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19. ライアンの出立


 ノースライド王国の国王ザカライアは、珍しくベッドの上で体を起こしていた。



「父上? 起きていて大丈夫なのですか」


「ああ。今日は調子がいい」



 本当だろうかと、報告のため父のもとを訪れていたテオドールはさりげなく父の様子を確認する。

 相変わらず頬はこけているが、確かにいつもより顔色がいい。これなら少しくらい話し込んでも大丈夫かもしれない。しかしあまり長居はしないつもりで、テオドールは持参してきた資料を手早くめくった。



「ここ最近の状況に関して幾つかご報告が。まず、ルクレーシャお墨付きの高位聖女たちを各地に派遣しました。それに伴い、ランダで足止めされていた騎士団長キースと聖女ビアンカは王宮に帰還しております」


「そうか。これで少しは各地の混乱が収まれば良いのだが。ルクレーシャの様子はどうかね」


「非常に協力的で助かっています。正直彼女がいなければ行き詰まっていたでしょう」



 珍しく穏やかな顔つきで答えるテオドールに、ザカライアがわずかに目を見開いた。かの欠落の錬金術師よりマシとはいえ、テオドールも感情が表に出にくいほうだ。それなのに、ここまでわかりやすく表情を緩ませるとは。

 しかし当の本人は無自覚なようで、さらに資料をめくって報告を続ける。



「それから、錬金術師エステラ・アランデルに製作を依頼していた特殊な義眼の用意が整いました。まだ数は少ないのですが、それを使用した魔物の炙り出し作業を本日から開始しております。数が揃い次第、適用範囲を順次拡大していく予定です」



 息子の言葉に頷きながら、ザカライアはしばし考え込んだ。

 エステラ・アランデル。確かルクレーシャと同じ孤児院の出身者だと聞いているが……。



「父上?」


「いや……ルクレーシャはもちろん、アランデルもよく協力してくれる気になったと思ってな。二人ともこの国を恨んでいておかしくないのに」



 恨み。テオドールは苦く笑った。

 彼女たちが幼い頃に経験したことは、以前ルクレーシャからそれとなく聞いていた。



「……アランデル曰く、ルクレーシャが頑張っているので自分も頑張ると。あの二人の強い絆が事態を好転させていることは確かです」


「なるほど、絆か。その理屈でいくと、カイ・クレヴィオも同様か」


「はい。彼もアランデルが動くなら動くという感じですから」



 エステラとカイとルクレーシャ。それぞれが絶大な能力を誇りながら、よほどの理由がない限りは進んで動かない曲者たちだ。しかし今回は大金に釣られたルクレーシャが動き、彼女が心配なエステラも動き、そのエステラの動きを見てカイも動いたという感じである。まさに芋づる式だ。そう考えると曲者であるように見えて実はちょろい連中なのではないかと思えてくる。


 ちなみに王宮内に人の皮を被った魔物がいないかの確認にはカイも協力してくれていた。彼の『目』もエステラ製であり、例のチェス盤を応用すればゼノが一人一人を見て回るより早かったのだ。

 城内に点在していた、敵を表す黒の駒。それに該当する人物のところへゼノとルクレーシャが確認に行ったところ、実は人の皮を被った魔物だったと判明した例がすでに二件は確認されている。



「あと、ルクレーシャからマリアンナ嬢の過去についての調査資料が上がってきました。どうやら数年前に家族で国外へ旅行へ行ったようですが、その時に魔物に襲われて両親を亡くしているようです。それで叔父夫婦に引き取られて、彼らとは実の親子のように過ごしてきたようですが……」



 息子が言わんとしていることを察し、ザカライアが痛ましげな顔をした。

 きっと表向きは、魔物に襲撃されてマリアンナだけが生き残ったということになっていたのだろう。だが。



「そうか。もしかしたらその時に」


「はい。魔物がマリアンナ嬢に成り代わったとしたら、その時だと思われます。第五騎士団からの報告によると、人の皮を被った魔物は当人の記憶の大部分を引き継げるようです。親戚を欺くくらいは容易だったのでしょう」



 やりきれない思いが二人の胸の内に広がる。

 家族の中で唯一生き残っていたと思われていたマリアンナも実はとっくに亡くなっており、その亡骸はつい先日まで魔物に悪用され続けていたのだ。ルクレーシャが鉄槌を下してくれたとはいえ、マリアンナを実に娘のように育てていた叔父夫婦のことを考えるとどうしても気分が沈む。

 一瞬滲んだ苦い思いを振り切るように、テオドールは別の報告へと移った。



「ところで父上、魔王国について知っていることを教えていただきたいのですが」


「魔王国だと? お前といいルクレーシャといい、やはり今回の件には魔王国が絡んでいるのか」



 ザカライアの言葉にテオドールは目を見開いた。



「もしかしてルクレーシャも父上のところに?」


「ああ。ドランという名の魔族について知っていたら教えてくれとな。どうやら魔王家の系図を調べている途中でその名前に行き当たったらしい」



 それはテオドールがルクレーシャに頼んでいたことだった。今回の黒幕である可能性が高いドランという名の人物。人間か魔族かも判然としていなかったが、ルクレーシャの執念の調査のおかげで魔王家の者であると断定する段階まできていたようだ。



「それでドランというのは?」


「現魔王イルゼの甥に当たる人物だ。先代魔王の一人息子だったが、少し思想が過激でな。結局指名されたのは先代の妹であるイルゼだった」



 やけに詳しい父王にテオドールは首を傾げた。まるで知り合いであるかのような口ぶりだ。



「ルクレーシャはもう少し詳しく調査してからお前に報告すると言っていた。じきに詳細が知らされるだろう」


「はい」


「もし必要なら国王(わたし)が魔王国へ宛てた親書を用意することもできるからいつでも言うといい。それがあれば魔王国への正式な訪問が叶うはずだ」



 ノースライド王国と魔王国はほとんど交流がないと思っていたが、どうやらゼロというわけでもないらしい。それもそうかとテオドールは納得する。なにしろ魔物の生息地域を挟んではいるが、地理的には隣の国なのだ。そして魔王国と『隣国』である人間の国は、大陸広しといえどノースライド王国だけである。

 とはいえ、親書を書くからにはなにか適当な用件を考えねばならないだろう。ザカライアは少し考えてからテオドールにちらりと目を向ける。



「お前かライアンを婿に出すという打診はどうだ?」


「なるほど。魔王国と姻戚関係を結ぶおつもりですか」


「……そんな真面目な顔で頷かなくていい。相変わらずお前は冗談が通じないな」



 もっと抵抗していいものを、テオドールは嫌がるそぶりも見せずに首肯するのみだ。ザカライアは溜め息をついた。



「直系の王族がお前とライアンしかいない以上、安易にお前たちを他国へやるわけにはいかない。だが王族ではないにせよ、この国と切っても切れない立場の人間を嫁がせる可能性ならあるな。例えば大聖女であるルクレーシャとか――」


「そ、それはダメですっっ!」



 突然の激しい反応にザカライアは目を見開いた。しかしテオドール自身もハッと我に返ったらしく、変な咳払いをして焦った表情をなんとかごまかす。



「……ルクレーシャ、は、駄目です。彼女は十分すぎるほどこの国に貢献してくれています。それに今回の件が終わったら大聖女としての任から解くつもりですし、嫁がせでもしたら彼女は一生ノースライド王国に縛られることになってしまう。いくら父上の提案でもそれはさすがに看過できません」



 表情こそ平静を保っているが、語気が強い。いつものテオドールらしからぬ様子に、ザカライアはなんとなく息子の複雑な胸中を察した。

 王族である以上、好きでもない相手との結婚は覚悟している。が、好きな相手が自分と同じ目に遭うことは耐え難い。そんなところだろうか。どうやらルクレーシャと相性がいいのはライアンではなくテオドールのほうだったらしい。

 父親にそこまで見抜かれているなどとは露知らず、テオドールは珍しく年相応の動揺を滲ませつつも強引に話題を変えた。



「親書はいいとして、それを誰に託すかも肝心ですね。できれば少数精鋭の使節団を結成したいところですが」


「うむ。ならばとりあえずギャレットを連れて行くといい。外交経験も人生経験も豊富だから役に立つぞ」



 父の推薦にテオドールは固まった。



「……ギャレット殿、ですか」


「なんだ、不満か?」


「いえ。確かに彼がいると心強いですが……」



 能力的にはなんら不足はないし、問題もない。むしろ適任だ。実は父に言われるまでもなく、テオドールも候補として彼の名前が真っ先に思い浮かんではいた。しかし。しかしだ。



「ちなみにギャレット殿はおいくつでしたか?」


「確か八十は超えていたな。あと二、三年で九十だったと思うが」


「…………」



 テオドールは沈黙した。薄々わかってはいたことだが、やはりいろんな意味でしぶとい老人である。



「ともかく相手は魔王国だ。他の国に使節団を派遣するのとはわけが違う。あまりセオリーにこだわらず、お前の言う通り少数精鋭で構成すべきだな」


「はい」


「それと、魔王国についての情報だったな。今あの国を治めている女王は……」



 言いかけて、ザカライアが大きく咳き込んだ。テオドールはハッとする。いつもより元気だからと普通に話し込んでしまったが、父の体調を考えるとこのあたりで切り上げたほうが良さそうだ。



「父上、ご無理をなさらず。その話はまた今度聞かせてください」


「気を遣わせてすまんな。だが大した情報量でもない。話してしまおう」



 そうしてテオドールは父からいくつかの情報を仕入れた。魔王国の資料を読んではいたが、やはり最新情報という意味では現王である父から聞くのが一番である。あとで兄やルクレーシャとも情報を共有せねば。

 ちなみにそのライアンだが、王位継承権は剥奪され、かつ流罪に処されることが決まっていた。大聖女追放をやらかした上に、そのせいで国と民に甚大な被害をもたらしたのだ。処罰されないはずがない。


 しかし、王族から除名されることは免れた。減刑が叶ったからだ。


 魔物討伐を担当する第五騎士団の調査によると、どうやらライアンの意識はマリアンナの皮を被っていた魔物によって、ある程度操作されていたらしいことが判明した。

 もちろんライアンの深層意識が表面化した部分もあっただろう。だが、彼が彼のままでいられたら抑え込めていたかもしれないものだ。それを魔物が無理に顕現させたと考えると情状酌量の余地はある。


 さらに減刑の決め手となったのは、魔物の生息地域でライアンが挙げていた功績だった。エステラとたった二人で膨大な量の素材を確保し、国の復興に多大なる貢献をした事実はだれも無視できないだろう。

 そしてなにより、路地迷宮にすら年に一度流通するかどうかという希少な素材、『腐敗した目玉』まで手に入れていたのだ。これに関しては魔物を百体屠るよりもはるかに価値のある功績である。なにしろ腐敗した目玉は、万能の妙薬を調合するために欠かせない素材なのだ。それを評価しないわけにもいくまい。


 父を侍医に任せて退出したあと、テオドールはその足で兄のもとへと向かった。

 兄の流罪先はノースライド最北端の離島。出立は明朝だ。見送りにはいけない以上、ゆっくり話せるとしたら今しかない。



「兄上、準備は順調ですか?」


「おう。どうせ最低限のものしか持って行けないしな」



 やってきた弟に、ライアンはあっけらかんと笑顔を向けた。荷物もトランク一つで身軽なものだ。

 流罪といっても、今回に関してはそう厳密なものではなかった。犯した罪に対して相応の罰を受ける必要があったので、表向きこうなっただけとも言える。

 これから送られる島には小さいながらも町があった。ライアンはそこに住処を与えられ、表向きはただの一般人として生きていくことになるだろう。王族とはいえ罪人扱いであるため誰も助けてはくれない。でも、それでいいと、今のライアンは自分の境遇に納得している。



「王族の身分は剥奪されなかったから、これからも俺はお前の兄でいられる。困ったことがあればいつでも連絡してこいよ。俺にできることなら力を貸す」


「はい。でも、寂しくなります」


「そうだな」


「わたしだけではなくて、ルクレーシャも。きっと寂しがりますよ」



 それはどうだろうか、とライアンは思った。しかし考えてみれば家族以外で一番付き合いが長いのがルクレーシャなのだ。それを思うと確かに多少は感傷が生まれる。

 これから先、彼女の隣に立つことはもう二度とないのだろう。それどころか軽口を叩き合うことすら叶わなくなるかもしれない。その事実は、ライアンの心を小さくざわつかせた。それでも笑って無視したけど。



「俺もお前たちと会えなくなるのはさすがに寂しいよ」



 感傷も、思い出も、わずかな心残りも、全部この王宮に置いていくつもりだった。そして置いていく以上は、そのすべてを振り切るべきで。それこそ家族との絆以外はすべて。



「元気でな、テオ。お前はいずれ正式に王太子になる。責任は増すだろうが、無理だけは絶対にするなよ」


「……はい」


「目が泳いでるぞ。ったく、ルクレーシャもお前のことを心配しているんだ。俺が言うべき言葉じゃないが……あいつを泣かせるなよ。頼んだぞ」



 兄の言葉に、テオドールはクッと目を見開いた。――あいつを、泣かせるなよ。



「はい、兄上。それだけはお約束します」


「いや、無理すんなってほうも守ってくれ頼むから」



 ライアンにしろルクレーシャにしろ、結局はそこが一番の懸念点なのだ。

 しかしこの期に及んでテオドールが頷くことはなく、ライアンは一抹の不安を覚えながらも旅立ちの日を迎えることになってしまった。




 ――そうして、密やかに旅立っていったライアンを乗せた馬車が何者かに襲撃されたという報告がテオドールのもとに届いたのは、それから一週間後のことであった。


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