01. 追放された大聖女
最近、なにやらお城のてっぺんが騒がしい。
錬金術師のエステラは、細い路地を歩きながら灰色の空を見上げていた。一週間ほど前から空は徐々に暗さを増してきているが、それは大聖女が追放された影響でこの国を包んでいた聖力が薄くなったためだ。歴代随一と謳われていた彼女の庇護を失った以上、魔物の生息地域と隣接しているこの国がその影響を受けないわけもなかった。
聖女の守りがなくては人が住めるような環境ではない。それがここノースライド王国である。
だが、日に日に暗さを増していく空の色が不気味なのか、お城は今日も騒がしかった。まったく、大聖女を追放したのは自分たちのくせに、うるさいことだ。
空を見上げていると、飛行型の魔物がギャーギャー鳴きながら飛んでいくのが見えた。ここ一週間ほどですっかり見慣れてしまった光景だが、やはりこれも大聖女が追放された影響で魔物の生息地域が拡大しているからだ。まさか王都で魔物の姿を目撃する日が来ようとは。なんかもう、いろいろと終末である。
コツコツとブーツを鳴らしながら、作業着姿のエステラは路地の奥へ奥へと歩いていく。途中で人相の悪い集団と遭遇したが、エステラの顔を見た瞬間に彼らのほうが道を空けた。いつものことなのでエステラは別に気にしない。
「やっべー、あれエステラさんじゃん……」
「この前ひとりでバリシード峡谷に行って魔物を殲滅したって聞いたけどマジかな」
「え、じゃあまさか素材屋の品揃えが最近やけに充実してるのって……」
「おいバカやめろ! 聞こえるぞ!」
すれ違ったあとにそんな会話が聞こえてきたが、やっぱり無視した。噂の内容に関しては半分アタリで半分ハズレ。魔物を殲滅してきたのは確かだが、ひとりではない。錬金術協会時代にバディを組んでいた同期と二人で行ってきた。行ってきたというより、巻き込まれたというほうが正しいけども。
とはいえ訂正するためだけにわざわざ戻るのも面倒なので、噂はそのまま放置で良かろう。そう思いながらエステラは慣れた歩調で石畳を歩き、さらに薄暗い区画へと足を踏み入れた。
ここは壮麗なる王宮の下に広がる、活気にあふれた城下町……の、さらに下に位置する最下層。通称『路地迷宮』と呼ばれる場所だ。
奥に行けば行くほど治安が悪いと評判のそこで、よりにもよってエステラはどん詰まりとも言うべき最奥で暮らしていた。ここまで奥に来れば真っ当な人間はおろか、悪人すらも近づかないので、エステラとしては逆に住みやすいと思っている。
てくてく歩き、辿り着いたどん詰まり。そこにぽつりと建っている、今にも崩れ落ちそうなほどボロい家。朽ちかけた扉にはやけにゴツい錠前がぶら下がっており、エステラは指先でそこに錬金文字を刻んだ。その文字は微かな光を放ち、かと思えばガチャンと解錠される。
そういえば以前に「使いこなせる人間がほとんどいない錬金文字を鍵代わりに使うその能力の無駄遣いっぷり。さすがはエステラ。ちょっと能天気すぎない?」とかなんとか、同期のあいつがブツブツぼやいていたような気もする。しかし解ける者などほぼ皆無に等しいのだから、やはり鍵が一番有効な使い道ではなかろうか。少なくともエステラはそう思う。
「ん?」
扉の下のわずかな隙間に手紙が差し込まれているのを発見する。しかしここは手紙など届くはずもない住所不定などん詰まり。となると、送り主の見当は大体つくというものだ。
それでも一応送り主を確認すれば、やはりと言うべきか件の同期、かつ宮廷錬金術師総帥であるカイ・クレヴィオからだった。前回こいつから手紙が来た時はバリシード峡谷行きに巻き込まれたのだ。その時のことを思い出して、エステラはしょっぱい顔をした。
高収入を期待できる貴重な素材が大量に手に入ったのは喜ばしいことだったが、それにしたってバリシード峡谷をたった二人で踏破するハメになるとは思わなかった。先ほどすれ違った連中にもドン引きされていたが、エステラだって誰かが同じことをしたと聞けばやっぱりドン引きしただろう。しかし。
「…………」
はあ、と重い溜め息をつく。どうせろくな内容ではないと分かってはいても、相手が相手なだけに無視するわけにもいかない。そう思ってエステラは仕方なくその手紙に目を通す。内容は思いのほか簡潔だった。
『悪いけど、今すぐ不良聖女に大人しく出頭するように伝えて。君のところにいるのは分かってるんだ。このままだといくら僕でも庇いきれなくなる』
当然のように彼女がここにいることを知ってるような口ぶりに、エステラは溜め息を漏らすしかなかった。驚きはしないが、それでもやっぱり呆れてしまう。
微妙な表情を浮かべたまま玄関から居間へと移動すれば、ソファーを占領していた居候が寝返りを打った。その拍子に腰よりも長いだろう金の髪が滝のようにソファーから流れ落ちる。エステラの夜色の髪とは全然違う、燦然たる金の輝き。それを乱暴にかき上げて、今の今まで寝ていたと思われる居候が目を擦った。
「あ、エステラじゃん。おかえりー」
大聖女ルクレーシャ。エステラと同じ十八歳。絶世の美少女にして、史上初の孤児院出身者でもある聖女。そしてその聖力の強さは歴代随一どころか、冗談抜きで一、二を争うほどだと謳われている。
が、それと同時に史上もっともガラの悪い聖女としても有名であった。おかげでせっかくの美少女っぷりが見る影もない。
ついでに一週間ほど前に王宮から追放された噂の大聖女もこいつのことである。
「ただいま。なんかカイからルーちゃん宛てに出頭命令がきてるけどどうする?」
「なに、あたしがここにいるってもうバレてんの?」
あからさまに嫌な顔をするルクレーシャ。出頭命令が嫌なのか、はたまたカイが嫌なのか。どちらにせよ彼女にとっては面倒臭い事態であろう。
「まあ、カイは私とルーちゃんが昔馴染みってことを知ってるからね。今のところ随分と庇ってくれているらしいけど、そろそろ潮時みたいだよ」
「あいつが庇ってるのはあたしじゃなくてエステラだけだろうけど。はー、それにしてもあんたマジであいつと仲良いのな」
寝転んだまま呆れたような溜め息を漏らすルクレーシャにエステラは首を傾げた。カイとはまだ出会って五年程度だが、それなりに親しいことは否定しない。しかし、こんな溜め息をつかれるような心当たりもなかった。
「カイと仲がいいってそんなに変? あいつ他に友達いないとか?」
「や、あいつの交友関係なんてあたし知らないし。でもまあ、カイ・クレヴィオっていえば『感情のない欠落の錬金術師』で有名だからね。ああ見えて伯爵家の次男坊だし、史上最年少で総帥になった化け物だし、ついでに無駄に顔がいい。あんたがいることだし本人はガン無視してるけど、影ではかなりモテモテらしいよ」
「……ちょっと待って。感情が……なに?」
自分が知るカイとあまりに違う人物像にエステラは思わず聞き返していた。『伯爵家の次男坊』あたりからはエステラも知っている情報だが、最初の一点のみてんで覚えがない。ルクレーシャが真顔で答える。
「感情のない欠落の錬金術師。王宮でのカイの二つ名だよ。本人が聞いたら怒りそうだからナイショな」
「わかった。……じゃなくて、いやいやいやいや、それはない。あいつに感情がないとかアリエナイ」
むしろ喜怒哀楽がはっきりしているほうだと思う。そう主張するエステラにルクレーシャは哀れみの目を向けた。
「それたぶんエステラの前でだけだろうね。あーあ、王宮でのあいつの姿を見せてやりたいよ。鉄仮面のせいでなに考えてるのか全然わからんってお偉いさん方がブツブツ言ってた」
「……それホントに私が知ってるカイ? 同姓同名の別人とかでなく?」
あくまで懐疑的なエステラにルクレーシャは呆れた。あの男のことを感情豊かだと思っているのは、国中探してもきっとエステラだけであろう。
しかしルクレーシャは呆れると同時に感心もした。どうやらカイはエステラにだけは甘いらしい。あのカイ・クレヴィオを手懐けているとは……どう考えてもエステラは大物である。
ともあれ話が脇道に逸れすぎた。エステラはカイへの別人疑惑を一旦頭の隅へと追い払う。そして相変わらずソファーに寝転がっている自堕落な大聖女へと意識を集中させた。
「とにかく、ルーちゃんはお城に戻る気がないってことで話を進めてもいいの? 後悔しない?」
念押ししてくるエステラにルクレーシャは怪訝な顔をした。
「後悔もなにも、どこぞの脳内お花畑なアホ王子に『ナントカ家のナントカ嬢こそが真の聖女だ。お前みたいな素行最悪なニセ聖女は今すぐここから出ていけ! 婚約も解消だ解消!』って追い出されたわけだし。戻る道理もその気もないよ」
「ああ、うん。ルーちゃんの素行が最悪なのは紛れもない事実だけどさ、聖女としての力が歴代随一なのも覆しがたい事実でしょ。ルーちゃんに見捨てられたらこの国は本気で滅ぶけど、本当にそれでいい?」
真っ当なるエステラの問いかけに、しかし寝転んだままのルクレーシャは鼻で笑い飛ばした。
「なに心にもないこと言ってんの。魔物が暴れて国が滅んだところであたしたちには何の関係もないじゃん」
「――――」
身も蓋もない指摘にエステラは押し黙った。困ったことに、ルクレーシャが言っていることは間違ってなどいないのだ。腹立たしいくらいに。
言葉に詰まったエステラの複雑な心境を知ってか知らずか、ルクレーシャがなにやら舌打ちをする。
「つーかさ、大聖女だからって王子と結婚しろとか今時ありえなくね? 弟のほうならまだマシだったんだけど、あのアホ王子が相手とかマジで無理。真実の愛とやらが云々ってうるさいのなんの」
「恋愛脳なアホ王子のことなんて知ったこっちゃないけど、ルーちゃんと弟王子が婚約とかにならなくて良かったわ。そんな事態になったら私の中の善の部分がルーちゃんを許さない」
エステラの神妙な言葉に対して「あんたに善の部分なんてあんの?」とか訊いてくるルクレーシャはひたすらに失礼な奴であった。
余談だが、噂によるとまだ十四歳の弟王子のほうが兄王子よりも優秀だと専らの評判らしい。そんな弟王子にルクレーシャの面倒を見させるだなんて、前途有望な少年の人生の浪費であり汚点としか言えない。そんな役回りは付き合いの長いエステラくらいがちょうど良かろう。
またもや本題から話が逸れそうになっていた時、突如として二人の目の前に光る紋様が出現した。正確には紋様ではなく文字なのだが、錬金文字なのでルクレーシャには何かの紋様にしか見えない。
だが、そこに刻まれている複雑な文字列を読み解いたエステラが頬を引きつらせた。……あまりにも緻密な錬金術式だ。こんなものを組み立てられる変態など、エステラは一人しか知らない。
「カイ」
その名前を呼んだと同時に、光る紋様の中心に、忽然と一人の青年が姿を現していた。




