27. 騒動の終わりに
帰国したエステラがルクレーシャと面会できたのは、それから二ヶ月ほど経ってからのことであった。
魔王国へ行くために中断していた義眼調整の仕事。それをきちんと終わらせてからでなくばテオドールに報告できない。そんなわけで、王宮へと戻るカイとは途中で別れ、ゼノと一緒に各地を転々としていたエステラである。
そんなわけで、ようやく面会が叶った日。
今や王太子殿下の婚約者であるルクレーシャとはそう簡単に面会などできないはずだが、テオドールの配慮のおかげで、エステラは人払いされたルクレーシャの部屋に直接通されることになった。
「おかえり、エステラ。魔王国で酷い目に遭わされなかった? 大丈夫?」
「…………」
「ん? あれ、エステラ? どした?」
戸惑うルクレーシャの目の前で、エステラは持参してきた無限収納トランクをばくんと開き、その中から山のような量のお土産をぽいぽいと無言で取り出し始めた。漂う異様な雰囲気に、それでもルクレーシャは恐る恐る会話を試みる。
「えーっと……なんか異様な気迫だけどあたし何かしたっけ?」
「私の中の善の部分がルーちゃんを許さない」
「お、おん。それ結構前に聞いた気がすんね……」
据わった目で凄まれて、ルクレーシャは柄にもなく縮み上がった。何か怒らせることでもしただろうかと必死に記憶を探ったものの、ここ最近はそもそもエステラと会ってすらいないのだ。そのため心当たりなど皆無なわけだが、そうしている間にもエステラが取り出し続ける荷物のせいで部屋がそろそろ埋め尽くされそうだった。
「ルーちゃん」
「はい」
「テオドール殿下と婚約したんだって?」
「えっ、あ、はい。そ、そういうことになりまして……」
エステラの異様な雰囲気に呑まれ、ルクレーシャは完全なる低姿勢で正直に頷くしかなかった。どうも怒っている訳ではなさそうだが、理由がわからない以上は下手につついて蛇が出てはたまらない。
「――とう」
「え?」
「だからおめでとうって言ってるの! もう! もう! なんなの急に婚約って! 私だけ情報が遅くて祝い損ねてるんだけど! こういうのって普通は親友たる私が真っ先に知るものなんじゃないの!?」
謎に吠えるエステラにルクレーシャは一瞬唖然とした。しかし次第にエステラが不貞腐れているだけだとわかって思わず破顔する。どうしよう、これはニヤける。
そういえば部屋を圧迫し始めている荷物をよくよく見れば、どれもこれもルクレーシャが好きなお菓子だとか服だとか日用品だとかばかりであった。つまり全部プレゼントということだ。ルクレーシャはますますニヤけた。今この瞬間だけはカイに勝った。その事実だけでもあと三日は浮かれていられる。
「祝ってくれんの? ありがと、エステラ」
「祝わないわけないでしょ。出遅れて悔しいだけ。それで正式な結婚はいつ?」
「テオ殿下が成人したらすぐだってさ。だからあと四年。もしかしたらエステラたちのが早いかもね」
まさか自分とカイに言及されるとは思わず、エステラはつい「ふーん」という微妙な相槌を打ってしまった。
普段は忘れがちだが、ああ見えてカイは伯爵家の次男坊だ。つまりれっきとした貴族なのである。そんな彼が出自の胡乱なエステラと結婚なんてしたら、しばらくの間は社交界でも語り継がれる貴賤婚になるのではなかろうか。
しかしまあ、その手の問題はカイと付き合い始めた当初から分かっていたので今更な話でもあった。なにせ「夫婦になること前提で結婚してください」とかいう意味不明な告白が発端で二人の交際が始まったのだから。
夫婦前提ではない結婚なんてあるのかという突っ込みも忘れて、当時のエステラは「最終的には結婚まで行くのか……」とぼんやり思ったりしたものだった。だが恋人ですらなかったのにいきなり結婚云々と言ってくるカイの意味不明さに絆されたのは確かだ。
そういえば、今回初めて会ったカイの兄からは、カイとの関係について特に何も言われなかった。言われなかっただけで実際はどう思われているのかなんて知る由もないが、釘の一つも刺されなかったので、少なくとも今すぐ答えを出さねばらならないということもないであろう。
「あ、駆け落ちすんなら事前にあたしに相談してよね。テオ殿下にも協力してもらって、国外に逃亡するなり、事故死に見せかけるなり、伯爵家を抹殺するなり、なんでもしてあげるからさ」
「さすがは未来の王太子妃、心強すぎて逆に不穏」
仮に駆け落ちすることになっても絶対にルクレーシャには言わないでおこうとエステラは心に決めた。言ったら最後、翌日には伯爵家が全員謎の不審死を遂げてもおかしくない。さすがにそんな不吉な事態は避けたいところだ。
それにしても、あの不良聖女が未来の王太子妃。自分で言っておきながらエステラはつい半眼になった。ルクレーシャが大聖女である以上いつかはこうなると分かっていたはずだが、いざ言葉にしてみると尋常じゃない違和感を覚える。というか、本当にこいつが王太子妃でこの国は大丈夫なのだろうか。
そこまで考えて、いや、とエステラは考え直した。
改めてルクレーシャの姿を見つめる。この部屋にやってきた時からずっと、椅子に座ってエステラと向き合っている彼女の姿を。
「――――」
以前とは違って、寝転がっての歓迎ではなかった。いつだってどこか気怠い雰囲気だったのに、そんな空気も今は綺麗さっぱり拭い去られている。着ているものこそ彼女好みの楽ちんな服装だったが、それでもきちんと『ドレス』に分類されるものを身につけていて。
「……ルーちゃん、変わったよね」
「あー、まあね。そのへんの自覚はあるよ」
もっとも、大聖女としてとか王太子妃としての自覚ではなく、テオドールに恥をかかせるようなことはしないという意味での自覚だとルクレーシャは笑う。それがどこか照れ臭そうで、でもなぜか誇らしげにも見える親友の表情に、エステラは感慨深いなにかを感じた。本当に、人間変わるものである。
そんな風にしみじみと感じ入っていたエステラだったが、急にルクレーシャが「ところで」と話題を変えたことでその場の空気も急に変わった。
「なんか今うやむやになりかけたけど、結局あんたの身になにが起きたの。魔族と接触して魔王国に連れて行かれたってのはサティから聞いてるけど、その後どうなったわけ」
「え? ああ、まあ。ちょっといろいろと……」
エステラは目を泳がせた。どうやらテオドールからは何も聞いていないらしい。
どこまで言っていいものかとエステラは頭を悩ませた。魔王国絡みの件に関しては、テオドールからの密命に近い形で動いていた途中で発生したことだ。テオドールにはルクレーシャに会うよりも先に面会して報告済みだが、彼から聞かされていないということは、エステラもあまり口外すべきではないのかもしれない。
しかし言い淀むエステラの反応を見て何を思ったのか、ルクレーシャの目がますます不穏になった。
「まさか何か言えないようなことでもされた? 魔王国に戦争仕掛けとく?」
「やめてやめてやめて。別になにもされてないから。ていうか仮にもこれから王太子妃になるような人間が、そんな物騒なこと思っても口に出しちゃダメでしょ、うん」
「でもなんか大変なことに巻き込まれかけたんでしょ。カイがあんだけ怒り狂って乗り込んでいったんだからバレバレだっての。ほら吐きな」
「いや、大変なことなんて別に……」
先ほどとは形勢が逆転し、壁際に追い詰められていくエステラと、追い詰めていくルクレーシャ。エステラは逃げ道を探して部屋の中に視線を走らせる。な、なぜ急にこんなことに。迫るルクレーシャに身の危険を感じたエステラは反射的に助けを求めて叫んでいた。
「助けてカイ! ルーちゃんに襲われる!」
その瞬間、階下から凄まじい破壊音が聞こえてきた。そして数秒もしないうちに凄まじい形相のカイが空間錬成で出現する。
「エステラ!? なにがあったの大丈夫!?」
かつてボロ家を一瞬にして木っ端微塵にした二人が出揃い、その場はさらに紛糾した。エステラは青くなる。いくら反射的だったとはいえ、ここはゼノを呼ぶべきだった。召喚する相手を間違えたと後悔してももう遅い。
後悔虚しく、あわや王宮が半壊するかと思われた、その時。
「……クレヴィオ。つい先ほど壁が五枚ほどぶち抜かれたという報告が上がってきたんだが、これは君の仕業か?」
テオドールが登場したことにより、その場の空気は一瞬にして大人しくなったのであった。エステラは安堵すると同時に納得もする。さすがはテオドール殿下。やはりこういう人間が王太子にもなるし、あのルクレーシャを嫁にもとれるわけだ。
「あ、そういえばテオドール殿下。先日はありがとうございました。おかげでライアン殿下もなんとか落ち着いたみたいです」
「ん? ああ、大したことじゃない。兄上の力になれたのなら何よりだ」
笑顔のテオドールを見て、本当に兄のことが好きなのだなとエステラはしみじみ思った。ここまで能力に差があっても兄弟が仲良しでいられるのはかなり希少な例ではないだろうか。
「え、何の話?」
「あ、カイとルーちゃんにはまだ話してなかったっけ」
実は先日、帰還したルカ経由でエステラの元にライアンからの手紙が届いたのだ。
『塩漬けにされた例の花束が知らないうちに俺の部屋に飾られている。しかも枯れない。助けてくれ』
塩漬けにされているのだから枯れないだろうとエステラは思ったのだが、完全なる曰く付きだと思っているライアンの目にはすべての現象が不気味に写っているらしい。文字が微妙に震えていることからも彼の恐怖が如実に伝わってくる。
とりあえず返事を書こうとエステラはペンを執った。が、今のライアンにはなにを言っても無駄な気がして一文字も書かない段階で行き詰まってしまう。はて、どう書けば彼を宥めることができるのだろうか。
悩んだ結果、エステラは自力で解決することを諦めた。そして一番の適任者にすべてを丸投げすることにしたのだ。
「そんなわけで、テオドール殿下にお願いしてライアン殿下を説得してもらうことにしたの」
「あー、例のギャレット花束事件か。あれ? でもあの花束は兄さんが処分しに行ったはずなのに、なんでライアン殿下の部屋に飾られてたんだろう」
「え、そうなの?」
首を傾げるカイの言葉にエステラも目を丸くした。……どうしよう、気になるけどあまり深く追求すべきではないような気がする。
なお余談だが、未だ枯れぬ塩漬けの花束を無意味に祀ってギャレットの面影を鎮めようとしていたライアンは、十日ほど経ってようやくテオドールからの返信を受け取ったらしい。
『兄上、お元気ですか。
兄上の身に起きたことはアランデルからすべて聞きました。ご無事で本当に何よりです。
ところでギャレット殿が寄越してきたという花束の件ですが、兄上が恐れているような作用はなにもありませんのでご安心ください。アランデルたちの証言をもとにその花の種類を割り出してみたところ、どうやら魔王国原産の非常に貴重な霊草の花らしいということが判明しました。
ギャレットがどこからそれを入手したのかは分かりませんが、ともかく悪いものではないので恐れる必要はありません。
ですが、どうしても割り切れないということであれば、いい感じに魔除けになりそうなものも一緒にそちらにお送りするので飾るか持ち歩くかするといいかもしれません。
それでは、魔王国での兄上のご健闘とご活躍をお祈りしております。いつかまたお会いできることを願って。 テオドール・オズバルド・ノースライド。
追伸。ルクレーシャと婚約することになりました。一応ご報告までに』
ちなみにライアンの元に一緒に送られた魔除けというのは、以前カイが魔王国へ乗り込んでくる際に持っていた例の禍々しい大剣であった。魔除けどころか完全に魔の塊っぽいそれをライアンがどうしたのかは分からないが、それ以降返信がこないので物事はうまく行っているに違いない。
「そうだ、アランデル。また君に頼みたいことがあるんだが」
「なんなりと、殿下」
なんだかんだ使われている気もするが、なんだかんだ助けられてもいるのだ。それにテオドールのような相手に信頼されているというのは素直に嬉しい。
「各地で行われている復興事業と、人の皮を被った魔物の残党退治なんだがな」
「ああ、そういえば騎士団だけじゃなくて路地迷宮の頭領たちも参加していましたね」
「そうだ。おかげで人手は確保できたんだが、別の問題が起きていてな……」
王国の正規騎士団と、路地迷宮の元王国防衛軍。どちらも精鋭揃いであるが、いかんせん確執が深すぎて空気がギスギスしていると報告が上がってきたのだ。
どうも騎士団は路地迷宮の人間を見下す傾向にあるし、一方で路地迷宮の人間は騎士団をハナから馬鹿にしているらしい。悩んだ結果、テオドールはどちらにも信用されるであろう人物を彼らの間に配置しようと思いついたのだ。
「君は一時的とはいえ王宮でクレヴィオの代理を務めていた『総帥代理』であり、かつ路地迷宮の住人として頭領たちからも一目置かれている。君以上の適任は他にいない。大変だとは思うが、彼らの間をうまく取りなしてくれないか」
「確かに厄介ですね……でもまあ、やってみますよ」
「助かる。ありがとう、アランデル」
そういえば、とエステラは思い出した。モーガンからルクレーシャにと預かっていたものがあったのだ。
「あ、ルーちゃん。そこに置いてあるワインなんだけど、モーガンからルーちゃんへの婚約祝いだってさ。良かったね」
「え? うわ、これ前に宿で飲んだやつじゃん! めっちゃ美味しかったから覚えてる。やったね。エステラ、モーガンにお礼言っといて」
喜ぶルクレーシャの様子に、カイもなにかを思い出したのか「ああ」と呟いた。
「前にお前が飲みすぎて二日酔いになってたやつか。あれってそんなに美味しいのか?」
よりにもよってテオドールの前で黒歴史を暴露され、ルクレーシャが凄まじい勢いでカイに食ってかかる。そんな彼らを眺めながら、平和になったものだとエステラはしみじみ実感するのであった。
ケ・セラ・セラ――人生は自分で切り拓く。
これにて本編完結となります。
最後まで見届けてくださった皆様、本当にありがとうございました。