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02. ボロ家の末路


 突如として浮かび上がった光る紋様――もとい錬金術式は、カイの出現と共にゆっくりと消えていった。エステラは素早く目を走らせて彼が五体満足であることを確かめる。

 最高難度のひとつである空間錬成に失敗して体の一部を失う錬金術師も多いなか、目的地どころか特定の家の特定の部屋まで指定して空間移動してくる変態などそういない。カイのありえぬ所業を目の当たりにしたルクレーシャがエステラの隣で明らかに引いていた。



「うわー……問答無用で他人の家(ひとんち)に侵入してくるとかありえねー……。もしエステラが着替えてたりしたらどうすんだよ、この変態」



 珍しく真っ当な苦言を呈するルクレーシャだったが、カイの視線は彼女を素通りして、その隣にいるエステラのところでぴたりと止まった。



「急に来てごめん、エステラ。でも君のことだから、どうせ僕の手紙なんか無視して不良聖女を庇うだろうと思ってね。まったく、君が気にかけるほどの価値があいつにあるとは到底思えないんだけどな……」


「お? 目の前にいるのに見えない挙句、あたしの声は聞こえないってか?」


「…………ああ、なんだ。いたのかお前」



 あからさまに態度を変えたカイに対して、ルクレーシャも「ああん?」と遠慮なく迎撃体勢に入る。



「『いたのか』じゃねえよ。こちとら一週間前からここにいるっての」


「だろうね。おかげでここ一週間は魔物関連の余計な仕事が増えて大迷惑だ」



 両者の間でバチバチと火花が飛び散る様を眺めながらエステラは疑問に思った。王宮での彼らの様子など知る由もないが、片や儀式の多い聖女、片や実務の多い宮廷錬金術師だ。それを考えると、普段は王宮内にいても接触の機会などほとんどないと思われる。だというのに、なぜこんなにも仲が悪いのだろうか……。

 なお、この二人の唯一の接点ともいうべき存在が自分である事実にはまるで思い至らないエステラである。



「いいか、お前の都合にエステラを巻き込むな。お前が追放されようと野垂れ死のうと国が滅びようとどうでもいいけど、それに巻き込まれたエステラになにかあってみろ。殺すぞ」


「はあ? ついこの間エステラを連れて死地のバリシード峡谷に乗り込んだ奴がなに言ってんの?」



 めきり、と不穏な音がした。この家の屋根と壁がめきめきと歪んでいく音だ。

 ルクレーシャの聖力と、カイの錬金術。まったく違う二つの力が狭い家の中でぶつかり合い、膨らんでいっているのだ。このままでは家が壊れる。宿無しになるまで秒読み状態であることを悟ったエステラは慌てて二人の間に割って入った。



「ちょっと二人とも、仲良くしなさい」


「だってエステラ!」


「いい加減にしないと家が壊れる。壊れたら二人とも出禁にするよ」



 その瞬間、カイもルクレーシャも揃ってぴたりと口を閉じた。同時に、陽炎のように周囲を震撼させていた怒りのオーラがなりを潜める。よほど出禁が嫌だったらしい。

 とりあえずこれで話の続きができるようになったので、エステラは改めてカイと向き合った。



「で、ルーちゃんを連れ戻しに来たの?」


「まあね。いい加減エステラの迷惑になっていそうだし、引き取ろうかと思って。それにしても二人でバリシード峡谷に行った以来だね。元気だった?」


「元気元気。元気だからそんなに覗き込まな……近い近い近い。せっかくの男前が逆に見えない」



 もはや形式美と化しているやり取りを今日もまた繰り広げる二人。見ていたルクレーシャが凄まじい形相を浮かべた。

 断固許すまじ、カイ・クレヴィオ。エステラの顔を両手で挟んで、あまつさえ鼻がくっつきそうな距離で覗き込むとは何事か。そのお綺麗な顔にでかい傷を入れて前科持ちみたいな顔にしてやろうかと心底思うルクレーシャである。

 一方、エステラの顔色や髪の艶、及び目の下にクマがないことを確認したカイはホッとしたように表情を緩めた。そして今にも殺さんばかりの勢いで睨みつけてくる不良聖女に嫌味な目を向ける。



「ねえエステラ、不良聖女が君の邪魔とかしていない? 邪魔なら生ゴミとして回収するよ。一応聖女だし、埋めとけばなにかの肥やしになるでしょ」


「エステラ、あんたの同期殺してもいい? いいよね?」


「良くないし、埋めないで。始末するのは魔物だけにして」



 うんざりと答えたエステラだったが、その言葉を聞いたカイが何かを思い出したのか「そういえば」と独りごちる。



「もしもこのまま大聖女が見つからなかった場合に備えて、魔物討伐のための特殊部隊を組織するって陛下からお達しがあったよ。しかもその特殊部隊の候補には僕やエステラの名前も上がってる」


「げ」



 エステラが不愉快そうに顔を歪める。なんで自分たちが国の尻拭いをせねばならんのだ。というか、王宮勤めのカイはともかく、なんで王宮の連中がエステラの名前を知っているのだろう。



「あれでしょ、こいつが事あるごとにエステラの名前を出すからでしょ」


「え、なに、カイあんた王宮で私の悪口でも言ってるの?」



 ルクレーシャによるチクりを受けてエステラがカイを睨めば、彼は心外だとばかりに肩を竦めて、今度はエステラの肩に腕を回してきた。



「僕がエステラの悪口なんて言うわけないでしょ。むしろ君がどれほど素晴らしい存在なのかを王宮中で説いて回ってるだけだよ」


「うん、その話あたしのところまで筒抜けだった。聞いてよ、エステラ。こいつあんたの話をする時だけキモイぐらい饒舌になるんだよ」


「は?」



 状況が理解できず目を点にするエステラをよそに、ルクレーシャは遠い目をした。


 大聖女であるルクレーシャは、基本的に王宮の最奥、それこそ王族並みに警備が厳重な場所で生活していた。そのため入ってくる情報にはある程度の規制がかけられており、外で起きていることが把握し辛い環境でもあった。おかげでルクレーシャには脱走癖があり、逆に言えばそこまでしないと外部の情報が入ってこなかったわけだが。

 そんな場所にいながらも、カイによるエステラ語りが日々聞こえてくることに戦慄していたルクレーシャである。その内容はおもに「エステラがこの世に存在してくれているだけで自分は生まれてきた甲斐があった」とかいうわりと意味不明なものだが、とにかく全力でエステラを推していることだけは伝わってくる。


 しかし同じエステラ推しだからといって、ルクレーシャがカイと仲良くなれるわけもなかった。無二の親友であるエステラがあの欠落の錬金術師と懇意の仲。最悪にも程がある。同族嫌悪に近い感情も相まって、今や二人は犬猿の仲だ。


 それにしても、魔物討伐か。カイとルクレーシャの間に漂う一触即発な空気を無視してエステラは渋い顔で腕を組んだ。

 自分の記憶が正しければ、魔物討伐は主に第五騎士団が担当していたはずである。それなのに、それとはまた別の特殊部隊を新たに組織するということは、エステラが思っている以上に状況が緊迫しているということだろうか。



「私としては空が暗くて洗濯物が乾きにくい程度の影響しか感じないんだけど、国規模で見ればかなり被害が出ているわけ?」


「まあね。大聖女追放の件はすでに国中に知れ渡っているし、実際に魔物の襲撃を受けた地域もある。エステラだって王都上空を飛び回ってる魔物くらい見てるでしょ。異変に気づいていない人なんて誰もいないよ」



 建国以来、ただの一度も魔物の侵入を許していなかった王都。しかしルクレーシャが追放されたと同時に、魔物が易々と侵入してくる環境へと変化してしまっていた。

 国境のすぐ外側は魔物の生息地域という、危険と隣合わせのノースライド王国。聖女の加護なくしては人など住めるわけもない。

 聖女とその庇護に頼りきっていた都市の、なんと脆いことか。エステラが組んでいた腕を解いた。



「……ルーちゃんの後釜に収まった真の聖女とやらは? 聖女を騙る以上は一応聖力持ちなんでしょ?」


「うん。でもまったく使い物にならなかった。不良聖女は一人でこの国を覆うだけの力があったけど、真の聖女のほうは王都どころか王宮全体を覆うのもやっとな感じでね。はっきり言って雑魚でしかない」



 なんと、真の聖女どころか雑魚聖女であったらしい。ルクレーシャと比べること自体が酷とはいえ、まあ当然の結果である。素行が悪いルクレーシャだが、彼女が大聖女として認められてきたのにはきちんとした理由があるのだから。


 ルクレーシャが本気になれば、その類まれなる聖力でこの国全体は包み込まれるようにして守られる。彼女が現れるまでは力ある聖女たちが複数人で手分けをして国を守ってきたらしいのだが、ルクレーシャの場合は一人で十分足りていた。それは初代聖女に匹敵すると謳われるほどに強い力で。


 本当に、大袈裟でもなんでもなく、ルクレーシャの代わりなど誰もいない。誰もできない。同じ時代に生きている人間には誰も。

 だからこそ、誰がどう思おうと彼女は大聖女なのだ。紛れもなく。たとえそれが本人の意思に反していたとしても。


 だが、今やそのルクレーシャは偽聖女のレッテルを貼られて王宮から追放された。そのため彼女はもう国なんぞのために力を使う必要はなくなり、これ幸いとばかりにエステラのところに押しかけているのが現在の状況である。ルクレーシャの口元に嘲笑が滲んだ。



「どこの誰だか知らないけど、あたしの代わりに大聖女を騙ってくれたことには感謝してるよ。おかげでこうして王宮から堂々と逃げ出せたわけだし。だからって助けてやるつもりは毛頭ないけど」


「ルーちゃん……」


「そんな顔すんなって。エステラも知ってるでしょ。国のためとか人のためとか、あたしにそんな正義感は欠片もない。聖女としての力があるからとかいう最低限の義務感も、ましてや愛着なんてものは微塵もない」



 エステラは俯いた。……ルクレーシャの気持ちは痛いほどによくわかる。

 自分たちの幼少期を考えれば、この国のために働く気など到底起きるわけもない。ルクレーシャほど強い感情は抱いていないにせよ、エステラが宮廷錬金術師にならなかったのも結局は同じ理由なのだ。


 別にこの国が滅びることを熱烈に願っているわけではないが、滅んでも構わないと思う程度にはどうでも良かった。所詮はその程度の関心だった。


 ……というようなことをボヤけば、カイが労わるようにエステラの肩をぽんぽんと軽く叩いてくれる。その眼差しはエステラだけに向けられており、ルクレーシャのことは視界にも入っていないようだ。



「君はなにも心配しなくていいよ。大丈夫。面倒事は全部そこの不良聖女にやらせるし」



 にこりと微笑むカイを見て、ルクレーシャはあんぐりと口を開けた。マジで誰だよこいつ……。

 感情のない欠落の錬金術師と名高い彼が、まさかここまで柔らかい表情を浮かべるとは。王宮での彼を知っている者にとっては、笑顔のカイ・クレヴィオなど悪夢でしかない。

 その後エステラの前でだけ見せる微笑みを消したカイは、そのままくるりとルクレーシャに向き直った。



「というわけで不良聖女、今すぐ王宮に出頭して仕事に戻れ。僕の仕事をこれ以上増やすな。お前を追放したアホ共が憎ければ復讐でもなんでもすればいい。ただし自己責任でな」


「や、復讐するほど思い入れないし」


「あそ。じゃあアホ共はなんか適当な理由をつけて地下牢にでも幽閉しておく。下手に追放なんかして他国から苦情が来ても面倒だし」



 王宮でのこいつの立ち位置は一体どうなっているんだろう……。エステラは謎に思ったが、知らないほうが幸せな気がしたのでそれ以上はなにも訊かなかった。いくらなんでも彼の一存で王子殿下に処分を下せるとは思えないが、そういえば錬金術協会時代は協会長ですら彼にビビって道を開けていたのである。ならばアホ王子を幽閉することくらい、カイにとっては造作もないことかもしれなかった。


 ちなみに第一王子と雑魚聖女に関しては、現在国王の命令で謹慎処分になっているようだった。本来であれば謹慎どころでは済まない話だろうが、今は誰もが勢力拡大中の魔物の対処に追われているため、アホ共なんかのためには一秒たりとも時間を使いたくないのが現状である。



「てかなに勝手にあたしが王宮に戻ること前提で話を進めてんだコラ。そのお綺麗な顔に傷をつけられたくなかったら今すぐ消えろや二度と来んな」


「残念だったな。僕はエステラ以外の言うことは聞かないことにしているんだ。お前の都合なんて知ったことか」



 いい加減我慢の限界らしい二人が再び激しく火花を飛び散らせる。それと同時にめきめきと不穏な音を立て始める愛すべき我がボロ家。エステラは焦った。家が壊れたら出禁にすると言いはしたが、その家がなければ出禁もなにもないということに今さらながら気がついたのだ。



「ちょ、ちょっと待っ――」



 慌てて二人を止めようとしたが、遅かった。

 カイとルクレーシャの力が真正面から派手に激突する。それはあまりにも無慈悲で、そして一瞬の出来事だった。

 咄嗟に錬金文字を刻んだエステラが自分の周りに二重の防護壁を展開する。高位錬金術師である彼女だからこそ可能な離れ業であるが、同時にここまでしないと防げないというあたり非常に世知辛い。


 直後、家が吹き飛んだ。


 崩れる壁と、崩落した屋根。舞い散る砂塵と、木っ端と化した家具の数々。錬金術の道具が軒並み無事だったのは、果たして偶然なのか必然なのか。



「…………」



 エステラは沈黙した。あまりのことに声すら出なかった。

 こうしてエステラは、めでたく宿無しの身となったのであった……。


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