20. 焦燥
その報せは、カイを通してすぐさま路地迷宮にいるエステラにも伝えられた。
「……ライアン殿下が行方不明?」
「うん」
予想していなかった展開に、さすがのエステラも作業の手を止めて険しい表情を浮かべた。
そこまで親しいわけではなかったものの、知らぬ仲というわけでもない。行方不明になったと聞けば動揺くらいする。
「殿下が乗っていた馬車が襲撃されたんだ。ほうほうの体で戻ってきた一人を除いて、随伴していた護衛たちは全員死体で見つかった」
どうやらライアンたちは流罪先である離島に辿り着く前に襲われたらしい。人気のない道中でのことで、人の皮を被った魔物の一団に襲撃されたと見られている。わんわん泣きながらテオドールのもとへ報告に戻って来た護衛に関しては、「起きたことをテオに知らせろ!」と怒鳴って血路を切り拓いてくれたライアンのおかげで生き延びることができたようだ。
エステラは顎に手を当てて考え込む。……どうも腑に落ちない。飛龍の群れに襲われたならともかく、人の皮を被った魔物の集団に襲撃されて、いくらなんでも全滅なんてするだろうか。特にライアンの戦闘力は、間近で見ていたエステラが一番よく知っていた。
だが、もしそれが事実であるのなら。襲撃してきた魔物は相当強い個体だったと考えるのが妥当か。
「ライアン殿下が生きている可能性は?」
「殿下の死体だけは見つかっていないからゼロではない。でも絶望的ではないってだけで、限りなく低いことは確かだね」
あくまで冷静なカイの言葉に、エステラは反論することもなく黙り込んだ。希望的観測を抜きにすると、カイの言うことには同意せざるを得ない。
ふとルクレーシャのことが気になった。不仲とはいえ、ライアンとは浅からぬ付き合いだったルクレーシャ。この報せを聞いて、何を思っているのだろう。そしてそれ以上に、テオドールは大丈夫なのだろうか。
そこまで考えて、らしくないなとぼんやり思う。これまでずっとカイやルクレーシャ以外がどうなろうと特に気にならなかったのに、ここにきてライアンやテオドールの安否が気にかかるとは。これを進歩と見るべきか退化と見るべきかは微妙なところであるが。
「あの殿下のことだし、死んではいない気がする」
「そうだね。無事かはともかく、生きてはいそうな気がするよ」
カイとエステラは頷き合った。なにしろライアンは魔物の生息地域から五体満足で帰還してきた男なのだ。いくらエステラの助力やルクレーシャの守りがあったとはいえ、あそこは偶然や強運で生き残れるような生易しい場所ではない。本人に実力が伴っていなければすべからく死亡する、まさに死地の一つであるのだ。それを生き残った男がこの程度のことで簡単に死ぬとは思えない。
「それで、わざわざその話を私に伝えたのはどういう理由?」
いくらライアンと多少の交流があったと言っても、所詮はそれだけの関係だ。内密であろうその話を聞かされるほど親密だった覚えはない。
カイの表情が翳った。そして不本意そうな声音で告げる。
「テオドール殿下の判断だよ。今はエステラだけが殿下の頼みの綱らしい。自由に動ける君だけがね」
含みのあるその言葉に、エステラはカイが言わんとしていることをなんとなく察した。
襲撃されたライアンはあくまで罪人だ。流罪先まで辿り着かなかったとはいえ、送り出された時点ですでに『執行済み』扱いになっている。そのあとは死のうがどうなろうが一切関知しないのが通例だ。
だからこそ、いくら心配でもテオドール自身が動くことは叶わない。王子殿下たるもの、身内が相手でも毅然とした態度を示す必要がある。
しかし誰かが勝手気ままに動いた結果、行方不明だった罪人を偶然見つける分には問題ない。曇った表情のままカイが続ける。
「というわけで、そのテオドール殿下から伝言。そろそろ義眼が当初の予定数に達するから、そこまでいったら今度は各地に散っている義眼使用者のところを回って来て欲しいんだって。……それで、そのとき偶然なにかの手がかりを見つけるようなことがあれば教えて欲しいって」
何の、あるいは誰の手がかりかは明言されていないが、する必要もないだろう。テオドールが言わんとしていることはすでに伝わっている。
溜め息をついて天を仰いだ。しばらく前の自分なら、適当な返事をして終わらせたであろう誰かの願い。でも今は、なぜだか無視する気にはなれなくて。
表立っては動けない自分の代わりに、どうか兄を。言外の切実さが伝わってくるだけに、エステラとしてもあまり無碍にすることはできなかった。
「わかった。いつでも出られるように準備しとく。で、道中たまたまなにか見つけるようなことがあれば報告するわ」
密命ですらない、単なる個人的な願い。だからこそ引き受ける気になったのかもしれない。
それに、ここ二ヶ月近く同じものを立て続けに錬成しているせいか作業は当初の予定よりもだいぶ早く進んでいるのだ。テオドールの言う通り、いま手がけている義眼が完成すればエステラの手も空く。使用者それぞれに合わせての義眼の調整は精度を保つためにも必要なことであるし、エステラとしても異論はない。
カイが複雑そうな顔をした。そしてなにを思ったのか、エステラを強く抱きしめる。
「本当に気をつけて。ライアン殿下の件でわかったけど、人の皮を被った魔物の中にもやけに強い個体がいるみたいだ。そんなのがうろついている状況下で君を送り出すなんて正直不安だよ」
決してエステラの実力を疑っているわけではない。むしろ彼女なら大丈夫だと誰よりもよく知っているのはカイだ。
それでも、あのライアンでさえ歯が立たなかったと聞いて落ち着いていられるはずもなかった。エステラが旅の途中で襲われるようなことになれば一大事だ。
「だからエステラ、絶対にゼノも一緒に連れて行って。あいつがついていれば僕も多少は安心できるから」
本心を言えば、カイ自身がついて行きたくてたまらない。それでも仕事を投げ出してまでついて行ったら、きっとエステラからは白い目で見られるだろう。意外ではあるが、仕事に関して彼女は結構真面目なのだ。
カイの腕の中でじっとしてくれているエステラの髪を撫でる。絶対に失えない彼女の護衛として、ゼノ以上の適任者など他にいなかった。もともと彼はエステラが手ずから造った護衛人形なのだ。いざという時に発揮される宮廷騎士団に匹敵するほどの戦闘能力も非常に心強い。
「でもお城での仕事はどうするの? まだゼノの力は必要なんじゃない?」
「平気だよ。やっと副総帥が戻って来たからね。早速コキ使ってる」
「あれ、でもベシーって戦闘錬金術師じゃなかった?」
戦闘錬金術の使い手たちはすべからく通常の錬成業務が不得手だった。つまりベシーが戻ってきても錬成面ではあまり戦力にはならない気がする。
「そこは心配いらないよ。あれでも副総帥だからね。いくらなんでも錬成技術が不安定な奴にそんな立場は与えない」
「……ならいいけど」
納得していなさそうな雰囲気のエステラに、カイは「言ってなかったっけ」と付け足した。
「あいつの専門分野は鍛造なんだ。特に鍛治の技術に関してはずば抜けている。一応戦闘錬金術も使えるけど、どっちかといえば自分が作った武器を使って無双する系の女だよ」
なるほど、そういうことか。エステラは納得した。スピンダルではベシーが返り血で凄惨な有様になっているのを見てドン引きしてしまったが、あれは自前の武器を手に特攻して戦っていたせいだったのか。
「でもあいつ、エステラが造ってくれた義手を二時間に一度は見せびらかしてくるから死ぬほど鬱陶しい」
「ふーん」
「だから僕もエステラが造ってくれた義眼の性能を見せつけることで応戦してる」
「いや、なんで張り合うの。無視すれば済む話でしょうが」
義手と義眼を見せびらかし合う総帥と副総帥を抱えて、宮廷錬金術師たちは何を思っているのだろうか。想像しただけで切なくなってきたので、エステラは逸れた話題を元に戻す。
「じゃあゼノは返してもらうね。回る地域はこっちで決めていいの?」
「うん。はいこれ、エステラの義眼をつけて任務に当たっている人のリスト。このリストに載ってる地域を好きな順番で回ってくれて構わないって」
ぎゅっと抱きしめられていた体が離れて、代わりに数枚のリストが手渡される。地域の名前と、そこにいる義眼使用者の名前、そしてその地に派遣されている聖女や騎士たちについての情報も簡単に載せられている。それにざっと目を通しながらエステラはさりげなく尋ねた。
「……ルーちゃんやテオドール殿下の様子は? ライアン殿下が行方不明って話はもう知ってるんでしょ?」
「うん。不良聖女のほうはあんまり変わりなし。でも今まで以上にテオドール殿下を気にかけている節がある。たぶん表向きは落ち着いて見えるテオドール殿下が、実際はかなり取り乱しているんだろうね」
ライアンとテオドールの仲の良さはエステラも知っている。その兄が魔物に襲撃されて行方不明になったのだ。テオドールの性格的に意地でも動揺は見せないだろうが、落ち着いていられるはずもないだろう。
それでも、なぜかルクレーシャの前ではテオドールの鉄壁の理性も崩れることがあるらしかった。……こんなことを言っている場合ではないが、あの二人の距離感も密かに気になっているエステラである。
それはともかく、リストに書かれている地名をそれとなく眺めて今後の計画を立てた。さて、ライアンが行方不明になった場所と一番近い町はどこだろうか。
「エステラ、余計なこと考えてない?」
「人の思考を読まないの。言っておくけど好きに回ってくれていいって言ったのはそっちだからね」
やはり明言こそ避けているものの、どうやらライアンを探す気満々らしいと察したカイは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……ねえ、エステラ。君もルクレーシャも変わったね。少し前までなら殿下たちがどうなろうと無関心だったのに」
静かなのに、どこか不満げな響きを含んだカイの声。エステラは眺めていたリストから顔を上げて彼を見た。
視線が絡む。透明で、まっすぐで、物憂げな瞳。
カイは時折こういう目をすることがあった。それは大抵エステラの関心がどこか別なところへと向けられている時で。
「そうかもね。変わった自覚はあるよ」
「…………」
「なんで不貞腐れてるの。あんたにどう見えてるのかは知らないけど、変わっていないところのほうがずっと多いよ」
今までずっと、カイとルクレーシャ、その他数名くらいしか心配するべき相手がいなかった。それがここにきて二人ほど増えた。それはエステラにとっては大きな変化だったけれど、同時にそれだけの話でもあった。
エステラの親友はルクレーシャだけで、隣に立つはカイただ一人。
今後どれだけの人と関わることになろうとも、それだけは生涯変わることなどないだろう。
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ダンッッ、と強く壁を叩くような音が扉越しに聞こえてきて、今まさにテオドールの執務室の扉を叩こうとしていたルクレーシャは寸前でその手を止めた。
そっと中の様子を窺う。ドランという名の人物についての調査があらかた終わったので報告に来たわけだが、この感じだと少し待ったほうが良さそうだ。
しかしすぐに気配を悟られたのか、室内から「誰かいるのか?」と声をかけられてしまった。気づかれた以上は黙っているわけにもいかないのでルクレーシャは大人しく返事をする。
「あたしだけど。入ってもいい?」
「ああ、大丈夫だ」
声で判別しているのか、名乗ってもいないのに許可が出た。ライアンと違って相手を確認することもしない。
ルクレーシャは顔をしかめた。いつもは慎重なテオドールらしからぬ投げやりなその反応が、なぜだか妙に気に食わなかった。
「……いや、やっぱいいわ。出直す」
「は?」
素っ気なく踵を返したルクレーシャだったが、追い縋るように開いた扉から慌てた様子のテオドールが顔を出した。
「ルクレーシャ! なにか用事があって来たんじゃないのか!?」
まったくその通りなのだが、なんとなく今のテオドールの雰囲気が嫌で、ルクレーシャは足を止めて振り返る。
「今のテオ殿下、なんかヤダ」
「……どういう意味だ?」
「そのまんまの意味。物騒というか、刺々しいというか、それでいて下手につついたら壊れそうというか」
言葉では表現しにくいのだが、とにかく近寄り難かった。不用意に近寄れば一瞬で取り込まれそうな不穏な感じがしたから。そこまで考えて、ルクレーシャは俯いた。
……本当は分かっている。確かに近寄り難いけれど、これでもテオドールはかなり自分を抑えているのだと。
「ごめん。頭を冷やすのはあたしのほうだ」
「いい。気にしていない」
コツコツと、テオドールが近づいてくる靴音がする。つい先程まで近寄りたくないと思っていた気配だが、今度ばかりはルクレーシャも逃げなかった。
もしも、とルクレーシャはぼんやり思う。もしも自分がテオドールと同じ十四歳の時に、大事なエステラが魔物に襲われて行方不明になっていたとしたら。
考えるまでもない。きっと自分は我を失って魔物よりも激しく暴れ回っていたことだろう。この世の全てを呪って、憎んで、壊して。そしてどんな手段を使ってでもエステラを取り戻そうとしたに違いない。
それを考えば、兄の安否がわからなくても暴れずにきちんと仕事をするテオドールは、ルクレーシャよりもずっと大人だった。そして同時に、今のテオドールが醸し出している異様な雰囲気も、必死に自分の感情を抑えている結果だと理解できてしまう。
「……あたしにできること、ある?」
ルクレーシャの問いかけに、テオドールは苦笑しながら「まずは部屋に戻って話そう」と彼女の手を引いたのだった。




