11. 事態の急変と心境の変化
泣きながら追い縋ってくる宮廷錬金術師たちをぶっちぎり、ルクレーシャとテオドールはゼノがいる部屋へと一直線に向かっていた。背後からは「お待ちください、殿下! 大聖女様!」「もうこれ以上厄介ごとを持ち込まないでください!」「僕たちもう限界ですー!」という泣き言が聞こえてきたが、無視して扉を蹴破った。
厄介ごとを持ち込んでいる自覚はあるが、こればかりは急ぎたいのだ。そうでなくば安心できない。
二人の急な訪問にゼノが目を丸くした。その周りには納品予定の錬成品が山と積み上げられている。さすがはエステラの一番弟子、処理能力が尋常ではない。
それはともかく、ルクレーシャとテオドールは揃ってゼノに詰め寄った。
「ゼノ、あたしたち二人が本物の人間だって証明する方法はある?」
「詳しいことは後で説明するが、実は人間に成りすませる魔物がいる可能性があってだな」
いきなり押しかけてきた二人の妙な勢いに押されてゼノは一瞬動きを止めた。しかしすぐに平静を取り戻したのか冷静な口調で答えてくれる。
「ああ、もしかシて人間の皮ヲ被った魔物でも出ましタか? でもハイ、見分けらレますよ」
「そうか、それは良かっ……ん?」
あっさりと頷いたゼノにテオドールは固まった。もしかして人間の皮を被った魔物でも出ましたか?
ちょっと待て。どういうことだ。まだそこまで言っていないのに。
ついさっき起きたばかりの出来事を、まるで見ていたかのように言い当てられてテオドールは動揺した。しかしルクレーシャのほうは感心したような顔で口笛を吹く。
「やるぅ、さっすがゼノ。いや、この場合はさすがエステラって言ったほうがいい?」
「ハイ。路地迷宮で人間の内臓だけを持ッテいく魔物について聞いた際、主人も多少は興味が湧いたようデ、残された皮を魔物側ガ利用する可能性を示唆しておられマした。まったくなんの根拠もナイので、情報をワタシと共有しただけで、まだ他の誰にも言ッテいなかったようですが」
テオドールは額に手を当てて呻いた。
「……ルクレーシャ、君の知己は優秀すぎないか?」
「なにを今さら。欲しいって言ってもあげないよ」
「いや、別に欲しいとは言っていないが。まあいい。とにかく話が早くて助かる。それで、本物の人間と人間の皮を被った魔物を見分ける方法というのは?」
テオドールの問いにゼノは「ハイ」と頷き、なにやらこちらをじっと凝視してきた。
エステラの護衛人形であり、戦闘要員でもあるゼノ。そんな彼の『脳』と『目』には、人間とは違ういくつかの特殊機能が備わっている。
「――数値化完了。内臓の位置、形、重量、すべて正常。生命活動が停止した痕跡ナシ」
「え?」
「測定完了。異常ナシ。……大丈夫デスね。少なくともルクレーシャ様もテオドール様も、肉体面では紛れもなく人間デス」
一瞬ポカンとしてしまったが、なるほど、そういうことかとテオドールは目を眇めた。
人間の皮だけを残して成り代わる魔物は、獲物の臓器だけは頂戴してしまうらしい。つまり中身が魔物だった場合、内臓の位置も形も重量も、人間のそれとは異なっているはずなのだ。一方、人間としての臓器があるべき場所にきちんと収まってるならば、その人物は中身も人間である判断していいことになる。
ただし、その確認ができるのは特殊な『目』を持つゼノだけだ。国中の人間を確認することはおろか、城内の人間全員を確認することすら骨が折れそうである。
とはいえ、とりあえずルクレーシャとテオドールは互いが本物であることを確認することができた。二人は内心安堵する。これでもしどちらかが魔物ということになれば相当ショックが大きかったはずだ。
「よし、今のところ信用できるのは君たちだけだ。ルクレーシャ、どんなに信用できそうな相手でも今は絶対に油断するなよ。つけ入られるぞ」
「もとからエステラ以外の人間のことは大して信用してないから問題ない。それにあたしはこれでも大聖女だしね。心配は無用だよ」
けらけら笑うルクレーシャに、それでもテオドールは真剣な眼差しを向けた。
「魔物相手なら君は敵なしだってことくらい知っている。だが相手はあくまで人間の姿をしているんだ。もしも就寝時に近づかれて刺されでもしたら、いくら君でも死んでしまうかもしれない。心配くらいはさせてくれ」
「……ん、わかった。覚えとく」
まっすぐで真剣な声音に、ルクレーシャは思わず目を逸らしてしまった。そんな彼女の様子をゼノが興味深げに観察している。……あのルクレーシャ様が、珍しい反応をすることもあるものだ。
それにしても、これからどうするべきか。周囲が一気に敵だらけになったかのような心地に、テオドールは顔をしかめた。なにせ今のところ味方が二人しかいない状態なのだ。身動きがほとんど取れないような現状に、焦りだけがどんどん募っていく。
「そういやゼノ、エステラは今どこにいんの?」
「あ、少々お待ちクださい」
そう言って、ゼノは部屋の隅にある丸テーブルへと歩み寄った。そしてその上に鎮座しているチェス盤をじっと眺める。
「……どウやらもうカロンを出発して他の町に到着しテいるようです。この位置にイるということは、恐らく現在地はランダの町。同行人数は五名のまま。思ッテいたより移動速度が早いのデ、もしかシたら主人かカイ様が空間錬成を行ったのかモしれません」
……ルクレーシャは沈黙した。訊いておいてなんだが、なんでチェス盤を見ただけでそこまでわかってしまうのだ。考え事をしていたはずのテオドールですら興味を引かれたらしく、丸テーブルへと近寄ってしげしげとチェス盤を眺め始めた。
「驚いたな。このチェス盤も錬成品なのか? どういう仕組みなんだ?」
「開発したのは主人デスが、原案はカイ様です。そして正確には主人の現在地デはなくカイ様の現在地を表しテいます」
曰く、カイが今回の旅に出るにあたりエステラ頼んで『目』につけてもらった新機能がこれらしい。
仕組みとしては単純だ。カイの義眼とこのチェスセットが連動しており、地図に見立てた盤のどの位置に駒があるかを読み解くことで、彼の現在地が把握できるのだという。
ちなみにカイを表すのは白のキング。そしてそのキングに同行しているのは、白のクイーン、ビショップ、ルーク、ナイトだ。それらは順に、エステラ、ビアンカ、キース、ライアンを表しているようだが。
「マジで? あのアホ王子がナイト? ポーンじゃなくて?」
「その点は主人も驚いていまシたが、今回採用した計算式で算出した数値によルとこうなるようです。ワタシたちが思ッテいた以上にライアン殿下は実力者だったようデスね」
散々な言われようだが、兄への評価が辛辣なのはもう仕方ないことなのでテオドールは聞かなかったことにした。それより気になるのは盤面の黒の陣営のほうである。
「この場合、黒の駒はなにを表しているんだ?」
「カイ様が明確に敵として認識してイる存在なので、位置カラしても魔物の可能性ガ高いです。個体か群れかまではワかりませんが、強いか弱いかは対応スル駒の強さを見れば判別デキます」
「……ということは、このあたりが国境か?」
「ハイ。ここから先が目的地デある魔物の生息地域です。カイ様一行の現在地がココですので、遅くてモあと二日あれば到着するト思われます」
ふむ、とテオドールは盤面を見ながら考え込む。別に対局しているわけでもないのに長考の姿勢だ。
素材不足、聖女育成、復興事業、人の皮を被った魔物、対処に追われて各地に分散してしまっている戦力……。様々な問題が同時多発的に起きてしまっているわけだが、実はテオドールにとって一番気が重いのは、その問題のどれでもなかった。
「……参考までに訊きたいんだが、マリアンナ嬢がすでに魔物に食い殺されていたという事実を兄上にどう穏便に伝えたらいいと思う?」
気にするところはそこなのか。ゼノとルクレーシャから揃って生ぬるい目を向けられたテオドールだが、彼は神妙な顔をして話を続ける。
「考えてもみろ。単なる訃報ならまだしも、『真実の愛』だと信じきっていた相手の中身が実は魔物だったんだぞ。ありのままの事実を伝えたら最後、ショックのあまり発作的に自殺しないとも限らない」
実弟による的確な分析に、ライアンの元婚約者であるルクレーシャも「あー……」とか言いながら納得するしかなかった。冷え冷えとした関係だったとはいえ、仮にも十年近く婚約者を務めていたのだ。そうでなくとも単純な彼の言動は大方の見当がつきやすい。
直情的で、裏を読むことが苦手で、一度信じたら疑わない。王としての適性はともかく、一人の人間としてはなかなか魅力的なのかもしれないなとルクレーシャはぼんやり思った。彼女の好みとは合致しないものの、なんというか、人間味があって好感を持たれそうだ。放っておけないとかそういう系の。
だが、幸か不幸か彼は王位継承権を持つ人間として生まれた。その時点で彼は本来の人間性ではなく、王として相応しいかどうかだけを周りから図られるようになってしまった。そしてその結果が『無能な兄と有能な弟』という現在の構図である。ルクレーシャが訳知り顔で頷いた。
「まあ確かに、人間の皮を被った魔物に恋をした男っていう烙印を押されでもしたら、突発的に死にたくもなるだろうね」
「ルクレーシャ様、そういう意味ではナイと思われます」
「あ、そなの?」
「いや、もういい。変なことを言ってすまなかったな。もっと急を要する案件から考えよう。今のは忘れてくれ」
この二人に相談した自分が馬鹿だった。テオドールは兄の件を一旦頭の隅へと押しやって保留にする。先延ばしにしただけでなんの解決にもなっていないが、優先順位が低いことは確かなので。
そうなると、真面目に考えるべきは最優先事項、すなわち人間の皮を被って未だに人里に潜伏しているかもしれない魔物の脅威についてだ。マリアンナに成りすましていた魔物が言っていたのだ。もう少しでこの国を絶滅させることができたのに、と。つまり魔物の目的はこの国の人間を滅ぼすことだったのだろう。
それでも、まだ分からないことがある。
聖女に成りすまして、王子を誑かして、大聖女を追放してこの国の聖力を弱めるという計画は確かに効果的だった。それは認める。しかし、人間よりも知能の劣る魔物がこんな手段を思いついて実行に移せるとはにわかに信じ難いのだ。テオドールがポツリと呟いた。
「……もしかして魔物たちの裏に黒幕でもいるのか? その黒幕が魔物たちに指示を与えてこの国を滅ぼそうとしたのだとしたら」
「いやでも、魔物が人間の言うことなんて聞くわけないし、そうなると黒幕は人間じゃないってことに……なる、けど……」
ルクレーシャの言葉尻が徐々に小さくなる。どうやら自分の言葉に思うところがあったらしい。
そうだ。もしも敵が、人間ではないとしたら。
「なるほど、魔王国が絡んでいルのかもしれませんね」
ゼノがあっさり口にしたその単語にテオドールとルクレーシャは揃って戦慄した。――魔王国。
もしや、自分たちが思っているよりもずっと事態は深刻なのではないだろうか。テオドールは掌にじっとりと汗が滲み出るのを感じた。あまりの事態の大きさに気が遠くなりそうだ。やらねばならないことが、考えねばならないことが多すぎる。
「……ルクレーシャ」
「ん?」
「報酬をさらに一万オール追加する。だからもう少し力を貸してくれないか」
ルクレーシャの眉が跳ね上がった。もともとの報酬額と合わせて二万オール。もはや破格どころか狂気とも言える金額に、普段は金で釣られるルクレーシャといえどすぐには頷けなかった。
いくら王子殿下だからといって、個人でそんな額を動かせるわけがない。だが周囲に提案したところで採用される案だとも思えない。カイがもぎ取ってきた最初の一万オールだって、本当はそう簡単なことではなかったはずなのに。
「……それ本気で言ってる? さすがにこれ以上は他の連中が黙ってないと思うけど」
「追加額のほうは国庫に手をつけないから文句なんて言わせない。全額わたし個人の資産から払うからな」
とんでもない発言にいよいよルクレーシャは絶句した。なぜだ。なぜそこまでするんだ。
テオドールができない約束するような人間ではないことくらい、付き合いの浅いルクレーシャでも知っている。だからこその困惑だった。本当に、なぜそこまでするのか理解できない。
「そこまで百面相しなくてもいいだろう。そんなにおかしなことを言ったか?」
「だって、そこまでしてあたしの力を借りたいだなんて、そんなの」
言葉に詰まる。自分でも何を言いたいのかわからない。
ただ直感的に思うのは、テオドールは他の人間と明らかに違うということだ。
「……いらない」
「え?」
「追加の報酬なんていらない。そんなものなくても協力するよ。今回だけは」
不思議だった。散々タダ働きさせられていた頃は、断固許すまじと腸を煮えくり返らせていたはずなのに。今回だって、金貨一万枚という異常な金額を提示されてようやく重い腰を上げたくらいなのに。
けれどこの妙な心境の変化を悟られたくなくて、ルクレーシャはそっぽを向くしかなかった。下手な言い訳も、今は口にしたくなくて。
「意外だな。アランデル関係以外では損得勘定でしか動かないのが君だろう」
「別にいいじゃん、たまにはさ」
「それはもちろん構わないが……なんだか調子が狂うな」
ブツブツぼやくテオドールと、仏頂面のルクレーシャ。どっちもどっちだと思うゼノだったが、指摘したら二人の関係がこじれそうだったので、彼は賢明にも口を噤んだまま黙々と仕事を再開したのだった。




