03. 苦い過去
宿無しとなった衝撃で呆然と立ち竦むエステラの前で、正気に戻ったカイとルクレーシャは自主的に土下座をしていた。
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙が重い。額を地面に打ちつけた状態でカイとルクレーシャはダラダラと冷や汗を流した。激怒したエステラの怖さは二人ともによく知っていたし、それが原因で嫌われでもしたらもう死ぬしかない。
一方、最初の衝撃から立ち直りかけていたエステラは、目の前で自主的に土下座をしている元凶どもの姿に別の意味で衝撃を受けることになった。
「ええー……ちょっと、そんな簡単に土下座をするのはどうかと思う」
「あんたに嫌わせるくらいなら土下座でもなんでもするよ。だから許してエステラ、この通り」
「僕にできることはなんでもするから、絶交だけはやめて」
あまりにも必死に言い募る二人の様子に、さすがのエステラも彼らが何を恐れるのかを察した。どうやらエステラが怒っていると思っているようだ。
「……あー、うん。もういいよ。怒ってないから顔上げて」
愛すべきボロ家を破壊されたことは誠に遺憾であるものの、まあ、ボロ家だったし。愛着はあったので自然崩壊しないよう錬成技術で補強しながら暮らしていたのだが、ここまで木っ端微塵にされてはもはや愛着ごと吹き飛ぶというものだ。
仕方がない。エステラは溜め息をついた。遅かれ早かれ寿命を迎えていただろう家だ。いろいろな手間が省けたと思えばどうということはない。慰めではなく、それは本当のことだ。
カイとルクレーシャが恐る恐る顔を上げる。そんな二人の前にかがみ込んで、エステラはできるだけ穏やかな眼差しで視線を合わせた。
「エステラ……」
「はい、立って。怒ってないって言ってるでしょ」
先程までの勢いはどこへやら、打って変わって悄然とうなだれるカイとルクレーシャ。普段からこのくらい大人しければ周りも扱いやすいのだろうが、そんなしおらしい二人などエステラのほうがごめんだった。
未だに戦々恐々としている二人の手を取って一緒に立ち上がる。まったく、つくづく手のかかる連中だ。
「でもさすがに今この場で家を再建するほどの気力はないし、とりあえず私は適当な宿に移動するよ。ルーちゃんはどうする? 一緒に来る?」
あまりにも自然に言うものだから、「気力があればこの場で再建できるのか」という疑問は誰の脳裏にも浮かばず消える。
「えっと……行きたいけど、あたし金ないんだよね」
珍しく躊躇うルクレーシャに、エステラが変な顔をした。
「なに言ってんの、聖女としてのお給料もらってるでしょ。あ、もしかして全部使い込んでスッカラカンとか? 同情の余地なしだね」
「違うっつーの! そもそも聖女に給料なんてないんだよ。最低最悪の完全なる奉仕職。あー、思い出すだけで腹立ってきた」
え、とエステラの目が丸くなる。……そうか。聖女って正当な職業じゃなくて、無報酬の奉仕職なのか。
確認のためカイに視線を送ると、彼は小さく頷いてみせた。やはり本当だったらしい。前言撤回。あまりの仕打ちにルクレーシャへの同情は禁じ得ない。
「そっか、それは大変だったねルーちゃん」
「うん。だからエステラ、あたしの分の宿代を立て替えといてくんない?」
なにやら調子を取り戻したらしいルクレーシャにエステラは内心安堵した。やっぱり彼女はこのくらい図々しいほうがイキイキしていていいと思う。
「ねえ、カイ。王宮から聖女の生活費をふんだくれない?」
仮にも大聖女を無一文で放り出したのだ。そのくらいの慰謝料を請求してなにが悪い。
「うーん、できなくもないけど。あんまり王宮に借りを作っておかないほうがいいと思うよ。連れ戻しに来ておいてこう言うのもなんだけど、どうも不良聖女は王宮に戻る気なさそうだし」
カイの正確な分析に、ルクレーシャは「当然じゃん」と吐き捨てるように頷いた。
「聖力がすごいからって無理やり王宮に連れて来られて、この国を守れって一方的に言い渡されて、アホ王子と婚約までさせられて。かと思えば偽聖女とか言われて無一文で放り出されて――むしろ、今の今まであたしが大人しくしていたことに感謝して欲しいくらいだよ」
明らかに苛立った口調の彼女に、エステラもカイも「いや、結構脱走してて全然大人しくしてなかったじゃん」などと余計な茶々は入れなかった。二人ともこんな場面でふざけるほど無神経ではなかった。
また少し濃くなった灰色の空をなんとなく見上げる。青い空も太陽も、もうずっと見ていない。その代わりと言わんばかりに、すっかり見慣れてしまった飛行型の魔物が視界の先を横切っていく。
でも、そんなことはどうでもいい。エステラは魔物から目を逸らした。
事情を知らない多くの人は、ルクレーシャのことを選ばれし人間なのだと口を揃えて言うのだろう。史上初の孤児院出身の大聖女。確かに聞こえはいいかもしれない。
けれどそれだけだった。地位も名誉も名声も、ルクレーシャにとっては不愉快なほどに無意味であったことを、エステラは誰よりもよく知っていたから。
「この国は子供の頃のあたしらを一度も助けてくれなかった。なら、この国がどうなろうとあたしが助けてやる義理はない」
――あの日、ルクレーシャがどれだけ泣いたかをエステラは知っている。どこかの泥酔貴族のせいで孤児院が全焼したあの夜。生き残ったのは自分たち二人だけだったのだから。
だからこそ、王侯貴族の都合など知ったことではないと言い切るルクレーシャを誰が断罪できようか。たとえこの国が滅びようと、どれだけの犠牲が出ようとも、その程度で溜飲が下がるようなルクレーシャではない。
何も知らない人間は、そんな彼女のことを一方的に糾弾するかもしれなかった。冷血だとか人でなしだとか言って、自分たちの正義を振り翳して、押し付けて。
しかし、その程度の罵倒で動揺するような神経など、エステラもルクレーシャも持ち合わせてなどいないのだった。他人にどう思われるのだろうかと気にするような繊細さも。
「……んじゃ、今日の分の宿代はルーちゃんの出世払いに期待するとして、とりあえず知り合いんとこの宿屋にでも移動しますかね」
これ以上暗い雰囲気のなるのはよろしくないし、らしくもない。エステラは意識的に明るい声を出して、自作のトランクの中に生き残っていた荷物を次々と放り込んでいった。ここらで一旦空気を変えなければ。
一方、そんなエステラの様子を見ていたカイがぎょっと目を剥いた。適当に放り込まれていく荷物と、それをどんどん飲み込んでいく異様なトランク。同じ錬金術師として、さすがにこれは見過ごせない。
「待ってエステラ、なにそのトランク。……え、嘘でしょ、世紀の大発明じゃないそれ?」
「んー、我ながらそうだとは思うんだけど」
錬成技術の粋を集めて実験的に作ったこのトランクは、物理的な収納の限界を反則技で打ち破った禁断の代物だ。そして今のところ許容量の上限は確認できていない。
しかしそんな傑作を作り出した張本人はどこか浮かない顔をしていた。
「これ四徹のテンションの時に作り上げたものでね。錬成方法を書いたメモは一応残っているんだけど、未だに私も同じものは作れないでいるんだよねえ」
おかげで意図せず伝説の逸品となってしまった次第である。そんなことをボヤきながら、エステラは荷物をすべてトランクの中へとしまいこんだ。家だったものの残骸は適当に壁のほうに寄せて、あとは放置。そのうち片付けに来ようとは思うが、今日はもうやる気が出なかった。
よっこらしょと立ち上がったエステラの脇で、ルクレーシャが「でもさー」と呟いた。
「宿に移動って言っても、路地迷宮の宿なんてどこもヤバくね? ぼったくり宿で身ぐるみ剥がされて売り飛ばされたりしたらどうすんの?」
「大丈夫だよ。この界隈で私から金品をむしり取ろうとする奴なんてモグリしかいないからね」
ぼったくり宿が多いのは事実だが、彼らが狙うのはあくまで格下。エステラが狙われるわけもないのである。
そんなわけで、一行はエステラの知り合いが経営しているという胡散臭い宿屋の前までやって来た。初見のカイとルクレーシャはその建物を見上げて沈黙する。どこが胡散臭いかって、明らかにカタギの店ではない雰囲気なのだ。
なんというか、ド派手すぎて周囲から完全に浮いている。門から宿屋までの距離もやけに遠いし、敷地だって異様に広いし、そもそも宿屋であることを示す看板がないし。怪しいところは山ほどあるのだが、一番怪しいのは扉の前に厳つい顔をした男どもが番人のように立っているところであった。
「あ、どもっす、エステラさん」
「エステラさんじゃないっすか。アレ? なんか仕事の依頼してましたっけ」
しかしエステラが近づいた途端に気のいい兄ちゃんたちに早変わりする番人たち。エステラは首を横に振った。
「仕事じゃなくて、今日は客として来たの。連れもいるんだけど何部屋か空いてる?」
「もちろんです。どうぞ。エステラさんならウチの旦那も大歓迎っすよ」
別に歓迎まではされなくてもいいんだけど……というエステラの言葉には耳も貸さず、男たちは両開きの扉を開けて中へと招き入れてくれた。途端、「エステラちゃん!」と野太い声で呼ばれてエステラは思わず半眼になる。
「やっだー! 超ひさしぶりじゃなーい!」
ものすごい勢いで走り寄ってきた男性のとんでもない口調に、カイとルクレーシャは珍しく度肝を抜かれて固まった。どう表現すべきか言葉に困るが、ともかく今まで出会ったことがない種類の人間だ。
しかしエステラは彼に慣れているので、特に動揺することもなく面倒臭そうに肩を竦めただけだった。
「そうでもないでしょ。先月タイプライターの修理しに来たときに会ってるし」
「そうじゃなくって、お客として来てくれるのがよ! もう、いっつも特別価格にしてあげるって言ってるのにつれないんだから……って、あら?」
男性の視線がエステラの両脇にいるカイとルクレーシャへと移動した。彼はしばし二人を凝視し、かと思えば急に「ちょっとやだ!」と素っ頓狂な声を上げる。
「すんごい美形じゃないの! あっ、もしかしてエステラちゃんのカレシとカノジョ!?」
「いいから早く宿泊手続きして。こっちは疲れてるから早く休みたいの」
鬱陶しい宿屋に主人にげんなりしながら、エステラはカウンターで勝手に名前と日付と宿泊日数を記帳していく。名前は適当に『アンナ』にした。知り合いの店とはいえ、こんな場所で馬鹿正直に本名を書いて記録に残す奴などまずいない。いたらそれこそモグリであろう。
ちなみにこの宿屋の主人の名はモーガンといい、路地迷宮を取り仕切る頭領たちの一人でもあった。そのため彼の『上客』になっておけばこの宿屋では守ってもらえるし、路地迷宮内も比較的安全に歩くことができるようになる。
なお、普段はモーガンの威を借りなくとも路地迷宮を自由に動けるエステラだったが、今回はカイとルクレーシャをモーガンの『上客』にするためにあえて自分の友人として紹介した。これで今後はエステラが付き添わなくても二人の身の安全は保証されることになる。
エステラの記帳内容を確認していたモーガンがどこか不満そうに眉を上げた。
「あら、せっかく来てくれたのに一泊でいいの? エステラちゃんならこの料金であと数泊はしてくれてもいいのよ?」
「なら、今回は連れも込みでこの料金にしてくれない?」
支払いを済ませながら、エステラは背後にいるルクレーシャを指で示した。なおカイはモーガンに記帳を勧められたものの拒否している。微妙に顔が引きつっているので、どうやらモーガンに対して多少の苦手意識があるらしい。あるいはある種の危険意識なのかもしれないが、そこらへんはエステラにはどうでもいいことだ。
「いいわよ〜。カワイイ子は大歓迎だもの。ところでエステラちゃん、お城の噂は聞いてる?」
モーガンの何気ない問いかけに、エステラは怪訝な顔をした。
「どの噂? 最近は醜聞だらけで聞き飽きてるんだけど。大聖女追放のやつ? それとも新聖女が無能ってやつ? それとも……」
「ううん、ついさっき仕入れた新情報。なんかね、王様が方針転換したんですって。今までは特殊部隊を組織して増えまくる魔物を叩くって方向で話が進んでたらしいんだけど、それじゃ埒が開かないからって、今度は聖女を本格的に育成する方向に舵を切ったらしいわ。で、二番目の王子様がその責任者に任命されたとかなんとか」
予想外の情報にエステラは目を丸くした。……聖女の育成だと?
ちらりとカイに視線を送れば、彼はエステラと似たような表情を浮かべてカウンターに寄りかかっていた。どうやらさすがのカイもこの話は寝耳に水だったようだ。