12. 意外な組み合わせ
結局エステラが目を覚ましたのは、寝落ちしてから丸一日が経過してからだった。
「……んあ?」
「あ、おはようエステラ。よく眠れた?」
目覚めた瞬間にカイの笑顔が視界に入って、エステラは寝ぼけた頭で現状について考える。なぜカイが自分の寝顔を覗き込んでいたのだろう。というか、ここはどこだろう。
しかし考えてもすぐには答えが出なかったので、エステラは思考を放棄することにした。状況は分からないが、カイがいるなら危険はない。危険はないので、二度寝しても問題ない。
「だめだよエステラ、もう起きないと。どれだけ寝たと思ってるのさ」
「……一晩?」
「おしい。丸一日」
そうなのか……。カイに引っ張られて体を起き上がらせつつ、エステラはぼーっと周りを見回した。見慣れぬ部屋だが、雰囲気的に宿屋な気がする。
はて、どうして自分はカイと一緒に宿屋にいるのか。エステラはしばらく考えて、そこでようやく自分が置かれている状況を思い出した。
「ここどこ? カロン?」
「いや、エステラが倒れたあと空間錬成でランダの町まで来たんだよ。だからここはランダの宿屋。それより体の調子はどう?」
「寝すぎて怠いけど、絶好調。そっちは?」
「立て続けに空間錬成しまくった影響か、丸一日経過した今でもまだ結構キてる」
普段はエステラにすらほとんど弱みを見せないカイが「結構キてる」と言うのなら、恐らく相当キていると見ていいだろう。そういえば顔色もあまり良くない。
未だはっきりしない頭のまま、エステラはカイの頭をナデナデした。自分でも何をやっているのか分からないが、寝ぼけているという自覚はある。
一方、撫でられたカイはきょとんとした。かと思いきや、なぜか深刻そうな顔をする。
「どうしよう、寝ぼけてるエステラが超可愛い。いつまでも見てられる」
カイが意味不明なのはいつものことだったので、エステラは特に気にせず眠気を散らすように眉間を揉んだ。それから部屋の中を見回して、昼間だというのに窓にカーテンが引かれていることに気づいて疑問に思う。エステラが妙な顔をしていることに気づいたカイが、その視線を追ったあと「ああ」と察したように説明してくれた。
「ちょっと外で厄介なことが起きていてね、警戒のため一応閉めてるんだ」
「厄介なこと?」
「そう。どうも人の皮を被った魔物がいるらしくって。殿下と聖女は隣の部屋で待機中、騎士団長は町に偵察に行ってる」
人の皮を被った魔物。心当たりがなくもない単語にエステラの顔色が瞬時に変わった。……まさか、懸念していたことが現実になったとでもいうのだろうか。
いつだったか路地迷宮の中層にて闇医者と交わした会話を思い出す。傷物の体ばかりが回ってくるとぼやいていたので、八つ裂きにされてなければ有効活用できるのでは云々と適当に答えたわけだが。
『魔物によっちゃ内臓だけ持ってくのよ。八つ裂きよりもタチが悪ぃぞアレ。正直皮だけ残っててもあんま意味ねえし』
人間の内臓だけを頂戴して、皮だけを残す魔物。
あの時は単なる可能性のひとつとしてゼノと情報を共有するに留めたが、もしかしたら、思っていた以上に事態は深刻なのかもしれない。
「エステラ? どうかした?」
「疲れてるところごめん、その話もうちょっと詳しく聞きたい」
「もちろん構わないよ。異変に気づいたのはこの町に到着してからなんだけど……」
カイ曰く、この町に到着してからしばらくして、騎士団長として広く顔が知られているキースが町人たちに取り囲まれたらしい。彼が国民に大人気であることは知っていたので、誰もおかしいと思うことなく、カイたちはキースを置いて先に宿を取りに行った。集まってきた町人たちには、なんの違和感も覚えずに。
しかし、宿を確保したあたりで急にビアンカが「なんだか妙な胸騒ぎがする」と言い出したのだ。
キースなら大丈夫だろうと男二人は思ったのだが、どうしても落ち着かなかったらしい彼女が一人で町へ飛び出そうとするのをライアンが止めて、結局彼がビアンカと一緒にキースを呼びに行くことになった。
そして駆けつけた二人が見たものは、険しい顔で剣を振り回すキースの姿と、その凶刃に倒れる無辜の民の姿だったのだ。
一体なにが起きているのか、すぐには理解できなかった。しかし血飛沫を上げながらなす術もなく倒れていく人々を見て、ビアンカは咄嗟にキースの腕にしがみついて彼を止めていた。
「何をしておられるのですか! やめてくださいキース殿!」
「聖女様!?」
いきなり腕に取り縋ってきたビアンカにキースは瞠目したが、それも束の間、ものすごい勢いで彼女を腕から振り払う。
「申し訳ない、聖女様! 詳しい事情はあとで説明しますので、今はどうか力をお貸しください!」
「ち、力って……」
「よく見てください! 彼らは人間ではありません!」
鬼気迫るキースの叫びにぎょっとして、ビアンカは慌てて周囲の人々の顔を間近で見た。
奇妙に歪んだ顔と、異様に大きな目。振り乱した髪はみるみるうちに別の色へと変わっていき、肌が破れてその下から別の『何か』が姿を現そうとする。
――人間の、皮を被った、何か。
悲鳴をあげそうになった。しかし聖女としての意識が咄嗟に聖力を発動させていた。
耳障りな悲鳴をあげながら消滅していく魔物たち。そう、魔物だ。
こんな街中に、それもルクレーシャの守りが敷かれているはずの国内で、人間の姿を模した魔物が潜んでいたのだ。
当然、ランダの町は大混乱に陥った。ライアンによる取りなしがなければ、きっと今頃この町はもっと大変なことになっていただろう。この時ばかりは王族としての権威を存分に奮ってくれたライアンに感謝である。彼も案外役に立つようだ。
「というわけで、今は魔物の残党が残っていないか調査中。目立つし強いし一般民衆からの信頼も厚い騎士団長が、定期的に街中をうろついて周囲に安心感を振りまいてる。今ここ」
「ふーん……ビアンカにやられた魔物は国外に弾き出された感じ? それとも直に聖力を当てられて灼かれた感じ?」
「完全に灼かれてた。人間だって間近で超高温を食らったら一瞬で蒸発するでしょ。それと同じようなものだね」
さすがはビアンカ、ルクレーシャに次ぐほどの絶大な聖力持ちと称されるに値する実力者だ。
「ちなみに魔物が蒸発したあと、人間の皮が残ってたりした?」
「ああ、残ってたね。はっきり言ってすごく胸糞悪かった」
吐き捨てるかのような口調から察するに、よほどカイにとってはおぞましい光景だったのだろう。エステラは言葉少なげに「そう」と相槌を打つしかなかった。
それにしても困ったことになった。エステラは焦燥感を抑えるようにきつく瞑目する。
もはや国内であっても確実に安全な場所などない。そうなると、やはり王宮に残してきたルクレーシャのことが気がかりだった。対魔物に関しては無敵な彼女であるが、さすがに人間のふりをされたままだと見分けることも難しいはずだ。もしも集団で狙われたりしたらひとたまりもないだろう。
「で、これからどうするかは決まってるの?」
「それがまだなんだ。本当はこのまま魔物の生息地域に直行して、サクッと素材だけ確保して帰りたいんだけど。どうもこの町の人たちがいい顔しないんだよね。今は誰もが疑心暗鬼になっているし、特に聖女と騎士団長を帰したくないみたいでさ」
人間の皮を被った魔物。誰が魔物かわからない現状。疑心暗鬼になるのは当たり前であり、キースやビアンカを頼りにしたい気持ちもわかる。
エステラは考えた。ぶっちゃけ巻き込まれてこの旅に加わっただけの部外者でしかないエステラであるが、部外者だからこそ好き勝手に行動してもいい唯一の存在でもある。
「……ちょっと提案なんだけど」
「却下」
「いや、聞くだけ聞いてよ。損はさせないよ」
まだ何も言っていないのに却下されたエステラはムッとした。だが彼女が考えそうなことをルクレーシャ並みに理解しているカイには取り付く島もない。
「どうせ自分一人で魔物の生息地域に行って素材むしり取ってくるとか言うつもりでしょ。そんなの却下。棄却。差し戻し。エステラが行くなら僕も行く。一人では行かせたくない」
わりと図星だったのでエステラは感心した。が、彼は一つだけ読み間違えている。エステラは首を横に振って答えた。
「んにゃ、一人じゃなくてライアン殿下を連れて行く気だったんだけど」
「…………は?」
一瞬、聞き間違いかとカイは本気で耳を疑う。あまりにもセンスがない人選に思わず顔が引きつった。
「ええと、エステラ疲れてるんだね。大丈夫。一緒に休もう。ね?」
「丸一日爆睡したから絶好調だって言ってるでしょうが。とりあえず殿下は借りてくよ。本調子じゃないあんたは連れてけないし。でも殿下なら力あり余ってるだろうし」
「待って待って待って本当に待って」
どうやら本気らしいエステラにさすがのカイも焦って止める。
なお客観的に言えば、魔物の生息地域に赴いて必要な素材を確保することくらい、エステラ一人でも可能ではあった。ただ今回は数が数なので、人手が必要だという判断だ。なにしろその素材をもつ特定の魔物を探し出して、大量に屠らねばならないのだから。しかしカイは言い募る。
「だからってなんで殿下なの。僕じゃダメなの?」
「ダメ。さっきも言ったけど本調子じゃない以上は連れて行けない。それに殿下を連れて行くのは適当に手柄を立てさせるためだよ。いてもいなくても問題ないけど、殿下が減刑されるかどうかは今回の件にかかってるんでしょ。干渉はしないけど、機会くらいはあげないと不公平だしね」
大聖女を追放した愚かなる第一王子。その汚名を晴らすためには、最低でも減刑に足ると認められるほどの大きな功績を収める必要がある。彼の名誉が回復しようとしなかろうとエステラにはまったく関係ないのだが、最低限の機会すら差し伸べずに一方的に断罪するほどエステラの目は曇っていない。
そんなわけで、エステラとライアンという異色の組み合わせが旅立つことになった。さすがに町の人たちも王子殿下の道行きを阻むわけにはいかなかったらしく引き止められることもなかった。
「さて、殿下。大して面識のない私との二人旅はいささか不本意でしょうが我慢してください」
「別にそこまで不本意でもないぞ。むしろ功績を上げる機会を潰さず繋げてくれたことに感謝しているくらいだ」
お互い以外に配慮する相手もいないので、二人はぐんぐん速度を上げながら目的地へ向かって馬を走らせる。このままいけば明日には国境まで辿り着けるだろう。
馬を走らせながら、ライアンはちらりとエステラを横目で見た。……ルクレーシャと幼い頃から親しいという天才錬金術師。
「……なあ。あいつは俺のこと何か言っていたか?」
「あいつってルーちゃんのことですか? 特になにも。しいて言うなら『脳内お花畑なアホ王子』って呼んでましたけど」
包み隠さず真顔で答えたエステラにライアンは沈黙した。脳内お花畑なアホ王子……。
「しょせん俺はあいつにとってその程度の存在か……」
「知らなかったんですか?」
「まさか、知ってたさ。何年あいつの婚約者をやっていたと思ってる」
ルクレーシャがライアンのことをある程度は正確に理解しているように、ライアンもまたルクレーシャのことをそれなりに理解していた。
心を固く鎧い、本当に心を許した相手以外にはどこまでも残酷になれて、他者からどう思われようと一切気にしない。その一方で、大切な誰かのためならば、自分や世界と引き換えにしてでも守るし助ける。それがルクレーシャという人間だ。
「よく誤解されるんだけどな、俺もルクレーシャも別にお互いを嫌い合っていたわけじゃない。単に俺はあいつのことが気に食わなくて、あいつは俺のことが煩わしかった。それだけだ」
「それ、嫌い合っているのと同じじゃないんですか?」
「違うな。全然違う」
手綱を握って、前を向いて、ライアンはエステラを見ずにそのまま続けた。
「本当に嫌い合っていたら、十年近くも婚約関係を続けてなんかいなかった。逃げる機会はあったんだよ。俺にも、ルクレーシャにも。でもそれをしなかった。そもそも喧嘩すらしたことがなかったんだ。本当に、その程度の関係だったからな」
エステラは黙ってライアンの横顔を見つめた。
――しょせん俺はあいつにとってその程度の存在か。
先ほど彼がそうこぼした本当の意味を、エステラはこの時ようやく理解した。
「殿下は……」
「ん?」
「あ。……いえ、なんでもありません」
その後は二人とも黙々と馬を走らせ続けた。エステラは自分がいかに底の浅い人間かを思い知らされるようで、なかなかライアンの顔を見ることができなかった。




