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13. 愁う兄弟


 魔物の生息地域の奥に、その王国は存在していた。

 ――魔王国。その名の通り、魔王が支配している国だ。そしてきちんと成立している一つの立派な国家でもある。

 ただし、人間の国とはほとんど交流を持たないため、その全貌は未だに謎に包まれたままだった。人間が足を踏み入れたこともほぼないという未知の国でもある。


 執務室の隅に置かれているカウチの上で横になりながら、テオドールは魔王国に関する資料を読み漁っていた。これに関しては本来の仕事ではないので休憩がてら目を通しているわけだが、これではまったく休憩になっていないことに当の本人だけが気づいていない。

 不意に、そんな彼の手元から眺めていた資料がスッと抜き取られた。なにが起きたか分からず一瞬呆気に取られたテオドールの視界に、見慣れた女性の顔が逆さまに映り込んでくる。



「……生きてる?」


「……死んでいるように見えるのか?」



 仰向けの状態で、テオドールは上から覗き込んできたルクレーシャにそう問うた。とはいえ一瞬だけでも彼女の姿が天からの使いに見えたくらいには疲れているらしいと自覚する。しかし、生きているのかと確認されるほど顔に出ていたとは思わなかった。テオドールの問いにルクレーシャは真面目な顔で首肯する。



「何度もノックしたし声もかけたのに、全然反応がなかったからね。部屋の中で死んでるんじゃないかって疑いはしたよ。現に今も死にかけみたいな顔してるし」


「それはまずいな。仕事に戻ることにする」


「そんな顔色でなに言ってんの。いくらなんでも働きすぎ。寝な」



 起き上がりかけたテオドールの肩をルクレーシャの手が押し返す。たったそれだけのことで、テオドールの体はカウチへと逆戻りしてしまった。あまりにも簡単に彼を押さえ込めてしまったことでルクレーシャのほうが顔をしかめる。そのくらい今のテオドールは体に力が入らない状態なのだ。



「……ねえ、王様は?」


「父上の状態は君もよく知っているはずだが」



 直接的な答えではなかったが、これ以上ないほどの答えでもあった。ルクレーシャは唇を噛み締める。つまり、彼女が把握している事実に間違いはないということだ。


 まだ十四歳のテオドールに重くのしかかる数々の責任。本来ならば仕事を分担できるはずの兄の不在。舞い込んできた予定外の仕事。もちろん宰相をはじめ人に任せられる仕事は任せているが、それでも王族自ら処理せねばならない仕事も少なくない。……国王があまり動けない以上、テオドールがやるしかないのだ。



「それでも寝な。十四歳の王子様が数時間寝ただけで回らなくなるようなハリボテの王国なんて、身を削って支えてやるほどの価値もないよ」


「君らしいな。現状を把握していてもなお自分の信念を貫き通す。国や世界や自分自身すらも平然と天秤にかけて、迷わずそれらを切り捨てられる」



 こうして改めて考えてみると、確かに兄ライアンとルクレーシャの相性が最悪だったのも仕方のないことだと思えた。

 兄はたった一つの真実の愛とやらに焦がれていたようだが、本当は一つではなく多くを愛せる人だ。いろんなものを大事にしていて、全部を抱えて生きようとする不器用さが兄の魅力で。

 一方で、ルクレーシャの愛はどこか狂っていた。狂おしいほどに一途で、どこか執着めいていて、それでいて本当に大切なもののために他の大切なものを迷わず切り捨てる酷薄さを併せ持つ。テオドールには決して真似できない、彼女独特の愛し方。



「君のそういうところに僕は好感を持っている。いま君が僕のそばにいるのは単なる気まぐれだとわかっていても、嬉しいと思ってしまうくらいには」


「…………? 急になんの話?」


「ただの独り言だ。流してくれ」



 テオドールがゆっくりと体を起こした。今度はルクレーシャも押さえ込めなかった。



「ちょっと、本当に顔色やばいってば」


「問題ない。でも心配するなと言っても君には通じないだろうし、だからいくつか頼まれてくれないか」



 テオドールは先ほどルクレーシャに取り上げられた資料を指さした。魔王国に関する資料だ。



「ドランという名前の人物について調べておいてくれないか。さすがに手が回らなくてな」


「ドラン? どっかで聞いたような……あ」



 思い出した。マリアンナの皮を被って成りすましていたあの魔物が、消滅の間際にその名前を叫んでいたのだ。



『イマイマしい大聖女! あいつさえイなければイチバン脆弱なこノ国はオワリだった! ナノニ、アイツはモドッテきやがっタ! アア、申シ訳ゴザイマセン、ドラン様!』



 調べてみるまで断定はできないが、あの状況下でまったく関係のない人物の名前が飛び出してくるとも思えない。そのドランとやらは何らかの形で今回の件に関わっているのだろう。

 そもそも魔物の知能は人間と動物の中間くらいなのだ。誰かが指示したのでない限り、人間の皮を被って暗躍することなどできるはずもない。背後には必ず黒幕がいるはずだ。



「それと、マリアンナ嬢の過去についてだ。彼女がいつから『彼女』ではなくなっていたのか気になっていてな。できる範囲でいいから調べてほしい」



 ルクレーシャは黙って頷いた。自分に任せられているのは聖女の育成だけなのだが、これも大聖女としての仕事の範囲内ではある。まあ、半分くらいは。

 渡された資料と、サイドテーブルに置いてあった魔王国に関連する書物も抱えて執務室を出て行こうとするルクレーシャを、テオドールは机に戻りながらふと呼び止めた。



「そういえば、何か用があって来たんじゃないのか?」


「え? ……ああ、忘れるところだった」



 両腕に資料を抱えたままルクレーシャが振り返る。



「さっきゼノんとこに顔を出してエステラたちの動向を確認してきたんだけど、なんか二手に分かれたみたいだよ」


「分かれた?」


「そ。白のキングとルークとビショップがランダの町に留まっていて、クイーンとナイトだけが魔物の生息地域に向かってるみたい。あとで詳しい報告が来ると思うけど、参考までにと思って」



 テオドールは首を傾げた。クイーンとナイト。つまりエステラとライアンが二人だけで目的地へ向かったということか。なんとも異色の組み合わせだが、それより気になるのはランダの町に留まったという三人組のほうである。もしやその町で何かあったのだろうか。



「わかった。早期の報告に感謝する」


「別についでだったから。じゃあ行くけど、今日こそは徹夜しないでちゃんと寝なよ。倒れてからじゃ遅いんだからね」



 きっちりと釘を刺してから出ていったルクレーシャに、テオドールは苦笑するしかなかった。

 彼女が出ていったばかりの扉を見つめる。気まぐれな大聖女。どうして彼女が自分に心を砕いてくれる気になったのかはわからない。でも、たとえそれが一時的な関心だったとしても、テオドールは嬉しかった。嬉しかっただけで、彼女の忠告を聞き入れるつもりまではなかったけれど。


 ルクレーシャに譲れないものがあるように、テオドールにも譲れないものがある。自分と彼女は大切にしているものも、それを乗せている天秤も違うのだ。それは仕方がない。


 ただ、違うからこそ憧れてしまうのだろう。テオドールには真似できない生き方。愛し方。

 十年近くもこの王宮に囚われていながら、彼女は何一つ失ってなどいなかった。大切なものも。自由も。


 それが、テオドールには眩しかった。




✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎




「ぎゃあああああ! アランデル! 援護! 援護!」


「うわちょっと殿下! なに一度に六人も相手取ってるんですか!」



 こちら国境。いやに順調だった道行きに反して、ここにきて二人は人の皮を被った魔物の襲撃を受けるハメになっていた。

 兵士の皮を被っていたらしき魔物に囲まれてライアンが悲鳴をあげる。悲鳴を上げながらも目の前にいる魔物を着々と始末していくあたり、騒がしいだけで腕は立つようだ。それでもさすがに六人同時に相手取るのは無謀なので、エステラが錬金文字を刻んだ火薬玉を放り投げて六人を一気に始末する。



「わぶっ!?」



 逃げ遅れたライアンがうっかり爆発に巻き込まれかけるも、そこはエステラが事前に展開しておいた防護壁のおかげで巻き込まれずにすんだ。ついでに彼女が指を鳴らしただけで攻撃特化型に組み合わせた錬金文字が出現し、背後に忍び寄ってきていた魔物をあっという間に八つ裂きにする。



「……なあ、前から思ってたんだけど戦闘錬金術っていろいろと反則じゃないか?」


「だからこそ戦闘錬金術師は他の錬金術が不得手なんですよ。なにせ消費するエネルギーも代償も半端じゃないですからね」


「お前は?」


「や、私はこれでも万能型なんで。このくらいは朝飯前です」



 今の襲撃で最後だったらしく、二人を取り巻く魔物はいなくなった。これで障害がなくなったので、とりあえず国境を越えて魔物の生息地域のただ中へと進んでいく。

 本来であればここから先は野生の魔物が跋扈しているはずなのだが、ルクレーシャが言っていた通り聖力の効果はまだ先まで続いているようだ。少なくとも遠目にわかる程度の距離にしか魔物の姿は見当たらない。聖力の境目を見極めつつ慎重に進めば大丈夫だろう。そう思ってライアンは隣にいるエステラに目を向けた。



「それで不足している素材ってなんだ?」


「『飛龍の卵』と『魔魚の背骨』と『怪虫のヒゲ』と、あとはダメもとで『腐敗した目玉』を頼まれています」



 ……二人の間を風が虚しく吹き抜けていく。ライアンの頬がひくりと引きつった。



「……おい。飛龍の卵って、まさか巣を狙うつもりじゃないだろうな」


「巣じゃなかったらどこに卵があると思ってるんですか。それに目的は卵本体じゃなくて殻のほうですよ。巣立った後のもぬけのからを狙うつもりなんで、殿下の想像よりは危なくないと思います」



 そうなのか……。ライアンはちょっとホッとしたが、よく考えてみたら全然大丈夫じゃないことに後々気づくことになる。



「魔魚のほうは?」


「私が潜ります」


「潜るのか」


「水から引きずり出してしまえばこっちのものです。解体の際は手伝ってください」



 ライアンは悲愴な顔で頷くしかなかった。お前が潜れと言われなかっただけまだマシだと思うことにする。



「……怪虫のヒゲは?」


「これが一番難易度低いです。要は体長三メートルほどのやたら飛ぶ肉食バッタを仕留めればいいだけですから。難易度が低いぶん、素材の大量獲得を狙いたいですね。殿下の活躍にも期待していますのでよろしくお願いします」



 ここで嫌だと言えたらどんなにか良かっただろう。しかしライアンに拒否権はなく、ここで名を挙げねば王宮に戻れないことなど百も承知していた。

 そこまで考えて、ふとライアンは表情を変える。……なんだか、とても大切なことを忘れているような気がした。


 脳裏に蘇る、ふわふわとした笑顔と優しい声。そして魅入られるかのような瞳。それは、……誰の?



「――――」



 まだらな記憶に、なぜか吐き気がした。恍惚とした感情と、不快な何かが同時に胸の奥からせり上がってきて、立っていられなくなるほど気持ち悪い。視界がぼやけて、悪寒がして、意識が白く染まっていく。



「……殿下? 殿下、私の声が聞こえますか?」



 間近で聞こえたエステラの声が、ライアンの意識をかろうじて現実に引き留めてくれた。それでも体の震えと冷や汗が止まらない。尋常ではないライアンの様子に、エステラは眉を寄せて彼の脇に屈み込んだ。



「殿下。少しお休みください」


「い、や……そんなわけにはいかない」


「そんな状態で無理しても死ぬだけですよ。ここへ来たのは減刑の機会を得るためであって、死ぬためではないはずです」



 減刑の機会。エステラのその言葉にライアンはようやく思い出した。そうだ、自分は罪を犯したのだ。でも、どうしてそんなことになったのだっけ?

 まだらな記憶が少しずつ戻っていく。可愛らしい誰かの顔が蘇る。ライアンの耳元で、麻薬のように心地よい声が歌うように囁いてきた。



『ライアン殿下は十分すぎるほどによくやっておられます。それなのに、大聖女様はそんなあなた様のことをいつも蔑ろにしておられる。とても理解できません』



 そんなことはない、とあの時の自分は答えた。ルクレーシャとの不仲は周知の事実ではあったが、別に蔑ろにされたと感じたことは一度もなかったから。

 それに対して、目の前にいた誰かは痛ましい表情を浮かべた。彼女の可愛らしい顔に影が落ちる。



『殿下は本当にお優しい。どれだけ冷たくされても婚約者であるルクレーシャ様のことを大切にしておられるのですね。……羨ましいです』


『羨ましい?』


『はい。強くて、優しくて、愛情深くて、誰よりも陰で努力しておられるライアン殿下。そんなあなた様に大切にされるルクレーシャ様のことが、羨ましいです。……私に、もっと強い聖力があったなら。もしも私が大聖女だったなら、あなた様は私を愛してくれたのでしょうか』



 寄せられる好意に、ライアンは大きく目を見開いた。

 どんなに仲が悪くても、婚約者はルクレーシャだ。それなのに、この時初めてライアンの中で、ルクレーシャではない別の誰かが隣に立っている未来が思い浮かんでしまった。

 それからは、もう坂を転げ落ちるかのように心が彼女へと傾いていった。同時に、どうにかしてルクレーシャを大聖女の座から退けることができないかと考えた。ライアンの婚約者は大聖女だと決まっていたからだ。


 ……だが、不思議なことにそれ以上のことは思い出せなかった。霞んだ記憶。自分の記憶なのに、まるで自分ではない別の誰かに操られているかのような、不可解な感覚。



「ライアン殿下っ!」


「うおっ!?」



 強く肩を揺さぶられてライアンは正気に戻る。強引に意識を引き戻したのはエステラだった。



「急に白目を剥いて黙り込むのはやめてください。普通に怖いです」


「わ、悪かった。ちょっと記憶が飛び飛びになっててな……」



 よくわからない説明にエステラは訝しげな顔をした。記憶が飛び飛び?



「それってどういう……」



 言いかけて、エステラはハッと空を見上げた。

 目を凝らす。かなり遠いが、飛龍と思わしき魔物の影が見えた。



「獲物発見! いってきます!」


「おいおいおいおい待て待て待て待て! 俺を置いて一人でいくな!」



 ものすごい勢いで走っていくエステラの背中をライアンは慌てて追いかける。

 不思議なことに、先ほどまでのひどい貧血のような気分の悪さは、綺麗さっぱりなくなっていた。


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