14. 昔話
ランダの町は依然として不穏な空気に包まれていた。
人の皮を被った魔物は人間と区別がつかない。それは見た目だけの話ではなく、ここ数日の調査の結果、どうやら記憶まで当人のものを引き継げるらしいということが明らかになっていた。そのため魔物が正体を表すその瞬間まで、まったく見分けがつかないのだ。
家族や友人すらも信用できぬ今の状況に、町の人々は神経を尖らせ、またすり減らせていた。だが聖女ビアンカと騎士団長キースの存在が抑制力になっているらしく、大きな騒ぎや暴動などに発展していないのがせめてもの救いだ。
そんな中、キースとビアンカも別の意味で神経をすり減らしていた。原因は彼らと一緒にこの町に留まらざるを得なかったカイである。彼が発するあまりにも近寄り難い雰囲気に、滞在四日目にしてついにビアンカが音をあげた。
「……まずいです、キース殿。私いい加減耐えられなくなってきました」
そう呟いた彼女の顔は心底疲れ切っており、耐えられないという言葉もじつに切実なものであった。
しかし現実は無情だ。キースは沈痛な面持ちを浮かべながらも、すでに幾度となく自分に言い聞かせたその言葉をビアンカに告げることしかできない。
「まったく同感ですが、我々にできることは王宮からの指示を待つことだけです。無闇に動くことはできません」
そうなのだ。二手に分かれたあと、キースは現状についてすぐさま報告の手紙を王宮へと送っていた。
人の皮を被った魔物がいたこと、町の混乱を抑えるためにしばらくランダに滞在すること、動けないキースたちに代わってエステラとライアンが当初の目的であった素材の獲得に向かったこと、そして今後の動きについて指示を求めるという旨をテオドールに書き送ったのだ。順調であればそろそろ返事が来そうなものだが。
そんなことを話していたら、完全なる無表情のカイが手紙を片手にこちらへとやってきた。もはや声を出すことすら面倒だと思っているのか、無言で手紙を差し出してくる。送り主を確認すれば、そこにはテオドールの名前が刻まれていた。ようやく来た、待ちに待った指示の手紙である。
「あ、ありがとうございます総帥殿」
「…………」
一応キースが礼を言うも、やはり返ってくるのは無言と無表情だけだ。ビアンカは半眼になった。
「総帥殿……いくらエステラがいないからって、さすがに態度変えすぎでしょう」
「変えてない。なんで僕がお前たち相手に態度を変えないといけないんだ、馬鹿馬鹿しい」
淡々としたその言葉にムッとしかけたビアンカだったが、彼が言わんとしていることを察してしまえば黙り込むことしかできなかった。
無口、無表情、無愛想。他者が近づくことをよしとしない冷たい雰囲気。今でこそ態度が豹変したように思えるが、よくよく思い返してみれば、実はそれこそが通常仕様のカイであった。以前は王宮でよく見かけていた普段通りの彼の姿。久しぶりのその空気に、こちらが勝手に耐えきれなくなっていただけの話で。温度のない声音でカイが続ける。
「僕が態度を変えるとしたら、それはエステラに対してだけだ。彼女だけが僕を変えられる。なにも知らないくせに、エステラ以外の人間が馴れ馴れしく僕を語るな」
しばらく行動を共にしていたことで、ビアンカたちの中に芽生え始めていた仲間意識。それをカイは無情なまでにばっさりと切り捨てた。
ここ最近の彼の態度の軟化は、すべてエステラがそばにいたからこそで。その彼女がそばにいない今、カイがビアンカたちに譲歩する理由などただのひとつもないのだ。
「……総帥殿、ひとつだけお聞かせ願えませんか?」
それでもなんとかこの冷たい空気を払拭せねばと、キースは慎重に言葉を選ぶ。
「アランデル様とは錬金術協会時代の同期だと聞いております。それがお二人の出会いだったのですか?」
「……ああ、そうだよ」
カイの透明な瞳にわずかながら感情が宿った。エステラとの出会いを思い出しているのだろうか。なんであれ彼の雰囲気が和らいだだけでもこちらとしてはありがたい。これで「お前たちには関係ない」とか切り捨てられたら、もはや取り付く島もないところだった。
「エステラは僕が生まれて初めて明確な敵対心を抱いた相手なんだ。懐かしいな。あの頃の僕は打倒エステラに燃えていたっけ」
「は? ……敵対心?」
あまりにも意外なその告白に、キースとビアンカは揃って目を丸くする。
カイが笑った。たとえそばにいなくても、エステラを想えばカイは感情を思い出す。昔も今も、それだけは変わらない。
「僕には錬金術しかなかったのに、それだけは誰にも負けたくなかったのに、エステラは平然とした顔で僕と互角に渡り合ってきたんだ」
錬金術師を名乗る者は誰であれ、必ず一度は錬金術協会に所属しなければならない。その規定に則り、カイも十五歳の時に錬金術協会に入った。
国でも有数の名門伯爵家に生まれながら貴族的なあれこれが大嫌いだったカイは、錬金術の世界で身を立てようと幼い頃から決めていた。目指すは錬金術師の最高峰、宮廷錬金術師の総帥だ。
もしも嫡男という立場であればここまで自由には動けなかっただろうが、幸いカイには優秀な兄がいた。そのため錬金術を極めようとする彼を両親が咎めることもなかったわけだが。
そんなカイの前に、一人の無名の錬金術師が立ち塞がったのだ。
『ねえ、聞いた? アランデルさんがまた協会長に呼び出されたらしいわよ』
『またかよ。何度も断られてるのに協会長も懲りないよなあ。宮廷錬金術師なんて眼中にないってはっきり言われてんのにさー』
『まあ、推したい気持ちもわかるけどねえ。正直もったいないと思うし』
協会の廊下で、すれ違いざまに聞こえたそんな噂話。カイは驚いた。他の錬金術師になんて興味も関心もなかったが、もしかして強力なライバルがいるのだろうか。
そんなわけで、小耳に挟んだアランデルという名前の錬金術師にカイは珍しく興味を引かれた。そして探すまでもなくあっさりと彼女を見つけることができた。恐らくどちらも万能型で、どちらも問題児だったせいだろう。同じ年に協会入りした同期ということもあり、勝手にバディを組まされたのだ。
彼女の名前はエステラ・アランデル。十三歳。カイと同じく万能型の錬金術師で、得意分野は機械工学系。出身は路地迷宮の最下層。文字通りの底辺から這い上がってきた、無名にして紛うことなき天才錬金術師である。
「組んだものの、最初はもう敵対心しかなかったよ。能力の高さ自体はいい勝負のはずなのに、なぜか勝てる気がしなかったんだからね。しかも僕にとって錬金術は目的だったけど、エステラにとっては手段でしかなかった。その思想の違いが格の違いに思えて、余計に腹立たしかったんだ」
カイは周囲を黙らせるためにも錬金術師の最高峰を目指していた。それが究極の目標だった。
しかしエステラは違った。彼女にとって錬金術は生計を立てるための手段に過ぎなかった。単なる職業の一つでしかなかったのだ。
ふざけるなと、カイは一層敵意を燃やした。彼女の前では自分が取るに足りない存在に思えて、惨めで仕方なかった。
「そのわりに今はエステラにべったりですけど。何がどうしてそうなったんですか総帥殿」
いきなり始まったカイの昔話をなぜか聞くハメになっていたビアンカがそう尋ねる。まったく意図していない流れではあるが、彼らの妙な距離感が気になっていたのでちょうどいい。カイが答えた。
「単純なことだよ。誰が僕を信じなくても、エステラだけは僕のことを信じてくれた。たったそれだけのことだったけど、それだけで僕には十分だった」
天才かつ問題児、しかも伯爵家の直系という血筋のせいか、カイは昔から変な連中に絡まれることが多かった。時には冗談では済まされない危険な目に遭ったことも少なくない。一番ひどい時は、事故に見せかけて殺されかけたことまであったのだ。カイが両目ともに失明したのはその時のことで。
ちなみにその犯人は、クレヴィオ家と因縁があったとある子爵家の息子で、彼も錬金術師であった。そして彼は協会内でカイを狙う際、自分に疑いが向かないよう小細工をしていた。自らも怪我を負うことでまんまと被害者を装ったのだ。
そうしてその企ては成功した。人気のない協会の裏庭で起きた爆発事故。原因は錬金文字の綴り間違い。巻き込まれたのは首謀者である令息と、その場所でよく読書をしていたカイだけだった。
「爆発の規模からしても僕が起こしたものだって噂が流れて、ほとんどの協会員がその噂を信じたんだ。おかげで僕はしばらく犯罪者扱いだったよ」
だが、騙されなかった者もいる。協会長ですら見抜けなかったその痕跡に気がついて、まだ面会謝絶中だったカイのところに押しかけてきた変わり者が。
「両目を負傷して包帯でぐるぐる巻きになっていた僕に向かって、エステラは開口一番で言ったんだ。『誰にやられたの?』ってね」
気遣いの言葉よりも先に飛び出してきたその言葉に、あの時のカイは思わずポカンとしてしまった。しかし彼女の声音があまりにも真剣だったため、自暴自棄になりかけていたカイも落ち着いて彼女の話を聞いてみる気になれたのだ。
エステラが言うには、あれは単なる綴り間違いなどではない。爆発が起きる術式と、使用後に文字列が並び変わる術式。いわゆる二重の術式が組まれていたと。この手法は最初の術式の痕跡がほぼ消えてしまうので、よほど注意深く観察しないと誰も気づかないで終わってしまう。
『あんたがあんな不自然な綴り間違いをするわけがないからね。変だと思って解読してみて正解だった』
錬金文字の扱いに関してエステラの右に出る者はそういない。カイは言葉少なく「そっか」とただ頷いた。
しかしバディを組んでいる仲とはいえ、まさか彼女が自分の無実を信じてくれるとは思わなかった。変な敵対心から何度も勝負を挑んでは二人揃ってボロボロになっていた過去の自分にうんざりしてしまう。自分はともかく、もう二度とエステラをボロボロにはしたくない。
ちなみに一ヶ月も経たないうちに、件の襲撃事件がかの令息の狂言であったことが発覚した。暴いたのはクレヴィオ伯爵家で、息子にかけられた容疑を晴らしただけではなく、他にも後暗いことがあったらしいその子爵家を糾弾して、社交界から追放してみせたのだ。
おかげで現協会長はカイに頭が上がらず、あれだけしつこくエステラに迫っていた宮廷錬金術師の話も、いつの間にか立ち消えになっていた。
「誰かに信じてもらえることがあれだけ心強いことだなんて、僕は知らなかった。エステラがいなければ、きっと僕はこれから先もずっと人を信じず、人にも信じてもらえない人生を送っていただろうね」
次第に、エステラといるときだけは様々な感情が芽生えてくるようになった。泣いたり笑ったり怒ったり、その他にもみっともない姿を山ほど晒しては呆れた顔をされたりもしたけれど。どんなにかっこ悪いカイを見ても、エステラは別に幻滅したりしないで変わらず一緒にいてくれたから。
「どんな僕でも受け入れてくれるって確信してからは、エステラがどんどん特別になっていった。もちろんどんな僕でも受け入れてくれる人たちは他にもいたよ。家族とかね。でもやっぱりエステラは別格なんだ」
今でも鉄仮面と揶揄されるくらいカイの感情は希薄なままだ。それでも昔よりはずっとマシだと家族は言うし、自分でもそう思う。
「そんな事件があったとは……総帥殿にとってアランデル様は人生を変えてくれた大切な人なんですね」
「そんな感じ。で、その手紙開けないの?」
あ、とキースが間抜けな声を上げる。そうだった、もともとカイはこれを届けるために来てくれたのだ。彼の昔話を聞いて感じ入っている場合ではない。
慌てて封を切れば、両脇からカイとビアンカが覗き込んでくる。そして三人揃って目を通したテオドールからの手紙には、驚愕の事実が乱れた筆跡で書かれていた。
王宮内にも人の皮を被った魔物が侵入していたこと。それがマリアンナだったこと。エステラが残していったゼノのおかげで、少なくともルクレーシャとテオドールは魔物に取り憑かれていないと判明していること。魔物に指示を与えているかもしれない黒幕がどこかにいる可能性。
手紙の最後には魔王国の関与が仄めかされており、できるだけ早くこちらに帰還してほしいという言葉で締め括られていた。
「マリアンナが……」
そう呟いてビアンカが言葉を失う。ライアンがルクレーシャの後釜として連れてきた雑魚聖女。王宮の地下牢に幽閉されていたはずの彼女が、実はもうとっくに魔物に取り殺されていただなんて。
一体いつから入れ替わっていたのだろう。考えるだけでも恐ろしいことだが、これではっきりしたこともある。
あまりにも唐突で不自然だったライアンによる一方的な断罪。もしもそれが、マリアンナに成り代わっていた魔物による、なんらかの意識操作だったとしたら。
考えてみれば、貴族としての家柄も聖女としての能力も底辺だったマリアンナが、いきなりあんな大胆なことをするなんて不自然だった。もしかしたら彼女がライアンに近づいた時点で、すでに中身はもうマリアンナではなかったのかもしれない。
「これは困ったことになりましたな。テオドール殿下が情報を規制しているおかげでまだ大事にはなっていないようですが」
「でも事態が明るみになるのも時間の問題だろうね。現に今この町は大混乱だ。もう他の町にこの異常事態が伝わっていてもおかしくはない」
カイによる冷静な分析にキースは唇を噛み締めた。そうだ、事態は一刻を争う。このままでは国中が大混乱だ。
「とにかくライアン殿下とアランデル様が戻って来られるのを待ちましょう。それにこの町をこのままにしておくこともできません。なにか対策を考えなければ」




