17. 帰還
魔物の生息地域へ向かった第一王子が帰還を果たした。それもかなりの成果を挙げて。
その報は瞬く間に王宮中に伝わった。そしてそれは王宮の最上階が根城であるルクレーシャのところにも届き、彼女は寝椅子からガバッと起き上がって一目散に駆けていく。目指すはもちろんライアンではなくエステラのところだ。
「エステラッ!」
「ルーちゃん……!」
走ってくるルクレーシャの姿に気づいてエステラもまた駆け出していく。互いの無事を確認した二人は手を取り合って喜んだ。
「良かったルーちゃん、いろいろ大変だったって聞いたよ。無事で本当に良かった」
「うん、あたしはこの通りピンピンしてる。あんたこそ散々魔物を屠ってきたんでしょ。お疲れ様。少し休みな」
女子二人がくっつき合っている様を、ライアンは苦笑しながら、カイは悔しげに顔を歪ませて見守っている。
「本当に仲がいいんだな、あの二人。ルクレーシャのあんな表情これまで一度も見たことないぞ」
「くっそ……許すまじ不良聖女。なんて馴れ馴れしい。適当に罪をでっち上げて有罪にして島流しにでもしてやろうかな」
「やめとけやめとけ。腹いせにしてはタチが悪すぎるし返り討ちにされるのがオチだぞ」
そうこうしているうちにテオドールもやってきた。そして兄が無事であるのを確認して顔を綻ばせる。
「おかえりなさい、兄上。ご無事でなによりです」
「おう、ただいま。……いろいろと悪かったな、テオ」
バツの悪そうな顔で謝罪してきた兄にテオドールは目を瞠った。それと同時に、兄の雰囲気が明らかに変わったことに気づいて思わずしげしげと眺めてしまう。
「……兄上、なにかありましたか?」
「なにかって、まあ、あんだけ魔物と対峙し続ければなあ……」
遠い目をしながら乾いた笑いを漏らすライアン。しかしその見慣れた立ち姿でさえ、今のテオドールにはどこか違って見えていた。
なんというか、隙がない。ただ普通に立っているだけなのに不思議と無防備には見えないのだ。
兄ほど腕は立たないにせよ、テオドールにも武術の心得はある。だからこそ、兄の雰囲気が全騎士団最強と謳われているキースと酷似していることに驚いた。
「ん? そういえば兄上、キースはどこに?」
そういえばキースだけではなく聖女ビアンカの姿もない。
「あー、そのことなんだけどさ……」
ライアンが事情を説明している脇で、憤然とした表情のカイとルクレーシャがエステラを挟んで言い争いを始めた。
「いい加減エステラを返せこの不良聖女が」
「は? あんたと違ってあたしは久しぶりにエステラに会ったんですけど? 少しは譲ってくれてもいいと思うんですけど?」
「ふざけんな、お前は知らないだろうが僕だってエステラとはしばらく会ってなかったんだよ」
殺気すら漂う不穏な空気のなか、エステラが何かを訴えるようにライアンとテオドールをガン見してくる。が、王子二人は揃って彼女から目を逸らした。関わりたくないのだ。そうこうしている間にも、エステラを巡る言い争いはおかしな方向へと加速していく。
「残念だけどあんたたちの動向はチェス盤で筒抜けだったっての。そういや気になってたんだけど、結局エステラのそばにずっといたのってアホ王子だけ?」
「そういうことになるかな。あれ、そう考えるとだんだん腹が立ってきた……」
ギラ、と不穏な二対の目を向けられてライアンは慄いた。完全にとばっちりである。
「ちょっと待て! 不可抗力だ! そもそも俺はアランデルに指名されて一緒に行っただけで」
「指名された!? あたしのエステラ直々に!? なんて羨ま……じゃなくて、成敗ッ!」
「ぎゃーーーっ!」
理不尽すぎる襲撃にライアンが悲鳴を上げる。哀れにもカイからさらなる追撃を受けているようだが、元凶であるエステラは助けることなくただ遠巻きに眺めるだけだった。巻き込まれたくない気持ちはわかるが、あんまりな状況にテオドールが咎めるような視線をエステラに向ける。
「アランデル……」
「いやです」
「即答するな。まだなにも言っていない」
「嫌な予感がするので聞きません」
キッパリと言い切るエステラだったが、テオドールは構わず続けた。
「ルクレーシャとクレヴィオを止めてくれ。あれを止められる人間はお前しかいない」
「いやです。あの二人の愛はちょっと重いんです」
「ならその愛を逆手に取るんだ。君が一言『私のために争わないで!』とか言えば一瞬で鎮まるはずだろう」
「そんな腐った台詞を言うくらいなら簀巻きにされて海に沈められたほうがまだマシです。というか殿下、疲れてるんですか?」
まさかテオドールの口から「私のために争わないで」とかいう愉快な台詞が飛び出してくるとは思わなかった。よほど疲れているのだろう。自分がなにを言っているのかも分かっていなさそうだ。
しかし当のテオドールも自分が発した頭の悪い台詞に気づいて額を押さえた。……駄目だ、やはり著しい睡眠不足のせいで脳に栄養が届いていないらしい。そういえば最後にまともな食事を摂ったのはいつだっけ。
「昨日……の、朝か……?」
「は? なにがです?」
「いや、なんでもない。ところでルクレーシャのことなんだが」
離れたところで起きている三つ巴の戦いを無視しながら二人は話を続ける。
「ルーちゃんがどうかしましたか?」
「いや、彼女が思っていた以上に協力的でな。兄上の不在を随分と補ってくれたんだ。予想外に世話焼きというか、少し驚いた」
「ああ、実はルーちゃんって気に入った相手にはとことん尽くすタイプなんですよね。協力的だということは好かれている証拠です。良かったですね」
なにげないエステラのその言葉に、テオドールは落雷に遭ったがごとき衝撃を受けた。……好かれている証拠だと?
「……わたしがルクレーシャに好かれているということか?」
「え、そんなに驚くようなことですか?」
「いや……そんなこと今まで考えたこともなかったから」
テオドールは動揺した。動揺しすぎたせいでおかしなことを口走る。
「確かにわたしは彼女に好感を抱いているが、その逆はあり得ないだろう」
「……むしろ私としては、殿下がルーちゃんに好感を抱いているという事実のほうがよっぽど衝撃的なんですけど」
一体ルクレーシャのどこがテオドールの琴線に触れたというのか。エステラは本気で自分の耳を疑った。
確かにルクレーシャは絶世の美少女だ。そこは親友の贔屓目抜きでそう思う。だが、テオドールが人を見た目で判断するとは思えない。だから外見だけに惹かれたわけでもないのだろう。
となると、中身か。ルクレーシャの中身に惹かれたとでもいうのか。そこまで考えて、エステラは思わず天を仰いだ。
「完全無欠に見える第二王子の唯一の欠点が、女性を見る目のなさとは……」
実に泣けてくる話である。
「ちょっとエステラ。あたしに対してなんかヒドイこと考えてね?」
「隠す気もないよ。本当にルーちゃんって存在そのものが詐欺だよね」
「オイ」
思った以上のひどい言い草にルクレーシャが半眼になる。しかしここで食ってかかっても口でエステラに勝てるとは思えない。釈然としないものを感じつつも、ルクレーシャはそれ以上突っ込まないことにした。
それはともかく今後のことだ。妙にズタボロな手負いの兄をできるだけ視界に入れないようにしながらテオドールは腕を組む。
エステラたちが挙げた成果により、国中で発生していた深刻な素材不足の件はほぼ解決したとみていいだろう。人手不足が心配されていた復興事業も、路地迷宮から追加の人材が派遣されることが決まったのでとりあえずは問題ない。そして聖女育成のほうも今のところは順調に進んでいる。
一方で、人の皮を被った魔物の事案が急増していた。おかげで復興のため各地に散っていた各騎士団もその場で足止めを食らっており、結果的に王都の守りは通常よりも手薄になってしまっている状況だ。これでもし路地迷宮からの応援がなければ完全に詰んでいただろう。
「……ルクレーシャ、今すぐ各地に派遣できそうな聖女はどのくらいいる?」
とりあえずキースとビアンカを一旦王都に呼び戻す必要がある。それに対魔物ならば、騎士だけではなく聖女の力が必要不可欠だ。育成期間はまだ満了していないが、ルクレーシャの尽力のおかげで実戦に投入できる人材は早くも育ってきていた。ルクレーシャが逡巡したのち答える。
「子供も含めれば五人はいける。残りは仕上がり次第って感じになるけど」
「わかった。ではその五人には出立の用意を整えておくよう通達を出しておいてくれ」
「ん、了解」
テオドールに言われてすぐさま踵を返すルクレーシャ。彼女がここまで素直に誰かに従う姿など、付き合いの長いエステラでさえほとんど見たことがなかった。あまりにも珍しいその様子に別人疑惑まで脳裏に浮かんだほどだ。
「テ、テオ。今のあれって本当にルクレーシャか? もしかしたらルクレーシャの皮を被った魔物かもしれないぞ」
エステラと同じことを考えていたらしいライアンがそんなことを言い出した。今のこの状況下では「違う」と即答できないあたり非常に世知辛い。
しかしテオドールはあくまで冷静だった。兄の懸念に「大丈夫ですよ」と苦笑する。
「心配しなくても、彼女は本物のルクレーシャです。ゼノに見てもらいましたから間違いありません」
本当に、ゼノがいたおかげで随分と助かった。テオドールはゼノの主人たるエステラに生真面目な顔を向ける。
「アランデルには感謝してもしきれないな。誰も信用できない中で、人形であるゼノだけが唯一頼れる存在だったんだ」
「完全なる偶然ですけど、お役に立ったのならなによりです」
まったく意図していない偶然の副産物であったが、確かにゼノならば魔物に取り込まれる心配はないし、人間と魔物を見分けるための『目』も持っている。この件に関してはエステラよりもよほど役に立ってくれたに違いない。
「それで、君に正式に依頼したいことがあるんだが」
「はい?」
真剣な眼差しを向けられて、エステラは思わず居住まいを正す。テオドールが続けた。
「ゼノの目と同じ機能を持つ義眼をいくつか造ってくれないか。それもできるだけ早急に」
それを聞いたエステラは難しげな顔で顎に手を当てた。突然の依頼ではあったが、驚きはしない。少なくとも今の話の流れを考えればテオドールのその打診は至極当然のものである。
現時点で、人間と人間の皮を被った魔物を区別するにはゼノの目に頼るしかないのだ。しかしゼノは一人しかいないうえ、たった一人で国中の人間を見て回るなんて不可能だ。だからこそゼノと同じ『目』を幾つも用意して、人海戦術で国中を網羅できるならそれが一番なわけだが、製作者であるエステラの眉間の皺が深くなる。
「努力はしますが……残念ながら私も一人しかいませんしね。一度に錬成できる個数にも、錬成速度にも限界があります」
「どのくらいまでなら可能だ?」
「単に義眼を造るだけではなくて、そこにいくつかの『測定』機能も追加するわけですから……それなりの精度を保ってということであれば、片目を造るのに最低でも三日。粗を見逃してもらえるのなら二日でなんとか形にしてみせます。それでも一ヶ月で十数個錬成するのが限界です」
エステラの答えに、今度はテオドールの眉が寄った。そう簡単な技術ではないだろうと思ってはいたが、やはり時間がかかるようだ。
テオドールはちらりとカイに目を向けた。エステラと同じ万能型の錬金術師で、史上最年少で宮廷錬金術師総帥にまで上り詰めた彼ならば、あるいは。
「クレヴィオ、アランデルと同じものを造ることは可能か?」
「無理ですね。近いものならなんとか造れるかもしれませんが」
エステラはカイが作る超栄養剤と同じものは作れない。そしてカイも、エステラの義肢と同じものを造ることができない。万能型錬金術師といえど、専門ではない分野の最高峰作品は格が違いすぎて模倣すらできないのだ。
「訓練を積む時間があるならともかく、今はそんな余裕なんてありませんし、なによりこれから先もっと忙しくなります。宮廷錬金術師としての仕事で手一杯です」
もともとエステラが駆り出されたのはカイが不在になるからだった。しかしこうして帰還してきた以上、カイは本来の仕事に戻る必要がある。
そうなると、やはりお役御免となったエステラが一人で頑張ることになりそうだった。そしてカイが無理だと断言した代物を他の錬金術師が作れるとも思えない。
「わかった。ならばアランデル、負担をかけてすまないが君にこの件を一任したい。いいか」
「ええ。ここまできたら最後までお付き合いしますよ。なんかルーちゃんも頑張ってるみたいですしね」
エステラ以上にこの国に悪感情を抱いていたルクレーシャ。その彼女がどういう心境の変化か進んでテオドールに協力しているのだ。ならばエステラとしても頑張らないわけにはいかない。
「では私はこれで。とりあえず路地迷宮に戻って体制を整えます」
「え? 待ってエステラ、戻ると言ってもまだ家は壊れたままじゃ……」
戸惑うカイに、エステラはニヤリと意味深に笑ってみせた。
「あらかじめモーガンに資材の手配と運搬を頼んできたから大丈夫。それにダメ押しで設計図までお膳立てしてきたからね。そろそろ完成してる頃じゃないかな」
あらゆる常識が通用しない、骨の髄までイカレている路地迷宮。
善と悪の区別すら必要なく、紛い物が本物を超えてしまう、そんなふざけた環境だ。家くらい爆速で建つし、その程度の芸当は奇跡でもなんでもないことである。
そんなわけで路地迷宮の最下層に戻ったエステラであったが、そこで信じられない光景を見てしまい凍りつくしかなかった。
「あっ、おかえりなさいエステラちゃん! 見て見て超傑作じゃない!?」
満面の笑みで出迎えてくれたモーガンの姿も、今だけはエステラの目に入らない。というか、入れたくない。
もともとボロ家が建っていた跡地へと赴いた彼女を待っていたのは、設計図をガン無視して建設されたド派手な豪邸であったのだ。黒と金を基調としたその豪邸は、ギラギラという効果音がよく似合う。エステラは死んだ目をしつつもモーガンにきっぱりと告げた。
「建て直して」




