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10. マリアンナの化けの皮


 空間錬成でカイが一気に距離を稼いでいる頃、第二王子のテオドールは忙しい合間を縫って地下牢を訪れていた。

 目的の人物が収容されているのは地下牢の中でも浅い場所だが、牢番は常時二人ついている。テオドールの姿を認めた牢番たちは、すぐさま姿勢を正していつものようにテキパキと面会の準備を整えてくれた。



「彼女の様子は?」


「相変わらずです。塞ぎ込んでいて食事もあまり摂りません」



 そうか、とテオドールは頷いた。そして牢の中にいる若い女性に目を留める。

 背中へと流れる綺麗な銀髪はくすんでおり、雪のように白い肌は不健康な色へと変わっていた。



「マリアンナ嬢」



 声をかければ、そこでようやくテオドールの存在に気づいたらしい彼女がのそりと顔をあげる。

 テオドールの兄ライアンの恋人であり、ルクレーシャをこの王宮から追放する原因にもなった聖女。彼女をここに叩き込んだのは他でもないテオドールとカイであったが、聖力は弱くともれっきとした聖女である以上は、最低限丁重な扱いをするつもりでいた。

 体を丸めていたマリアンナがゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。そして彼女はその場に跪いて平伏した。



「……殿下におかれましても……ご機嫌麗しゅうございます」


「気分はどうだ?」


「殿下のお姿を拝謁できる栄誉を賜り、この上ない喜びを感じております」


「御託はいい。単に体調を尋ねただけだ」



 呆れたようなテオドールの声音に、しかしマリアンナは顔を伏せたまま「良好です」と答えた。その平坦で抑揚のない口調にテオドールの眉間の皺が深くなる。



「とてもそうは見えないが。あまり食事を摂っていないと聞いている。食べないと体力が落ちて病気にもかかりやすくなるだろう。なにより兄上が帰ってきた時に、弱った君の姿を見たら悲しむはずだ」


「……悲しむ?」



 ここにきて、初めてマリアンナの声に感情が混じった。喜びでも困惑でもなく、どこか嘲笑じみた色が。



「恐れながら、ライアン殿下が私のために悲しむなどあり得ません」


「そんなことはない。君と兄上がルクレーシャに対して不誠実だったことは許し難い事実だが、君と兄上が心を通わせていたこともまた事実だろう。君に何かあれば兄上が悲しまないわけがない」



 兄とマリアンナが恋仲だったことはあの日までテオドールも寝耳に水であった。しかし、兄が常々『真実の愛』とやらに焦がれていたことは知っている。婚約者であるルクレーシャとは不仲であったことも。

 兄の好みに口を出すほどテオドールは野暮ではない。けれど、たとえ不本意であったとしても、一度結ばれた婚約には誠実であって欲しかった。少なくともルクレーシャのほうは、山ほど文句を言いながらも兄以外の男性には必要以上に近づかなかったのだから。


 苦い気持ちになりながらルクレーシャのことを考えていたテオドールは、鉄格子の向こうにいるマリアンナの顔が奇妙に歪んだことに気づくのが遅れた。



「……ふふ、ふ、は、はははははははは!」



 急に、マリアンナが狂ったように笑い出した。テオドールと牢番たちがぎょっとする間もなく、マリアンナがものすごい力で鉄格子を鷲掴む。



「はははははははは! 愉快だ! 痛快だ! これ以上ないほど滑稽だ!」


「……マリアンナ嬢?」


「これだからニンゲンは! ああ、もう少しデこの国をゼツメツさせることガできタはずなのに!」



 あまりに異様な豹変ぶりに、テオドールは即座に鉄格子から離れた。歯を剥き出しにして笑うマリアンナがガタガタと強く鉄格子を揺らす。そばに控えていた牢番たちもマリアンナの不気味な変化に表情を固くし、武器を構えてテオドールの前に出た。

 声は間違いなくマリアンナのものだ。しかし、彼女の声帯を利用して話しているのは、マリアンナではない別の――。



「イマイマしい大聖女! あいつさえイなければイチバン脆弱なこノ国はオワリだった! ナノニ、アイツはモドッテきやがっタ! アア、申シ訳ゴザイマセン、ドラン様!」



 叫ぶマリアンナの顔がみるみるうちに崩れていく。文字通り。

 不健康に蒼白な肌はあっという間に人間ではない色へと変化していき、くすんだ銀髪は灰色から黒へとみるみるうちに染まっていく。

 ぎょろりとした目がこちらを射抜いた。人間らしからぬ、異様なまでに大きな目。マリアンナのものであった皮膚が破れて、その下から魔物のような姿が現れた。


 刹那。突如として現れた金色が、絶句していたテオドールの視界を覆った。

 天から差す光の梯子かと錯覚したほどのそれは、よくよく見ればテオドールが知るなかで最も美しい金の髪で。



「うっわ、キモ。エステラには絶対に見せらんないねコレ」



 緊張感のない声。テオドールたちと鉄格子の間に割って入ってきたのは、驚いたことに大聖女ルクレーシャだった。

 こちらに背を向けているため、彼女がどんな表情を浮かべているのかわからない。そして彼女の体に隠れて、その向こうにいる魔物の姿もよく見えない。



「キ、サマ……!」


「あたしとしたことが迂闊だった。まさか一時的に王宮の守りを他の聖女たちに任せている隙をついてくるとはね」



 ふわりと、ルクレーシャの長い髪が風に吹かれたように膨らんだ。実際は風ではなく、彼女が発する聖力がその場の空気を震撼させているだけなのだが。



「グアッ……!?」


「でも、所詮は魔物の知能か。せっかく被っていた化けの皮が剥がれたら、あたしに気づかれて捕捉されるだけなのにさ」



 本来ならば魔物を弾くのが聖力だ。しかし、こうして真正面から聖力を直に浴びるとなると。

 聞くに堪えない耳障りな絶叫と共に、マリアンナの皮を被っていた魔物がなす術もなく消滅していく。ルクレーシャの絶大な聖力を間近で浴びて無事でいられるはずもない。例えるなら、高温の炎で焼かれるようなものだ。浴びれば一瞬で蒸発して即死する。


 しん、とその場が静まり返った。鉄格子の向こうにはもう誰もおらず、ただ魔物が被っていたマリアンナだったものの残骸が残っているだけだ。それを見たルクレーシャが忌々しげに舌打ちをする。



「ったく、悪趣味な……もっと苦しめてから殺せば良かった」



 そう吐き捨てて、苦々しい表情を浮かべたルクレーシャがこちらを振り返る。その視線は牢番たちを素通りして、その後ろで守られていたテオドールへと向けられた。



「無事?」


「え? ……ああ、大丈夫だ」



 まさか彼女に心配される日が来るとは。テオドールは内心驚いたものの、あからさまに態度に出せばルクレーシャが嫌がるだろう。だからテオドールは平静を装いつつも言うべきことを端的に告げた。



「助かった。ありがとう、ルクレーシャ」


「お礼を言われるようなことはしてない。単におかしな気配がしたから様子を見に来ただけだし。ついでだよ、ついで」



 彼女にしては言葉が多いような気がする。照れ隠しだろうか。そう察しつつもテオドールは深く追及せずに鉄格子へと近づいた。

 マリアンナだったものの残骸を見下ろす。もはや人としての原型を留めていないそれはあまりにも現実味に欠けていて、逆にテオドールの頭は冷静になった。


 恐らく、本物のマリアンナは先ほどの魔物に食い殺されてしまったのだろう。それもだいぶ前に。

 ……いつから? いつから魔物は彼女に成り代わっていた? 険しい顔で考え込むテオドールの様子を見てルクレーシャが口を開いた。



「獲物の皮だけを残す器用な魔物がいるっていう話は聞いてる?」


「!?」



 思わぬ情報に、テオドールは弾かれたようにルクレーシャの顔を見上げた。

 視線がかち合う。テオドールの強い眼差しを受けて、ルクレーシャは思わず目を細めた。



「エステラが路地迷宮から仕入れてきた情報。気になるなら調査してみれば?」


「……すぐに調べよう。貴重な情報に感謝する」


「だから、お礼を言われるようなことじゃないってば」



 ふと、ルクレーシャは後ろを振り返った。……扉の向こう。聖力持ちの誰かがいる気配。

 どうやらおかしな気配を感じて地下牢までやってきたのは、ルクレーシャだけではなかったらしい。



「…………。じゃ、あたしはこれで」



 普段は滅多にしない淑女の礼とやらを披露して、ルクレーシャはさっさと踵を返した。そして地下牢をあとにしてすぐ、扉の向こうで立ちすくんでいた一人の聖女を発見する。



「だ、大聖女様」


「へえ、正確にここを突き止めるなんてやるじゃん」



 ルクレーシャからの思わぬ褒め言葉にその聖女は目を丸くした。かと思えば、恥ずかしいのか赤く染まった顔を伏せてしまう。

 聖女といっても、相手はまだ十になるかならないかの子供だった。名前は知らない。なんなら顔にも見覚えがない。でもここまで幼い聖女がいたらたぶん覚えていると思うので、間違いなく初対面だと思われる。



「あんた名前は?」


「は、はいっ。サティと申しますっ!」


「そ。じゃあサティ、今のところあんたが二番目に見込みあるから、まずは自信持つところから始めれば?」


「……え?」



 見込みがある。サティは一瞬きょとんとして、次いでぎょっとしたように青くなった。



「そ、そんなことは……」


「だって異変を感じてここに来たのはあんただけでしょ?」


「でも、他の聖女の皆さんもきっと気づいていると思います。あまりにも、その、異様な気配でしたし」



 しどろもどろなサティの様子にルクレーシャは肩を竦めた。

 確かにサティの言う通り、あの気配はあまりに異様だったし奇妙だった。なにせ聖女の皮を被った魔物がいたのだ。いろんな気配がごちゃ混ぜになっていたせいか、正直かなり気分が悪かったし、どこまでも不快だった。

 しかし、浅いとはいえ地下牢からのその気配を感じ取れた聖女など、果たして何人いるのだろうか。もちろんサティだけではないと思うが、それでもこうしてここへ飛んできたのは結局彼女だけだった。



「気づくだけじゃ意味がないんだよ。異変に気づいているのに動かない聖女なんて単なる役立たずと大差ない」


「それは……そうかもしれませんが……」



 言葉に詰まったサティだったが、ルクレーシャの背後から現れた別の人物の姿にますます顔色を悪くした。



「――だからルクレーシャは君のことを見込みがあるって評価したんだろう。まあ、ルクレーシャ自身は異変に気づいても動くかどうかは気分次第っていう気まぐれ屋だけどな」



 やってきたのはテオドールだった。地下牢へと続く扉のすぐ近くで話し込んでいたのだから、そこから出てきた彼と鉢合わせてしまうのは至極当然な流れである。ルクレーシャの隣に立つ位置でテオドールが足を止めた。



「大聖女の後継者候補が増えたようで良かったじゃないか。君の荷が降りるまであともう少しの辛抱だ」


「ん。でも報酬分くらいは働くよ。あとはビアンカさえ帰ってきてくれればあたしはお役御免かな」



 王子殿下であるテオドールに対してもぞんざいな口調のルクレーシャだが、十年近く前からずっとこうなのでもはや誰も気にしていない。それに公式の場では一応きちんとした態度で臨んでくれるのだ。こちらが無理強いしているという負い目も相まって、彼女の私生活の言動にまでいちいち目くじらを立てるつもりはなかった。

 気安い調子で話す二人の傍らで、サティが小さな体をさらに小さく縮ませた。考えてみれば大聖女と第二王子が揃い踏みなのだ。居心地悪いに決まっている。



「あ、あの……では、私はこれで失礼いたします……!」



 ガバッと大きく頭を下げたあと脱兎の如く逃げ去っていくサティの後ろ姿が完全に見えなくなってから、ルクレーシャとテオドールは改めて向き直った。

 子供には聞かせられない話という以前に、相手が子供であってもまだ自分たちしか知らない情報を不用意に漏らすわけにはいかないというのが本心だ。



「ねえ、さっきの魔物のことエステラには伝えておきたいんだけど。人間の内臓だけ食らったあと、残った皮を被ってその人物に成り代わる魔物だなんてヤバすぎる。向こうでエステラがそのキモい魔物と遭遇しないとは限らないし」



 エステラ()()ではなく、あくまで彼女が心配しているのはエステラだけのようだ。テオドールは苦笑する。



「そのつもりだ。すぐにキースに宛てて手紙を書く。アランデルにも伝わるだろう」



 しかし、とテオドールが腕を組んだ。あまりにも十四歳らしからぬその仕草に、ルクレーシャはつい同情してしまう。王子殿下とはいえ、彼からはどうにも苦労人の気配がした。



「本当に危険なのは魔物の生息地域じゃない。君の聖力で守られているはずのこの国の中だ。マリアンナ嬢に成り代わっていた魔物はかなり前から潜んでいたのだろうが、君の守りが薄くなっていたあの一週間の間にも被害が出ていた可能性がある。獲物の皮だけを残す魔物が出たんだろう? 非常にまずい事態になっていることは確かだ」



 それに人の皮さえ被っていれば、魔物は聖力の影響を受けずに国内に留まっていられるらしい。それが判明してしまった今、誰も彼もが怪しく見えてきてしまった。

 しかも人の皮を被った魔物が潜んでいたのは、よりにもよってこの王宮内なのだ。それも貴族の娘に成り代わった状態で、第一王子のすぐ近くに。ルクレーシャが慎重に訊いてくる。



「一応訊くけど、あんた本物?」


「本物だけど、それを証明する術がない。まったく厄介な話だな」



 苦々しい表情を浮かべたテオドールが、苛立たしげに壁に背中を預けた。お互いすら信用できないというのはなんとも歯がゆいことである。

 先ほどのマリアンナの例から分かる通り、化けの皮が剥がれていない状態ならば、ルクレーシャですら見分けることが困難だ。そんな状態で、どうやって本物の人間と人間の皮を被った魔物を見分けることができるだろうか。



「ああでも、一人だけ確実に信じられる相手がいるよ」


「ん?」


「エステラの代理のゼノ。あいつは人形だからまず間違いなく大丈夫」


「……なるほど、確かに」



 そんなわけで、二人は宮廷錬金術師たちの屍が積み上がっているらしい区画へと足を向けた。なんだかんだ彼らに負担が集中していることは申し訳なく思うが、こればかりは仕方がない。


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