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06. エステラの専門分野


 路地迷宮の『中層』には、大陸最大級の闇市場がある。たとえ国中で物資が不足するとしても、独自の流通経路を確保しているこの場所でだけはあらゆるものが手に入る。そう囁かれているほどにその規模は大きい。

 ただしその恩恵にあずかれるのは、路地迷宮で活動することが許されている『住人』や『上客』に限った話であった。なんのツテもない一般人が路地迷宮を利用しようとしたところで、かえって利用し尽くされてボロ雑巾のようになった挙句、ちょっと正気を失った状態で余生を過ごすハメになることもままあるらしい。それでも命があればまだマシなほうであった。



「……総帥代理ぃ」


「なに」



 カイたちが駆り出されざるを得なかった欠品中の素材を格安で手に入れるエステラの脇で、なんでかついてきたベシーがじろじろと視線を送ってきた。



「あんたマジで何者? なんでぼったくりと人身売買で有名な闇市場の店主たちが、あんたにだけは問答無用で割り引くの」


「人望だね。善行は積んでおくに限るよ」



 飄々と嘯くエステラに、べシーは嘘つけとばかりの目を向けてくる。しかし詳しく説明する気など初めからないエステラは適当なことを言って誤魔化した。


 いま二人がいるのは中層だが、路地迷宮はおもに『上層』『中層』『下層』という三つの区画から成っている。

 上層はいわゆる貧民街で、スリやら詐欺やら違法薬物やらが普通に横行している場所だ。路地迷宮の中では一番広く、大抵の人間はこの上層を指して『路地迷宮』という言葉を使う。


 一方、中層はその大部分が闇市場で構成されており、路地迷宮の中ではわりと繁栄していて活気もある場所だった。前述の通り、この場所で揃わないものはひとつもない。

 ただ、ここへ辿り着くためには治安の悪い上層を抜ける必要があった。一般人には辿り着くこと自体が困難であり、辿り着いたところで悪どい商人たちにぼったくられて身ぐるみ剥がされて売り飛ばされるまでが安定のオチである。


 そして下層。モーガンたちのおもな活動領域でもあるその場所は、あらゆる犯罪が黙認されているような状態だった。とはいえ下層の住人たち同士が互いを食い合うことはなく、食われるのは大抵『招かれざる侵入者』たちだけだ。

 ちなみにエステラの家があったのは、下層からさらに奥の最下層だ。そこまで行けばもはや悪人すら寄り付かない生粋の魔窟であり、なぜかご近所さんが殺し屋ばかりであることを除けば一周回ってわりと平和だったりする。なお、モーガンたちによって()()()()()()死体を放り込んでおく無名の共同墓地があるものこの場所だった。なんでもあり感がひしひしと伝わってくる有り様だ。



「なあ、エステラちゃんよ。一緒にいるそいつはエステラちゃんの連れかい?」



 たまたま素材屋に居合わせていた知り合いの闇医者が、まるで値踏みでもするかのような目つきでエステラの隣にいるべシーをぎろりと睨んだ。その嫌な視線の意味を理解せずに首を傾げるべシーは、果たして鈍感なのか大物なのか……恐らくは後者だ。



「連れっていうか、しいて言うなら部下? だからまあ、勘弁してあげて」


「そうかい。あーあ、せっかく久しぶりにイイ健康体が手に入るかと思ったのによ。エステラちゃんの部下ってんなら仕方ねえな」



 なにが仕方ないのかは知らないが、どうせロクなことではないのだろう。彼の白衣に返り血らしきものがついているのがその証拠だ。胡乱な目をするエステラに構わず闇医者がぼやく。



「しっかし、最近は健康なカラダがめっきり手に入りにくくなっててなあ。特にここ数日なんかは魔物にやられた傷もんのカラダばっかり回ってきて困ってるんだよ」


「八つ裂きにされてなければなにかしら有効活用できるんじゃないの?」



 さりげなくべシーを背後に隠しながらエステラがそう問えば、闇医者は「それができりゃな」と肩を竦めた。



「魔物によっちゃ内臓だけ持ってくのよ。八つ裂きよりもタチが悪ぃぞアレ。正直皮だけ残っててもあんま意味ねえし」


「ほーん……皮だけ残すとは器用な魔物もいたもんだねえ」



 興味がなさすぎて適当な相槌しか打たないエステラだが、この手の愚痴を聞いてくれる相手がいただけでも闇医者にとっては気晴らしになったらしい。確かに倫理観を問われそうな話題だ。

 それにしても、獲物の内臓だけを失敬していく魔物か。素材屋の店主に代金を払いながらエステラは少し考え込む。思い出すのはカイのこと。彼に限っては大丈夫だろうが、やっぱり無事でいて欲しい。



「ねーねー、おっちゃん。もしかして闇医者?」



 エステラの背後からひょっこりと顔を出し、べシーがズバリ闇医者に訊く。闇医者は眼光鋭く彼女を睨んだが、べシーはどこ吹く風だった。一般人相手ならば間違いなく効果がある威嚇が不発に終わり、闇医者は舌打ちしながら「それがどうした」と冷たい声音で答える。



「女、どうもカタギじゃねえようだが、俺たちのお仲間じゃないことくらいはニオイでわかんだよ。気安く話しかけんじゃねえ」


「ごめんごめん。でもどうしても訊きたいことがあってさー、キシシ」



 臆することなく笑うべシーにエステラは溜め息をついた。こいつが大人しくしてくれるとはハナから期待していなかったが、これではせめてと思い背後に隠していた意味が全然ない。



「あのさー、新鮮な腕とか余ってない? そろそろ交換したいんだよね」


「はあ?」



 あまりにもあっけらかんとした物言いに、闇医者だけではなくエステラまできょとんとしてしまった。新鮮な腕が……なに?

 エステラたちの困惑に構わずべシーは陽気にキシキシ笑う。どこまで本気なのか分からない彼女の様子に、闇医者が解説を求めてエステラに視線を寄越してきた。しかし解説が必要なのはエステラだって同じである。分からないものは仕方がないので直接本人に訊くことにした。



「とりあえず順を追って説明して」


「えっと〜、前に腕を移植してくれた闇医者がヤブだったみたいでさあ。いい加減ヤバい気配だから、腐る前に新しい腕が欲しいなって」


「……腕を移植? というか腐るってどういうこと?」


「あ、見せたほうが早いかも。これこれ、こんな感じなんだけど」



 袖を捲って見せつけられたそれに、エステラの顔は盛大に引きつり、闇医者は「げ」と呻き声を上げる。

 いい加減ヤバい、という表現はあながち間違ってもいなかった。ベシーの言う通り彼女の右腕はどす黒く染まり、いつ腐り落ちてもおかしくない気配である。



「なにこれ……腕が悪いってどころの話じゃなさそうだね」


「キシシ、やっぱり? 前に魔物相手にヘマやっちゃってさ、片腕ほぼ丸ごと持っていかれちゃったんだよねー。で、その時ちょうど死にたての腕が手に入ったとかで、新しい腕はすぐつけてもらえたんだけど。最近マジで動かしにくくて困ってんの」



 動かしにくいとか、そういう問題じゃない気がする。ベシーのどす黒い腕をエステラはじっと見つめた。このまま放っておいたら正常な細胞にまで悪影響を与えてしまいそうで普通に怖い。



「でもカタギの医者はアタマ固い奴ばっかでさぁ、いくら相談してもぜーんぜん取り合ってくんないの」



 それは恐らく頭が固いのではなく慎重で真面目なのだ。もしかしたらバカ真面目と言ったほうが正しいのかもしれないが、真面目は真面目だ。

 どちらにせよ、良識のある普通の医者であれば一応は止めるであろう。どこぞから拝借してきた腕を切って自分の腕に繋ぐと言うのだ。ただでさえ移植手術は高度な技術を必要とする。そう簡単にできることではない。

 ずっと話を聞いた闇医者が無言でエステラに視線を寄越してきた。その視線にエステラは渋面を浮かべる。なんだかものすごく嫌な予感がしてきた。



「……そういうことは俺じゃなくてエステラちゃんの領分じゃねえか」


「え、なになに総帥代理、もしかして闇医者の資格持ってんの?」



 闇医者の資格ってなんだ。エステラはげんなりと額を押さえる。



「んなわけないでしょ。さすがに医者の仕事は専門外だよ。私はあくまで錬金術師。だからどんな問題も錬金術で解決するしかない」



 溜め息をついたエステラに闇医者が笑った。面倒臭そうではあるが、もしかしたら久しぶりに彼女の本領発揮が見られるかもしれない。もはや芸術を通り越して神業としか表現できないその高度な技術を。



「予算は?」


「へあ?」


「こちとら慈善事業じゃなくて仕事でやってるからね。金額によって出来上がりの質も変わってくる。それに本気でやるならまとまった時間が必要だし、今すぐには無理だよ」



 修理と発明が本業のエステラ。闇医者と知り合うきっかけともなった義肢の製作は、まあ、専門の範囲内である。




✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎




 その頃、魔物の生息地域へと赴くため王都を出発した討伐隊一行は早くも白けていた。原因は急遽同行することになったとある人物のせいである。



「キース殿」


「はい?」



 聖女ビアンカは声を抑えて隣を歩いていたキースに声をかけた。強い聖力を持つ彼女は、精鋭揃いの一行の中でも守りの要を担う存在だ。



「ライアン殿下の戦力とやらはいかほどですか?」


「……正直に?」


「正直に」



 このやり取りだけで奴の戦力を概ね推し量れるというものだが、とりあえずビアンカは頷いた。キースが苦笑する。



「普通にお強いですよ。肉体労働派か頭脳労働派かで言えば前者なので」


「おや、そうですか」


「騎士団の訓練にも定期的に参加してくださっていますし。恐らく武術がお好きなんでしょうな。それ相応の実力も持っておられる」



 予想外の好評価にビアンカは気の抜けた顔をした。そうなのか。てっきり単なるアホだと思っていたのだが。

 急遽同行することになった人物。それこそがアホ王子こと第一王子のライアンであった。彼の同行を知らされた当初は己の耳を疑ったものだが、こうして現実になってみるとやはりどうにも扱いに困る。ビアンカは少し離れたところを歩いていたもう一人の同行者に目を向けた。



「……一応訊きますが、総帥殿の戦力と比べると……」


「酷なことをお訊きになる。話になりませんな。この場合は殿下がというよりも、総帥殿が化け物すぎるのでまるで比較になりません」



 それもそうだ。ビアンカは反省した。さすがに比較対象が極端すぎた。

 それにしても、とビアンカはもう一度カイを盗み見る。彼のことやその名声は人伝えで聞いて知ってはいるが、こうして直に接するのは今回が初めてだ。盗み見ているわりには視線が強すぎたのか、見られていることに気づいたカイがこちらに視線を寄越してくる。相変わらずの無表情だが、どこか不機嫌そうな雰囲気でもあった。



「なに、じろじろ見て。気持ち悪いんだけど」


「……不快にさせたことは謝りますが、いくらなんでもその言い方は失礼すぎるのでは?」



 仮にも若い女性に向かって気持ち悪いはないだろう。相手がビアンカでなければ激昂されるか、あるいは泣かれるかのどちらかであったはず。

 しかし嗜められたところでカイが心を入れ替えることなど当然なく、興味なさそうに視線を逸らされただけだった。二人の間に漂う微妙な空気を敏感に察したのか、キースが気を遣って違う話題を振ってくる。



「ところで総帥殿と聖女様は今回がほぼ初対面だそうで。意外ですな。お二人とも伯爵家の血筋ですし、どこかで顔を合わせていても良さそうなものですが」



 キースの言葉にビアンカは溜め息をついた。



「ご存知かと思いますが、総帥殿は貴族的な集まりが大の苦手ですから。参加必須の公式行事以外では死んだように音沙汰なしですよ。同じ伯爵家だろうとなんだろうと、交流など一切――急に瞬きを繰り返してどうしました、総帥殿?」


「いや別に。ちょっと『目』を馴染ませているだけだ」



 急にぱちぱちと不自然に瞬きをするカイの様子に、キースが気遣わしげな表情を浮かべた。



「装着して間もないのですから、アランデル様が言っていた通り今日は無理をなさらないでください」


「わかってる。エステラが言っていたことはちゃんと守るよ」



 一聞した限りではよく分からない会話であったが、「『目』を装着する」という表現から、ビアンカはある程度状況を察することができた。



「……もしや総帥殿は義眼なのですか?」


「ああ。両目ともな」



 別に隠しているわけではないようで、カイは淡々と頷いた。しかしそれに驚いたのはビアンカのほうだ。両目とも義眼。感情のない欠落の錬金術師と名高い彼だが、どうやら本当に欠落していたのは感情ではなく目だったようだ。


 改めてビアンカは彼の目を覗き込んだが、硝子玉のようなその瞳はとてもじゃないが作り物には到底見えない。

 義肢の性能は錬成技術の進歩により年々向上していると聞いてはいる。だが伯爵令嬢であるビアンカでさえ、ここまで高水準なものはこれまで一度も見たことがなかった。こんな代物を作り出した錬金術師がいるとしたらすでに有名になっていてもおかしくないが、彼らが言っていた『エステラ・アランデル』という名には全然聞き覚えがなくて。



「これは……非常に素晴らしいですね。これまで見たどの義肢よりもずっと本物に近いです」


「当然だ。僕のエステラは天才だからね」



 なぜか自慢げにふふんと笑うカイに、ビアンカは今度こそ本当に驚いた。()()()()()()

 無表情と無感情で有名な彼が、まさか誰かのことをここまで誇らしげな顔で語る日が来るなんて。



「おい、お前たち遅いぞ! もっと早く歩けないのか!」



 前方から聞こえた声に、ビアンカはうんざりと顔を上げた。意気揚々と前を歩いていたライアンが振り返ってこちらを急かしてくる。



「……本当にこの四人で行くんですか?」


「耐えてください、聖女様……早く終わらせれば済む話ですから」



 本当に、国王陛下の命令でなければあんな奴を連れて行ったりはしないのだが。キースに宥められたビアンカは溜め息をついて、立ち止まって待っているライアンの元へのろのろと足を進めるのだった。


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