22. わかりやすい二人
トゥールの町から届いた手紙を読んだルクレーシャは、すぐさまその足でテオドールのもとへと向かった。
今までならば真っ先にカイのところへ向かっていただろうに、こういう時に自分の優先順位の変化を思い知らされる。それは決して嫌な変化ではなかったが、ルクレーシャ自身を戸惑わせる要因にはなっていた。
テオドールの執務室に向かう途中、たまたま通りかかった中庭で彼の姿を発見する。仕事中毒気味な彼が執務室にいないなんて珍しい。そう思いながらルクレーシャが中庭に足を踏み入れると、テオドールが誰かと話しているらしき声が聞こえてきた。
「……本当に大丈夫なのですか、殿下」
「ああ。見苦しいところを見せたな。すまない」
「とんでもないことでございます。ですがご無理はなさいませんよう。殿下の身に何かあれば大変です」
若い女性の声。慌てて物陰に隠れたルクレーシャだったが、見えてしまった光景が信じられなくて、心臓がバクバクと早鐘を打つ。
屈んでいるテオドールと使用人の女性が、寄り添うようにして手を取り合っているのが見えたのだ。いや、女性がテオドールを支えているようにも見えたが、とにかく二人の距離が妙に近かった。
ルクレーシャは混乱する。なんだこれは。あそこで一体なにが起きているんだ。
「では私はこれで……あら? 大聖女様?」
「ルクレーシャ? そんなところで何をしている?」
咄嗟だったため頭隠して尻隠さず状態だったらしい。あっさり見つかったルクレーシャは観念して二人の前に顔を出す。
「あー……なんか邪魔してごめん」
「邪魔? なんの?」
「だってその、ちょっといい雰囲気だったんじゃないの?」
きまり悪そうなルクレーシャの言葉にテオドールと使用人の女性は揃って目を丸くして、それから二人同時に吹き出した。
「まあ、なんて可愛らしい誤解を! ご安心ください、大聖女様。わたくしと殿下は断じてそのような関係ではございませんので」
「そうだぞ、ルクレーシャ。君にどう見えていたのかは知らないが、その、ぼーっと歩いていたわたしが足を取られて無様に転んでな……ちょうど中庭の手入れをしていた彼女が助け起こしてくれたんだ」
「……へ? 転んだ?」
あっけなく明かされた事実にルクレーシャぽかんと口を開けた。……ぼーっとしていて転んだだと? あの沈着冷静なテオ殿下が?
唖然とするルクレーシャに、使用人の女性がくすくす笑う。
「ええ、わたくしも驚きましたよ。幸いお怪我はないようですが、どうも殿下はお疲れのようです。よろしければ大聖女様、少しの間だけ殿下に付き添ってはいただけませんか?」
「な、急にそんなこと……」
「あたしは別に構わないけど」
戸惑うテオドールをよそにルクレーシャはほぼ反射で即答していた。食い気味な自分にハッとしたが、それでもテオドールに用事があってここまで来たのだ。その用事のついでに付き添うくらい問題ないと、誰に言うのでもなく心の中で言い訳をする。
その後、なぜかルンルンと上機嫌に去っていく使用人の女性を見送ってから、ルクレーシャはテオドールを中庭にあるガゼボへと連行した。そしてそこで腰を下ろすなり、真剣な顔で自分の腿を叩く。
「はい、ここに頭乗せて」
「……んん?」
「早く。仰向けでも横向きでもどっちでもいから、ほら」
「ちょ……えっ?」
テオドールは動揺した。座っているルクレーシャの腿に頭を乗せるということは、すなわち膝枕をされるということだ。しかしそんなこと急に言われても心の準備というものがある。
だが、オロオロと躊躇っている間にも痺れを切らしたらしいルクレーシャが「早く」と据わった目で促してきた。テオドールはあえなく屈する。それでも周囲をくまなく観察して、誰もいないかどうかを確かめることは忘れなかった。
それから観念して彼女の隣に腰を下ろして、言われた通りに恐る恐る頭を預けてみる。そしてその思ってもみなかった柔らかさに、思わず息が止まりそうになった。
「ル、ルクレ」
「そのまま寝ていいよ。あたしの足が痺れるし、十分経ったら起こすけど」
「そ、それはありがたいが……さすがにこの体勢では眠れないぞ……っ」
眠れないが、あまりの居心地の良さに起き上がることもできなくなっているテオドールだ。完全に固まってしまっている彼を見下ろしながら、ルクレーシャは不思議そうな顔をした。
「眠れない? こうしてやるだけでエステラはすぐ爆睡するんだけど」
「……アランデルにも膝枕してやっているのか?」
「そりゃね、エステラも仕事にのめり込んだら寝食忘れて没頭することが多いからさ。だから膝枕は必殺技のつもりだったんだけど」
必殺技……。ルクレーシャの膝の上でテオドールは脱力した。別になにかを期待していたわけではないが、やはり彼女にとってはこの行為に深い意味などなかったらしい。
「そういうことなら、少しだけ仮眠を取らせてもらおうか」
「ん? さっき眠れないって言ってなかった?」
「拍子抜けしたせいで眠くなってきた。十分経ったら起こしてくれ」
ルクレーシャが頷くのを見届けてから、テオドールは大人しく目を閉じた。するとすぐに睡魔が襲ってきて、抗う間もなく意識が落ちていく。
間際、ルクレーシャの繊細な手がテオドールの髪を梳いた。普段の彼女からは想像もつかないほどの優しい手つき。その感触に頬を緩めて、テオドールは束の間の休息へと沈んでいった。
「…………」
穏やかな寝息を立て始めたテオドールの髪を梳く。その寝顔を眺めながらルクレーシャは嘆息した。……彼のためにしてあげられることがあまりに少ない。できることといえば、頼まれた仕事をきちんとこなすことと、こうして強引にでも休息を取らせることくらいだ。
ふと、サティから送られてきた手紙の内容を思い出した。エステラから伝言を頼まれたとのことだったが、その内容は実に簡潔だった。
自分はこれから魔王国に向かうので一時的に連絡が途絶えるけど、心配はしなくていいということ。そして知人の無事を確かめてくるということ。それだけだ。
唇を噛み締める。エステラが魔王国へ向かったというだけでも不安なのに、サティからの補足情報によると、どうやら魔族がエステラと接触したらしいのだ。つまりその魔族と一緒に魔王国へ向かったと見て間違いない。
ゼノがついている以上エステラは大丈夫だと分かっていても、いかんせん魔王国は未知の領域だ。心配するなというほうが無理だろう。
そして気になるのは「知人の無事を確かめてくる」という一言だった。サティの手前ぼかした表現を使ったのだろうが、十中八九その知人とはライアンのことだと思われる。ということは、もしかしなくてもライアンは魔王国にいるのだろうか。だとしたら、なぜそんなところに。
だがいくら考えても答えは出なかった。当然だ。あまりにも情報が少なすぎる。
膝の上のテオドールを見下ろした。これ以上彼に負担や心労をかけたくはないが、内容が内容なので報告しないわけにもいかない。
それでも、今だけは。
なにも考えずにもう少しだけ休んでいてもらいたかった。どうせ目が覚めたらすぐに仕事に取り掛かるのだ。ならばせめて、夢の中でくらい好きなことをしていて欲しかった。
誰もいない中庭と、二人きりのガゼボ。十分だけの静寂。
しばらくして、ぱちりとテオドールが目を覚ました。十分と言いつつ時間など測っていなかったルクレーシャだが、懐中時計を確認したテオドールが軽く頷いていたのできっかり十分経っていたらしい。彼の体内時計は一体どんな造りをしているのか気になるところだ。
「……時間だな。膝を貸してくれてありがとう、ルクレーシャ」
「うん」
「ところで君はなぜ中庭に? わたしを探していたのか?」
起きて早々これである。ルクレーシャはがっくりした。まったく仕事中毒にもほどがある。訊かれた以上は答えるけども。
「トゥールの町から連絡が来た。なんかエステラが魔族と遭遇して、魔王国に行くことになったみたい。で、ついでにあいつの手がかりも見つけたらしいよ。無事かどうか確かめてくるってさ」
予期していなかった展開に、テオドールは大きく目を見開いた。「あいつ」というのが誰を指しているのかはすぐに分かったが、まさかエステラが魔王国へ直接乗り込むとは思わなかった。そしてそれ以上に魔族まで絡んでくるとは。さらに詳しく聞こうとテオドールが口を開いた、その時。
「殿下。テオドール殿下はいらっしゃいますか」
自分を探す衛兵の声に、テオドールは開きかけていた口を一旦閉じた。それから瞑目して、意識して思考を切り替える。普段ルクレーシャに見せる姿とは少し違う、王子殿下という鎧で全身を固めた姿。
「ここだ。どうした」
「あ、そこにおられましたか。玉座の間で陛下がお待ちです。大至急お越しください」
ガゼボまでやってきた衛兵の言葉にテオドールとルクレーシャは思わず顔を見合わせた。国王からの呼び出し自体も珍しいが、それ以上に寝室ではなく玉座の間だと?
「……なにか重要な案件か?」
「そこまでは……ただ、きちんと正装をしておいででした」
「わかった。すぐに行く」
疑問は深まるばかりだが、体調が良くない父を待たせるわけにもいくまい。ここは行くしかないだろう。
立ち上がると、仮眠をとったせいか体が格段に軽くなっていた。あるいはルクレーシャが側にいることで心身ともに休息が取れたのか。どちらにせよ、これならば今しばらく動けそうだ。
「ルクレーシャ、またあとで話そう」
「ん。またあとで」
一旦ルクレーシャと別れたテオドールは衛兵と共にすぐさま玉座の間へと向かった。長らく足を踏み入れていなかった場所なので妙に緊張する。
扉の前までくると、衛兵が「自分はこれで」と足早に去っていった。どうやらテオドールしか入ることが許されていないらしい。テオドールは一度だけ深呼吸をしてから、扉を自分で押し開けた。
「父上、お呼びですか」
「おお、テオドール。急に呼び立ててすまなかったな。こちらへ来なさい」
周囲には他に誰もいない。玉座へと歩み寄りながらテオドールは訝しげな顔をした。ここまで徹底的に人払いをしてまで一体なんの用だろうか。
「単刀直入に言おう。テオドール、お前を正式に王太子として指名しようと思う。異論はないな」
父王の言葉に、テオドールは一瞬息をのんだ。しかし答えは一つしかなかったので静かに「はい」と頷いた。
「まだまだ未熟者ではありますが、国と民のためこれからも力を尽くす所存です」
「頼もしいな。では近々立太子の儀を執り行おう。それと」
ザカライアの目が真っ直ぐにテオドールを射抜いた。
「分かっているとは思うが、これからはルクレーシャがお前の婚約者になる。それも異論はないな?」
「は、――はあ!?」
先ほどとは打って変わって焦ったように反論するテオドール。
「ちょ、ちょっと待ってください! 今回の件が終わったらルクレーシャを大聖女の任から解くつもりだと、以前父上に言いましたよね!?」
「ああ、覚えているぞ。だが了承した覚えもない」
「そ、それは、そうですが……」
しどろもどろになりながら、テオドールは必死に考える。
父の言うことは正しい。確かにあの時はすぐ他の話題に移ってしまったので、父からの返答は聞かないままになっていたのだ。そのことを指摘されるまで思い出さなかった自分をテオドールは内心ボコボコにした。
いや落ち着け、考えろ、と回らない頭でなんとか打開策を見出そうとする。しかし考えがまとまらないまま話はどんどん進んでいく。
「もともとルクレーシャがライアンの婚約者だったのは、あれが第一王子だったからだ。大聖女は国王かそれに準じる者と婚姻することが定められている。そしてその取り決めに則るならば、立太子するお前こそが大聖女の婚約者としてふさわしい」
「いや、でも」
「なんだ、もしかしてルクレーシャのことが嫌いなのか?」
その瞬間、テオドールはカッと目を見開いた。
「嫌いではありません! それだけは断固否定しますっっ!」
あまりの勢いにザカライアは目を丸くし、当のテオドールもハッとして言葉に詰まる。
沈黙が落ちた。完全に人払いされた環境であることを、テオドールはこの時はじめて感謝した。
「……そうかそうか。ふーん」
「なんですかその顔。言いたいことがあるなら早く仰ってください」
「なら言うが、お前たち二人とも案外わかりやすいぞ。本当に気づいていないのか?」
なにがテオドールをここまで頑なにさせているのかは不明だが、正直見ている側としてはもどかしいことこの上ない。
「……ん? 父上、今『お前たち』って言いました?」
「自分の気持ちには疎いわりに、そういうことには気がつくのか。まあいい。出てきなさい、ルクレーシャ」
ルクレーシャ。予想だにしていなかった展開に、テオドールは今度こそ完全に硬直した。
数秒の沈黙の後、ザカライアの呼びかけに応えるように小さな靴音が響いた。テオドールはギギギとぎこちなく振り返る。
つい先ほど中庭で別れたはずのルクレーシャがそこにいた。とはいえ俯いているせいで彼女の表情はよく分からない。
「ど、どうして君がここに」
「……あんたを呼びにきたさっきの衛兵がまた来て。少しの間ここのカーテンの向こうで待機していてくれって」
気まずそうにボソボソと答えるルクレーシャに、テオドールはプルプル震えながら父王を睨んだ。はめられた――。
「父上……なんて余計なことを……」
「そう怖い顔をするな。むしろ感謝してくれてもいいのだぞ、ん?」
「ふざけないでください! わたしはともかく、ルクレーシャのことをなんだと思っているんですか!」
この期に及んで自分ではなくルクレーシャのために怒るテオドール。これでまだ十四歳だというのだから将来有望すぎて泣けてくる。
珍しく年相応にぎゃんぎゃん喚くテオドールと、どこ吹く風のザカライア。彼らの応酬がしばらく続いた頃、不意にルクレーシャが口を開いた。
「それで結局、どうすんの?」
「え?」
「婚約の話。するの? しないの? どっち?」
再びテオドールは固まった。これでもう何度目だろう。今日ほど自分のことを馬鹿だと思った日もない。
「……するわけないだろう。婚約なんてしたら、君はもう二度と以前の生活には戻れなくなる。生涯ずっとこの王宮に縛られることになるんだぞ」
その言葉を聞いて、ルクレーシャは瞑目した。そして決めた。
「そ。わかった」
「ああ。だからルクレーシャ、君は自由に」
「陛下、テオドール殿下と婚約しようと思います。お許しいただけますか」
「…………えっ??」
当事者であるテオドールを置き去りにしてそう言い放ったルクレーシャに、ザカライアは「そう言ってくれると思っていた」と嬉しげに笑ったのだった。




