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16. 兄でいられる権利


 ふと空き時間のできたゼノが数日ぶりにチェス盤を確認すると、白のクイーンとナイトが揃って別のマスへと移動していた。この位置は恐らくスピンダル。ゼノは首を傾げた。なぜランダではなくスピンダルに?

 この場所に何かあっただろうかと考えて、そういえば第三騎士団の派遣先がここだったと思い出した。思い出したものの、第三騎士団と主人(マスター)の関連性がいまいち見出せなかったけども。


 まあいい。今はそれより気にすべきことがある。宮廷錬金術師たちの生ける屍が転がる中、ゼノはチェス盤をじっと見つめて考え込んだ。

 数日前から急激に黒の駒があちこちで幅を利かせ始めている盤面。黒の駒は魔物を表している。聖力で守られているはずの国内で、これはさすがに異常事態だ。

 しかし、王宮のど真ん中にも人の皮を被った魔物がいたのだ。ならばどこで魔物が出現しても驚くことではないのだろう。

 とはいえ情勢が不穏であることに変わりはない。今はまだ大事になっていないだけで、そろそろテオドールが敷いた規制を掻い潜って情報がどこかへ漏れていそうだ。そうなったら国中が大混乱に陥ることは目に見えている。


 チェス盤を見下ろしながら考え込んでいたゼノの視線の先で、白のクイーンとナイトがコトンと小さな音を立てて別のマスへと移動した。今度こそカイたちがいるランダへと向かったようだ。ゼノはふむと頷いた。



「どうやら必要な素材は無事集まったようデスね」



 王命でもあった希少で高価な素材集め。主人(マスター)のことだ。きっとえげつない量を確保したに違いない。これで当分は欠品の心配をしなくていいはずだ。復興事業も一気に(はかど)ることになるだろう。今は屍になっている宮廷錬金術師たちもカイが戻ってくれば息を吹き返すだろうし。

 そうなると、残る問題はやはり人の皮を被った魔物の件だった。聖女育成に関してはゼノもあまり関知していないのでよくは知らない。が、どういう心境の変化かルクレーシャがわりと精力的に動いているようなので、問題なさそうな気配ではある。


 一方、心配なのはテオドールのことだった。なにやら一人でいろいろと背負い込みすぎているようで、いつ休んでいるのかと疑問に思うほどだ。あのルクレーシャでさえゼノと同じことが気がかりらしく、彼女が精力的に動いている主な理由はテオドールのためだと誰もが気づいていた。



主人(マスター)たちが帰って来たら少しは状況がマシになるかもしれまセンが、いかんせんランダの町も混乱が続いていルようですし、どうなるでしょうね」



 ランダの位置でじっと鎮座している白の駒たちを眺めながら、ゼノは人知れず溜め息をついたのだった。




✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎




 スピンダルにてベシーに義手を装着してやったエステラは、そこで仮眠をとったのち、ライアンと一緒に馬を飛ばしてランダまで戻ってきていた。


 数日ぶりのランダは相変わらずどこかピリピリした雰囲気だ。しかし懸念していたような暴徒による治安の悪化など、目に見える混乱はまだ見られない。どうやらキースとビアンカがうまく立ち回ってくれているようだ。しかし今の微妙な均衡を崩すわけにはいかないので、エステラとライアンは人に見つからないよう慎重に仲間たちが待っている宿屋へと侵入した。



「ただいま戻りました」



 一つの部屋に集まっていた三人は屋根伝いで窓から侵入してきたエステラとライアンに一瞬ポカンとしていたが、すぐさま喜色を浮かべて出迎えてくれた。



「おかえり、エステラ。顔見せて」


「良かった、二人とも大きな怪我はしていないみたいね」


「よくぞご無事で……!」



 いつものように鼻がくっつきそうな距離でカイに無事を確認されるエステラ。見ているこっちが赤面しそうなその光景から目を逸らして、ライアンは他の二人に視線を向けた。

 疲れているのか、どことなく憔悴している雰囲気がある。それでも聖女と騎士団長としての毅然とした光が、彼らの瞳の奥で熾火のように揺れていた。それを見てとったライアンは、ああ、と嘆息する。


 自分の役目。任務。立場。そして覚悟。それをいつも意識している人間は、こうも強いのだ。いつだって王族であるという身分に固執していた自分とは全然違う。それを思い知らされるかのようで、居た堪れなくて。そして同時に彼らが眩しくて、羨ましかった。



「状況はどうだ?」


「は、依然として膠着状態が続いております。住民たちの不安と不満が、いつどんな形で爆発するかわかりません。……それと、これを」



 キースから渡された手紙を見てライアンは眉を上げた。見間違いようがない。弟の筆跡だ。



「テオドール殿下からです。王宮で起きたことについて手短に書かれています。ライアン殿下にとっては本当に衝撃的な内容だと思いますので、どうか、ご覚悟を」



 やけに真剣な表情で念押しされて、ライアンはちらりとエステラに視線を送った。物言いたげなそれに気づいたエステラが、カイをくっつけたままライアンのそばに寄ってくる。読むのに覚悟が必要なほど不穏な内容らしいので、どうせなら彼女にも一緒に見てもらいたい。

 しかしいざ覚悟して開いてみると、そこには概ね予想通りのことが書き綴られているだけだった。だが良くない予想が現実になったところで喜べるわけもない。読み終わったエステラが渋い顔をする。



「やっぱり婚約者様の件については、殿下の直感通りだったみたいですね」


「ああ。でも魔王国か……これは厄介だな」



 マリアンナが人の皮を被った魔物だったという事実には、そこまで動揺しなかった。ライアンの中ではすでに確定していたことだったからだ。まったくダメージを受けないわけでもないが、今さら取り乱すほどでもない。

 テオドールとルクレーシャが無事であるという知らせには、エステラ共々ホッと胸を撫で下ろした。そこが一番の懸念だったのだ。とにかく無事ならそれでいい。


 だが、そうなるとやはり問題は魔王国のことだった。ライアンが難しい顔で呻く。正直こういう頭を使わないといけない仕事は向いていないのだ。



「ったく、次から次へと厄介な……俺の弟を過労死させる気か」


「そう思うなら殿下も外交を頑張れば良いのでは?」



 真っ当なるエステラの指摘にライアンは唇を尖らせた。



「無茶言うな。外交問題とか、政治的駆け引きとか、相手の裏を読むとか、俺にはそういう才能が致命的に欠けているんだ。その俺が下手に関わってみろ。即座にこの国は他国に潰される。それに遅かれ早かれ俺は王位継承権を剥奪されるだろうし。今さら中途半端に手を出すような真似はしねえよ」



 それを聞いたビアンカが目を瞠った。王位継承権の剥奪。



「……では、今回の件の責任はそのような形で取るおつもりに?」


「当然だ。というか、下手したら継承権だけじゃなくて王族としての身分も剥奪される可能性があるな。……できればそれは避けたいところだが」



 なにやらブツブツと難しげな顔をするライアンに、ビアンカはキースと顔を見合わせた。あの単純明快なライアンの思考が読めないだなんて、こんなことは初めてだ。そんな二人の様子を知ってか知らずか、ライアンが続ける。



「知っているだろうが、テオが手がけている業務量は尋常じゃない。俺も普段は手伝っているが、いないよりマシ程度の戦力にしかなれん。俺が四苦八苦している間にもあいつは次々と仕事を片付けるからな」



 自嘲する。向き不向きがあるのは確かだが、テオドールの能力の高さはそれだけでは説明がつかなくて普通に舌を巻くしかなかった。それでも、王族にしかできない公務はライアンしか手伝ってやれないのだ。



「正式に立太子したら、あいつの負担はますます増えていくだろう。しかも死ぬまでそれは続く。文字通りな」


「え、ええ、それはまあ」


「だからこその俺だ。継承権を失うのは痛いが、王族でいられさえすればなにかしらの形でテオの助けになれるはずだからな。理想的なのは俺が矢面に立ってテオが水面下で自由に動ける環境だったけど、さすがにもう俺が王になることはできないだろうし」



 幼い頃から、弟のテオドールはライアンよりもはるかに賢かった。賢くて、有能で、冷静で、どこまでも物事を客観的に見られるほど視野が広くて。


 けれどライアンは気づいてもいた。自分よりも王にふさわしい弟。いくら国のためとはいえ自分の大切なものを諦めきれないライアンとは違って、テオドールはどれだけ大事なものでも国のためなら平気な顔で手放すことができる。それがどんなに平気じゃなくても。どれほど身を切られるような思いをすることになったとしても。


 そんな弟のことを見ていられなくなったのは、確か母が暗殺された日だったように思う。母の亡骸を前に年甲斐もなく泣き叫んでいたライアンの隣で、立ち尽くしながらも涙のひとつも零さなかったテオドール。それどころか、泣いてもいいんだぞと声をかけた自分に、弟は頑なに首を振ってみせたのだ。



『泣きません。だって母上は、当然の報いを受けただけなのですから』



 ……あの時の衝撃を、ライアンは未だに忘れられずにいる。

 後から分かったことだが、母は国王暗殺の使命を帯びて嫁いできた隣国の間諜(おうじょ)だったらしい。テオドールが母の正体にどの時点で気づいたのかは分からないが、少なくともライアンもテオドールも間違いなく父王と母の間に生まれた子供だった。そして任務不履行の報いを受けて暗殺されるその日まで、結局母は夫にも息子たちにも危害を加えることをしなかった。


 だが、母は正体が知られた時点で重罪人として扱われることになった。国王の命を狙うことは、どの国でも最も重い罪である。だからテオドールは『当然の報い』と称したのだろうが。

 ライアンの脳裏に父の姿がよぎった。母の正体を知ったあの日から今日に至るまで、もうずっと臥せったままでいる父王。病床の父にこれ以上の負担をかけることなど、できるはずもない。



「せめて王族でいられさえすれば、俺はあいつの兄のままでいられるからな。多少は支えになれるはずだ。あいつは有能だけど身を削りすぎる。でも大抵の人間はそのことに気づかない」



 大切なものも、愛しているものも、テオドールはすっかり手放してしまう。いつだってこの国を一番に選んでしまう。生まれながらの為政者。それがテオドールだ。


 ライアンは前を向いた。ずっと逃げてきた。周囲の期待と、王の長子という立場から。自分には向いていない。もっと自由に生きたい。賢い生き方や自分を殺す生き方は、自分にはできないから。

 そうして逃げた結果が、今だった。もう笑うこともできない。



「……殿下、変わりましたね」



 呆然としたビアンカの一言に、ライアンは肩を竦めた。

 変わったという自覚はあまりない。だが、マリアンナの影響で記憶が曖昧になっていた時に自分がやらかした数々の失態を考えると、確かに変わったと思われても無理はなかった。

 その時の愚行を、マリアンナの、あるいは魔物のせいにする気はない。馬鹿なことをしでかしたのは結局ライアン自身なのだ。あれは自分の心のどこかにあった願望や欲望が表面化するきっかけになっただけで。今回の件がなくても、いつかどこかで露見していたかもしれないことだった。



「とにかく俺は王宮に戻る。お前たちはどうする?」



 ライアンが周囲を見回せば、四人の反応は見事に分かれた。



「私も一緒に戻ります。ルーちゃんが心配だし」


「エステラが戻るなら僕も戻る」


「自分は……もう少しだけこの町に残ろうかと」


「私もキース殿と一緒に残ります。少なくともこの一触即発な状態が緩和するまでは戻れません」



 錬金術師組と騎士団長・聖女組で意見が割れた。割れたものの、特に問題ない組み合わせで落ち着いた気もする。しかし、すでに心身ともに疲弊しているキースとビアンカをこのままこの地に残しても大丈夫なのだろうか。

 悩むライアンだったが、当の本人たちから「私たちなら平気です」と言われてはあまり余計なことを言えなかった。



「……そうか。じゃあすぐに交代要員を派遣する。腕の立つ騎士たちと、力ある聖女が派遣されれば住人たちも文句は言わんだろ。それまでどうか耐えてくれ」


「それはありがたい。殿下のお心遣いに感謝します」



 そんなわけで、一行は再び二手に分かれることになった。とりあえずテオドールもルクレーシャも無事ということだが、キースとビアンカの交代要員もできるだけ早く手配してやりたい。三人はその日のうちにランダを発つことにした。

 キースとビアンカに見送られながら馬に跨る。順調にいけば今日中にカロンに着くはずで、カロンまで行ってしまえば王宮まではすぐである。



「気をつけてね」


「こちらのことは心配いりませんぞ」



 こちらのことを遠巻きに観察していた住人たちは、キースとビアンカだけは残ってくれるようだと分かったのかホッとした表情を浮かべていた。それを横目に、三人はすぐさま出発する。さて、王宮のほうは一体どうなっているのだろうか。


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