15. 寄り道
魔物の生息地域に三日間滞在し続けたことで、ライアンは必然的に心身の限界を突破するハメになっていた。百戦錬磨のエステラの手腕により、稀少な魔物たちが次々と現れては襲いかかってきてくれたおかげである。出会ったらまず命はないとされている敵を前に、死に物狂いで限界突破せざるを得なかったともいうが。
ちなみにエステラがダメ元だと言っていた『腐敗した目玉』だが、なんと二人はこれも手に入れることに成功していた。といっても、あまりにも都合のいい偶然が重なり合った結果ではあったが。
空飛ぶ魔物との交戦中にうっかり捕まったライアンが、そのまま巣まで持ち帰られそうになっていた時の話である。
必死に抵抗しているうちにめでたく落下。そして落ちた先にいたのが、ちょうどエステラが「目玉よこせや」と追いかけ回していた魔物の真上だったのだ。ライアンが落ちてきたことにより堪らず足を止めたその魔物に、なんとか追いついたエステラがトドメを刺して無事に素材を確保。ついでにライアンも魔物の上に落ちたおかげでほぼ無傷で済むという思わぬ副産物を得たのだった。
「いや、そんなことってある?」
釈然としなかったらしいエステラがそんなことをブツブツ言っていたのだが、とにかくこれで目的は無事達成された。必要だった他の素材も十分すぎるほど手に入れることができたので、そろそろランダの町へ帰還してもいい頃合いである。
「今日で野宿も最後です。お疲れ様でした、殿下」
「本当にな。でも、ここまで来なければ絶対に見られない光景ばかりだった。じつに得難い経験を……」
野営の準備をしていたライアンが急に言葉を切った。そして盛大に顔をしかめる。
「……アランデル」
「なんですか」
「お前が持っているそれはなんだ」
「義手ですが」
嘘つけ、という言葉が喉から出かかるも、ライアンはぎりぎりのところでなんとか押し黙った。
手に入れた素材をすべて呑み込んだ驚異の無限収納トランク。その中からエステラがゴソゴソと取り出したのは、どこからどう見ても人間の右腕であった。切断面がやけに生々しいためライアンは反射的に目を背けてしまう。
「そんな露骨な反応しなくても。でもそれだけ生身に近いということでしょうし、褒められていると思うことにします」
「褒め……ま、まあ、そうだな。それが本当に義手ならすごい傑作だと思うぞ」
顔だけではなく声まで引きつるライアンだったが、言っていることに嘘はない。実際、誰かの腕を切り落としてきたとしか思えないほどの代物なのだ。
「それでこれは一体どうしたんだ」
「個人的に依頼されていた仕事だったんですが、ここ最近は忙しくて全然まとまった作業時間を取れなかったんですよ。それでこの旅の間になんとか隙間時間を見つけてはせっせと錬成していたんですけどね。今日はもう寝るだけですし、せっかくなので仕上げてしまおうかと」
以前、腕が腐りそうだからと頼まれていたベシーの義手。幸い採寸だけは終わらせていたので、あとはそれをもとに地道に形を造っていくだけだった。特に、指や手首や腕や肘などの大まかな形ができたあとがエステラの本領発揮である。
骨、腱、関節、筋肉、血管などの見えないところに至るまで、本物と見紛うほど緻密に作り込んでいくのだ。
そんな経緯を経て作り上げられるのは、本物をはるかに凌ぐ性能を誇る最高品質の義手だった。
怪我をすれば血を流すことはもちろん、筋肉を使いすぎれば筋肉痛になるほどの代物で、今回は依頼者の要望により『伸縮』と『怪力』という余計な機能までついている。このあたりが人間の性能を上回っている所以であった。
慣れた手つきで設営を終えたライアンが再度エステラに目を向けると、ちょうど『伸縮』と『怪力』を刻印し終えたらしい彼女の手元から光が消えるところだった。お手製のゴーグルを外したエステラにライアンは声をかける。
「今更だけど、これを錬金術という括りにしてもいいのか迷うところだな」
「ええ。自分で言うのもなんですが、錬金術の世界でも万能型は例外扱いなんですよ」
ふーん、とライアンは相槌を打つ。確かに素人目にもカイやエステラが別格だということはわかるが、だとすれば普通の錬金術師とはどんな感じなのだろうか。
「錬金術っていうくらいだし、金を錬成することは錬金術師なら誰でもできることなのか?」
「もちろん。基本中の基本ですからね。そもそも金の錬成ができない人間は他の錬成もできないので」
「そうなのか?」
「ええ。金の錬成ができるようになって初めて錬金術の基礎的な原理を理解したことになりますから。まあ、修得した後は金の錬成はしちゃいけないことになっていますけどね」
エステラ曰く、錬金術の世界で金の錬成は全面的に禁じられているらしい。それを監視するのが錬金術協会の役目であり、錬金術師を名乗る者は必ず一度は協会入りしなければならないという規定は、禁忌を犯さないよう術者たちに『首輪』をつけるためのものでもあった。
ちなみに協会の首輪がついていない野良の錬金術師であれば、秘密裏に金を錬成することも一応可能だ。しかしそれら禁忌とされる錬金術は特殊なエネルギーを必要とする。そのためこっそり錬成したところでその力の流れを他の術者たちが即座に察知し、連絡を受けた協会がすぐさま出動することになっていた。悪いことはできないものである。
「古代からの呼び名が『錬金術師』だったので今でもその名称が使われていますけど、本当は『錬成術師』って呼んだほうが適切なのかもしれませんね」
「そうだな……戦闘錬金術なんか、もう金とか全然関係ないもんな……」
エステラの戦いぶりを思い出したのか、ライアンが半笑いを浮かべた。
なんだかよくわからないが、エステラは自分の手から次々と刃やら炎やらを生み出しては魔物に特大のダメージを与え続けていた。初めはなにが起きているのか理解しようと努めていたライアンだったが、最終的には脳が理解することを拒否したらしく、結局なにひとつ理解できぬままただ剣を振るい続けるしかなかった。
本来は生産職であるはずの錬金術。しかしカイやエステラの所業に慣れてしまうと、いささかそれを忘れそうになってしまう。
「それはともかく、これでお城に帰れますね」
「あ? ああ、そうだな」
「弟君と婚約者様のことが心配でしょう。明日の朝早くに出発すれば夜までにはランダに到着できますし、もう少しの辛抱ですよ」
「そ――」
そうか、と言いかけたテオドールの思考が歪む。婚約者……婚約者?
歪んだ思考の向こうで、ルクレーシャの後ろ姿が見えた。婚約者。そうだ、婚約者はルクレーシャだ。でも、どうしてだろう。誰かが自分に取り付いているような奇妙な感覚に襲われる。
「……殿下?」
「う……」
ライアンは頭を押さえた。おかしい。おかしい。自分は何かを忘れている。とても大事なことを。
そういえば、以前にも似たような現象に見舞われたことがあった。確かあの時も自分はエステラと会話をしていて、その過程で知らない女性の記憶が自分の中にあることに気がついたのだ。
『お慕いしております、ライアン殿下』
ルクレーシャではない誰かが、自分に寄り添っていた感覚を思い出す。そう、ルクレーシャであるはずがない。彼女はこんなふうに自分に触れてきたりはしなかったのだから。
次第に頭の中の霧が晴れていく。寄り添ってきた女性。ライアンのことを真摯に見つめて愛を囁いてくれた女性。真実の愛。そして見つめ返した彼女の瞳の奥に、見えたのは――。
「……う、うわぁああぁあああっ!?」
「ぎゃ!? 急になんですかどうしたんですか!?」
いきなりの悲鳴に仰天するエステラをよそに、ライアンが地面に頽れる。心臓がバクバクと忙しなく脈を打ち、そう簡単には立ち直れそうにない。
しかし今の衝撃でいろんな記憶が一気に蘇ってきた。そうだ。どうして忘れていたんだろう。どうして、自分はあんなことをしてしまったのだろう。
「マリ、アンナ……」
「え?」
「あいつ……たぶん人間じゃない。そうじゃないと説明がつかない……」
人間じゃない。掠れた声でそう言い募るライアンの不可解な言葉に、エステラは眉間に皺を寄せた。
「いきなり変なこと言わないでくださいよ。仮にも彼女は真実の愛の相手でしょう。あ、もしかして『彼女は人間じゃなくて天使だ』的なノロケですか? 勘弁してください」
「違うっ! そうじゃなくて、本当に彼女は人間じゃ……いや、違うんだ。なんというか、見た目だけはちゃんと人間なんだ。だけど、中身が人間じゃなくてだな」
「え?」
見た目は人間。でも中身は人間じゃない。
ひどく感覚的で曖昧な主張であったが、ランダで起きていたことを思い出せば、ライアンがなにを言いたいのか理解できてしまった。
――人の皮を被った魔物。もしもマリアンナがそうだったのだとしたら。
「もしかして、すでに王宮の内部にまで魔物が……?」
理解した瞬間、戦慄する。エステラの全身が粟立った。数秒遅れて、ライアンも事態の深刻さに気づいたらしい。
「まずい、テオと父上が危ない!」
「ルーちゃん……っ!」
それぞれが王宮に残してきた大切な人を思い出して青ざめた。
こうしてはいられない。エステラがガバッと顔を上げた。
「殿下、勝手ながらちょっと予定を変更させていただきたいんですが」
「おう、奇遇だな。俺も同じことを考えていた」
ライアンは頷いた。こんなところで呑気に野営している場合ではない。そんな悠長なことをしている場合ではないのだ。
「それでは、明日の朝早くに出発するとか言いましたが、今すぐ出発してスピンダル経由でランダに向かわせてください」
予想外の地名を出されてライアンは目を点にした。スピンダル? てっきり今すぐランダに戻って、その足で王宮へ帰還しようという話になるかと思っていたのだが。
とはいえ、わりと最近どこかでその地名を聞いた気がして、そういえば第三騎士団の派遣先がスピンダルだったなと思い出した。しかし、それを思い出したところでエステラの意図がまったく読めないことに変わりはなかったが。
「なんで急にスピンダルなんだ?」
わからないことを考え続けても時間の無駄なので直接尋ねることにする。するとエステラがちょうど手に持っていたものを見せつけてきた。ライアンは思わず半眼になる。
誰かの腕を切り落としてきたとしか思えない生々しい義手を、意気揚々と掲げるエステラ。作り物だとわかってはいても、正直この絵面はかなりキツい。
「これの依頼してきた宮廷錬金術師が今ちょうどスピンダルにいるんですよ。王宮に戻ったら私も総帥代理を返上することになりますし、そうなるとあいつに納品するのが面倒になりますし。すぐ終わらせるのでちょっと付き合ってください」
「……わかった。いや、よくはわからんが、お前なりになにか考えがあるんだろ。深くは聞かん。だから今すぐその腕をしまってくれ頼むから」
どうもこの義手が苦手らしいライアンに苦情を言われ、エステラは渋々それを無限収納トランクの中に放り込んだ。まったく、人の傑作をなんだと思っているのか。
そんなわけで、すでに設置してしまった天幕などの野営の準備を二人で即座に撤去する。本来ならば夜の移動は危険なので避けるところだが、もともと深夜の移動にも慣れているエステラと、超短期集中で一皮も二皮も剥けたライアンだ。この程度のことで躊躇うような危険意識などどちらも持ち合わせてはいない。
国境の向こうへと戻れば、またぞろ人の皮を被った魔物どもが待ち構えていて当然のように襲撃された。が、すでに脱皮済みのライアンの敵ではない。数日前まで悲鳴を上げながら剣を振り回していたというのに、もはや別人である。それはともかく。
「で、どうですか殿下」
「……マリアンナの気配に似てる。くそ、どうして今の今まで気づかなかったんだ。自分で自分が嫌になる」
剣を鞘に戻しながら腹立たしげに舌打ちをするライアン。それを眺めながら、ひと回り成長した今の彼ならばルクレーシャと案外上手くやっていけるのではないかとエステラはぼんやり思った。しかしルクレーシャと相性がいいのは、恐らく直情型よりも理性型だ。なのでやはり根本的に合わない組み合わせだったのだろう。人の相性とはなんとも複雑なものである。
「ともかく、人の皮を被った魔物が国内をうろついていることは確かなようですね。予定通りスピンダルに向かいましょう。あとから追加の応援要請がくるよりも、今から備えておくほうが後々楽になるでしょうし。とりあえずこの義手があればスピンダルの戦力は確実に増強します」
「やっぱり依頼主に納品するだけが目的じゃなかったんだな」
図星だったらしく、エステラは素知らぬふりをして答えなかった。ある意味それが答えだったが、ライアンは深く追及しないことにする。深くは聞かないという先の言葉通りに。
そうして馬を駆ってスピンダルへと辿り着いた二人は、そこで血まみれのベシーに遭遇して度肝を抜かれることになった。
「あっ、総帥代理じゃん! なんか久しぶりー」
明け方近くに突然現れたエステラたちには驚きもせず、ベシーは満面の笑みで駆け寄ってくる。しかしエステラは近づかれた分だけ後ろに下がった。
「待って、それ以上近づかないで。なんであんたそんなに血まみれなの?」
「だいじょーぶ、これ全部返り血だし」
「血の内訳はどうでもいい。それよりいつから殺し屋に転職し……いや、やっぱいいや」
血まみれベシーよりもルクレーシャとの再会のほうが大事なので、エステラは早速本題に入った。なんでもいいからさっさと目的を果たして一刻も早く王宮へと戻りたい。
「あんたの新しい腕が完成したから持ってきた。今すぐ装着するから顔貸しな」
「あ、マジ? やったー、ありがとう総帥代理。実はさっき腕が落ちちゃったばっかなんだよねー、キシシ」
「は?」
ほらこれ、と見せられたベシーの右腕は、確かに空っぽだった。肩から下がバッサリない。
「ここじゃなんだし、ちょっくら野営地に案内すんね。ついてきてー」
先導するベシーについていきながら、次第にライアンの眉間に皺が寄る。
彼女が血まみれなのも、腕が落ちたのも、どうやら戦いの末にこうなったらしいが。
「もしかして魔物が出たのか? ルク……大聖女の守護範囲内なのに?」
「キシシ、びっくりだよねえ。なーんか、人に化けた? みたいな魔物が湧いてきて大変だったんだよ。新種の魔物かなあ? てかあんたダレ?」
ライアンはガクッとした。いや、まあ、別にいいけど。
「……名乗るほどの者ではない」
「おお。これまで散々自分の身分を笠に着ていたというのに。成長しましたね」
余計なことを言うエステラを睨みながら、ライアンはベシーに続いて天幕の中へと入っていった。
そしてそこで、まさかの王子殿下の訪問に滞在中の第三騎士団が阿鼻叫喚することになるわけだが、それはまた別の話である。




