてきたというのに、入荷したそばから消えていく。いくらなんでもこれはナイ。発狂寸前なエステラのもとへ、さらに別の宮廷錬金術師が駆け込んできた。



「大変です、総帥代理!」


「今度はなに!」


「第二王子殿下と大聖女様が面会したいとのことです! なんでも折り入って相談したいことがあると……」



 最後まで聞かずにエステラは即答した。



「今すぐ追い返して!」


「無理です!」


「じゃあ通して!」


「最初からそう言ってくださいよッ!」



 もう何がなにやら。そうこうしている間に、キレ気味なエステラのもとにテオドールとルクレーシャが案内されてきた。こんな混沌のさなかにやってきた彼らをもてなす気など毛頭ないエステラは、一番近くにあった納品依頼書をむしり取りながら据わった目つきで客人どもを睨みつける。



「無礼は承知の上で挨拶は省略させていただきます。速やかに本題に入りましょう。なんの相談にいらしたのですか」


「エステラ、目がヤバくね?」


「察したのなら帰ってルーちゃん。それで殿下のご用件とは?」



 話しながらも錬成の手を止めないエステラの様子にルクレーシャは肩を竦めた。目がヤバい上に、なんか妙にやつれている気もする。宮廷錬金術師たちが修羅場っているという話は聞いていたが、まさかここまでとは思っていなかった。

 テオドールは困ったような顔で腕を組んだ。確かに相談があってここを訪れたわけだが、尋常ではないこの状況に話を切り出すのを躊躇ってしまう。



「あー……この状況ではかなり言い出しにくいんだが」


「二分以内にお願いします。納品依頼書と面倒事を抱えた連中が殺気立った状態で行列をなして待っていますので」



 どうやらみんな王子殿下に遠慮して入室してこないらしい。が、先ほどまでの多忙さが嘘のように消え去るわけもない。ただ堰き止められているだけである。

 これから言わなくてはならないことを考えてテオドールは気が重くなった。しかし言い出すのが遅くなればなるほど被害が倍増してしまう。意を決してテオドールは口を開いた。



「単刀直入に言おう。今すぐカロンの町に向かうことは可能だろうか」


「はい?」


「実はキースから手紙が届いてな。君の力を借りたいそうだ」



 エステラは怪訝な顔をした。キースという名には聞き覚えがある。確かカイと一緒に派遣された騎士団長の名前だ。しかし接点もなければ呼び出される心当たりもない。というか、あいつらまだ目的地に辿り着いていないのか。

 訝しげな様子のエステラに、テオドールが一通の手紙を差し出した。キースから送られてきたものらしい。エステラはそれに目を通し、そして沈黙した。



『ライアン殿下と総帥殿の関係が悪化の一途を辿っています。このままだと目的を果たす前に総帥殿によって魔物ではなく我々が全滅するかもしれません。誠に恐縮ですが、至急カロンまでお越しいただけるよう殿下からアランデル様にお声がけいただくことは可能でしょうか。総帥殿を鎮められるとしたら彼女以外にはおりません。アランデル様だけが唯一の希望なのです』



 一体彼らの身に何が起きているんだ……。死んだ目をしながらエステラは頬を引きつらせた。目的地に辿り着く前に討伐隊が全滅とか、あいつどれだけ荒ぶっているんだ。

 扉の向こうから、宮廷錬金術師たちの悲鳴やら悲哀やらが漏れ聞こえてくる。テオドールは苦笑した。薄々察してはいたが、この状況下で総帥代理であるエステラが抜けるのは痛いどころの話ではない。ほぼトドメを刺されているようなものだ。



「わたしからは以上だ。行くか行かないかは君が決めればいい。キースからの要請はかなり切実だが……君の現状を考えればこちらでの仕事を優先させたほうがいいのかもしれないな」


「いえ、今すぐカロンに向かいます」


「……え?」



 彼女がなにを言っているのか、テオドールは咄嗟には理解できなかった。しかしルクレーシャにとっては予想通りの展開だったのか、「そう言うと思った」と呆れた顔をしている。



「あんたマジであいつに甘すぎ。そのうち寝込みを襲われても知らないから」


「なにを危惧しているのかわかんないけど、カイに寝首をかかれるほど私は落ちぶれていないよ」



 微妙に噛み合わない応酬を繰り広げながら、エステラは引き出しの中から薄い紫色の液体が入った小瓶を取り出した。それはなんだとルクレーシャが尋ねる前に、封を切ったエステラは小瓶の中身をあっという間に飲み干してしまう。

 途端、今にも干からびそうだった彼女が一気に生気を取り戻した。やつれているのに変わりはないが、変に気力がみなぎっている気がする。



「……あー、生き返った。これでしばらくは気合いで動ける」


「エステラ……それって……」


「ん? ああ、カイ特製の超栄養剤。ここぞと言う時に飲めば、半死半生の状態でも数時間はもつ」



 それって本当に大丈夫なやつなのだろうか……。ルクレーシャは疑問に思ったが、あのカイがエステラにおかしなものを渡すはずがない。そういう意味では、カイのことをかなり信用しているルクレーシャだ。

 やつれた顔のまま、エステラは部屋の隅に置いてあった例の無限収納トランクを持ち上げる。しばし呆気に取られていたテオドールだったが、ここでようやくハッと我に返った。



「……本当に行くのか?」


「行きますよ。協会時代から、カイの尻拭いは私の仕事でしたから」



 扉の向こうから聞こえてくる阿鼻叫喚。彼らには悪いがここはなんとか耐えてもらおう。

 そもそもエステラは臨時で入っているだけの部外者だ。今日ほど忙殺されることは宮廷錬金術師たちにとっても珍しい事態なのかもしれないが、エステラよりは彼らのほうが遥かに修羅場慣れしているはずなのである。



「しかし、こちらでの仕事はいいのか?」


「良くはないですね。なので私の代理を置いていきます」


「……代理?」



 怪訝そうなテオドールを尻目に、エステラはトランクの蓋をおもむろに開けて、かなり奥のほうまで手を突っ込んだ。そして目的のものを鷲掴むと、そのままずるずると外に引っ張り出す。出てきたそれを見てルクレーシャは半眼になり、テオドールは絶句した。



「うっわ……なにそれ死体?」


「今すぐ私に謝ってルーちゃん。いくらなんでも死体をトランクに入れて持ち運ぶほど私は悪趣味じゃない」



 失礼すぎるルクレーシャを睨みながら、エステラは引っ張り出した男の死体、もとい人形の体を床の上に仰向けに寝かせた。テオドールは恐る恐る人形の顔を覗き込む。なかなか厳つい顔をしており、どう見ても裏稼業に従事していそうな雰囲気だ。とはいえ、エステラの古巣である路地迷宮に溶け込むためには恐らくこの顔立ちで正解なのだろう。そんな人形の胸の上にエステラがそっと手を置いた。


 ――錬成反応。術式発動。


 エステラの手からじわりと溢れ出した光が、やがて人形の全身へと広がっていく。まるで心臓から手足の先まで血が通っていくような光景だ。それが全身へと行き渡ったのを確認してから、エステラは短く告げた。



「『起動』」



 その瞬間、仰向けになっていた人形の目がパチリと開いた。それからむくりと起き上がり、周囲の様子を確認してから主人であるエステラへと目を向ける。



「おハはようゴザいます、主人(マスター)


「おはよう、ゼノ。少しの間留守にするから、私の代わりに宮廷錬金術師たちと協力して、納品依頼書を消化していって。足りない素材は路地迷宮に行けばまだいくらかは手に入るはず」


「承知いたシました。さすがは主人(マスター)、相変わラず鬼のような仕事ぶりデスね」



 ゼノと呼ばれた人形はすぐさま立ち上がると、先ほどまでエステラが座っていた椅子に腰掛けて納品依頼書に目を通し始めた。しかし口調こそ片言だが、見た目はどこからどう見ても壮年男性そのものだ。テオドールはゼノの姿を上から下まで矯めつ眇めつする。目の前で起動する様子を見ていたにも関わらず、彼が人形だとはにわかに信じられない。



「アランデル、彼は……」


「私の護衛人形です。普段は身の回りの世話をしてくれる執事的存在ですが、万が一の時には宮廷騎士団に匹敵するほどの戦闘能力を発揮します」


「そのわりにはトランクの中に封印されていたようだが?」


「ワタシがいつも主人(マスター)のそばにいルとカイ様が嫉妬するものデスから」



 真顔で答えたゼノにテオドールは「そうか……」としか言えなかった。つまりゼノ本人の希望でトランク行きになっていたということだ。なんとも返事に困る理由である。



「殿下、ゼノを私の代理として立てるご許可をいただけますか」


「あ、ああ。もともとはわたしが頼んだことだしな。もちろん許可する」


「感謝いたします。では、私は早速カロンへと向かいますので」



 エステラは肩に羽織っていた宮廷錬金術師のローブをゼノへと投げ、ゼノはそれを器用に受け止めた。もともとカイの予備のローブなのでエステラには大きいが、ゼノにはちょうどいいだろう。

 それから目を閉じて意識を集中させるエステラの足元に、ぼんやりとした光の輪が出現した。どうやら空間錬成で直接カロンへと飛ぶ気らしい。光を帯びた錬金文字は、緻密な紋様を描きながら瞬く間に組み上げられていく。



「エステラ」



 ルクレーシャが声を上げた。目を閉じて集中していたエステラは、フッと目を開けてルクレーシャに視線を向ける。



「あんたが戻ってくるまでの間、聖力の効果範囲を一時的に広げておく。もしもカイのお()りで魔物の生息地域まで行くことになっても、あたしの聖力の範囲内にいれば安全だから」


「ん? そんなに心配しなくても私は大丈夫だよ?」


「そりゃ、あんたとカイだけならそこまで心配しないけどさ。今回は足手纏いどもが一緒でしょ。そいつらのせいであんたが怪我でもしようものならあたしは絶対に許さない」



 テオドールは目を泳がせた。現在カイに同行しているのは全騎士団最強と謳われているキースと、強大な聖力を誇る聖女ビアンカ、そして第一王子のライアンだ。兄に関してはともかく、他の二名を足手纏い呼ばわりするのはこの国でもルクレーシャくらいであろう。

 エステラは苦笑した。いつもながら過保護で心配性なルクレーシャだが、それをエステラが嫌だとかお節介だとか感じたことはこれまでに一度もない。



「ありがと、ルーちゃん」


「うん」


「じゃ、ちょっと行ってきます」



 もはや芸術の域に達するがごとく美しく組み上げられた錬金術式。

 その中心に立っていたエステラは笑い、そうして彼女は一瞬にしてその場から姿を消したのだった。


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